(12)火災発生

 副隊長の肩書を持っているとはいえ、近衛騎士団の一員として例外なくケインにも夜勤をこなす義務があり、その時には王都内の巡回に同行する事もある。その夜、さり気なくシフトを操作して、王都巡回の小隊に同道していたケインは、何かに気付いた様に、ある場所で馬を止めた。


「副隊長。どうかしましたか?」

 巡回責任者である小隊長のジールが、怪訝な顔になって馬を寄せながら尋ねると、ケインは周囲を見回しながら問い返した。


「何だか、焦げ臭くは無いか?」

 そう問われたジールも注意深く周りの様子を観察してみたが、特に焦げ臭さなど感じなかった為、困惑顔で言葉を返した。


「いえ、特にそう言った事は……」

「そうか? すまない。俺の気のせいだな」

 あっさりケインが引き下がり再び馬を進めさせた為、ジールは安堵して巡回を続けた。しかしその直後、広い街路の角を曲がった瞬間に、部下の一人が焦った声を出す。


「副隊長、小隊長! 向こうをご覧下さい! 煙が上がっています!」

「何だと? どこだ!」

「あちらです!」

 かなり奥に見えるどこかの屋敷の敷地内から、夜でもはっきりと認識できる程度の黒煙が立ち上っているのを認めたジールは、瞬時に顔つきを険しくした。しかしその横でケインが、どこかのんびりと感想を述べる。


「この時間だとどう考えても、厨房からのものでは無さそうだな」

「違います。煙突からの煙と異なり、燃えかすらしき物も多量に舞い上がっているみたいですし、色も通常より黒いです! 火事ではないかと推察します!」

「明るい月夜とは言え、そこまで見えるか。大したものだな。どう考えてもここからだと、間に屋敷を一つか二つ、挟んでいるぞ」

「副隊長、感心している場合ではありません!」

「そうだな」

 思わずジールが窘める口調で声をかけると、ケインも真顔になって部下達を見回しながら指示を出した。


「全員、現場に急行。火元を確認次第、王宮に連絡する」

「はい!」

 そして一斉に馬を走らせながら、騎士達が口々に言い合う。


「凄いじゃないか。幾つか屋敷を挟んでいる筈なのに、煙からそこまで分かるなんて」

「いや、俺より副隊長の方が凄いだろ」

「ああ。煙も見えないうちから『焦げ臭い』とか言っていたし」

「確かにそうだな。さすがに若くして、副隊長にまでなっただけの事はある」

 ケインに対する崇拝の念を騎士達が新たにしていうちに、一行は問題の屋敷に辿り着いた。そして正門とは反対側の柵越しに、敷地内の木立の間から、建物の二階の角部屋から激しく炎が吹き上がっているのを見て取った彼らは、揃って顔を顰める。


「これはまた、随分派手に燃えているな」

「あそこまで放置するとは、この屋敷の者は一体何をやっているんだ」

「棟内から、何やら声は聞こえるが……。ちゃんと消火活動をしているんだろうな?」

「ところでここは、どこの貴族の屋敷だ?」

「グリーバス公爵邸だ。ここに今、アルティナが里帰りしている」

 ぼそっとケインが告げた内容を聞いて、彼以外の者達は揃って顔色を変えた。


「え?」

「何ですって!?」

「副隊長の奥様が!?」

「本当ですか?」

「ここで黙って見ていても埒が明かん。正門に回り込んで状況確認だ。行くぞ!」

「はい!」

 険しい顔つきで命じてきたケインに、逆らう気など毛頭なかった部下達は、すぐさま一斉に馬を走らせてグリーバス公爵邸の敷地を回り込み、正門に到達した。そして真っ先に地面に降り立ったケインが、正門に取り付けてある呼び出し用の金具を勢い良く叩く。


「開門!! さっさとここを開けろ! 何をやっている、この愚図どもがっ!! さっさと開けないと、この門扉をぶち壊すぞ!!」

 闇夜を切り裂くような金属音と怒声が、少し離れているとはいえ屋敷内に聞こえない筈も無かったが、そちらからは誰も出て来ず、部下達はあまりの剣幕に慌ててケインに組み付いて門から引き剥がした。


