(8)騎士団ぐるみの詐欺
「さて、夜勤明けのところ、皆に集まって貰ったのは他でもない。昨夜の騒動についてだ」
翌朝、明るくなって通常勤務の者が王宮内に続々と集まって来てから、騎士団執務棟の中庭に百人程の人間が集められた。そしてそれなりに高さがある号令台の上から、バイゼルが揃った部下達を見下ろしながら、落ち着き払った声音で話し始める。
「皆も既に知っての通り、昨夜後宮と内宮で騒ぎを起こした馬鹿共がいた。あっさり返り討ちにあった者は残らず捕縛したが、その他にもいる筈でな。その顔を検分する為に、皆に集まって貰ったわけだ」
そこで背後を振り返って手招きしてきた為、控えていたリディアとアルティナは号令台の階段を上がった。
「昨日の王宮内勤務者のうち、捕縛された者と、明らかに企みに加担していないと判明している者を除いた者全員を、ここに揃えた。この中に、お前達が見覚えのある者は居るか?」
そう言われて、該当する騎士達を一通り見渡してみた二人だが、困惑顔で首を振った。
「いえ、その……、わざと照明を消しておりましたので……」
「後宮襲撃犯はともかく、内宮襲撃の手勢に関しては、知りようがありませんし」
「そうだろうな。わざわざ出向いて貰ってすまない。事が済むまで、しばらく下がっていてくれ」
「はい」
明確な返事は元から期待していなかったらしく、バイゼルはあっさりと二人を下がらせた。その指示に従って階段を下りながら、リディアが怪訝な顔でアルティナに囁く。
「私達、結局何の為に呼ばれたの?」
「さあ……、一応面通しさせたと言う形を作って、不当に言いがかりを付けて罪をなすりつけたと後から言われるのを、避けたいとかでしょうか」
「納得できないわね」
そして大人しく号令台の横で佇みながら、アルティナは密かに笑いを堪えた。
(ケイン経由で、アルティンが事の次第を見たがっていると聞いた団長が、私達をこの場に呼ぶ理由を適当に作ったんでしょうね)
彼女がそんな事を考えていると、彼女考案の茶番が、バイセル主演で開始された。
「騒動収束後、王宮内の隅々まで確認したところ、通用門の一つが開けられていた。どうやら閉門後に警備の者が納品予定の荷を一晩預かる事にしたそうだが、彼らは二人とも、昨夜何者かに背後から頭を強打されて昏倒。預かった樽は蓋が開いている上、朝になっても引き取り手が現れていない」
そう重々しく彼が告げると、集団の前の方にいた一人の騎士が、手を上げながら恐る恐る意見を述べた。
「あ、あの……、団長。それではその樽の中に賊が潜んでいて、夜半にそこを抜け出して警備担当者を殴打した上、門を開けて仲間を引き入れたのではないのですか?」
それにバイゼルが、もっともらしく頷く。
「普通に考えればそうだな。首尾良く目的を遂げてから、急いで本来の警備位置に戻り、素知らぬふりをしていれば、外部侵入者の犯行と見せかける事ができて、そいつらの身は安全だったと思うが……」
そこでバイゼルは、皮肉っぽくリディア達に視線を向ける。
「生憎、こちらの白騎士隊の者が奮闘してくれたお陰で、手こずった馬鹿共は撤退時期を見誤り、あえなく捕まったわけだ」
そこでその場の殆どの者の視線を集めてしまった彼女達は、非常に居心地の悪い思いをしたが、バイゼルは彼女達の心情に構わずに、話を続けた。
「そして内宮のボヤ騒ぎと、通用門を開けた共犯者は、依然としてこの中に居るわけだ」
「…………」
そう言って、バイゼルが部下達を睨み付けると、その場に重苦しい沈黙が漂った。そして少ししてから、バイゼル自身がその沈黙を破った。
「逮捕者を締め上げて吐かせても良いが、末端の捨て駒同士で連絡を取っているとは限らない。だから直接、その手に聞いてみる事にした。……おい、持って来い」
「はい」
「ねえ、『その手に聞いてみる』って、何かしら?」
「さあ?」
リディアが不思議そうに囁く中、全てを知っているアルティナはすっとぼけた。するとバイゼルの指示を受けて複数人が小さめの机を持って上がり、それを号令台に置くと、更にその上に桶と水槽を置く。
「何だ、あれ?」
「さあ……、桶と、何か水槽には変な色の液体が入ってるな」
そんなざわめきを一睨みで鎮めたバイゼルは、落ち着き払って話を再開した。
「実は、少し前から不穏な噂を耳にしていた為、何日か前から、全ての通用門警備担当者に、夜間に荷物を預かる場合には、その開け口に特殊な薬品を塗る事を徹底させていた。カーネル、後は任せた」
ここでバイゼルの呼びかけに応えて、号令台に上がったカーネルが口を開いた。
「ここからは、私が説明する。先程団長が仰った預かった樽についてだが、それにもこの薬品が塗布されていた。それを塗った物がこれだ」
