第7話
【ろく】
どういう事ですか、と問い質したときも遠藤はまるで動揺の色を見せなかった。
朝、ワゴンの商品の入れ替えのために車内にやって来た遠藤ははあ、と感情のない声を漏らした。
「さて、何がですか」
「この私鉄の存在です。存在の目的です」
彼は興奮して詰め寄る左記子をのらりくらりと躱して商品をワゴンに置き、それはまあ、
「なぜ今更になって気になさるのです? 敢えて訊いてこられないのかと思っていました」
「昨晩見たんです」
「見たと。なにを」
「高校の時の同級生を」
この電車に乗って来たんです、左記子は袖口のカフスをぎゅっと掴んだ。
「当時と何一つ変わっていなかった、服装から髪型まで。いくら何でも変化がなさ過ぎでした。そんなことってあり得るんでしょうか」
話しているうちに興奮して早口になってきてしまう。今迄だって、と左記子は急くように続ける。
「今迄だって他にも気になっていたことはあったんです。遠藤さんの言われた通り、敢えて訊きはしませんでしたけど」
そう感じるのは、左記子自身がおかしくなっているからか。それともこの電車内特有の異常さゆえか。本当はずっと自分に問いかけて来た。けれど、それをはっきりさせるのも怖かった。元々左記子は自分なぞ持ってはいなかったのだから。真実を知ることで僅かばかり残っている自我が崩壊しそうで、どうしても怖かった。でも。
「もう知らなければならない、昨晩そう思ったんです。もう黙って色々飲み込むことが出来なくなったんです。たとえば、遠藤さんと私のほかにここには職員はいないのですか。なぜほとんどメンテナンスもせずにこの電車は走り続けることが出来ているんですか。どういう仕組みで突然知らない鉄道を走れているんですか。皆橋駅の深夜の無料開放は、あれは何なんですか。遠藤さん、教えて下さい」
この電鉄の仕組みを教えて下さい──はじめは勢いよくまくし立てたのに、段々と自分で提示した疑問の奇妙さに不安になり、最後には掠れたような声になってしまった。
遠藤はずっと黙って聞いていたが、左記子が話し終えるとほう、と深いため息をついた。
「そうですか、そうですか。それは不安な思いをさせてしまった。申し訳ない」
彼は被っていた帽子を取り、頭を下げた。帽子のない遠藤を見るのはこれが初めてだった。何となく人間離れしているイメージがあったが、やや面長で白髪交じりの髪をした、ごく普通の──どちらかといえば優しそうな──初老の男性の顔だった。
「今日は、そうですね、お互い仕事はお休みしましょうか」
そこのボックスシートで話すのはどうです、とすでに決定事項のように振り向きもせず遠藤は歩き出した。
いつの間に運行していたのか、電車は低い音を響かせていた。
向かい合うと、窓の外の木々が遠藤の後ろで遠のいていった。
「大学生の頃、初めて一人旅をしましてね。列車で駅弁を食べました」
これがまあ、美味しかった、と遠藤は何の前触れもなく昔語りを始めた。
「やはりこういう、対面型の四人掛けの席でしたね。尤も私しか座っていなかったのですが」
「それは、あの、さっき私がした質問と関連があるんですか」
間接的にはあります、遠藤は痺れを切らした左記子をなだめるように二度ほどゆっくり頷いた。
「あなたはどこか、私のことを漠然と“不思議な世界の人”と捉えてはいませんか」
「だって、あまりにも──」
言いかけた左記子を見て、今度は遠藤は首を横に振った。
「そんなことはないんです。小さな町で、普通の子供として生まれて普通に育った。大学生になって初めて一人旅をして駅弁ひとつに感動する、ごく普通の若者だったんですよ。魔法を使える訳でも自然に逆らえる訳でも何でもない」
けれど、そうですね、強いて言えば『時』に強い興味を持っていました──と何かを懐かしむように遠藤は目を細めて外の景色を眺めた。
「四人掛けの席に一人で掛けて、駅弁を楽しんで、心ゆくまで景色を眺めて。貧乏旅行ですが、時間はたっぷりありました。私はその時間を非常に愛しく思った。そしてこの『時』がひたすら続けばいいと思ったのがきっかけです」
「きっかけ? 」
遠藤は頷いた。
「私の家は代々教師の家系でした。私も当然のように教師になるべく大学に通っていました。けれど、一人旅をしてからというもの、自分が教師になることに何の意味も見出せなくなってしまったのです。いや、そもそも自分が何の興味も疑問も抱かずに教師になろうとしていたことに気づいてしまった、という方が正しいのでしょうか。厳格な父に只々従っていただけだったんですね。旅行から帰ってきた私はもう教育学を勉強する気にはなれませんでした」
そして、代わりに『時間』とは何かを知るべく自然科学を学び始めました──遠藤は実にあっさりと言った。
「それが私の本当にやりたいことだと自覚したのです」
「時間を知ること──ですか」
この時がひたすら続けばいいと。それだけのために。
「そうです」
「でも、お父様は何も言わなかったのですか」
「厳格な人でしたから、非常に激怒しました。私がもう教育学を学んでおらず、教師になるつもりもないと知るとその日のうちに大学を辞めさせられ、家を追い出されてしまいました。要は勘当ですね。それ以来父の顔は一度も見ていません」
笑顔ともなんともつかない顔で遠藤はわずかに口を開ける。前にも思ったが、この人の“空洞”を覗くのはやはり怖い。
「紆余曲折あったので省略しますが、『時間』の研究はそれ以降も続ける事ができました。研究していくうち、いろいろ面白いことが分かりました」
「面白いこと? 」
「あなたがこの私鉄で見たこと、体験したこと、それらをあなたは私に対するのと同様“不思議なこと”、“奇妙なこと”と捉えたでしょう」
「だって、あり得ないことを見たんです」
「いいえ、実際あり得るから見たのです。“不思議”にだって根拠はあるんです、ただ何となく存在する不思議などありはしないんです」
遠藤から発せられる分かるような分からないような理論に、左記子は彼の空虚な口腔をただ見詰めた。ここで働くと決めたあの日見た“強い光”が、いよいよ左記子を焼き焦がさんばかりに近づいてくる。めらめらと音を立て、全身を煽りたて、それでも左記子の好奇心を捉えて離さない。
「この私鉄は、いわば私の研究結果そのものなのですよ」
遠藤が敢えて抽象的な言葉を選びながら話しているように思えて、分かるように言ってください、と左記子は念を押した。
「私にも分かるように話してください」
「では、そうですね──。以前にこの列車の運行システムのことを簡単にお話ししましたが。ここには車掌も運転手もおらず、独自に開発された自動運転システム、ATTによってコントロールされていると」
「それが、遠藤さんの研究の結果なのですか」
奇妙だとは思ってはいた。独自の自動運転システムとしか説明されていなかったが、この列車は時々まるで意志のある生き物のように動く。『自動運転』と一言で言うが、何がどこまで自動なのだろう。まるでこの列車の空間そのものを支配しているように感じることさえあった。
遠藤はいつもの几帳面さで頷いた。
「ネーミングセンスのない私が名付けたので、何の捻りもない呼び方で気に入らないのですが、ATTの正式名称はAutomatic time travel といいます。つまり、直訳すると自動 」
「自動時間旅行──」
力が抜けたような、狐につままれたような、そんな心地に陥って左記子は遠藤の発言に被せるように思わず口に出していた。
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