第35話

 目にもとまらぬ速さ、というのはこういうものを言うのだろう。

 エンターテイナーの袈裟懸けを、桃子は上半身を逸らして回避。同時にバク転し、しかし距離を置かずに僅かに跳んでエンターテイナーの上半身を狙う。さらにこれをかわしたエンターテイナーは、両手で杖を持ち、バントのような姿勢で釘バットを受け止める。


 キーン、と耳鳴りのように硬質な音が響き渡り、俺と北郎は耳を塞いだ。代わりに、桃子とエンターテイナーの戦いにより目を凝らす。

 もう少し。もう少し先だ。『あの窓』には仕掛けがある――。『あの窓』は、徐々に後退を始めた桃子の後方十メートルほどのところにあり、高さは五メートルほど。何の変哲もない窓だ。まあそれは『一見すれば』の話だが。


「腕を上げたな!」

「あんたの腕がなまっただけよ!」


 桃子とエンターテイナーの、演武のような技の繰り返し。その中で、拮抗するかと思われた戦い。だが、やはりエンターテイナーの方が有利だった。今までどんな戦いをしてきたのだろうか。

 と、見とれている場合ではない。しかし、外壁のフィックスを終えた俺と北郎は、完全に傍観するしかなかった。すると一際、エンターテイナーの杖の薙刀部分が輝いた。


「ふん!!」


 牽制して桃子を引き下がらせたエンターテイナーは、再び雷撃による遠距離攻撃を開始した。おそらく二秒に一発の割合だろうか、桃子はステップを踏みながらこれを辛うじて回避。そんな様子を、俺は唇を湿らせながら眺めていた。

 すると唐突に、桃子は大きく後退した。跳びすさり、左膝と左の掌を床につく。そこは、俺たちが注目していた『ある窓』の真下だった。


「ふっ、さすがに遠距離攻撃が相手では、手も足も出まい?」

「ええ。そのようね」


 呼吸を整えながら、桃子が声を絞り出す。すると桃子はその場で大きく跳躍した。


「とっ!」


 シュワちゃんとの戦闘で既に立ち直っていた倉庫の壁に向かってジャンプ、壁を蹴って方向を変える。いわゆる三角跳びだ。


「愚かな!」


 エンターテイナーが電撃を発射した。桃子の軌道を追うように。

 さて、愚か者はどちらかな?


 俺は緊張感に包まれながらも、『ある窓』作戦の成功を確信していた。そこには、涼のテニスラケットが配置されていたのだ。グリップに糸が巻きつけられ、その片方の端を涼が握っている。

 つまり、『反射』の能力が発揮されるということだ。

 次の瞬間、一際目に沁みるような発光現象が起こった。『反射』が為されたのだ。


 逆行してくる電撃に、エンターテイナーが目を見張る。慌てて相殺のための電撃を放つが、間に合わない。電気ケーブルが切れて火花が飛び散るような音を立てて、数発の電撃がエンターテイナーの手元に殺到した。


「ぐあああああああ!!」


 バックステップも間に合わず、エンターテイナーはまともに電撃の直撃を受けた。致命傷は避けられたようだが、その代償として両腕が消し炭のように、真っ黒になっている。指は全て焼け焦げてしまったようだ。


「今だ!!」


 と叫びながら桃子が飛び出す。しかし、俺のいる角度からは見えた。憤怒の形相で、掌だけで杖を握り直すエンターテイナーの姿が。


「桃子、よせ!!」


 時既に遅し。桃子は釘バットを振り上げ、全くの無防備の状態で、エンターテイナーに飛びかかった。次の瞬間のこと。


「!?」


 杖の薙刀状の部分が、電撃をまとったままモモの腹部を貫通した。

 俺には、その一連の流れがスローモーションに見えた。そして、頭の中が一瞬で真っ白になる。

 桃子が、やられた……!?


