第6章 跳ね馬姫の暴走

(1)前日の情景

 ラグランジェ国王生誕記念の夜会開催前日。珍しく全隊長が顔を揃えて、近衛騎士団の定例会が開催されていた。そしていつも通りナスリーンの司会で粛々と進行していったが、彼女が手元の資料を手元に伏せながら、周囲を見回した。


「それでは、本日最後の議題になりますが……。皆様に向かって一々口にしなくとも、お分かりですね?」

 そう尋ねた彼女に、他の隊長達が同様に資料から手を離しながら、渋面で応じる。

「取り敢えず怪しげな者に関しては、できるだけ自然に配置換えをしてみましたが……」

「なにぶん、対象者が結構な数で……」

「交友関係をどこまで広げれば良いかも、明確になってはおりませんし……」

 普段は闊達な部下達が、揃って迷いを隠せない表情をしているのを見たバイゼルは、近衛騎士団のトップらしく、微塵も動揺を感じさせない口調で彼らに言い聞かせた。


「お前達が限られた情報の中で、できるだけの予防措置を執ったのは分かっている。取り敢えずお前達は、明日から明後日にかけては、何があってもすぐに動ける様にしていろ」

「了解しました」

 隊長達が揃って頷いてから、ナスリーンはカーネルに声をかけた。


「それから、カーネル隊長。アルティン殿から指示された物は、揃いましたか?」

 その問いかけに、カーネルは困惑も露わに答える。

「はい、準備万端整えまして、既に一昨日から門扉警護担当者には、団長名で通達を出して徹底させています。しかし……、希望されたご自身の備品に関しては、物が物だけに、あれをアルティナ殿にお渡しするのは、少々躊躇われまして……」

「彼女に対しては、かなり苦しい説明になるとは思いますが、宜しくお願いします。明日の夜は夜勤に入る前に私の部屋に寄って貰って、アルティン殿と入れ替わる事になっていますので。万が一の場合に、それを使うつもりでしょうから」

 そのやり取りを聞いた男達は顔を見合わせたが、その場を代表してバイゼルが尋ねた。


「カーネル。一体何を準備したんだ?」

「緑騎士隊なら常備品ですが、真っ当な騎士なら間違い無く使う筈が無い代物です。今回はアルティン隊長が在籍していた頃より、更に改良を加えた物を準備しました」

 真顔でそう答えたカーネルに、バイゼルを初めとした面々は(自分の所属隊を、真っ当な騎士隊じゃないと明言して良いのか?)と内心で突っ込みを入れたが、もの凄く今更過ぎて、誰も口には出さなかった。そしてすぐに気を取り直したバイゼルが、重々しく指示を出す。


「とにかく予定通り、明日ラグランジェ大使公邸に出向く王太子殿下の護衛責任者はチャールズ、王宮内の警備責任者はケインとして、各自不測の事態に備えろ」

「はい」

「ナスリーン殿。今日のうちに、アルティナ殿に例の物を渡しておきたいのですが」

「明日になってはどうしてもバタバタしますからね。後ほど彼女を隊長室に呼び寄せましょう」

「宜しくお願いします」

 そして黒騎士隊を預かるチャールズはバイゼルと、再度細かい打ち合わせを始め、ナスリーンとカーネルが時刻を確認する中、定例会は自然に散会となった。



 その日の昼食時。いつも通り休憩に入って、一人食堂で昼食を食べていたアルティナのもとに、同様にトレーを持ったデニスが現れた。

「アルティナ様、ご一緒しても宜しいですか?」

「ええ、デニス。構わないわよ?」

「後から鳥で連絡しようと思っていましたが、手間が省けて良かったです」

 テーブルの向かい側の席に落ち着きながら、早速そんな事を言い出した彼に、アルティナは咎める様な視線を向けた。


「そんな内容を、こんな人目のある所で喋って良いの?」

 鳥を使うつもりだったのなら、それなりに周囲に知られたらまずい内容でしょうにと暗に窘めたが、デニスは薄く笑ったのみだった。

「周囲をざっと見た所、向こうに繋がっている可能性のある奴は、見当たらなかったので。下手に隠すと、却って勘ぐられるものですよ」

 その含みのある物言いに、アルティナは一瞬眉根を寄せてから、彼が何を当て擦っているのかに思い至った。


「ひょっとして……、マルケスとリディアの事を言っているの?」

「ええ。騎士団の一部で、少し前から噂になっていますよ。時々物陰で、こそこそ顔を合わせているから、恋人同士なのかと」

 それを聞いた彼女は、うんざりした表情で愚痴を零した。

「その噂、昨日、リディアの耳に入ってね。『どうしてあのろくでなしの、恋人扱いなんかされなきゃいけないのよ!』と大荒れだったの。ナスリーン隊長と二人がかりで宥めて、大変だったわ」

「それはご苦労様でした」

「それで?」

 そこで短くアルティナが尋ねてきた為、デニスも笑いを消して真顔で応じた。


「未だに、決定的な証拠を掴むまでには至っていません。明日の夜、公爵夫妻が大使公邸の夜会に出席するのは確実ですから、この際グリーバス公爵家の家捜しをしようと考えています」

