第33話
ゆっくりと、桃子は腰を落としながら釘バットを床に横たえる。かと思われた次の瞬間、多くの事態が同時に発生した。
桃子は北郎に視線を遣った。すると足元に転がっていた拳銃を、北郎の元に滑らせた。シュワちゃんの、俺を踏みつけている足にかかる力が緩んだのを感じる。シュワちゃんは叫ぼうとしたのだ。動けば滝川竜介を殺す、と。だがそれよりほんの僅か、コンマ何秒かの間に、北郎は拳銃を拾い上げてその銃口をシュワちゃんに向けていた。そして、勢いよく引き金を引いた。
ズドン。
オン、オン、オン……とフィールド内に音が反響する。
反響音を破ったのは、北郎の悲鳴だった。
「う、うわ、うわあああああああ!!」
まさか自分でもシュワちゃんに当たるとは思っていなかったのだろう。それよりも、初めて人間を撃ってしまった、というショックもあったのかもしれない。俺は無意識のうちに目を閉じていた。何か、僅かに粘性のある液体が頭から降り注ぎ、瞼を上げることができなくなる。どうやら北郎の一撃は命中したらしい。
「ぐっ……」
シュワちゃんは俺から離れ、ふらつきながらゆっくりと北郎に近づいた。こちらに背中を向けたシュワちゃん。その脇腹は、大きくえぐり取られていた。
「くっ、来るな! これ以上僕や桜坂さんに近づいたら――!」
だが、これほど疲弊し、余力のないシュワちゃんにとっては、これ以上取るべき行動の選択肢はなかった。
「北郎くん」
助けてくれとも、許してくれとも言わない。シュワちゃんは覚悟しているのだ。次の一発が、自分の命を永遠に葬り去るものになる、と。
よく見れば、シュワちゃんの足は震えていた。アンドロイドとして『造られた人間』である以上、痙攣など起こすはずはないと思っていたが……もしかしたら、怖いのだろうか。
死を恐れる。人間にとって当然のこと。その感情が、シュワちゃんにもきちんと備わっているのだ。俺はどうにかして、拳銃と対峙するシュワちゃんを止めたかった。こいつにもまだ未来があると伝えたかった。
待て。俺は一体何を考えている? シュワちゃんは、さっきまで殺し合いをしていた相手だぞ? それなのに、この友情とも愛情ともつかない感情は何なんだ?
その時だった。シュワちゃんのブレザーのポケットから、小さく折りたたまれた紙片が一枚、ひらり、と下りてきた。床一面が真っ赤に染まりゆく中、俺はその紙片が汚れないようにと、慌てて拾い上げた。文面に目を通すのは後回しだ。
俺は、膝を立てながらシュワちゃんの顔を見上げた。こちらからは後頭部しか見えない。しかし、確かにその時、シュワちゃんが穏やかな笑みを浮かべるのを、俺は気配で察した。
「待て、北郎!!」
俺の叫び声と銃弾、どちらが先に届いただろう。確かなのは、シュワちゃんが胸を撃ち抜かれたということだ。その場でがっくりと膝をつき、血の海にうつ伏せになって倒れ込む。
拳銃の発砲音の残響の中、俺は思った。俺たちはとんでもない過ちを犯してしまったのではないか。
シュワちゃんだって、人間として生きていたはずなのに。
「竜介先輩、大丈夫ですか!?」
桃子と、それに数歩遅れて北郎がやってくる。そしてすぐさま、俺が手にしていた紙片に気づいた。
「それは……」
「手紙だ。シュワちゃんがさっき、落としていった」
俺は二人にも聞こえるように、その手紙を音読した。内容はこうだ。
※
桜坂さん、滝川くん、篠原くん、片桐さん。この四人には、心から申し訳なく思っている。もっとも、それは人造人間にも『心』があれば、という条件はつくが。
恐らく君たちは僕を倒す。エンターテイナーも、僕を捨て駒としか見ていない。だが、これでいいんだ。
僕は、エンターテイナーのお陰でこの世に生を受けることができた。輪廻や生まれ変わりというものは信じてはいないが、それでも『生きている』ということ、何かを感じたり、思ったり、考えたりすることは素晴らしいことだと、本当に思っている。
