(11)騒動の序章

 アルティナが、地下牢に監禁された二日後。日中身体が空いていたケインは予定通りグリーバス公爵邸を訪問し、執事長と押し問答をしていた。


「何度も同じ事を言わせるな。夫である私が、アルティナを迎えに来たと言っているんだ」

 玄関ホールでケインが苛立ちを露わに言い放ったが、対する老獪な執事長は、慇懃無礼を絵に描いた様な対応をしてみせる。


「昨日もお使者の方にお伝えしましたが、生憎とアルティナ様は『当面ここに滞在したい』と申されております。『暫くは婚家の方のお顔を見たくない』とも、仰っておられますので」

「そんな訳があるか。いい加減な事を言っていないで、さっさとここに彼女を連れて来い!」

「ですから先程から、その様な事はいたしかねると申しております」

 平然と要求を突っぱねる相手に向かって、ここでケインが物騒な気配を漂わせ始めた。


「ほう? そこまで言うのなら、ここを力ずくで通らせて貰っても良いのだが?」

 しびれを切らせた様にケインが軽く凄んで見せたが、執事長としてそれなりに経験を積んできた彼は、余裕の笑みすら浮かべながら平然と言い返した。


「そんな野蛮な事をなさりたければ、お好きにして下さって結構ですが」

「何だと?」

「ですが一言ご忠告申し上げれば、各貴族に与えられた領地内では、国の法に背かない限り、各家の法が優先します。王都内に与えられた屋敷の敷地内も然り。よもやそれをお忘れではありませんでしょうな?」

「貴様……」

 こちらの敷地内で騒ぎを起こしたら、こちらの基準で罰してやるぞと、暗に脅しをかけてきた執事長に、ケインは予想範囲内の展開ではあったが、わざと悔しげな表情をしてみせた。それを見て溜飲を下げたらしい彼が、含み笑いで話を続ける。


「私は主の指示通り、対応しているまでの事。他家の屋敷で乱闘騒ぎを起こしたなどと風聞が立ったら、シャトナー伯爵家の名前に傷が付きそうですな。アルティナ様はそういう乱暴な家風がお気に召さなくて、お帰りになりたく無いのでは?」

「……また来る」

 そして憮然とした顔でケインが帰って行くのを、馬鹿にした顔付きで見送った執事長は、屋敷の奥へ向かった。


「随分騒々しかったが、ちゃんと追い払ったか?」

 居留守を使っていたローバンに問われて、彼が皮肉げな笑みを浮かべながら端的に答える。


「はい。如何にも悔しそうに、お帰りになられました」

「はっ! 伯爵家風情が、いい気味だ。暫く追い返しておけ。アルティナもあそこに放り込んでおけば、数日のうちに心を入れ替えるだろうからな」

「畏まりました」

 そんなやり取りをして、ソファーでふんぞり返っているローバンが高笑いしている頃、騎乗して屋敷へ向かっていたケインは、低い声で独りごちた。


「俺を体よく追い払ってさぞかし気分が良いだろうが、それも今のうちだけだ。精々馬鹿笑いしていろ。……今夜は、手加減無用でやらせて貰う」

 この場に部下が居たら、震え上がったであろう程の冷気と殺気を醸し出しながらケインが帰宅すると、その状況をすぐに悟ったらしいアルデスが、色々諦めた様な表情で声をかけた。


「どうだったと、聞くまでもないな」

「予定通りです」

「ああ。お前がこの時点で大暴れして来なかった事を、私は神に感謝すべきだろう」

 しみじみとした口調で感想を述べた父から、壁際に控えていた執事長に視線を移したケインは、少々申し訳無さそうに依頼した。


「悪いが、かなり遅い時間になる可能性もあるが、今夜はすぐに門や玄関を開けられる体制にしておいてくれ」

「ご安心下さい。きちんと人を配置しておきます」

「頼む。それでは俺は着替えて、早めに王宮に出向きます。夜勤に入る前に、デニスと最終確認をしておきたいので」

「分かった」

 そして再びアルデスに向き直って断りを入れてから、ケインは慌ただしく自室へと向かった。そしてケインが帰宅したとメイドから聞いたフェリシアが遅れてやって来たが、ケインもアルティナの姿も無い事に、落胆した表情を見せる。


「あなた……。やはり駄目でしたのね?」

 その心配そうな声音に、アルデスは苦笑しながら返した。

「やはり、そう上手くはいかなかったな。今夜は夜更かしをして、ケイン達の首尾を確認してから休むとしよう。お前も気になって眠れないだろう?」

「そうですわね。それと夜食や明日の朝食は、アルティナの分は消化の良い物を準備しておくように、料理長に言っておきますわ」

「そうだな。そうしてくれ」

 そしてシャトナー伯爵夫妻がアルティナの無事を祈る中、いつも通りに日が暮れて夜になった。



 常に薄暗い地下牢に滞在していても、勘で昼夜の区別を付けていたアルティナは、寝台に座ったまま無言でその時を待っていた。

 気が弱い者なら長時間滞在するだけで、精神に異常をきたしかねない薄暗闇と静寂の中、泰然として壁の一点を眺めていた彼女は、その付近から小さな音が聞こえてくると同時に、不敵な笑みを浮かべつつ立ち上がった。


「デニス。ちゃんと起きているわ。もう夜なの?」

 音が生じた場所に歩み寄って囁くと、同様に控え目の声が返ってくる。


「ええ、そろそろ実行に移す予定ですが、アルティナ様は本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫も何も……、今回私がしないといけない事は、何も無いでしょう?」