 それを聞いた彼女の顔が、難しい物になる。

「事情を把握していて確実に動かせる駒は、できるだけ王宮内に確保しておきたいんだけど……」

「それも理解できますが、確実に証拠を押さえないと、今回は撃退できても火種が残ります」

「分かったわ。早めに片が付いたら、急いで戻って来て」

「そのつもりです」

 そんな風に話に一段落付いた所で、新たな声が割り込んだ。


「アルティナ、デニス。邪魔するぞ」

「ケイン、お疲れ様」

「本当に邪魔する気満々って顔だな」

「当たり前だ」

「単にアルティナ様への連絡事項を、話していただけだが」

 二人がそれぞれ微妙に口調を変えてケインに応じてから、デニスはアルティナに向かって主従らしい口調で話を続けた。


「カーネル隊長からアルティナ様へ渡す物があるので、後から隊長室に呼ばれる筈です。何を渡されても驚かずに受け取って下さい」

「驚かずに? 何を渡されるのかしら?」

「明日の御守りです」

 お互いに何を受け渡しするのかしっかり把握済みの、茶番の会話を交わしていると、ここでケインが険しい表情でデニスを詰問した。


「おい、デニス。物騒な物では無いだろうな?」

「大丈夫だ。アルティン様も使っていた物の改良品だし」

「『アルティンが使っていた』と言う時点で、物騒な響きしか感じないぞ」

「確かにそうかもしれないがな」

「おい!」

 デニスが苦笑し、ケインが益々顔つきを険しくする中、アルティナは(改良品ね。それは楽しみだわ)と一人ほくそ笑んでいた。すると彼女に向き直ったケインが、真顔で告げてくる。


「アルティナ。俺は明日は王宮内の当直で、警備責任者になった。何かあったらすぐさま対処するから、無茶はしないですぐに助けを呼ぶ事。分かったな!?」

「ええ、分かっているわ、ケイン。十分気を付けるから」

 そこで穏やかな笑みを浮かべながら、アルティナはケインを宥めた。

(でも後宮で騒ぎを起こせば、すぐに当直の近衛騎士が飛んで来るのは、連中だって分かっている筈。それをどうするつもりなのかしらね?)

 それから三人で雑談をしながら食ベ進めたが、アルティナは笑みを浮かべつつも密かに考え込んでいた。



 エルメリアの出産予定日も徐々に近付き、穏やかな中にも微妙に緊張感が漂い始めていた後宮で、ユーリアは漸く慣れてきた仕事に勤しんでいたが、小さく窓を叩く音を耳にし書類を捌く手を止めた。

「あら? クインシー?」

 腰を上げて机から離れて窓に歩み寄り、そこを開けると、窓枠にとまっていた小鳥が、嬉しそうに小さく一声鳴く。


「ご苦労様。今日は何を持って来てくれたのかしら?」

 その足に括り付けられている小さな通信筒を外し、中から丸められた薄くて細長い用紙を広げる。その内容を確認した彼女は、溜め息を吐いた。

「分かってはいたけど、やっぱりそうなるのね……」

 そして既読した旨を書き込んだ紙を元通り筒に入れ、それを付けた鳥を見送ってから、ユーリアは上級女官の控室に足を向けた。


「グレイシア様、マリエル様。お話があります」

「はい」

「何ですか?」

 偶々室内には他の上級女官も侍女もおらず、ユーリアは安心して早速用件を切り出した。


「連絡が来ました。明日の夜は、服を着たまま寝て下さい」

 いきなり本題を口にしたユーリアに、マリエルは流石に戸惑った顔になった。

「服を? 寝間着に着替えないで、服のまま寝ると言う事よね?」

「ええ。非常識な事を言っているのは、重々承知していますが」

 確認を入れてきたマリエルにユーリアが頷くと、何やら考え込んでいたグレイシアが、真顔で穏やかで無い事を言い出す。


「最悪の場合を考えて、いつでもすぐに動ける状態を、朝まで保つ必要があると言う事ですね?」

「はい、その通りです」

「分かりましたが、他の方には?」

「以前より妃殿下にお仕えしている方を疑いたくはありませんが、誰がどこにどう繋がっているか、良く分かりませんので」

 重ねて尋ねられたユーリアが、申し訳なさそうに弁解すると、グレイシアは納得したように頷いた。


「リスクはなるべく少なくしておくべきですね。マリエル。今の話は、私達だけの間の話と言う事にしておきましょう。エルメリア様に、余計なご心配をかけない為にも」

「あ、は、はい! 分かりました!」

 話の流れに付いて行けず唖然としていたマリエルが、事の重大性を悟って慌てて頷いたが、グレイシアはさほど動揺した素振りを見せないまま、ユーリアに声をかけた。


「それでは私達も何が起こっても良いように、私達なりに準備を整えておきましょう」

「はい、お願いします」

 そしてグレイシアが比較的冷静な事に安堵しながらも、ユーリアは(結局、これまでに明確な証拠を掴めなかったわけか。仕方がないかもしれけど)と、少しだけ兄とアルティナを恨んだ。

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