(14)救出

「アルティナ! 心配したぞ。大丈夫だったか!?」

「ええ。平気よ。どこも怪我はしていないわ」

「そうか。それなら良かった。こんなに屋敷が燃えているのに、お前が寝ているから呼べないなどと言われて、この屋敷の管理体制がどうなっているのかと思ったぞ」

 腕の中に飛び込んできたアルティナに、ケインが安堵の表情で告げると、話を聞いた彼女は困惑した顔つきになって確認を入れた。


「やっぱり火事だったのね? 誰も何も言って来なかったから、どうしようかと思ったわ」

 しかしそれを聞いたケインが、たちまち険しい顔つきになる。


「誰も何も言って来なかった? それは本当か?」

「ええ。何やら廊下の方が騒がしいと思って目を覚ましたのだけど、侍女も執事も誰も来なくて。でも騒ぎが止む気配は無いし、何となく焦げ臭い匂いがしたものだから、急いで一人で寝間着から服に着替えたの。そこに執事長がやって来て、説明抜きで『すぐに玄関ホールに行って下さい』と言うものだから、取り敢えず廊下に出てみたら煙が充満していて……。本当に死ぬかと思ったわ」

「大丈夫だ、アルティナ。書庫から火が出たせいで、結構燃えているらしいが、建物が丸ごと焼け落ちる事は無さそうだから」

 怯える様な表情を見せたアルティナをケインが宥めたが、そこで彼女は顔色を変えた。


「書庫ですって? 本当に、火元は書庫なの!?」

「ああ、そのようだが。それがどうかしたのか?」

「だってあそこには、かつて近衛騎士団長を務めた三代前の当主が、当時の国王陛下から賜った、初代国王陛下直筆の戦略記が保管されているのよ? 本来なら王宮の史料室で管理保管されるべき貴重な史料を、まさか焼失してはいないわよね!?」

 そこでアルティナが勢い良く向き直り、戦略記の所在について追及してきた為、その場にいた執事達は揃って狼狽した。


「え?」

「いえ、そんな物があった事自体、私どもは存じませんので……」

「王宮の史料保管室には、グリーバス公爵家への譲渡記録が残っている筈よ? お兄様が職業柄、書庫内で行軍や武術に関する書物には、全て目を通したと言っていたもの!」

「アルティナはこう言っているが、まさか王家から下賜された貴重な史料を、失火で焼失したなどとふざけた事を言うつもりではなかろうな?」

 打ち合わせ済みの内容を二人揃って責める口調で言い募ると、黙って様子を窺っていた黒騎士隊の面々も一斉に使用人達に非難の眼差しを向け、対する執事達の狼狽は頂点に達した。


「あ、あのっ! それは!」

「執事長ならともかく、私ごとき一介の執事では、判断のしようがございませんで!」

「そう言えば、執事長はどうした? アルティナを呼びに行った筈だが」

 さり気なく話題を変えたケインに、アルティナも上手く話を合わせた。


「それが……、確かに部屋には来たけど、玄関ホールに行くように言った後は、そのままどこかに走って行ってしまって……。多分火元を見に行ったのでは無いかと思ったから、私は一人でこちらに来たのよ」

「確かにアルティナを呼んで、消火活動をしろとは言ったが、案内もせずにその場に放置か! 下の者の怠慢さが目に余ると思っていたら、執事長がその有様とは! この屋敷の使用人の質の低さが、分かると言うものだ!」

「…………」

 普段なら暴言を吐いたと叱責される内容でも、不手際が続いたこの状態ではケインに言い返す事もできず、屋敷の者達は悔しそうに無言を貫いた。そんな彼らを庇うどころか無視して、アルティナが思い出した様にケインに声をかける。


「ケイン。部屋に誰も来なかったから、一人で着替えて髪も整えないまま来てしまったの。見苦しい所は無いかしら?」

「安心しろ、アルティナ。どこもおかしなところなど無い」

「それなら良かったわ。あなたの前で、変な格好をしたくないもの」

「そんな心配など無用だ。君がどんな格好でも、変だと思う事など有り得ないから」

 ケインと同行してきた騎士達の手前、里帰り中の妻とそれを心配して迎えに来た夫と言う小芝居を演じてみたアルティナだったが、内心でケインの乗りの良さに呆れた。


(ウザい……。真顔でそういう台詞、垂れ流さないで貰えるかしら?)

 傍目には手を取り合って見つめ合い、場違いな良い雰囲気を醸し出している二人に向かって、ここで小隊長のジールが困った表情を見せながら、控え目に声をかけてきた。


「あの……、副隊長。お取り込み中のところ申し訳ありませんが、取り敢えず庭からは炎が見えなくなったとの事です。そろそろ鎮火できそうなので、我々は撤収いたしませんか?」

 それを受けて、ケインが瞬時に真顔に戻って頷く。


「そうだな。ではアルティナ、君の報告でこの屋敷の管理体制に甚だしい問題があるのが判明したし、このまま屋敷に帰るぞ」

「ええ。こんな焼死しかけた怖い所に、これ以上居たくありません」

「なっ! それは!」

「お待ち下さい!」

 執事達は揃って顔色を変えたが、それをケインが一睨みする。


「貴様ら、何か文句があるのか?」

「…………」

 その殺気すら漂う形相に、執事ごときが抵抗などできる筈もなく、大人しくケイン達一行を玄関の外まで見送りに出た。そしてまず自分の馬にアルティナを横乗りで乗せたケインは、更に自分もその後ろに乗ってから、眼下の執事達に厳しい口調で言いつけた。


