(8)地下牢での滞在
胡散臭さ過ぎる実家からの招きに、アルティナは休暇当日、寮から一度シャトナー伯爵邸に戻って、きちんと貴族女性の普段着に着替えてからグリーバス公爵邸に出向いた。そして彼女は歓待される筈も無いと考えていたが、予想以上の不機嫌さで両親に出迎えられた。
「やあ、良く来たな、アルティナ。……などと言うでもと思ったか」
応接室に通されて、ソファーに落ち着いた直後にぶつけられた皮肉に、彼女はすました顔で言い返した。
「夢にも思ってはおりませんでしたが、一応ご挨拶します。お父様お母様、ご無沙汰しております。ところで最近できたばかりの義弟にも、挨拶したいのですが。タイラスはどちらに居るのですか?」
アルティナがわざとらしく周囲を見渡してみると、途端にギネビアが怒りの形相で怒鳴りつけてくる。
「誰のせいで、あの子が国境付近をたらい回しになっていると思っているの!?」
「間違い無く、彼のせいでしょうね。近衛騎士団はその任務に相応しい人間を確保育成するのを、指針としておりますので」
「なんて白々しい!」
喚き立てるギネビアを完全に無視し、アルティナは目の前に出されたカップに口を付けた。そして少量を口に含んで中身を確認し、密かに物騒な事を考える。
(最初から毒を盛る気は無いようね。それ位できるなら、いっそ誉めてあげようかと思ったけど)
自分の中で、あなた達の評価が更に残念な物になったなどと余計な事は口にせず、彼女は素知らぬ顔で問いかけた。
「ところで、わざわざ私を呼びつけた理由を、お伺いしたいのですが。耄碌して本当に私の顔を見たくなったのかと一応出向いてみましたが、見た感じそう言った事は無さそうですので」
「お黙りなさい!!」
益々激高したギネビアを、ローバンが苦々しい顔で窘めて黙らせてから、娘を睨み付けた。
「アルティナ。貴様、勝手に白騎士隊に入隊したばかりか、色々と私達の邪魔をしている様だな」
その指摘に、アルティナはわざとらしく首を傾げてみせる。
「邪魔? どの様な行為をもって『何』の『邪魔をしている』と仰っているのか、皆目見当がつきませんが」
「パーデリ公爵が推薦した者を、お前が再起不能にした件だ」
「ああ、あの事ですか。ですが再起不能とは大袈裟な……。偶々繰り出した拳が当たって、鼻血を出して倒れただけですのに」
くすくすと笑ってアルティナが返すと、ローバンは益々眉間の皺を深くした。
「あの一件の後、傭兵の間で噂が広まったそうだ。『メイス使いのディルは、深窓の姫君に叩きのめされた、とんだナマクラだ』とな。それで依頼する人間も激減し、その女傭兵は半ば廃業状態。パーデリ公爵の求めに応じる女傭兵も皆無らしい」
「まあ……、それはお気の毒に。やはり仕事は選ばないといけませんわね。ですがお父様がパーデリ公爵と懇意だとは、今の今まで知りませんでした。あれほど悪態を吐いていらっしゃったのに、どういう風の吹き回しですか?」
少し意外そうに目を見張ったアルティナに、ローバンは探るような目を向けた。
「……お前は知らないと?」
「知りませんからお伺いしていますが。何か問題でも?」
些か心外そうにアルティナが問い返すと、下手に突っ込まれては面倒だと判断したのか、ローバンがあっさり話題を変えた。
「ところで、お前はどうして白騎士隊などに入った」
それにアルティナは、一見素直に応じる。
「どうしてと言われましても……。白騎士隊が慢性的に人手不足なので、『故アルティン隊長の妹君なら問題ないと思いますから、就任しては頂けないか』とロミュラー隊長から相談を受けたケインが、お義父様と相談した上で応じたからですが」
「何を勝手な事を!」
苛立たしげにローバンが吐き捨てたが、アルティナは平然と正論を述べた。
「結婚した事により、私は既にシャトナー伯爵家の一員です。故に、就任依頼をお引き受けする事に関して、一々実家の了承を得なければいけない理由などございません」
「お前は私の娘だぞ!」
「そのようですね。非常に残念な事ながら」
「それなら私の指示に従うべきでは無いのか?」
「尊敬に値する人格と、従うに値する能力をお持ちなら、いつでもそう致します」
傍目には神妙に頷いたものの、裏を返せば「あんたがそんな物を持っていないのが悪い」と言っているのが明らかであり、ローバンは怒気を露わにしながら悪態を吐いた。
「はっ! お前には大局と大義と言う物が、全く分かっておらんな!」
「『大局と大儀』と仰いましたか? お父様には似合わない言葉な上、何の事を仰っておられるやら皆目見当がつきませんが」
「王太子妃の事だ。あの女がその座に居座る限り、この国に明るい展望など有り得ない!」
「敬称をお忘れですよ? それに仮に妃殿下を排しても、我が家にはもう未婚の女性はいないではありませんか。タイラスの時と同様、今度は十代になるかならないかの姪を養女にして、王太子殿下に押し付ける気ですか?」
心底呆れ果てたと言った風情で指摘してきたアルティナを、急に真顔に戻ったローバンがしげしげと眺めた。
「未婚の娘だと?」
