第4話

 桃子は勢いよく釘バットを横薙ぎに振るった。


「ふっ!」


 しかし、タイミングが一歩、遅かった。

 犬はさっと身を低め、釘バットを回避したのだ。身を沈めた勢いで後ろ足を曲げ、跳びかかるつもりだ。


「しまっ……!」


 俺が思わず桃子から目を逸らした瞬間だった。

 胃袋を揺さぶるような轟音が、俺の鼓膜を震わせた。


 目を開けば、俺たちの周囲は再びセピア色のフィールドに覆われていた。やはり、外界のものは動きを止めている。恐る恐る桃子の方へ視線を戻すと、彼女は下段に釘バットを構え直すところだった。

 犬は横っ飛びしたかのように吹っ飛ばされていた。辛うじて立ち上がったが、そこで俺は一つの発見をする。


 コアに、亀裂がはいっている……?

 はっとして河川敷の上の道路を見上げると、油断なく拳銃で犬を狙い続ける少年がいることに気づいた。そうか。さっきの轟音は銃声だったのか。

 犬は目標を変更し、少年の方へと駆け出そうとした。が、二回目の銃声で、またも呆気なく吹っ飛ばされた。

 今度はぴくりとも動かない。コアはといえば、ようやく粉々になっていた。すると犬は、黒い塵状に身体が崩れ去り、さらさらと軽い摩擦音を立てて、消えた。


 その間俺はと言えば、犬に睨みを利かされた時点で腰を抜かしており、呆気に取られて眼前でのバトルを見つめていた。

 気づいた時には、少年は河川敷にまで下りていた。慣れた挙動で拳銃を腰のホルスターに戻し、俺の眼前へやって来る。フィールドはもう解除されていた。すると少年はその場で屈み込み、


「大丈夫かい、滝川くん?」

「は、はあ」


 少年は俺の視界いっぱいに右手を振って見せた。こちらが正気であるかどうか確かめているのだろう。

 それから唐突に立ち上がると、桃子の方へと首をめぐらせた。


「おいおい、これじゃあ逆効果だよ。だから彼に説明してから怪物を駆逐する場面を見せよう、って言ったじゃないか、モモちゃん」


 すると、俺の視界の隅からイライラした声が飛んできた。


「ちょっと、気安く『モモちゃん』なんて呼ばないでくれる? 『シューター』の分際で……」


 それに対して少年は肩を竦め、嫌味のない声音で言った。


「だって、役職に合わせて呼んでいたら堅苦しいじゃないか、『ブレイカー』さん?」


 な、何を言い合ってるんだ、こいつら?

 少年は俺に手を差し伸べてくる。遠慮なく彼の力を借り、俺は立ち上がった。


「僕は名前が何通りもあるんだ。その方が動きやすくてね。まあ、今ここで使っているコードネーム通り、『シュワちゃん』とでも呼んでもらえるかい?」


 俺はぼんやり頷いた。が、彼が『シュワちゃん』だって? あのアメリカのアクション映画俳優の?

 見たところ、共通項は無きに等しい、というか正反対なのだが。小柄でやせ気味、おまけに眼鏡だ。銃器の扱いが上手いこと以外、これといった共通項はない。

 と、ここまで考えが至り、俺は幾度となく疑問に思っていた問いを投げかけた。


「き、君らは一体何者なんだ?」


 するとそこに桃子がずかずかとやってきた。


「私たちは、悪徳魔術師からこの世を守る、秘密結社の者です!」

「いやだからさ……」


 と反論しかけて、俺は口をつぐんだ。そんなことを真っ当に受け止める人間がいると思っているのか? と言いたかったのだが、あれだけのバトルと超常現象を目の前でされてしまってはなあ……。


「なあ、さっきの話し合いで二人の名前は分かったが……役割の呼称って何だ? 『ブレイカー』とか、えーっと、『シューター』、だっけ? とか……」

「ああ、それなら簡単な話さ」


 シュワちゃんは腰に手を当てながら、


「まず『ブレイカー』が怪物と戦って、行動不能にしたり、コアを見えやすくしたりする。それから僕、つまり『シューター』がコアに攻撃を叩きこんで、怪物の核となるコアを破壊する。厄介なのは、コアと、その周囲を覆う生物の身体、つまり黒い塵状のものが、全く別な物質で構成されているということなんだ」


