(2)繰り返される茶番

 白騎士隊の一員である女性は、朝食を済ませて食堂から寮に戻って来たところで、出くわしたアルティナに不思議そうに声をかけた。


「おはよう、アルティナさん。今から食堂に? 急がないと遅れますよ?」

「ええ、寝坊してしまって。遅れないように行きますね」

 多少照れくさそうに廊下を歩きながら挨拶を返したアルティナは、注意深く周囲の様子を観察した。


(さて、まだ勤務開始までは微妙に時間があるし、食堂に行き来する人の流れも、まばらになったわね)

 そして予め打ち合わせていたマーシアと、階段の踊り場と上で合流し、彼女は階段の下を、アルティナは廊下の向こうに人影が無いのを確認しながら、頷き合う。


「大丈夫みたいですね。マーシアさん、いきますよ?」

「はい。こっちも誰もいません。頑張ります」

 そして硬い表情のマーシアと声をかけ合ったアルティナは、二人で微妙にタイミングをずらして階段の壁に体当たりし、同時に大声を上げた。


「きゃああぁぁっ!」

「マーシアさん!? すみません! 大丈夫ですか!?」

 そう叫びながらアルティナはわざと足音を立てて階段を駆け下り、マーシアが踊り場に横たわる。当然その物音を耳にして、寮内に居た人間が集まって来た。


「どうしたの?」

「今の物音や悲鳴は……、きゃあっ! マーシア!」

「まさか、階段から落ちたの!? 怪我は!?」

「だ、大丈夫、です……」

「すみません! 私の肩がぶつかってしまって!!」

 マーシアが呻き、アルティナが狼狽する演技をする中、周囲の喧騒が更に悪化した。


「それより、早く医務室に連絡して、医師を呼んで来て!」

「はい!」

「マーシア、意識はあるわね。立てる?」

「ええ、なんとか……。痛っ!」

「無理しないで! 誰か男の人を呼んで、部屋まで運んで貰うわ!」

 そして周囲の手を借りてマーシアを彼女の部屋に運び込み、常勤の医師に診て貰っているうちに、知らせを受けて既に管理棟に出向いていたナスリーンが寮に戻って来た。


「全く、子供じゃあるまいし、寝坊して階段を駆け下りた挙げ句、同僚に怪我をさせるなんて、どういう了見なの!?」

「全面的に私の不注意です。本当に申し訳ありません」

「謝って済む問題じゃないわよ!?」

 頭を下げたアルティナに向かって、自室からやって来たリディアが雷を落としたが、そんな彼女を漸くやって来たナスリーンが宥めた。


「リディア、お止めなさい。取り敢えずマーシアの命に別状が無かったのは幸いでした。階段から落ちて、亡くなる方もいらっしゃいますから」

「それはそうですが……」

 そして不満顔のリディアからマーシアに視線を移したナスリーンは、穏やかな表情で言い聞かせた。


「マーシア。あなたには医師から、五日は勤務から外れるようにとの診断が出ました。傷病休暇扱いになりますから、ゆっくり休んで下さい」

「はい、申し訳ありません」

「それでマーシア。今日は日勤でしたか?」

「いえ、夕方までは休暇で、夜勤の予定でした」

「夜勤でしたか……」

 ベッドに横たわったまま答えた彼女を見下ろしたナスリーンは、困った顔になって背後に控えていたアルティナに向き直った。


「それなら仕方がありません。アルティナ。あなたがマーシアの代わりに、今日は日勤に続いて夜勤に入って下さい」

「はい、私は構いません。続けて夜勤に入ります」

「ですが隊長、それは!」

 そこで神妙に頷いたアルティナだったが、リディアが思わずと言った感じで声を荒げた。しかしナスリーンはそんな彼女の反論を封じる。


「この場合、怪我をさせたアルティナに、責任を取らせるべきでしょう。マーシアが回復するまでの勤務に関しては、今日中に他の者に振り替えます。それでは二人とも、今日の勤務に入って下さい」