「ええ。それともまさか、既婚者の姉様達の誰かを離婚させて、王太子殿下にあてがう気ですか? それは殿下が嫌がるでしょう。無理やり押し付けても、良い事なんか一つもありませんよ」
少々馬鹿にした口調でアルティナが意見を述べると、それを聞いたローバンが鼻で笑った。
「やはりお前は考えが浅いな。アルティナ。今後は大人しく、私の指示に従え。そうしたら悪い様にはせん」
「そうですね……。お父様にもう少し分別と人望が身に付いたら、考えて差し上げないでもありませんわ」
「ふざけるな! やっぱりお前はとことん性根が悪いと見える! 暫く地下牢で考えを改めていろ!」
ローバンがそう怒鳴りつけると同時に、勢い良く応接室のドアが開き、足音荒く公爵家の私兵が十人ほど雪崩れ込んで来た。その半数程は既に剣を抜き放っており、彼らが素早く丸腰の自分を取り囲むのを冷静に眺めながら、アルティナはその顔に冷笑を浮かべる。
(あらあら、気配はあったけど、ここまで露骨に配置しているとはね)
予想通りの展開に、アルティナが微塵も感銘を受けずに目の前の両親を眺めていると、全く恐れずにふてぶてしい態度を取り続ける相手に痺れを切らしたのか、ローバンが苛立たしげに叫んだ。
「さっさと立て!」
「はいはい。全く、この屋敷全体で『おもてなし』って言葉の意味を、勉強し直して貰いたいわね」
わざとらしくゆっくり立ち上がり、促されるまま歩き出したアルティナだったが、廊下に出た所で一人の男がことさらに剣を見せびらかしながら、威嚇する様に言ってくる。
「ご令嬢だかなんだか知らないが、大人しくしてろよ!」
それに微塵も感銘を受けなかったアルティナは、しらけ切った顔をその男に向けた。
「屋外ならともかく、こんな室内で何をしろと? まさか私が暴れるとでも? しかも女一人にそこまで怯えるなんて、グリーバス公爵家の私兵も随分質が落ちたものね」
「何だと!?」
「いい、放っておけ」
「ですが!」
「行くぞ」
絡んできた若い男とは面識が無く、当然アルティナがアルティンとして近衛騎士団勤務だった事を知らない為、多少脅せば大人しくしているだろうと高をくくっているのが分かったが、それを纏め役の年嵩の男が渋面になって抑えた。それを見たアルティナが、廊下を歩きながら、周囲には分からない様にほくそ笑む。
(確認できた人間だけだけど、上の方はともかくメイドや私兵に見慣れない人間が多いわね。やっぱり私との内通を疑って、アルティンが死んだ後、相当屋敷内の人員の入れ替えをしたらしいわ。そうなるとその人間は、どうして見た目は貴族の女性の私にそこまで警戒するのか分からない筈だし、油断したり疑心暗鬼に陥ってくれるなら、結構な事だわ。幾らでも、付け込む隙があるって事だし)
そうして周囲から警戒と不審な視線を浴びながら進んだアルティナは、見覚えのある部屋の一つに到達し、さらにその壁面に設置されているドアの中に足を踏み入れた。
そこは前方を歩く男が手に持っているランプが無ければ、漆黒の闇であり、アルティナは石造りの狭い階段を、ドレスの裾を踏まない様に注意して下りた。そして大してスペースのない踊り場で方向を九十度変えてから更に階段を下り、石畳に降り立つと、正面に金属製の柵が見える。
「それではアルティナ様。暫くこちらにご滞在下さい」
部下らしき男に、柵の一部に取り付けられている扉の鍵を開けさせながら、見覚えのある男が告げてきた為、アルティナは皮肉気に笑いながら問い返した。
「暫くって、どれ位かしら?」
「それは公爵様のご判断によりますので、私共には分かりかねます。大人しく公爵様に恭順の意を示して頂けましたら、すぐにここから出て頂けるとは思いますが」
「あら、そうなの。それは知らなかったわ」
そうする気など全く見せずに微笑んだアルティナに、男達は面白く無さそうな顔付になったが、余計な事は言わずに柵の中に彼女を押し込んで扉に鍵をかけると、何やらブツブツ悪態を吐きながら階段を上がって行った。
連中が立ち去る前、階段を下り切った所にある壁面の窪みに小型のランプを置いていった為、全くの暗闇では無かったが、かなり薄暗い中でアルティナはこの地下牢内の設備を確認した。とは言っても壁の両側に接して簡素なトイレと、それ以上に快適とは程遠い分厚い板のみの寝台、上部に換気口らしい小さな穴があるだけで殺風景な事この上ない状況を確認し、思わず肩を竦める。
「まあ確かに、本当に深窓のご令嬢がこんな所に閉じ込められたら、すぐに泣いて許しを請うんでしょうけどね。実の親ながら、何を考えてるのかしら、あの人」
とことん理解不能とばかりに呟いたアルティナは、打ち合わせ通りに大人しく寝台に腰を下ろす。
「さて、今の私はアルティナなんだし、救出されるまで大人しくしていないとね。取り敢えず、ちょっと寝ようかな。せっかくの貴重な休暇なんだし」
そう独り言を口にした次の瞬間、緑騎士隊時代に何度も野営の経験があったアルティナは、固い寝台を物ともせずにごろりと横たわり、すぐに眠りに入った。
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