 俺は眉間に皺を寄せながら、『別な物質……?』と呟いた。


「だから『ブレイカー』だけではコアを、『シューター』だけでは怪物の身体そのものを破壊するのは難しい。生憎、両方の能力をいっぺんに獲得できた人間はいない」

「じゃ、じゃあ俺の能力って何なんだ? 確か、えーっと……」

「修復要員ですよ。『フィクサー』って言います」


 桃子が回り込んできて、説明役を買って出る。


「戦闘で破壊されたものを直します。さっきの車みたいに」


 直すのか。敵をぶん殴るでもなく銃をぶっ放すでもなく。


「……なんか、一番地味なような気がするぞ。そんな能力、俺以外にも持ってる奴、いるんじゃないか?」

「そんなことないですよぉ!」


桃子はぷくーっと頬を膨らませた。


「何不満そうな顔してるんですか、先輩! フィクサーの能力発現者って、本当に貴重なんですよ?」

「え? そうなのか?」


 こくこくと頷く桃子。


「今までは『理論的に存在する可能性がある』というだけで、実際には一人も現れなかったんです。でも、フィクサーがいてくれれば、我々の戦闘中の立ち回りも簡単になります。ものを破損させても、すぐに証拠隠滅できますから」


 それから桃子は両手の指を組み合わせ、俺の目を覗き込むようにしてこう言った。


「どうか、悪徳魔術師を止めるために、協力してもらえませんか?」


 そんなウルウルした瞳で見つめられても。

 

 本音を言えば、どっちつかずだった。

 俺は基本的には無難な道を歩みたいと思っているし、さっさと辞退表明をしてこの異常事態からおさらばしたい。

 だが、俺はそれを口に出すことができなかった。心の中で何か、それでは納得のいかないざわめきがあるのだ。即断して逃げに入るのは、まだ早いのかもしれない。


「何か資料はないか?」

「えっ?」


 桃子が俯きかけた顔を上げる。


「これまでお前らが戦ってきた戦闘データとか映像とか、何かないのか?」

「え、えーっと……」

「モモちゃんの家にあるよ」


 とシュワちゃん。


「それに、そこには電子さんもいるだろう? ちょうど顔を会わせられる」

「ちょっと! 勝手に話を進めないでよ!」


 何? 今『でんこさん』と言ったのか? どこのゆるキャラだ?


「おいおい、『電子さん』って何だよ?」

「僕らの頭脳さ。榊電子さん。情報戦略家、と言ってもいい」


 それこそシュワちゃんのように偽名ではないのか。


「本人は嫌ってるみたいだけどね、自分の名前」

「あ、そ、そうなのか」


 どうやら実在する名前らしい。初耳だが。


「電子のお陰で私、どこにフィクサーの能力者が現れるか見当をつけられたんです。まさかあんなことをされるとは思わな――」

「わざとじゃねえよ!」


 すると桃子はしかめっ面をしながら俯いてしまった。

 仕方がないので、シュワちゃんの素性を尋ねることにする。


「ところで、シュワちゃんはどこの学校の何年生なんだ? 見覚えはないけど……」


 黒を基調としたライフジャケットのようなものを身に着けたシュワちゃんは、年齢が俺と同じくらいであるということしか分からない。

 学級委員長という雑務を押しつけられた俺としては、同級生の名前を二クラス六十人分、覚えてはいる。まあ、顔と名前が一致するかは微妙なところだが、誰がうちの生徒で誰が部外者か、そのくらいは顔で判別はできた。


「滝川くんが能力者であることは、さっきモモちゃんが知らせてくれたんだ。僕も転校生、ってことでね。できるだけ一緒にいた方が、フィールドを展開する時便利だろう? 新学期からよろしく頼むよ」


 はあ。そうですか。


「それじゃあ、モモちゃんのお宅にお邪魔しようか」

「誰も許可してないよ!」


 桃子は腕をぐるぐる回しながらシュワちゃんに迫ったが、


「むぐ!」


 すぐに額に手を当てられ、前進できなくなってしまった。惜しいところだがリーチが違う。当然、桃子の連続猫パンチは当たらない。


「むきー!」

「そうムキになるなよ、モモちゃん。先導してくれ」

「はあ……」


 桃子は素直に諦め、肩を落としながらくいくい、と俺たちに手招きした。


「でも桃子、お前、どうして俺が能力者だって分かったんだ? さっきが初対面だったのに……」

「さっき学校で暴れたでしょう? あの時ですよ」


 ああ、そうか。あの時俺は、フィールドをすり抜けたんだっけ。


「先輩、あの時は無意識でしたでしょうけど、既に能力者としての能力を発揮していたんですよ? それを見て、私は先輩を誘おうと思ったんです」


 なるほどなあ。


「そうだったのか……」

「ところでお二人さん、学校で一体何があったんだい?」

 

 というシュワちゃんの声に、俺は思わず息を詰まらせた。桃子もびくっ、と肩を震わせる。


「言えないようなことなのかい?」

「頼む、シュワちゃん。それ以上俺たちを追及しないでくれ……」


 シュワちゃんはクエスチョンマークを頭上に浮かべたが、俺はそれ以上何も言わなかった。

 それにしても、あれが初対面で、非日常への入り口となっていたとは。

全く、酷いボーイ・ミーツ・ガールがあったもんだ。

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