そして何の変哲も無い板を目の高さまで持ち上げた彼は、それを軽く叩いたりさすったりしながら話を続ける。
「もう乾いて、見た目も特に異常は無い。しかしこれに、こう素手で触れてみる」
そこで彼はその板に触った右手を、次に桶の中に突っ込んだ。
「念の為、この手を水に浸してみる。皆、顔を洗う位はするだろうしな」
そして何事かと殆どの者が怪訝な顔をする中、左手の板を机に置いたカーネルは、すかさず部下が差し出した布を受け取って、濡れた右手の水分を拭き取った。
「そして、こちらの溶液に、こう両手を入れてみる。さて、上げてみると……」
次に彼が両手を水槽の中に入れて、濁った深緑色の溶液に少しの間浸してから引き上げると、かざした彼の両手には明らかな差異があった。
「え? なんだあれ?」
「色が付いてるぞ」
「でも、板に触っていない左手は、何も変わりは無いが」
その場にざわめきが広がる中、右手だけ半分程の面積を紫色に染めたカーネルが、淡々と説明した。
「このように、最初の液体を塗布した板に触れると、それがしばらく手に残り、見た目も匂いも変化は無いが、この特殊な溶液に触れると、紫色に変色する。この通りにな」
その言葉を合図に、また緑騎士隊の者が、二人がかりで太い木材を演台に上げる。その木には所々、カーネルの手と同じ紫色に染まっており、話の筋から考えて、開けられていた通用門の扉を閉める時に使う、横木に違いなかった。
「あれって……」
「例の、通用門の閂に使っている奴だろうな」
「霧吹きで溶液を噴霧してみましたら、しっかり反応が出ました。通用門を開けた者の手にも、まだしっかり痕跡が残っている筈です。手を水で洗っただけでは、消せませんから」
「報告、ご苦労」
バイゼルに向かって、騎士達の推測を肯定してみせたカーネルは、恭しく一礼して演台を降りた。そして再び静まり返った中庭に、バイゼルの声が響く。
「さて、私が何を言いたいのか分かるな? これからこの場にいる者全員、この溶液に手を入れて貰う。関与が判明した場合、騎士位剥奪の上、極刑も有り得るから覚悟しろ」
そこでざわりと動揺が広がる中、彼はその厳めしい顔つきを幾分和らげて、言い諭してきた。
「しかし、共犯とは言え実行犯では無いのだし、心から悔いて素直に自供する場合には、その限りでは無い。この場で自供して、他の共犯者の名前を全て上げると言うのなら、他の共犯者は実行犯と同じ扱いにするが、その者だけは罪を減じて、騎士団を辞職するだけで済ませよう。騎士として故郷に戻るも良し、正規の退職金も付ける。どうだ?」
バイゼルがそう口にした途端、集団の中ほどから、一人の男が前方にいる者を掻き分けながら、彼に向かって叫んだ。
「団長! 誠に申し訳ありませんでした! 全て白状しますので、どうかお慈悲を!」
そして周囲から視線が突き刺さる中、演台の前に転げ出る様に進んだ男に、バイゼルはにこやかに声をかけた。
「ほう? それはなかなか殊勝な心がけだな。名前と所属は? それと、共犯者の名前も聞かせて欲しいが」
「はい! 赤騎士隊のシェルバーです! それから仲間は、黒騎士隊のロギンズと、青騎士隊のマークです」
「捕らえろ」
シェルバーがそう口にした途端、バイゼルが冷静に指示を出す前に、集団を取り囲んでいた騎士達が素早く駆け寄り、該当する男達を拘束した。
「シェルバー! 裏切りやがったな!?」
「貴様、自分だけ助かる腹か!?」
「五月蝿い! 元々俺は、貴様らなんぞと組むのは嫌だったんだ!」
仲間割れにしても見苦し過ぎる光景に、他の者は鼻白み、特にシェルバーに軽蔑の視線を送ったが、バイゼルはそのまま穏やかに彼に問いかけた。
「シェルバー。他に手を貸した者はいないのか? 居るならこの際、全部口にした方が良いぞ? それからこれが、恩赦を認める誓約書だ。ここの空白の所に、共犯者の名前を、全て書き出してくれ」
すると号令台の上に上がったシェルバーは、チラリと同僚達を見下ろしながら、続けて共犯者の名前を挙げた。
「他は黒騎士隊のラングと、エミール。それから緑騎士隊のイパスです」
「そうか。それでは先ほどの者の名前と併せて記入を」
「はい」
そして机に乗せられた宣誓書の空欄に、シェルバーは渡されたペンで名前を書き始めたが、名前を挙げられた者達は仰天して声を上げた。
「なっ!?」
「お前、何を言い出す!」
「貴様となんか、つるむ筈が無いだろうが!」
「五月蝿い! この期に及んでしらばっくれるつもりか! 諦めて団長に詫びを入れろ!」
「シェルバー、とにかく黙って書いて貰おうか。それから、今名前が挙がった者の身柄も確保しろ」
せせら笑うシェルバーの台詞にかぶせる様に、バイゼルが指示を出し、続けて名前が挙がった者も忽ち拘束されてしまった。
「冗談じゃない!」