「ふっ、副隊長?」

「あの、冷静にお願いします!」

「今、中から人が、出てくると思いますので!」

「奥様が心配なのは分かりますが!」

「ちっ! 使えない使用人どもが! この状況が、緊急事態だとも認識していないらしいな。それなら自力で通るまでだ!」

 そして部下達の腕を、苛立たし気に振り払ったケインは、真っ直ぐ自分の馬に戻った。それを見た騎士達が安堵したのも束の間、彼が鞍の横に括り付けてあった革袋の中から、小さい手斧を取り出して再び門に足を向けた為、揃って悲鳴じみた声を上げる。


「副隊長! 何をする気ですか!」

「どうして手斧なんか持って来てるんです!?」

「通常の巡回では、そんな物は使いませんよね?」

「最近、王都内も何かと物騒な話が転がっているしな。念の為に持って来ただけだ。まさかこれが役に立つとは、思わなかったがな」

「念の為って……」

「もう何も言うな。お前達は下がっていろ」

 皮肉気に笑いながら正門の前にケインが立つと、ジールが何やら達観した顔つきになって、危険回避の為に部下達を下がらせた。それを気配で察したケインが遠慮なく手斧を振りかざし、正面の錠前に向かって振り下ろす。


「はあぁぁ-っ!」

 その気合と物理的衝撃に錠前は呆気なく繋ぎ目が崩壊し、押さえる物が無くなった門を盛大に蹴り開けたケインは、手斧片手に素早く馬に飛び乗った。


「よし! 入るぞ!」

「……はい」

「仕方ないよな」

「ああ、責任は副隊長が取るだろうし」

 そして一直線に馬を駆けさせたケインに続いて、小隊全員が敷地内に侵入し、正面玄関前に降り立った所で勢い良く扉が開き、中から執事長が憤怒の形相で現れた。


「何事ですか!? 門扉を壊して押し入るなど無礼な! ここをグリーバス公爵邸と知っての狼藉ですか!?」

「当たり前だ! 今現在、妻が里帰りしている実家の事を、知らぬ人間がいると思うのか!」

 怒鳴りつけてきた相手が、日中すげなくあしらって追い返したケインだと分かった彼は、落ち着きを取り戻しながら嫌味っぽく言い返した。


「これはこれはシャトナー様。この様な時間帯に部下を連れて他家の屋敷に押し入るとは、傍若無人にも程があります。シャトナー伯爵家ではいざ知らず、ここはグリーバス公爵邸の敷地内。グリーバス公爵家の家法に照らし合わせますと、あなた様を拘束の上、賠償を要求させて頂くレベルの暴挙ですが?」

 しかし、彼の余裕もここまでだった。


「貴様、いつまで寝とぼけている。確かに各家の領地と王都内に与えられた屋敷内では、国法よりその家の家法が優先するが、例外的に国法が優先される規定があるのを忘れたか?」

「それは……」

 それに思い当たった執事長は瞬時に顔色を変えたが、そんな彼に向かってケインが、険しい表情のまま畳みかけた。 


「忘れているなら教えてやるが、火災と疫病の発生時だ。両方とも放置すれば、周囲に甚大な被害を及ぼしかねないからな。故に、火災と疫病が発生した家は直ちに、その旨を王宮に届け出る義務がある」

「それは重々承知して」

「然るに! 敷地外からも炎がはっきりと認識できるレベルの火災を、放置しているとは何事か!?」

「いえ決して、放置してはおりません!」

 必死になって弁解しようとした彼だったが、ケインは破壊した門扉を指さしつつ、これまで以上の鋭さで詰問した。


「それなら何故門扉を閉ざしたまま、王宮に連絡しない! 怠慢にも程があるぞ! 近衛騎士団黒騎士隊は、王都内の安全を保持する責務がある。それ故敷地内の状況を確認しようと、やむを得ず門扉を破壊して入ったと言うのに、それを暴挙と言うのか貴様は!」