僕は、そんな機会を与えてくれたエンターテイナーに感謝し、役に立たねばならない。たとえ僕の扱いが、踏み石程度の役割に過ぎなかったとしても。
結局敵同士になってしまったけれど、君たちに会えて本当に良かった。自分は何者なのか、どんな立ち振る舞いをすればいいのか、随分と考えさせられたからだ。それこそ、僕にとっては『生きている』実感を与えてくれるものだった。
あとは、この手紙が無事君たちの手に渡ることを祈るばかりだ。全身丸焦げで倒されてしまっては、この手紙も燃えてしまうからね。
君たちがエンターテイナーのことをどう思うか、これからのことは分からない。だが、どうか目先のことにとらわれず、未来を見つめていってほしい。僕にはない、未来を。
まとまりのない文章ですまない。以上。
※
倉庫内に、沈黙が降り積もる。それは季節外れの雪のようで、どこか重苦しさを感じさせた。今まで俺たちをリードしてくれていたシュワちゃん。当時の彼女には、エンターテイナーの狙いなど分かってはいなかっただろう。エンターテイナーの狙いがただの恨み返しで、そのために自分を造ったのだということも。
涼の場合、彼女はすぐに納得した。そしてエンターテイナーに反抗した。しかしシュワちゃんの洞察力や感受性は、涼より、否、普通の人間よりずっと強かったのだ。『生きることに苦悩する』ことが、シュワちゃんにとっての自分らしさであったと言えるかもしれない。
だからこそ、彼女は俺たちとは別な道を歩まねばならなくなった。すなわちエンターテイナーのために戦わざるを得なくなってしまったのだ。
なんだ。シュワちゃんだって、その日その日を懸命に生きようとする一人の若者だったのではないか。そんな感情をおくびにも出さず、彼女は葛藤していた。それをエンターテイナーは利用し、使い潰し、踏みにじったのだ。
俺は、手紙を握っている自分の両手が震えだすのを止められなかった。
「エンターテイナー……!」
「お呼びですかな?」
俺の呟きに応じたのは、まさしく奴の声だった。いつものように、落ち着いた色合いのスーツにシルクハットを被り、杖を手にしている。俺はその気配を感じてはいたが、殺気まではくみ取れなかったので、奴に背を向けたまま思考を巡らせていた。
だが、それもこれで終わり。俺たちは戦うのだ。シュワちゃんのために。負傷した仲間のために。そして今、この時間も平穏無事で暮らしている、多くの人々のために。
「なるほど、フィックス能力をそう使うとは、思いもよりませんでしたな」
「俺たちの作戦を知って、優位に立ったつもりか?」
ゆっくりと振り返る。するとエンターテイナーは、首を左右に振りながら肩を竦めた。
「そこまで野暮なことは致しませんよ。実力で勝負させていただきます」
「随分と殊勝なことね」
黙り込んでいた桃子が、ずいっと一歩、前に出た。
「戦う前に一つ訊かせて。あなた、何とも思わないの? 人一人を手駒に使って、挙句死なせてしまうような事態になって、何も感じないの?」
「ご質問の意味がはかりかねます、桜坂嬢」
すると桃子は、釘バットを両手で持ち直し、北郎は拳銃をリロード。どうやら俺が訓練を受けていたのを傍目で見ていたらしい。残る俺は……得物がないので、殴るとか蹴るとかフィックス作戦を続行するとか、そんなことしか思い浮かばなかった。
「それよりも皆様」
エンターテイナーは、無防備にも、両腕を大きく広げた。コートが軽く掠れた音を立てる。
「わたくしと手を組みませんかな?」
「!?」
俺は絶句した。
「きっ、貴様、今何て――」
「だから、この愚かな戦いを止めて、協定を結ぶのです」
エンターテイナーは語った。
自分で造る黒い塵の怪物よりも、俺たち能力者の方が強いこと。
俺たちには最善の生活環境が保証されること。
俺たちからは、多少の血液サンプルを得られればそれでいいということ。
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