(4)不埒者の来訪

 デニスが王宮の正門前に到達する少し前。

 高い塀に囲まれた後宮の出入り口に隣接した、夜勤の近衛騎士の詰め所に、リディアが戻って来た。


「特に異常は無かったわ」

「お疲れ様です。冷茶でもどうですか?」

「貰うわ」

 室内には白騎士隊員が三人いて、各自椅子に座って寛いでいたが、ちょうど壁際で飲み物を取り分けていたアルティナが彼女に声をかけた。それに頷いて移動したリディアは、アルティナからグラスを受け取りながら、彼女だけに聞こえる様に囁く。


「念の為に、いつもは開放して壁と一体化させている階段の非常扉を、人一人が通る分だけ開けて、三箇所全て閉めて来たわ」

「それならいざという時、すぐに二階に逃げられますね」

「ところで、夜勤に入った直後から気になっていたけど、あの木箱は何なの?」

 台車に乗せられて壁際に置かれている、かなり大きな木箱に視線を向けながらリディアが尋ねると、アルティナが苦笑の表情になった。


「緑騎士隊の秘密兵器みたいです。カーネル隊長が『不埒者の撃退用に、念の為にお貸しします』と言って下さいました」

「秘密兵器? 緑騎士隊の噂は色々聞くけど、相変わらず良く分からないわね」

「そうですか?」

 リディアが呆れた表情になり、貸して貰ったどころか、実は改良型を貸し出せと要求したアルティナが笑って誤魔化していると、唯一後宮と外とを繋ぐ扉に設置してある、呼び出し用の鐘の音が、室内に鳴り響いた。


「あら? 何かしら?」

「緊急呼び出しなんて珍しいわね」

 他の二人は怪訝な顔になったが、アルティナはリディアと顔を見合わせて頷く。

「私が様子を見て来ます」

「お願い」

 そして一人で扉まで出向いたアルティナは、その横に設置されている通話口に顔を近付けて、外に居る人間に向かって呼びかけた。


「どちら様ですか? この夜更けに、どのような緊急のご用件でしょうか?」

「リディアはどうした?」

 困惑した口調ながらも、声で相手がマルケスだと判別できたアルティナは気合いを入れ直し、落ち着き払って言葉を返した。


「副隊長は、今、館内の見回りに出ています」

 それでマルケスはリディアが同僚に薬を盛っていない事を悟って、盛大に舌打ちした。


「それならお前で良い。王太子殿下が大使公邸からの帰途、何者かに襲撃されて負傷された。それを大至急妃殿下にご報告しなければならない。すぐにここを開けろ」

「それは一大事ですね。少々お待ち下さい」

「おい! ここを開けろと言ってるんだ!」

 怒声と共に、厚い扉を力任せに叩く音が聞こえてきたが、アルティナは無視して駆け足で詰め所に戻った。そしてリディアに報告する。


「副隊長。王太子殿下がラグランジェ大使公邸からの帰り道で襲撃され、怪我をされたので妃殿下にご報告したいと言われました」

「マルケスが?」

「名乗りませんでしたが、あの声はおそらくそうです」

 落ち着き払ってアルティナが告げると、リディアはうんざりとした表情になった。


「理由としては馬鹿馬鹿しいわね。もっと上手い話を作れば良いのに」

「そうですね。わざわざ近衛騎士が深夜に、妃殿下に直に報告をする必要性がありません。本当に王太子殿下が襲撃されたのなら、内宮へ移送された上での治療が最優先になりますから、警護の手間が増える妃殿下の往来は、態勢が整うまでは極力避けたい筈ですし」

「あの、それでは……」

「王太子殿下が襲撃されたと言う話は……」

 ここでアルティナ達の話を不安そうな顔で聞いていた他の二人が、恐る恐る口を挟んできた為、リディアが安心させる様に言い聞かせた。


「まだ夜会の終了予定時間ではないし、第一、殿下が怪我をしたからと言って、わざわざ夜の後宮に入る必要は無いわ。危篤状態ならまだしも、私達に妃殿下への伝言を頼めば済む話だもの」

「それでは、何かの間違いですか?」

「実はあなた達には言って無かったけど、少し前、近々後宮に賊が押し入る可能性があると連絡を受けていたの。これはその襲撃だわ。そのつもりで、あなた達はこれから私の指示に従って頂戴」

「襲撃って!」

「副隊長!?」

 王太子の負傷の事実は無いと保証して貰って安堵したのも束の間、それ以上に物騒な話を聞かされた彼女達は真っ青になった。しかしそんな二人を、リディアが真顔で宥めながら指示を出す。


「私とアルティナで、ここでできるだけ時間を稼ぐわ。あなた達はその間に、右翼と左翼の階段に向かって、半開き状態にしてあるその非常階段を閉めて、階段側から施錠してから二階に上がって」