「俺達は無実だ!」
「離せ!」
そんな叫びなど全く気にも留めずに、シェルバーは書き終えた誓約書を嬉々としてバイゼルに差し出す。
「団長、書き終わりました!」
「ああ、ご苦労。これで間違いは無いか?」
「はい。ここに名前を書き込んだ者は全員、共犯者です。それではこれで、私の罪を減じて頂けるんですね?」
「ああ、ここに記載されている通りならな。そう約束すると書いてあるだろう?」
「……え?」
ここでシェルバーが戸惑った顔になったが、バイゼルはそこで先程までとは明らかに異なる、獰猛な笑みを浮かべた。
「ほら、ここに書いてあるだろう? 『なお、本人が真実を下に記した場合にのみ、反省の念が認められるとして、罪を減じる事をここに誓約する。万が一、虚偽の記載が判明した場合、減刑を取り消した上で虚偽記載の罪を乗じる』とな」
「なっ! そ、それはっ!?」
途端に真っ青になったシェルバーだったが、バイゼルは容赦しなかった。
「恐れ多くも、王太子殿下の手による誓約書だ。これに虚偽記載などしたら、公文書偽造に加えて、不敬罪も追加されるな。まあ、大人しく、判別が付くまで牢で待っていてくれ。すぐに真偽は判明する」
そこで彼が指を鳴らすと同時に、至近距離にいた近衛騎士が素早く駆け寄り、シェルバーを拘束した。
「そんな!? お待ち下さい! それは取り消します! 今そちらに書いた名前は訂正しますので!」
そう叫びながら牢へと連行されていくシェルバーから、前に出て来た三人を見やったバイゼルは、申し訳無さそうに声をかけた。
「そういう訳だから、すまんが一応、この溶液に両手を突っ込んで貰えないか?」
「……そういう事ですか」
「団長は、随分お人が悪いのですね」
「こんな茶番をする事になるとは……」
それを聞いた三人は、うんざりした顔で号令台を上がり始めたが、その意味が分からなかったリディアが、アルティナに囁いた。
「今のは、どういう事かしら?」
そこでアルティナが、苦笑いで解説する。
「ろくでもない連中の片棒を担ぐ位だから、罪を減じてやると言えば、あっさり吐くと団長は考えたかと思います。でもついでに他の人間は厳罰にすると言えば、普段から敵愾心を持っていたり嫉妬している相手とかの名前を出すだろうと、見当をつけたのではないでしょうか」
それを聞いたリディアは、納得した様に頷いた。
「なるほど。王太子殿下直々の誓約書なんか目にしたら、本当に自分は安泰だと思って、この際無関係な目障りな人間に、罪を着せてやろうと咄嗟に考えたわけね」
「本当に、根性が腐っていますよね。それを逆手に取って、罪を減じる誓約を無効にした上、偽証罪と不敬罪の上乗せをしたわけです」
そこでリディアは号令台の上に、畏怖する視線を向けた。
「団長……、怖いわね」
「でも副隊長。これで、完全に獅子身中の虫を駆除できたのでは?」
「確かにそうね。だけどあの液体、本当に凄いわね。乾いても水に入れても、あんなにはっきりと痕跡が残るなんて」
リディアが本気で感心した声を出すと、彼女達の近くで成り行きを見守っていたカーネルが歩み寄り、彼女達だけに聞こえる声量で囁いた。
「実はあれには、ちょっとした仕掛けがあるんです」
「仕掛けですか?」
益々怪訝な顔になったリディアに、彼は苦笑しながら打ち明けた。
「あの特殊な薬品と思わせた液体は、普通の水です。実際に樽に塗らせたのも、普通の水ですから」
「はあ?」
「ですが、板を触った私が水の桶に手を入れた後、右手を拭いた布の内側に、特殊な薬品を染み込ませた布を忍ばせておきまして。それで手のひらを拭ってから、例の溶液に手を入れると、あんな風になります」
飄々と言われた内容を、頭の中で整理したリディアは、信じられないと言った表情で、太い木材を指し示した。
「え? じゃあまさか、あの閂の紫色の染みは……」
「当然、何も印など付いていません。樽を開け、中身の水を側溝に捨てた工作をした連中が、諦めて観念する様に、私達で色を付けて持って来ただけです」
カーネルが事も無げにそんな事を語った為、リディアは呆れかえった表情になった。
「呆れた……。完全な詐欺じゃない。本当に緑騎士隊って、普段何をやっているんですか。アルティナが使っていた武器もそうだけど、真っ当な騎士隊とは思えないわ」
「すみません。前々隊長就任の頃から、方向性が激しくずれまして」
遠慮の無い物言いに、カーネルは反論などせずに苦笑を深めた。
(本当にそうよね。だけどそれだから、私が隊長としてやっていられたとも言えるけど)
そんな元部下を眺めながら、一件落着を見届けたアルティナは、密かに笑いを噛み殺していた。
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