「それは……」

「話にならん! グリーバス公爵に真意を質す! 即刻、お出で頂こう!」

 正論を振りかざされた執事長は、ここで下手に出る事にした。


「それが……、誠に申し訳ございませんが、公爵ご夫妻は只今他家の夜会にお出かけ中でございまして……」

「それでは、夫妻と養子縁組みされたタイラス殿に、ご説明をして頂こう」

「タイラス様は近衛騎士団の任務で、国境巡視に出向いております」

 お前らのせいだろうがと、些かムッとしながら執事長が言い返すと、ケインはさらりと本題を口にした。 


「それでは、この屋敷に滞在中の我が妻アルティナが、今現在この屋敷では最高位の人間だな。早くアルティナを、こちらに連れて来る様に。状況確認と報告は、使用人風情ではできない事位、理解しているな?」

「はい……、は、はい!?」

 落ち着き払って当然の如く要求された為、彼はうっかり頷きそうになってから慌てて打ち消した。


「い、いいえ、それはできません!」

「何故だ。グリーバス公爵家は、この失態を王家に対して弁明する義務がある筈。そして、この屋敷でそれができる資格があるのは、アルティナのみだと思うが違うのか?」

「それは、確かにそうかもしれませんが、アルティナ様はお休み中でして」

 必死になって執事長は弁解したが、ケインはそれを鼻で笑った。


「お休み中? この騒ぎの中熟睡していると、ふざけた事を言うのか貴様は!? 分かった。この屋敷にはこの事態を収拾できる人材がいないらしい。全員、屋敷内に突入! 速やかに火元を確認の上、消火活動を指揮しろ! 怪我人がいればその搬送もだ!」

「はい!」

「了解しました。直ちに」

「おい、馬は馬車寄せの柱か、付近の木に繋げ!」

 話にならないとばかりに執事長に背を向け、背後にいた部下達に鋭い声でケインが指示を飛ばすと、その指示を妥当なものと受け取った彼らは、延焼を防ぐ為に一斉に動き出した。しかし主人の留守中に勝手に入り込まれた上に、れっきとした伯爵家令息夫人を監禁などしていた事が明るみに出たら、自分がクビになるだけでは済まないと分かり切っていた執事長が、奥に進もうとする騎士達の腕を掴み、必死の形相で押し止める。


「お待ち下さい! 公爵がお留守の時に、勝手に立ち入られては困ります!」

「それなら直ちにアルティナをここまで連れて来ると同時に、火元をさっさと鎮火させろ! 使用人の分際で、近衛騎士団の職務を妨害するなど、貴様はよほど捕縛されたいらしいな!」

 そんなケインの最後通牒を聞いた執事長は小さく歯ぎしりしてから、真っ青な顔で側に控えていた執事の一人に、大声で言い付けた。


「おい! 大至急、アルティナ様をここに連れて来い!!」

 しかしその彼は狼狽しながら執事長に走り寄り、周囲の騎士達の目を気にしながら、その耳元で囁く。


「ですが、あの地下牢に続く扉の鍵は執事長が保管されていますから、その場所を私どもは存じません」

「ちっ」

 思わず舌打ちした執事に向かって、ケインが更に罵声を浴びせる。


「何をぐずぐずしている! 貴様、国王陛下直属の、近衛騎士団の職務を妨害する気か!? ひいては陛下への不忠に繋がるぞ!!」

「少々、お待ち下さい。すぐにお連れします」

 その恫喝に腹を立てながらも、執事長は軽く頭を下げてから、周りの者達に小声で言いつけた。


「おい。私が戻るまで、こいつらをここから一歩たりとも奥に入れるな。それからお前は、さっさと火元の書庫の鎮火を済ませろ」

「はい」

「分かりました」

 八つ当たりしながらの指示に、使用人達は内心の不満を打ち消しながら頷き、執事長は足音荒くその場を離れた。それを険しい表情で見送ったケインの所に、ジールが近寄って指示を求める。


「副隊長、いかが致しましょうか?」

「取り敢えず屋敷内は、この者達に任せるとして、お前達は建物を回り込んで、庭から炎上している箇所を確認しろ。これ以上手間取るようなら、近隣の屋敷に応援を頼む必要がある。それから報告の為に、王宮に一人走らせろ」

「了解しました」

 頷いてからすかさず部下達を指示するジールを見ながら、ケインは(どうやら上手くいきそうだ。例外規定を持ち出してくれたクリフに、後で改めて礼をしないとな)と、相変わらず険しい表情を保ちながらも、密かに安堵していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る