「それではグリーバス公爵と、執事長に伝言を頼む。本日、この屋敷で発生した火災は幸い延焼は防げたようだが、火元が書庫である為、そこに保管されている筈の、三代前の当主が下賜された初代国王の戦略記の所在を至急確認されたし。火災の原因も併せて、それを早急に王宮に報告するように。以上だ。それでは全員撤収!」

「はい!」

 ケインの号令と共に、二列になって走り出した一行は、脇目も振らずに屋敷の正門を出て街路を進んだ。そしてすぐにケインが、並んで走っているジールに声をかける。


「ジール。すまないが寄り道をして、アルティナを屋敷に送り届けてから王宮に帰還する」

 それを聞いた彼は、ケインの腕の中にいるアルティナをチラッと見てから、笑顔で頷いた。

「了解しました。私達はこのまま巡回を続けて、王宮に戻ります」

「頼む。今回の報告書は王宮に戻ってから、私が書いて提出する」

「そうして頂けると、私も助かります。それでは失礼します」

 そして曲がり角で小隊と別れてから、ケインは早速アルティナに尋ねてみた。


「アルティナ。執事長は本当はどうして、あの場に顔を見せなかったんだ?」

「地下牢での滞在なんて貴重な経験をさせてくれたお礼に、階段から蹴り落としてあげたのよ。でも短い階段で、すぐ踊場で止まったし、暫く動けなくても命に別状は無い筈よ」

「そうだったか。やはり、アルティンと行動パターンが似ているな」

「そうかしら?」

 かなり物騒な事を聞かされたにも関わらず、ケインは笑って応じ、アルティナも苦笑いしてそのままシャトナー伯爵邸へと向かった。


「お帰りなさいませ、ケイン様、アルティナ様」

 遅くに帰宅するのが分かっていた為、開けてあった門をそのまま通り玄関に到達すると、中から鍵を開けて執事のガウスが二人を恭しく出迎えた。


「ガウス、遅くまでご苦労。アルティナを頼む。私はこれからすぐに王宮に戻って、グリーバス公爵家の不手際と怠慢ぶりを書き連ねた報告書を作成して、朝一番で提出しないといけないからな」

 そんなやる気満々な事を宣言して、再び馬に飛び乗ったケインを見て、ガウスがおかしそうに目を細めた。


「それは勤勉な事でございますね。旦那様も奥様もアルティナ様のお帰りを起きてお待ちですので、お任せ下さい」

「そうか」

 そしてケインは、彼からアルティナに視線を移して言い聞かせた。


「アルティナ。日付が変わったから、今日まで休暇だ。一日ゆっくり休んでいるんだぞ?」

「そうさせて貰うわ。気を付けてね」

「ああ」

 そしてケインを見送ってからガウスに促されて屋敷内に入ると、物音を聞いてホールまで出て来たらしいシャトナー家の者達に、安堵の表情で迎え入れられた。


「アルティナ! 大丈夫だった? 怪我はない? ちゃんと食べていたかしら? ああ、なんだかちょっとやつれた感じがするわ!」

「お義母様、大丈夫ですから、落ち着いて下さい」

 盛大に気遣う声を上げたフェレミアを宥めていると、その横から苦笑気味の声がかかる。


「帰るなり、騒がしくてすまないね。無事のようで何よりだ」

「お義父様にもご心配おかけして、申し訳ありません」

 当主自ら夜遅くまで待っているなんてと、アルティナが恐縮していると、クリフがすこぶる現実的な提案をしてきた。


「少し何か食べますか? 母が料理長に頼んでおいたので、スープだったらすぐ出せますよ?」

 それを聞いたアルティナは、最低限の食料は持参していたものの、確かに空腹を覚えていた為、その好意に甘える事にした。


「それでは、お願いしても宜しいでしょうか」

「勿論。食べたらすぐ休みたいでしょうから、部屋に持って行きますから」

「ありがとうございます」

 どうやらそんな風に話は纏まっていたらしく、アルティナは二重三重の気遣いに頭を下げ、与えられている部屋へと向かった。そして部屋に入ってすぐに、クリフがスープ皿を持って来たため、再度礼を述べて早速食べ始める。

 自分で思っていた以上に空腹だったらしく、アルティナは忽ち食べ終え、手早くドレスを脱いで下着だけになり、ベッドに潜り込んだ。


「はぁ……、さすがに疲れた」

 そして眠気が押し寄せる中、先程の様子を思い返す。

「でも、皆に心配かけちゃったわね」

 グリーバス公爵家にいた頃は、近衛騎士団所属のアルティンとしては、そうそう心配などされた事もなく、そもそもタイラスに引き渡すまでの繋ぎと見られていたせいで、細やかな気遣いなどとは無縁の生活をしていた為、シャトナー家の面々から受ける率直な親愛の感情は、彼女にとっては少々戸惑う代物だった。しかしそれを心地良く感じながら、アルティナはあっさり意識を手放したのだった。


「アルティナの様子はどうだった?」

 女性の寝室に入るわけにはいかず、廊下で待つ事にして、フェレミアに室内の様子を見に行かせたアルデスが尋ねると、空のスープ皿を回収して廊下に出てきた彼女は、苦笑気味に夫に報告した。


「やはり相当疲れていたみたいで、食べたら着替えないで、そのまま寝てしまっていました」

「そうか。それはそうだろうな」

「一応『アルティン殿』と小声で呼びかけてみましたが、反応がありませんでしたし。さすがに疲れている妹を起こしたくないと、アルティン殿も思っているのでしょうね」

 それを聞いたクリフは、笑いながら両親に提案する。


「確かにそうでしょうね。それじゃあ詳しい話は彼女が目が覚めた後と言う事で、私達も休みましょうか」

「ああ、そうだな」

「今夜はぐっすり眠れそうだわ」

 そして一応の解決を見た事で、シャトナー家の面々は安堵しながら各自の寝室へと向かった。

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