第34話
「信用できるわけないじゃない!」
桃子が叫ぶ。
「あんたは私たちの血液サンプルを取って、黒い塵の怪物たちよりもずっと強い軍団を作り上げる。そうしたら私たちは用済み、すなわちいつ殺されてもおかしくないってことになる」
馬鹿みたいね、と桃子は続けた。
「最善の生活環境? そうね、私たちが殺された後、『天国』なんて場所に行けたとしたら、そりゃあ幸せでしょうよ。でも、私たちはそんなこと信じてもいないし、望んでもいない」
桃子は一際大きく息を吸い、フィールドの外壁を震わせるような勢いで声を張り上げた。
「自分たちの生き方は自分たちで決める。運命なんて信じないし、ましてあんたの手になんか渡さない。それが――それが両親と友達をあんたに殺された、私の答えよ!!」
動ける者のいない空間で、しかし、唐突にそれは起こった。
「ふっ、はははっ、はははははははっ!!」
エンターテイナーが、笑っている。身体をくの字に追って、腹を抱えながら。あまりの豹変ぶりに、俺は唖然とするしかなかった。
「どうやら芝居が過ぎたようだ。慇懃な態度はこのあたりで終わりにさせてもらおう」
桃子もまた、言葉を紡ぐことができないでいる中、エンターテイナーは語りかけた。
「まあ聞いてくれ、桜坂さん。君の両親が亡くなったのは、確かに私にとっても事故だった。既に承知かと思うが、怪物の開発をし始めた頃の私は、まだまだ未熟でね。無暗やたらに人間を襲うことなどないようにという性質を組み込みそびれたのだ」
まさか、それを桃子の両親の『事故死』の原因だとでもいうのか?
俺が怒りを叩きつけようとした時、それを遮るように、エンターテイナーは呟いた。
「シュワちゃん、か……」
しかしそこには、哀れみも悲しみもない。アスファルトに粘ったガムをただ眺めるような、そんな気配しかなかった。
「先ほど君はシュワくんのことを『友達』だと言った。意外だったよ。彼がそこまで人間社会に溶け込んでいられたとはね。だが、所詮彼はプロトタイプだ。怪物たちとは別な方法で開発を進めていた能力者、否、能力性人造人間。彼そっくりの思考や知識を持ち合わせた検体ならいくらでも造ることができる。心配はいらないよ、桜坂さん」
そういう問題ではない、ということは、エンターテイナー自身が一番よく知っていただろう。それを承知で『心配はいらない』だと? 明らかに桃子を侮辱し、挑発している。
「落ち着け、桃子!」
「ええ、落ち着いてますよ。このくらいには、ねっ!」
すると、桃子の姿がふっと消えた。いや違う。勢いよく跳躍したのだ。
「愚か者が!」
エンターテイナーは、バトンのように杖をくるりと回し、その先端からまばゆい光を発した。得意の雷撃だ。
桃子は空中で一回転、これを弾き、そのまま接敵する。両手持ちにした釘バットが、エンターテイナーの頭頂目がけて振り下ろされた。
倉庫全体を震わせるような振動となって、釘バットの衝撃が伝わる。無論、こんな大技が決まる相手ではなかった。エンターテイナーはサイドステップで回避、桃子の左わきを取った。また杖を回転させ、先端を桃子に向ける。その一瞬の隙をついて、北郎が拳銃を拾い上げた。
「滝川くん!」
「おう!」
北郎が放り投げた拳銃を俺がキャッチ、リロードしてエンターテイナーに向けて連射。エンターテイナーはスーツが汚れるのにも構わずバク転し、これを回避する。
「そこだ!!」
俺は同時に能力を発動した。エンターテイナーが踏みしめていた場所、そこはちょうど倉庫の仕切り板にあたる部分だった。
「むっ!」
急に足場が盛り上がり、斜めになっていく。それにつれて、エンターテイナーはフィックスによって立て直された壁の向こうへと見えなくなった。互いに相手の挙動が読めなくなる。
さて、奴は次にどう出るつもりだ?
俺が拳銃の照準を合わせながら、じっとそちらを見つめる。すると、ジリジリという何かが焼けるような音が聞こえてきた。
「……ん?」
フィックスされた壁の隙間から、光が漏れ出している? これは、まさか……!
