第2話

 女子は自分を桜坂桃子と名乗った。


「桃子って呼んでください。先輩、お名前は?」

「俺? 俺は、滝川竜介……」


 やっとのことで立ち上がり、桃子と目を合わせる。


「滝川先輩、ですね。突然でいろいろ分からないことだらけでしょうけど、付き合ってください」


 一瞬ドキリ、としたものの、桃子の真剣な表情を見て、色恋沙汰でないことを理解する。

 要はついて来い、ということか。


「あ、ああ。どこに行くんだ?」

「緑渕川の大橋のたもとです。今日はそこに反応が出ていますので」

「反応?」


 何だ? 超常現象でも起きるのか?


「まあ、来てもらえれば分かります」

「来てもらえれば、って……」


 俺はもっと現実的な可能性を考えてみた。

 恐喝事件でも起こす気か? もし知らない男が桃子と一緒にいたら、俺はダッシュで逃げるぞ。

 それとも危ないクスリの売買だろうか。それも怖いな。

 いや、もしかしたら新興宗教か? 一旦足を踏み入れたら、一生つきまとわれるという。


 まあ、思うところは多々あるものの、希望的観測を捨てたわけでもない。

 桃子は実は相当なツンデレで、わざと俺を追い回してみせていたのではないだろうか。

 目的は――ズバリ、愛の告白だ。

 普段ならそんな楽観的思考は持たない俺だが、桃子は『外見は』かわいらしいのだ。期待してしまうのもしょうがない。


 いや、待てよ。それにしてはこの場所、あまりにも殺風景すぎやしないか? それに、桃子とは今日出会ったばかりなのだ。

 以前から俺に目をつけていた? でも、俺は運動部で活躍した経験などないし、早い話目立たなかったので、こうした外部の人間に惚れ込まれる理由は思いつかない。


「うーむ……」


 俺は腕を組み、右手を顎に当てて唸ってみた。何も起こらないよな、やっぱり。


「ん……」


 僅かに首を傾ける。


「行きますよ、滝川先輩!」

「あ、ああ」


 桃子はパチンと指を鳴らした。すると、セピア色のドームが天井から消えていくところだった。


「先輩、動かないで」


 ドームが足元の地面に吸い込まれるように、ゆっくりとなくなっていく。その直後のことだった。


「どわっ!?」


 凄まじい轟音が、俺を襲った。いや、轟音ではない。日常的な音だ。風の音、車の音、木の葉の擦れる音。

 そうか。時間が止まったような状態だったから、音も聞こえなくなっていたのだ。


「私、説明が下手なので、質問は後にしてくださいね」


 というわけで、俺と桃子は口をつぐんだまま、河原へと向かって歩みだした。


         ※


 着いた時には、もう日は完全に沈んでいた。


「先輩はこのあたりにいてください」


 そう言って、桃子は土手を一人で下りて行った。川沿いに、一人佇んでいる。こちらに背中を向け、川の対岸あたりを睨みつけている。女子にしては随分と短い髪が、凛とした印象を与えながら揺れている。


 何故俺は桃子が『睨みつけている』と分かったのか?

 殺気だ。桃子の背中から、殺気が漂っている。そして背中から、釘バットを取り出した。


「げっ……」


 先ほど散々俺を追い回してきた殺人兵器。

 何をするつもりなんだ?

 俺は河川敷へ下る一歩を踏み出し、桃子に声をかけようとした。次の瞬間、


「っ!?」


 再び、視界が薄いセピア色に染まった。三百六十度を見回すが、全体が包囲されている。

 先ほど同様、桃子を中心にドーム状にフィールドが展開されているのが分かった。外界の音がシャットアウトされる。

 代わりに聞こえてきたのは、枯れ葉が舞い散るような音。音源を探ってみると、桃子の眼前に『何か』が渦を巻いていた。


「何だあれ? 黒い塵みたいな――」

「離れて!!」


 桃子の怒声が飛ぶ。俺の接近に気づいていたのか。


「あなたは下がってて!」


 すると一瞬で塵状の『何か』はその形状を成した。

 犬。真っ黒い犬だ。牙をむき出しにし、涎を垂らしながら唸っている。俺にはこいつが、今まさに飛びかかろうという決意表明をしているように見えた。


 対する桃子は、釘バットを竹刀のように構え、すり足で距離を取る。俺は言葉を失い、ゴクリ、と唾を飲むのが精いっぱいだった。

 