「はい」

 そして目線で謝ってきたマーシアに、同じく無言で小さく頷いてから、アルティナはリディアと連れ立って部屋を出た。


(茶番も良いところだけど、リディアやマーシアが怪しまれない様しておかないと)

 そして様子を見に来た同僚達に会釈しながらアルティナはその日の持ち場に向かい、リディアは夜勤に入るまでの時間を潰す為に、自室へと戻った。


 それから何事も無く勤務したアルティナが、夕方食堂に出向いて早めの夕食を摂っていると、向かい側にケインが座りながら声をかけてきた。


「アルティナ」

「ケイン。今日は夜勤だったわね」

「ああ、もう少ししたら入る事になっている。ところで……、随分噂になっているな」

 微妙に声を小さくして告げてきた彼に、アルティナが苦笑いする。


「私がマーシアを、階段で突き落とした事?」

「そういう事になっている。……全く、度し難い馬鹿共が」

 怒りを露わにして吐き捨てたケインを、アルティナは少々困りながら宥めた。


「そう怒らないで。脅迫されていたマーシアが気の毒だったし」

「しかし、一方的に君に非がある事になっているんだ。入隊試験の時の騒ぎもあるし、君の評判が更に悪くなるのは、我慢がならない」

「ケインの気持ちは嬉しいけど、今更そんな事を気にしていないわ。それに悪いのは、良からぬ事を企んでいる人達でしょう? 今夜はリディアと協力して、後宮には誰も入れないから心配しないで」

 アルティナがそう言って小さく笑いかけると、ケインも溜め息を一つ吐いて気持ちを切り替えたらしく、いつもの顔で立ち上がった。


「分かった。これ以上は言わない事にする。じゃあ夜勤明けに」

「ええ。そっちも気を付けてね」

(さて、しっかり噂になったみたいだし、マーシアと勤務を交代した事に関しては、不審に思われないでしょうね)

 軽く手を振ってケインと別れたアルティナは、取り敢えず予定通り事が進んでいる事を確認して、手早く夕食を食べ終えた。


「失礼します」

 そして夜勤前に隊長室に出向くと、そこにはナスリーンの他にリディアもやって来ていた。


「アルティナ、悪いわね。長時間の勤務になってしまって」

「いえ、計画通りですから。それより副隊長。マーシアさんが勤務を外れた事について、マルケス辺りから何か言われましたか?」

「予定が狂ったとグチグチ言われた挙げ句に、『他は纏めて薬を盛っておけ』と言われたわ」

「四人勤務ですし、最初からそうするつもりだったとは思いますが……。随分露骨ですね」

 リディアが嫌そうにポケットから取り出した布袋を差し出して見せた為、アルティナは無意識に渋面になった。そんな彼女の前でリディアは布袋をナスリーンの机に置き、真剣な面持ちで告げる。


「それでは、これから持ち場に向かいます」

「お願いします。アルティナには少し話がありますので、後から向かわせます」

「了解しました」

 そしてリディアが出て行ってから、ナスリーンはさり気なく傍らに寄せてあった椅子を指差した。


「それではアルティナ。それを持って来て、前に座って下さい。少し込み入った話になりますので」

「はい」

 そして微塵も疑っていない素振りで椅子を引き寄せ、座ったアルティナに、ナスリーンが穏やかに声をかける。


「アルティナ。昨日カーネル殿から渡された物は、持参していますね?」

「はい。それからあの箱も、昼のうちに後宮の詰め所に運び入れておきました。あの、でも……、一応使い方の説明を、カーネル隊長から伺いましたが、さすがにあれは……」

 アルティナが(毎度毎度茶番だわ)と内心で呆れながらも、困惑顔を装って報告すると、ナスリーンもさり気なく机上の爪やすりを持ち上げる。


「ええ、あなたの言いたい事は分かります、アルティナ。ですが……」

「っ! きゃあぁぁっ!」

 いきなり室内に響き渡った耳障りな音に、アルティナはこれまで通り悲鳴を上げて耳を押さえた直後に、意識を失ったふりをした。そして彼女の腕が力無く下に落ちたのをみたナスリーンが、小声で呼びかける。


