(13)一撃
「全く! どうして書庫などで火災が起こるんだ。有り得ないだろうが!」
使用人達が走り回る廊下を歩きながら、執事長が悪態を吐きつつ書斎に入り、服のポケットから取り出した鍵を戸棚の引き出しの鍵穴に差し込んだところで、ふと自問自答した。
(まさか、この火事はアルティナ様の仕業なのか? いや、そんな筈は……)
しかし悩んだのはほんの僅かな間で、手応えと共に開錠した彼は、引き出しの中から一本の鍵を取り出し、すぐに書斎を出て行った。
「おい。お前!」
「……は、はい?」
「本当にここから、一歩も動いていないだろうな?」
いきなり現れた執事長に、寝ずの番を言いつけられていたにも関わらず、椅子に座ったまま舟をこいでいた男は、瞬時に眠気も覚めて慌てて立ち上がりながら弁解した。
「勿論です! 誰も地下に通してもいませんし。ところで、何やら屋敷の中が騒がしいですが、何かありましたか?」
「火事だ」
「はぁ!? どうして誰も知らせに来ないんですか? ここは大丈夫なんですか?」
途端に狼狽し、慌てて周囲を見回しながら尋ねてきた男に、執事長が苛立たしげに告げる。
「狼狽えるな! ちょっと書庫から火が出て、それが敷地の外に見えている程度だ。すぐに鎮火する。そこをどけ! 邪魔だ!」
「はっ、はい!」
地下牢に繋がる扉を塞ぐ位置で喚いていた男を横に押しやり、その鍵穴に鍵を差し込んだ執事長は、それを回した時の手応えに、再度一人考え込んだ。
(やはり、しっかり施錠されている……。アルティナ様がここから抜け出して、放火するのは無理か)
そして扉を開け、室内に合ったランプを手にしてから、慎重にその奥にある階段を下り始めた彼は、新たに生じた疑問について考えを巡らせた。
(この騒ぎがアルティナ様が手を下したわけではないとなると、彼女と内通している使用人が存在している事になるが、最近この屋敷内の使用人を大量に入れ替えたばかりだと言うのに、誰だと言うんだ? それともこの火事は本当に何らかの事故で、アルティナ様とは全くの無関係なのか?)
しかし考えても分からないまま床に到達した彼は、もやもやした物を心の中で抱えながら、鉄格子に歩み寄った。そして牢内が良く見える様に持って来たランプをかざしながら、中に居る人間に声をかける。
「アルティナ様」
すると寝台に横たわっていたアルティナが、気だるげに鉄格子の方に顔を向けながら生返事をした。
「……はぁ? 何?」
「ここから出て下さい」
「嫌よ。眠いし。じゃあお休み」
「さっさと出て下さい!」
「面倒」
要請と言う名の命令をあっさりと無視し、アルティナは二度寝の体勢になった為、それをみた執事長はこめかみに青筋を浮かべて怒鳴りながら、乱暴に扉の鍵を開けて牢内に足を踏み入れた。
「全く! 手間をかけさせるな! こっちは急いでるんだ!」
しかしそれ位で恐れ入る様な彼女では無く、まだ寝ながら嘲笑する口調で述べる。
「別に私は、急ぐ必要は無いんだけど? 対外的には休暇中のままでしょうし。それよりお父様の許可無しに、あなたの独断で私をここから出してしまって良いの? あなたにそんな権限は無いんじゃない?」
「屋敷内で火事が発生しているんです!」
「はぁ? それならなおの事、使用人に指示して消火しなきゃいけないのに、何をやってるのよ? こんな所にいて良いわけ?」
「五月蝿い、さっさと歩け!」
「はいはい、っと」
力づくでアルティナを寝台から引き起こし、牢から押し出した執事長だったが、彼女は階段の前でわざとらしく伸びをして、如何にもやる気の無さそうな声を出した。
「だけど暫く寝てばかりいたから、身体が重いわぁ~。階段を上がるのが難儀だから、後ろから背中を押してくれないかしら?」
「……っ! 分かりました。さっさと上がって下さい!」