「皆、散れっ!! 腹ばいになれ!!」
と、俺が叫んだ直後だ。
ヴォン、という自然に非ざる音を立てながら、すさまじい光量が差し込んできた。それは直径五十センチはあろうかという破壊光線で、その周囲をらせん状に取り巻いて雷撃が続いていた。
「うわあああああああ!」
俺は声を上げたが、その声は自分の耳にすら届かない。
「チッ、外したか」
エンターテイナーの声に顔を上げると、そこには、たった今俺が修復した壁があった。その壁には、やはり直径五十センチほどの穴が空いており、さらにその向こうにエンターテイナーが杖を構えていた。
流石にすぐには次の雷撃を準備できないのだろう、エンターテイナーはこちらの挙動を警戒しながらゆっくりと歩み寄ってくる。俺は立ち上がりざま、無傷なコンテナの陰に隠れ、拳銃をリロード。しかし、そんな悠長な動作を中断したのは、北郎の悲鳴にも似た叫びだった。
「滝川くん、避けて!!」
顔を上げると、たった今フィックスした仕切り板の一部がこちらに倒れ込んでくるところだった。
「くそっ!!」
俺はリロードを中断し、右手を斜め上方に掲げる。フィックスすることで壁の崩壊を防ぐのだ。でなければ、俺たちはぺしゃんこになってしまう。
しかし、これでは大きな隙ができる。エンターテイナー相手にゆとりをもたらしてしまった。だが、こういう時のための、ただし一回限りの裏技が、俺たちにはあった。
シャツの首元に設置された超小型マイクに、声を吹き込む。
「涼、もうじき出番だ! 準備してくれ!」
《いつでもオーケーよぉ!》
「桃子、例の作戦を使う! 跳べるか?」
「誰に向かってものを言ってるんですか! じゃあ、いきますよっ!!」
俺が必死に仕切り板の崩落を防いでいるのを尻目に、エンターテイナーは歩み寄ってくる。
「ふむ。だいぶエネルギーを消費してしまったが、滝川くんも北郎くんも動けないようだね? 結構。そのままでいてくれればいい」
露骨に俺たちに戦力外通告をしながら、悠々の倉庫中央に歩を進めていく。そこにいたのは桃子だ。
「生憎離れ技はないけど、私、そこそこ強襲が得意なのよね」
「ほう?」
エンターテイナーを、桃子が挑発している。
「今見せてあげるわ、よっ!!」
桃子は再び、しかし今度は水平方向に猛ダッシュ。雷撃が一時使用不能になっているエンターテイナーにとっては、なかなか脅威になるはずだ。
案の定、彼は感嘆の声を上げた。
「ふっ、やはり速いな!!」
そんなことを意に介さず、桃子は接敵する。
「はあああああああっ!!」
まるで宙を浮いているかのような、しかし高さを伴わない姿勢で迫る桃子。
「ふっ!」
エンターテイナーは、手元で杖を一回転させた。すると如意棒のように杖が縦に展開し、薙刀のような形態に変形した。徐々に電力が回復してきたのか、杖の可変部分には雷撃がまとわりついている。
桃子の、エンターテイナーの足を狙った斬撃が弾かれる。すぐさまバックステップし、さらに軽くジャンプして距離を取る桃子。
「とっ!」
息をつくほどのことでもないのか、エンターテイナーが無言で攻勢に出た。桃子の顔面を狙って、薙刀の片方が突き出される。間一髪で回避した桃子は、
「中距離戦ではこっちが不利ね!」
と言いながら、釘バットを牽制に利用しつつ、そのままエンターテイナーの懐に入り込んだ。しかし、その流れは読まれていた。
「ぐっ!」
桃子の短い呻き声がする。エンターテイナーが膝蹴りで、桃子を突き飛ばしたのだ。だが桃子は激痛を無視して前に出た。
「まだまだあああ!!」
地から足が離れたのを活かし、コンテナを蹴って、今まで以上の速度でエンターテイナーに向かって踏み込んだ。硬質なものが響き合うような涼しい音を立てて、桃子の釘バットと、エンターテイナーの杖の中心部分が衝突する。
そしてそのまま、桃子がエンターテイナーに食いついていくような形で、鍔迫り合いが始まった。
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