「……アルティナ?」

「大丈夫です、ナスリーン殿。ちゃんと入れ替わりました。勿論夜勤中は、アルティナを装います」

 そこですかさずアルティンを装って目を開けたアルティナに、ナスリーンは安堵しながらも、複雑な表情になった。


「それはそれで、意識がアルティナに戻った時、一晩の記憶がすっかり抜け落ちているわけですから、かなり混乱しそうですね」

「まあ、何とかなるでしょう。取り敢えず、一晩何事も無いように努めます」

「そうですね、お願いします」

 女二人の間でそんなやり取りが交わされている頃、王宮にある通用門の一つで、ちょっとした騒ぎが起きていた。


「すみません! 申し訳ありませんが、ここを開けて下さい!」

 ドンドンと重い木製の扉を叩かれて、その通用門を警備していた担当者は、小窓から外を覗き込んだ。


「どうした。もう通常の納品時間は、終了しているが?」

 その通用門は厨房に一番近い為、朝から昼にかけては納品の荷馬車が通るものの、遅い時間帯にやって来る者は殆ど存在しなかった。それで不可解な視線を向けると、荷馬車を操って来た若い男が、必死の形相で弁解する。


「すみません、これを運んでいる途中で、馬車の車軸が折れまして。どうやらヒビが入っていたらしくて」

「それは災難だったな。明日また出直してくれ」

「そんな! 店の主人に『今日中に納品してこい』と厳命されているんです! このまま帰ったらクビになります!」

「そう言われてもな。納品検品の担当官は、もう居ない筈だし」

「とにかく、門の中で預かってだけ頂けませんか? 明日の朝もう一度来て、担当者に引き渡しますので。お願いします!」

「ちょっと待ってろ」

 面倒事は嫌だった騎士だったが、そこまで言われて、組んでいる同僚に意見を求めた。


「どうする?」

 それに相方が、肩を竦めながら応じる。

「仕方がない。このまま帰しても後味が悪いし、待機室の中にあれを置くスペースはあるだろう。預かっておこう」

「そうするか。……おい、今門を開けるから、詰め所に運び込むのは自分でしろよ?」

「ありがとうございます! 助かります!」

 そうして話は纏まり、開けられた門から中に入った荷馬車は、警備担当者の詰め所前に停められた。そして男が荷台から板を二枚渡し、器用にするすると酒樽を下ろして転がし、最後は少しだけ騎士の手を借りて、無事に詰め所内に運び入れた。


「ありがとうございました。それでは明朝、一番に参りますので」

「ああ。もう暗いし、気を付けて帰れよ?」

 そしてペコペコと何度も頭を下げて、男が空の荷馬車を操って帰るのを見届けた騎士達は、元通り門を閉めた。


「さて、もう一仕事しておくか」

「え? 何をするんだ?」

 不思議そうに相方に問い掛けられて、詰め所の隅に向かっていた男は、呆れ気味の視線を向けた。


「お前、ちゃんと引き継ぎを聞いてなかったな? やむを得ない事情で夜勤帯に納入品を預かる場合には、害虫とかの混入侵入を防ぐ為に、特殊な薬品を繋ぎ目等に塗布しておく事になったんだよ」

「そうなのか?」

「ああ。これだ」

 そう言って差し出された蓋が閉められている缶とはけを見て、その騎士は怪訝な顔になった。


「大丈夫なのか? 却って中にしみたりして、中身が変質したりしないんだろうか?」

「大丈夫だろう? すぐに乾く特殊な物らしいし」

「そうか。それは知らなかった。じゃあさっさと済ませるか」

 そして二人は手分けして、預かった酒樽のつなぎ目や蓋の部分に、一見透明にしか見えない液体を手早く塗布したのだった。

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