「そんな!」

「お二人はどうするんですか!?」

「私達は最後に、正面の中央階段を使うわ。あなた達は二階に上がったら、当直の侍女達を非常呼び出し鐘を使って起こして、王妃陛下と妃殿下の私的エリアに集合させた上で、あなた達は陛下の居住エリアに入って、連絡口の扉を閉めて施錠。私かアルティナが通話筒で連絡するまで、絶対に鍵を開けないこと。良い! 分かった!?」

 最後は叱りつける様にリディアが言い聞かせると、二人は狼狽しながらも頷いた。


「は、はい!」

「でも、副隊長!」

「時間が無いわ、急いで!」

「分かりました!」

 そして詰め所の前の廊下をまっすぐ駆け出した二人が、突き当たりの階段の手前で左右に分かれたのを確認したリディアは、いつの間にか台車を押しながら廊下に出て来たアルティナを振り返った。


「じゃあ、時間稼ぎをしてくるわ」

「はい、それではその間に、これを使える様に準備しておきます」

「本当に、それは何なの?」

 本気で首を傾げたものの、詳細を尋ねるのは後回しにして、リディアは依然として罵声と共に乱暴に叩かれている扉に向かった。


「ちょっと。何度も鳴らさなくても聞こえているし、喚かないでくれる? ここから居住スペースまでは少し距離があるから、多少大声を出しても聞こえないとは思うけど」

 通話筒に顔を近付けてリディアが告げた途端、外からの物音がピタリと止むと同時に、マルケスの怒声が伝わってきた。


「お前……、リディアだな! さっさとここを開けろ!」

「どうして? 開ける理由が無いわ」

「何だと? 貴様、家族がどうなっても良いのか?」

 そう言ってマルケスは低い声で恫喝してきたが、リディアは鼻で笑った。


「相変わらず口を開けば、変わり映えのしない脅し文句ね。はっきり言って興醒めだし、あんたが本当に小者扱いされているのが分かって、真面目に話に付き合うのが本当に馬鹿馬鹿しいわ」

「どういう意味だ!?」

「私の母と弟は、とっくに監禁されていた屋敷を抜け出して、他の場所で生活しているのよ。母達から連絡が来て随分経つのに、あんたにはその話が、全然伝わっていなかったみたいね」

「何だと? そんな馬鹿な!?」

 本気で驚愕したマルケスの声を聞きながら、リディアは冷静に言い返した。


「知らせたらボロが出そうな位頭が悪いと思われているか、一々知らせる必要もない、捨て駒と思われているってところじゃないの? それで自分は実力を認められているとか、勘違いして自惚れているなんて、端から見たら良い笑い物よね」

「黙れ!! おとなしくしていれば、命は助けてやったものを! 裏切り者には制裁を加えてやる!」

「裏切り者? どっちがよ、逆賊野郎! せめてもの情けよ。ここで大人しく引き下がれば、何も聞かなかった事にしてあげるわ。さっさと帰りなさい」

 それ以上、怒鳴り声は聞こえなかった為、マルケス達が諦めて大人しく帰ったか、動揺して判断に迷っているのかと思ったリディアだったが、すぐにその判断が甘かった事を悟った。拳で叩いているのとは質感が違う、ドガッ、バキッという音が扉の向こうから立て続けに聞こえてきた為、リディアは「まさか手斧でも持って来たの? 本当に非常識な馬鹿どもよね!?」と顔色を変え、奥へ向かって走った。


「アルティナ、来るわよ!? え?」

 視線の先にいたアルティナが、灯り用に廊下の両側の高い位置に設置されているランプを、線状鎖を放って次々割り落としていたのを目にしたリディアは、その豪快さに思わず顔を引き攣らせた。しかしアルティナは、叩き落したランプが廊下でくすぶっているのには目もくれず、彼女を笑顔で出迎える。


「副隊長、時間稼ぎ、ご苦労様です。取り敢えず騎士団本部詰め所への、緊急連絡の紐は引いて固定しておきました」

「それは良いんだけど……、これは何? あの木箱に入っていた物よね?」

「はい、そうです」

 かなり薄暗くなった正面階段の手前で、弓を横に寝かせた上、間隔をあけて三つ重ねた形に見えるそれを発見したリディアは、困惑も露わに問いかけた。しかしアルティナが、事も無げに答える。


「バネの力を利用した、複式三連弾自動弓です。一度にこの通路の幅一杯に狙える複数の矢をつがえる事が出来る上、上中下三段階の高さで狙える優れ物だと、カーネル隊長から説明を受けました」

「緑騎士隊って、本当に何を作っているのよ……」

 思わず頭を抱えたリディアだったが、ここで一際高い破壊音と共に、扉の取っ手の付近が破壊されたのが、遠目にも見て取れた。


「副隊長、来ます!」

「取り敢えず、ある物は最大限有効に使いましょう。使い方は分かっているわね?」

「はい。最後の灯りを消します! 連中がすぐにこれに気が付かない様に、副隊長は最初は前に立って注意を引いて、声をかけたら横に避けて下さい」

「分かったわ」

 そして素早く役割分担を決め、アルティナは残しておいた至近距離のランプを鎖の先端の重りで叩き割り、リディアは剣を抜いて弓の前に立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る