「が、は……!?」


 桃子の呼吸が止まる。


「でいっ!!」


 エンターテイナーは、無造作に桃子の身体から杖を抜き、こちらに向かって桃子を蹴り飛ばした。


「っく!」


 慌てて抱きとめる。


「うわ!」


 あまりの勢いで、俺は後方に二、三回転がった。無様だな、と思う。だが、絶対に桃子を手放すつもりはなかったし、意地でも抱き留めたままでいるつもりだった。


「ぐえっ!」


 俺はしたたかに背中からコンテナに衝突。その衝撃たるや、頭の回りでお星様がチラつくくらいだった。しかし、辛うじてエンターテイナーから距離を取ることはできたように見える。


「桜坂さん!」


 慌てて北郎も駆け寄ってくる。


《ちょっと、大丈夫なの!?》


 戦闘前に取り付けた小型イヤホンから、涼の慌てた声も聞こえてくる。その頃には、俺は姿勢を整え、桃子の頭を膝に載せてやっていた。


「え……へへ、先輩、ミスっちゃいました」


 答える前に、桃子の傷の具合を見た。脇腹に、小さいながらも鋭い凶器で串刺しにされたような跡がある。幸い、出血があったのは最初だけで、あとはエンターテイナーの電撃で焦げてしまったようだ。失血死の恐れはないだろうが、単純に身体的ダメージとして体力が奪われているのは間違いない。


「滝川くん、はやく病院……じゃなくてエンターテイナーを!!」


 北郎が、いつになく矢次早に言葉を繋ぐ。だが、俺は自分でも意外なほど、落ち着いていた。

 

 俺が考えていたこと。そこにあったのは、怒りでも悲しみでもない、恐怖だった。

 自分の命がここで潰えてしまうのではないか、という恐怖。ぞっとする寒気が、俺の背筋を駆け抜ける。


 そうか、これは桃子が抱いている恐怖だ。

 それに、俺は桃子を失いたくない。

 そんな俺たち二人の気持ちがいわばシンクロして、つまり死への恐怖と大事なものを失う恐怖が一緒になって、俺は絶望の淵にいるのだ。

 怖い。助けてくれ。俺はまだ死にたくない。桃子に死なれたくない。


 ――殺されてたまるか。死なせてたまるか。


 俺は、自分のハンカチを床に敷いて、そっとモモの後頭部を載せてやった。それからゆっくりと釘バットに手を伸ばす。


「借りるからな、桃子」


 と一言言いおいて、桃子と一緒に吹っ飛ばされてきた釘バットのグリップを握った。

 視線の先には、エンターテイナーが苦悶の表情を浮かべながら腰を折っている。


「ぐっ、馬鹿な、この私が、こんな年端もゆかぬ小僧たちに……!」


 歯を食いしばるエンターテイナーを、見据える。


 桃子のように走れはしない。

 桃子のように跳ぶこともかなわない。

 ならば、俺は自分の道を行くだけだ。

 俺は右手に握った釘バットのグリップを、手の中でくるりと一回転させて、大きく一歩、踏み出した。


「滝川くん!!」


 驚きと心配の入り混じった北郎の叫び声がしたが、これは無視。


「ふん、喰らえ!!」


 エンターテイナーの電撃が迫る。それに対して俺は、特にこれといった考えもなく、無造作に釘バットを差し出した。すると、何事もなかったかのように、釘バットの先端で電撃は消滅した。

 エンターテイナーは、驚愕の色を露わにする。


「こ、これならどうだ!!」


 俺が歩を進めながらひょいっと上を見上げると、落雷モードの電撃が降ってくるところ。しかしその前に、俺が掲げた釘バットが、一瞬で電撃を中和した。


「な……」


 呆然とするエンターテイナーを前に、


「ふっ」


 俺は跳んでみた。人並みの跳躍しかできなかったが、身体は羽が生えたように軽い。そのままエンターテイナーの懐に飛び込み、


「とおっ!」


 釘バットの先端、釘の刺さっていないところで、エンターテイナーの鳩尾を強打した。


「……か……」


 エンターテイナーの全身から力が抜ける。彼はもはや、言葉を発することもできなかった。

 が、その時だった。


「ん?」


 フィックスしたはずの倉庫の外壁が、衝撃で内側に倒れてきた。逃げようにも、これだけ近づいていてはどうしようもないだろう。俺は無造作にエンターテイナーを投げ出し、釘バットを握ったままの右手をさっと振りかざした。

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