(10)閉ざされた空間

「おい! 起きろ!」

「……はぁ? 何よ、五月蠅いわね」

 いきなり耳障りな怒声を浴びせられ、アルティナは半覚醒状態で、ただ分厚い板が支柱に打ち付けてある寝台から身体を起こした。そして口元に手をやって「ふわぁあ」と呑気に欠伸をしていると、先程とは違う男の、苦々しい声が聞こえる。


「呆れたものだ。随分神経が図太いと見えるな。こんな所で寝られるとは」

 その声に思わず視線を向けたアルティナは、鉄格子の向こうで偉そうに立っている父親に向かって、わざとらしい笑顔を振り撒いた。


「あら、お父様。ごきげんよう。ですがこれ位できなければ、武門の誉れ高いグリーバス公爵家の一員とは言えないのでは? 私は“お兄様”とは違い、行軍などした事はありませんが、お父様は近衛騎士団に在籍していらっしゃいましたし、野営など何度も訓練や実戦でご経験済みの筈ですし」

「…………」

 連れている私兵が見慣れない人物だった為、アルティナは自分の事情を知らないだろうと見当を付け、嫌みをぶつけてみると、相手は反論せずに押し黙った。


(この男なら行軍中だろうが何だろうが、地面に直に寝るなんて真似はしないで、従者に分厚いかさばるマットレスを運ばせて、毎晩グースカ寝ていそうだけど。この反応だと図星かしら?)

 半ば白けながら相手の反応を待っていると、ローバンは苦々しい顔付きで話題を変えてきた。


「お前が帰らないのを不審に思ったシャトナー伯爵家から、使者が来たぞ。適当な理由を付けて、即刻叩き出したがな」

「あら、こちらに入る前に、お父様の方でこちらに滞在する旨を連絡したと、言っておられませんでした? まだ半日も経っていない夕食前の時間だと思うのに、ケインは随分せっかちなのね」

 飄々とした口調でそんな事を言ってのけたアルティナに、ローバンは僅かに顔を顰めた。


「お前がここに入ってから、丸一日以上経過している」

「あら、そうなんですか? 日の光が入らないし、誰もこないので熟睡していましたから、時間感覚が無くなっていました。動いていないからか、全然お腹も空いていませんし」

「どこまで図太いのやら……。ところでアルティナ。少しは考えを改める気になったか?」

「何に対する考えを、どう改める必要があるのでしょうか?」

 柵越しに含み笑いで返されたローバンは、憤怒の形相で捨て台詞を吐いた。


「もう良い! 全く図々しいにも程がある! 暫くそのまま大人しくしていろ! 考えを改めるまで、何も食べさせんからな」

「それは困りましたね。ケインに『これ以上痩せないように、しっかり食べろ』と言われているのですが」

 そんな彼女の台詞を無視して、階段を上がって行ったローバンは、出入り口のドアの所で見張り番らしい男に向かって喚き散らした。


「いいか! しっかり見張っていろ! 決して逃がすなよ!!」

「はっ、はいっ!」

 そんなやり取りが上から聞こえてきた為、アルティナは元通りの暗闇の中で、一人肩を竦めた。

「やれやれ。八つ当たりしたって、どうにもならないのに……」

 そして再び寝台とは名ばかりの板の上に座って、これからの事を考える。


「さて、動かないから大して必要としないまでも、持ってきた水と食料はあと一日分ほど。今日中に連絡が無ければ、食べる量を少なくしないといけない所だけど……」

 食料の事も含め、色々と考え込んでいると、前回同様至近距離から、ごく微かな音が伝わってきた。


「デニス?」

 彼女が音がした付近の壁に身体を寄せ、一応確認を入れると、デニスも安堵したように話し始める。


「はい……。大丈夫でしたか?」

「勿論。少し前にちょっとした恫喝めいた事を言われた位で、寝てばかりで身体が鈍るわ。そっちは?」

「順調ですよ。騎士団の方も、目立った動きはありません」

「それなら良かったわ。私が居ない間に、また白騎士隊に息のかかった人間を送り込んだりとか、私の救出にケイン達が動いている隙に、王宮で何か仕掛けたりとかを心配していたけど」

 それを聞いたデニスは、幾分当惑した口調で言葉を返してきた。


「ああ……、言われてみれば、その可能性もありましたね……。全然、考えていませんでした」

「そうなの?」

「ええ」

 どうやら本当らしいデニスの話を聞いて、アルティナは少し意外に思った。


(珍しいわね。普段は万事、気が回るデニスにしては、抜けていると言うか何と言うか)

 しかし次の彼の台詞によって、その理由が判明した。


「アルティナ様ならともかく、あの公爵が並行して幾つもの事を企めるとは思えません。屋敷に参謀役も存在しませんし、パーデリ公爵達と手を結んだと言っても、欲の皮が突っ張った者同士、進んで連携を取るとは思えませんでしたから。単にアルティナ様への嫌がらせの為に、公爵単独で暴走しただけだと判断しました。一応連中を調べみても、特に密に連絡を取り合っている動きは皆無でしたし」

 その辛辣極まる、情け容赦ないデニスの評価に、アルティナは思わず溜め息を吐いた。


「言われてみればそうね……。情けない事に、私はまだまだ自分の親を、過大評価していたみたいだわ」

「自分の親の小者っぷりと、残念度が更に上昇した事については同情しますが、最後まで気を抜かないで下さいよ? 明日の夜、予定通り決行です。打ち合わせ通りにお願いします」

 冷静に決定事項を告げてきたデニスに、アルティナも瞬時に気持ちと表情を引き締めた。


「分かったわ。一番危険で面倒な事を引き受けるのはデニスなんだから、充分注意しなさい」

「はい、十分気を付けます。それでは失礼します」

 そして壁の向こうの気配が無くなったのを確認したアルティナは、再び惰眠を貪るべく、無言のままごろりと板の上に寝転がった。

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