(3)愚者は踊る
当主夫妻の留守を狙って、以前と同様に隣接する教会からグリーバス公爵邸に忍び込んだデニスは、注意深く衣装部屋から夫妻の寝室へと足を踏み入れた。
(さて、ここまでは問題無く来れたし、公爵達が戻って来るまで、暫く時間に余裕があるのは分かっているが)
一度ドアまで行って、使用人が行き交う気配が無いかを探ってから、彼は寝室の片隅に設置されている大ぶりな金庫に目を向ける。
(隠すなら書斎の机の隠し引き出しか、寝室の金庫か……。順当に金庫から漁るか)
そして素早く算段を整えた彼は金庫に歩み寄り、その前に片膝を付いて、たすき掛けにしていた収納袋から必要な道具を幾つか取り出した。
「緑騎士隊に入ってから、騎士本来の仕事からはかけ離れた技ばかり磨いている気がするな……。今更だが」
無意識に愚痴りながら作業する事暫し、デニスは首尾良く扉の開錠に成功した。そして薄暗い中、中を覗き込んだデニスは、札束や貴金属の類には目もくれず、書類の束を慎重に抱え上げて窓際へと向かう。
(今夜が月夜で良かったな。灯りを点けられないし)
僅かにカーテンを開け、慎重に順番を崩さない様に注意しながら内容を確認し始めたデニスだったが、上質の大きな封筒から、ある書類を取り出した瞬間、驚きで目を見開いた。
「うん? ……これは!?」
思わず驚愕の叫びを漏らしかけ、慌てて自制心を働かせて口を噤んだデニスだったが、すぐにその表情が不審な物に変化する。
「……ちょっと待て。何かおかしくないか?」
独り言を漏らしながら再び書類を凝視した彼は、すぐに自分が感じた違和感の正体に気が付き、小さく舌打ちした。
「なるほど……、そういう事か。筆跡は照らし合わせてみないと分からないが、あのラグランジェの狸親父……。どこまで人を馬鹿にする気だ。こんな物にあっさり騙される馬鹿も、度し難いが」
そう悪態を吐いたデニスは、書類を持参した筒に丸めて入れると、それを収納袋に詰め込んだ。そして空の封筒と他の書類を、元通り金庫しまい込む。
(とにかく、これを手に入れたのなら長居は無用だ。大至急ケインに届けて、あいつ経由で団長に報告して貰おう)
そして再び隠し通路に入り込み、すっかり通用口と化している教会を抜け出したデニスは、その敷地内の木陰で待機させていた愛馬に飛び乗り、王宮へと向かった。しかし少し走った所で、見慣れた制服の一団とすれ違う。
「何だ? 今のは黒騎士隊の筈だが、こんな時間にどこに……」
思わず馬を止めて振り返り、血相を変えて走り抜けていった一団を見送っていると、遅れて同様にデニスの横を駆け抜けようとした一団の中で一騎が急停止し、驚いた様に声をかけてきた。
「デニス!? お前、こんな時間にこんな所で、何をやっている?」
飲み友達である青騎士隊のレスリーに問われたデニスは、一応用意していた内容を口にした。
「ちょっと隊長に頼まれた仕事が長引いてしまって、今から王宮に報告に行く所だが。それより、何かあったのか?」
「それが、商家が盗賊に襲撃されたらしい。双方に怪我人が多数出ているそうだ。それで黒騎士隊の他に、俺達の様な王宮内待機部隊の一部が向かっている。お前も手伝ってくれ」
それを聞いたデニスの決断は早かった。
「その襲撃は陽動だ。俺はこのまま王宮に向かう!」
「あ、おい! デニス、ちょっと待て! 陽動ってどういう事だ!?」
背後でレスリーの声が響いているのは分かったが、デニスはそれを無視して一路王宮へと向かった。
(そこまでするとは、読みが甘かったか……。下手をすると王太子殿下の周囲でも、何か仕掛けてあるかもしれん。チャールズ隊長とケインは、事態の収拾でそれぞれ手一杯の可能性が大だな)
考えを巡らせたデニスは盛大に舌打ちしながら馬を走らせ、すぐに王宮の正門前に到達した。そして大きな門の前で声を張り上げる。
「開門! 緑騎士隊のデニスだ! 騎士団長の司令書もある! ここを通してくれ!」
「分かった。今すぐ開ける」
忍び込むのに堂々と制服で、というわけにはいかず、私服で活動する事を踏まえて、デニスは予め身元を保証するバイゼルからの指令書を受け取っていた。それを門を開けてからデニスに近寄って来た、直接の面識が無い近衛騎士に手渡す。
「一応、指令書を確認させて貰う」
「ああ。これだ」
「本物だな、通ってくれ」
「夜に手間をかけてすまない。……何やら騒がしいが、何かあったのか?」
すぐに通過の許可が下りたものの、遠くから何となく喧騒が伝わって来た為、デニスが尋ねてみると、その騎士が難しい顔つきで告げた。
「それが……、内宮で火事があったらしい。先ほどから騒ぎになっている」
国王と王太子の居住区での火災発生を聞いたデニスは、さすがに顔色を変えた。
「内宮!? それで陛下はご無事か?」
「ああ、火事と言っても、端の部分のボヤ程度だそうだから。ただ消火と安全確認に、警備の人手が取られているらしい」
「分かった。至急の用件だから、このまま騎士団の詰め所に行く」
そう言って再び馬に飛び乗った、デニスが奥に向かって馬を駆けさせようとした時、背後で声が上がった。
「あ、団長! ご苦労様です!」
「通るぞ!!」
そして横を馬で駆け抜けて行ったのが、自分の屋敷から駆け付けたバイゼルだと分かったデニスは、慌てて呼びかけながら馬で追い縋った。
「団長、お待ち下さい!」
「デニスか。どうした?」
すぐに気が付いた彼は馬を止め、デニスは馬を寄せて他の誰にも聞かれない様に囁いた。
「ろくでもない詐欺の証拠です。人目に触れない所で、至急確認を」
そう言いながら収納袋から取り出された細い筒を、バイゼルが険しい表情のまま受け取る。
「分かった。取り敢えず執務棟に向かって状況確認をするから、団長室で目を通す」
「お願いします。今から後宮に向かいます」
「ああ、絶対騒ぎが起きている筈だな。ああ、デニス。ちょっと待て」
すかさず馬を操って駆けて行こうとしたデニスを、バイゼルがすかさず呼び止め、自分のマントを外して彼に差し出す。
「制服でもないその姿だと、一々止められるぞ。通行証代わりに、これを着て行け」
「お借りします!」
騎士団の記章が大きく刺繍されている紫色のマントは、騎士団長の物以外にあり得ず、これ以上はない通行証を借り受けたデニスは、素早くそれを身に着けて王宮の奥へと馬を走らせた。
(アルティナ様、あなたが遅れを取るとは思えませんが、シアにかすり傷一つでも付けさせたら、許しませんよ!?)
そして彼らの推測通り、その頃後宮では、とんでもない騒ぎが勃発していた。
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