 先に動いたのは、犬だった。凶暴そのものといった喚き声をあげながら、桃子に突進。さすがにこの瞬発力にはかなわないと思ったのか、桃子は前転。頭部を狙ってきた牙をギリギリで回避する。

 犬はすぐさま反転し、間髪入れずに再び飛びかかった。しかし、今度は桃子が一枚上手だった。跳躍した犬の下に潜り込みながら、釘バットを思いっきり上に突き上げたのだ。すると犬は腹部を切り裂かれ、そこから真っ黒な塵が噴出した。出血と同じようなものなのだろう。

 突然小型犬のような、気弱な声を上げる犬。桃子は再び釘バットを正眼に構え、次の犬の攻撃に備える。のかと思いきや、


「でやあああああああっ!!」


 苦痛でのたうち回っている犬に、情け容赦なく釘バットの応酬を食らわせた。


「ふっ! はっ! とりゃあっ!」


 確かに、先に襲いかかってきたという事実からして、非があるのは犬の方だ。だが、これはいくら何でもやりすぎではなかろうか。寝そべって転がることしかできない犬の腹部に、首に、顔面に。手加減など微塵も感じられない。

 その時だった。


「ん?」


 俺はあることに気づいた。赤い光が、犬の腹部から差し込んでくるのだ。桃子はお構いなしに殴打を続けているが、その赤い光を放つ球体――『コア』とでも言うべきだろうか――は、なかなか、というより全く傷がつかない。


 辛うじて『四足歩行動物である』ことが分かるくらいに滅茶苦茶に叩かれまくった犬は、そのコアの大半を腹部から露出させている。

 すると桃子はふっ、と息を吸い、


「おんどりゃあああああああ!!」


 と叫びながら、釘バットの先端をコアに叩きつけた。しかし、コアには全く通用しないようだ。赤い光が和らぐことはないし、傷一つついてはいないのは相変わらずだ。


「このっ! このっ! 早く壊れろ!」


 それでも、桃子は罵詈雑言の限りを尽くしながらコアを破壊しようとする。


 この異様な事態に巻き込まれながらも、俺は徐々に落ち着きを取り戻していた。

 桃子が怪しい犬を行動不能に陥らせたことによって、不安がやや軽くなった。

 相変わらずコアの破壊にこだわる桃子に、そっと近づく。


「な、なあ桃子、お前は一体何をやってるんだ?」

「先輩もっ! 見てればわかるでしょっ! コアをっ! ぶっ壊すんですよっ!」


 さすがに息が切れてきたのか、桃子は釘バットの先端を杖のようにして地面に押し当てながら振り返った。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」

「これが、お前が今日ここに来た理由なのか?」

「ええ、まあ……」


 訊きたいことは山ほどあった。だが、なかなか言葉にするのが難しい。


「これ、時間が止まるんだよな? でも、俺やお前や犬は動いてて……。一体何なんだ?」

「私が今行ったのは、悪徳魔術師の造った怪物の駆逐作業です」


 ……は? 何それ?

 信用していない、というか呑み込めないでいるのが俺の顔に出たのか、桃子は訥々と語りだした。チビのくせに。でも胸はあるんだよな。って、んなことはどうでもいい。


「悪徳魔術師は、立地的理由からこの街を第一目標とし、日本を、果ては世界を征服する気でいます。その先兵となるのが、そこの怪物です」


 そ、そうなのか。


「幸い、未だ怪物の大量生産には苦労しているようで、たまにしか出現しません。この市内にいくつかのポイントを設けて、怪物を召喚しているようです」


 いやいや待ってくれ。悪徳魔術師? 怪物? どこをどう突けばそんな言葉が出てくるんだ?


「あ、嘘だと思ってますね? 今までの私たちの戦いがニュースになってないからって。でしょ?」

「ま、まあ、そりゃあな。大体、このドーム型のフィールドは何なんだ?」


 下校時よりもずっと饒舌になった桃子に向かい、俺は問いかけた。

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