「狼狽した馬鹿共が思い付いた短絡思考そのままに、アルティナ様をざっくり切り捨てて、急死したとかほざく可能性も捨て切れませんので」

 ろくでもない危険性を指摘されたアルティナは、(そこまで馬鹿かしら?)とは思いながらも、これまでのあれこれで庇う気などは起きず、深い溜め息を吐いた。


「後先考えずに、あっさり私を投獄しちゃう位の、底抜けの馬鹿共だものねぇ……。分かった。気を付けるわ」

「宜しくお願いします」

 一応アルティナに注意を促してからその場を離れたデニスは、当初の予定通り通路を進み、更に人が一人通るのがやっとの階段を上って、目的の場所に到達した。


「さてと……」

 注意深く狭い踊場で壁の取っ手を手前に引いてから横にスライドさせると、それは音もなく開いた。僅かに開けたその隙間から、向こうの様子を窺って人気が無いのを確認したデニスが、更に大きく開けた隙間から身体を滑り込ませ、静かに足を踏み入れる。そして彼が手を離すと同時に、その壁の部分はゆっくりと音を立てずに滑り、元通りの壁になった。それを気配で確認しながら、デニスはずらりとハンガーにかけてあるドレスをかき分けて、その衣装部屋の中央に出た。


「本当に、今夜は夫婦揃って夜会に出席しているらしいな。しかし自分の寝室のすぐ隣に、外へ繋がっている通路があると知ったら、あの間抜け親父、どういう顔をするんだか」

 衣装部屋から夫婦共用の寝室に慎重に足を踏み入れたデニスは、思わず失笑した。


(しかし本当に助かったぞ。使用人にうろうろされていたら堪らん)

 主夫妻が外出しているのは屋敷中の使用人が分かっていた為、敢えて夜に主人達のプライベートエリアに足を踏み入れる者はおらず、デニスは簡単に廊下へと抜け出た。

 さすがに他のエリアでは何人かの使用人と遭遇しかけながらも、屋敷内の構造を熟知しているデニスは、その都度身を隠しながら、大して時間をかけずに、首尾良く目的地の書庫に辿り着く。


「さて、第一段階はこれで達成だな」

 満足げに呟きながらデニスは書庫の扉の鍵を内側から施錠し、室内を見回してから、すぐさま次の行動に移った。


「さて少々手間だが、最初から派手な物音を立てるわけにはいかないからな」

 愚痴を零しながらも、デニスは音を立てずに扉に一番近い本棚から次々と本を抜き出し、扉の前に運んで積み上げた。本棚一つ分を終えると、更に隣接している本棚二つに並べてある本も取り出し、扉の下半分が完全に埋まる。


「これで鍵を壊しても、外からは容易に開れられないだろうが、念の為におまけを付けておくか」

 仮に鍵を開けたとしても、並べられた本の重みで簡単に廊下側から押し開けられない状態にしたデニスは、念には念を入れて空になった本棚を静かに引きずって扉の前まで移動させ、静かに本の山の前に重ねた。それから他に空いた本棚を、斜めの屋根に付いている明かり取りの窓の下に、静かに引きずって移動させる。そこまで準備を整えてから、彼は懐から何かの液体が入った瓶を取り出した。


「本を焼くのは少々気が引けるが、稀少本やこの屋敷の見取り図等必要な物は、全部アルティナ様が結婚前に既に持ち出しているしな。と言うか、そんな重要な物が持ち出されても気が付かないって、この屋敷の管理体制は本当にどうなっているんだ?」

 最後は呆れ気味の口調で呟いたデニスは、積み重なった本の山目掛けて、瓶の中の液体を振り撒いた。その揮発臭が漂う中、デニスが続けて点火用の発火用具を取り出す。


「頼むから派手に燃えてくれよ?」

 そして首尾良く本の山に火を点け、それが燃え上がるのを確認したデニスは、慎重に空の本棚によじ登り、その頂上に座り込んで天窓に手をかけ、鍵を外してそれを開けた。そして窓の縁に手をかけて、上半身を屋根の上に出した彼は、足場にしていた本棚を蹴りつけながら、屋根の上に飛び上がる。

 当然、その本棚は派手な音を立てて床に倒れ、デニスは窓を開けたまま注意深く下の様子を観察していたが、本の山と室内が徐々に燃え広がるばかりで、特に目新しい変化は見られなかった。


「おいおい、あれだけ大きな音を立てたのに、まだ気が付かないんじゃ無いだろうな? 本格的に屋敷内が燃え広がったりしたら、こちらとしても拙いんだが」

 思わずデニスが舌打ちした所で、廊下の方から複数の男女が狼狽している声が、漸く聞こえてきた。


「おい! あそこの扉から煙が出てるぞ!」

「火事だわ! どうしましょう!?」

「早く火を消せ!! 水を持って来い!」

「全員、起きろ!」

 それを確認したデニスは、満足げに天窓を閉めて独りごちる。


「遅いぞ。まあ、こちらにしてみれば、十分時間稼ぎができたがな。じゃあ屋敷内で騒いでいるうちに、こっちはさっさと抜けさせて貰うか」

 そして慎重に屋根の上で移動を開始したデニスは、屋敷内の喧騒をよそに、持参したロープで悠々と地面まで降り立ち、それを回収した上で人目に付かない様に注意深く庭を横切った。そして以前アルティナが外出から帰る時に使用した、柵に切れ目が付けてある場所に到達した彼は、それを利用して楽々と敷地外へと抜け出た。

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