「ありがとう。ああ、楽だわぁ~」
憤然としながらも、ここでごねられたら益々面倒な事態になる事は分かり切っていた為、執事長はアルティナの背中を押しながら階段を上がり始めた。そして階段を上がり始めてからすぐに、押し殺した声で彼女を恫喝する。
「ところでアルティナ様。ここでの事は、余所では口外なさらない様にお願いします」
それを聞いた彼女は、いかにもおかしそうに笑った。
「あらあら。それなら最初から、口外されたら拙い行為なんか、しなければ良んじゃない?」
そんな皮肉を無視して、彼は再度、要請と言う形の脅迫の言葉を口にした。
「良いですか? アルティナ様。あなた様が何を言おうと、通常であれば娘が父親の名誉を汚す様な事や、不名誉な事を言う筈がありません。単なる親不孝者の妄言か、妄想癖の持ち主だと周囲に思われて、シャトナー伯爵家にもご迷惑がかかります。私の申し上げた事はお分かりですね?」
そんな脅し文句を聞かされたアルティナは、盛大に笑い出したいのを何とか堪えながら、神妙な口調で変わらず背中を押している彼に答えた。
「まあ、確かにそうね。普通の親は娘を監禁して、脅迫したりはしないもの。だから私がこの地下牢で監禁されていたなんて言っても、まともに信じる人は殆どいないでしょうね。じゃあ今回の事は、無かった事にするわけね? 私は普通に、実家に里帰りして滞在していただけだという事で」
「ご理解頂けて何よりです」
何とか説得できたと執事長が安堵したその時、丁度出入り口の扉の所まで到達したアルティナが、素早く背後を振り返り、彼の膝を勢いよく蹴りつけた。
「こちらこそ、どうも、だわ!」
「なっ!? うわあぁぁっ!」
「執事長!?」
完全に不意を突かれた彼は、バランスを崩して背後に倒れ、結果として今上がってきたばかりの階段を、見事に転がり落ちた。しかし途中の踊り場で身体が止まり、少なくとも命に別状はない事を見て取ってから、アルティナが彼に向かって宣言する。
「安心しなさい。先程あなたが言ったように、こんなくだらない事を口外するつもりは無いわ。だからあなたも、監禁していた地下牢から私を連れ出そうとした時に、階段から突き落とされたなんて言えないわよね? これは無かった事になってるんだから。寄る年波で、あなたが勝手に階段から落ちた事にしなさい」
「……ぅ、あっ」
「執事長! 大丈夫ですか!?」
「それじゃあね。こんな所、頼まれたって二度と来ないわ」
「あ、おい! 何をする!」
階段を駆け下りた監視役の私兵が、慎重に執事長を抱え上げて怪我の具合を確認しようとしたが、ここでアルティナは無情にも扉を閉め、刺さったままだった鍵でそこを施錠した。
そして彼女は、扉越しに慌てて駆け上がってきた男の怒声を聞き流しながら、その鍵を鍵穴から抜き去って床に放置し、悠々とその場を後にして廊下を歩き出したが、玄関ホール付近になった途端、前方から聞き慣れた怒声が響いてきた。
「遅い!! お前達、一体いつまで待たせる気だ!? アルティナはどうした! それに鎮火の報告は!」
ケインのその迫真の演技っぷりに、アルティナは廊下の曲がり角に姿を隠して向こうの様子を伺いながら、小さく笑った。
(予定通りだわ。でもこの二日、門前払いを食らわされた筈だから、絶対その鬱憤晴らしをしているわね)
ケインの叱責を受けて、屋敷の使用人が右往左往しているのを見て、アルティナは少しだけ溜飲を下げた。
「ケイン!」
そしてこの茶番の最後の仕上げとばかりに、アルティナが一声叫んで玄関ホールに佇むケインに向かって走り出すと、それを見た彼が屋敷の者達を怒鳴りつけるのを中断し、慌てて彼女に駆け寄った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます