(7)陰謀の気配
「ケイン。実は今日の昼に、グリーバス公爵家から使者が出向いて来た」
家族揃っての夕食の最中、そう父親に切り出された途端、ケインは手の動きを止めて盛大に顔をしかめた。
「一体、何を言って来たんですか、あのろくでなしは」
「聞いて驚け。『嫁いで以来、一度も実家に顔を出さない娘の顔を、偶には見させて貰いたい』そうだ。奥方が『知らないうちに近衛騎士団など、無粋で野蛮な集団の中に放り込まれた娘を心配している』らしくてな」
眼光鋭い息子の怒りを真っ向から受け止めながら、アルデスが淡々と事実を告げると、『無粋で野蛮な集団』で副隊長の任に就いているケインは、盛大に舌打ちした。
「完全に喧嘩を売ってやがるな」
「ケイン。口調が乱暴よ?」
「そうそう。本音をダダ漏れさせても、良い事は一つも無いから」
母と弟に窘められたケインは、罵詈雑言を飲み込んでから、改めて父親に詳細を尋ねた。
「それで? 父上は何と返答したんですか?」
それにアルデスが、含み笑いで答える。
「『彼女は納得の上で出仕しているし、休暇の折にこちらには帰って来ていますが、実家に帰りたいなどと言われた覚えはありませんな』と答えたら、『さすが伯爵家ともなると、王太子殿下へすり寄るのも大変ですな。ご令息の妻まで差し出てご機嫌を取るとは』とかほざいたぞ」
「……ほぅ?」
「兄さん。父さんに向かって、殺気を放つのは止めようか」
途端に剣呑な目つきになったケインに、クリフが呆れ気味に声をかける。そんな息子達を面白そうに見やりながら、アルデスが話を続けた。
「だから『使用人の分際で一家の主に対して、随分放言できるものだな。さすが公爵家と言うべきですが、伯爵家たる我が家では理解致しかねます。できれば次回の使者は、我々が理解できる言葉を話す方にお願いします』と言って丁重にお帰り頂いた」
「それはそれは」
「使者の役目を果たせなかった奴が、公爵家に戻ってからどんな扱いを受けるかまでは、こちらが責任を持つ話じゃ無いね」
男達はそう言って皮肉に満ちた笑いを漏らしたが、ここでそれまで聞き役に徹していたフェレミアが納得しかねる顔付きで言い出した。
「でも、一体どういう事でしょう? グリーバス公爵家は、アルティナには金輪際係わり合うつもりは無いと宣言した上、これまで実際に音沙汰は無かったでしょう?」
その素朴な疑問に、男達が慎重に答える。
「それは……、やはりアルティナが近衛騎士団の白騎士隊に入隊して、色々連中の邪魔をしているのに気がついたか、単に目障りに思っているだけか……」
「現にパーデリ公爵が白騎士隊に推薦した女傭兵を、アルティナ殿が撃退した話は王宮内で広まっているし。新しく上級女官に就任した三人のうち、一人が我が家の娘、一人が元アルティナ殿付きの侍女だって事も知れ渡っているから」
「どのみち目障りだと思われるのは、分かっていたがな。そもそも何の為に、アルティナを屋敷に呼びつけたいのか……」
難しい顔でケインが考え込むと、クリフも真剣な面持ちで懸念を口にした。
「そこが問題だな。一連の我が家の動きが、アルティナ殿主導でされたと勘ぐられている場合。更にパーデリ公爵と組んだ王太子妃排除の企みを、こちらが察していると疑っている場合は最悪だね」
「そうだな……。その場合、向こうはどう出ると思う?」
「さすがにあっさり殺す事は無いと思うし、いざとなったらアルティン殿がなんとかすると思うから、最悪の事態は避けられると思うけど……。順当に考えたら、王太子妃を擁護するのを止めろと強く迫ってみて、言う事を聞かなかったら監禁して脅かしてみるとか?」
「俺もそう思う。誰がアルティナを、そんな所に出向かせるか!!」
クリフの推測にケインが頷き、怒気を露わにしたのを見て、さすがにフェレミアが顔色を変えて夫に問い質した。
「あなた、一体どうなさるの? 私はアルティナを公爵邸に出向かせるのは反対ですが、このまま無視していても、有る事無い事言いふらしそうですし」
「そうだな……」
そこで家族全員の視線を集めたアルデスは、少しの間真剣な面持ちで黙考してから、慎重に口を開いた。
「今回は、予めアルティナ殿に説明の上で了承を貰って、相手の反応を見ても良いのでは? とにかく一度公爵邸に出向いて貰えば、彼女の意思を無視して出仕させていると言う醜聞は、撒き散らせ無いわけだし」
「だが万が一、連中が帰そうとしなかったら?」
懸念が晴れないケインは食い下がったが、ここでクリフが会話に割って入った。
「その時は合法的に彼女を迎えに出向いて、身柄を引き取るだけだよ。この場合、ちょっとデニス殿の手を借りなければいけなくなると思うけど」
「どういう事だ?」
「クリフ?」
父と兄の怪訝な視線を浴びたクリフは、苦笑いしながら説明を加えた。
「以前、アルティン殿が言ってただろう? あの公爵邸を建てた先祖が残した、隠し通路の事を」
「ああ、なるほど。いざという時は、あれを使って彼女を連れ出せば良いか」
すぐに納得した顔付きになったケインだったが、それに対してクリフは首を振ってみせた。
「いや、確かにそれを利用するけど、それでアルティナ殿を連れ出したりはしない。さすがに屋敷内から忽然と姿を消したら、外部との連絡通路の存在を疑われるだろう? 後々使う事になるかもしれないから、今、その存在を明らかにはしない方が良いと思う」
「そうなると、どうする気だ?」
そこでクリフは当惑する家族に自分の考えを説明し、それを受けて早速ケインはデニスに連絡を取り、詳細を検討する事となった。そしてあっさりと話は纏まりアルティナにその内容が伝わる前に、ケイン経由で近衛騎士団への申請と言う形で、ナスリーンの耳に入った。
「アルティナ。シャトナー伯爵家から、あなたの休暇申請が出されています。何でも実家から、里帰りの要請があったとか」
隊長室に呼びつけられ、椅子に座るやいなやそんな事を言われたアルティナは、少々面食らった。
「実家へ里帰り……、ですか?」
「ええ。どう考えても、普通の里帰りとは意味が異なるとしか思えませんが」
目の前の部下が、結婚前は実家で冷遇されていたと聞いていたナスリーンは、不快げに顔を歪めたが、アルティナはその話の裏にある物を考えつつ、取り敢えずそれらしい事を口にしてみた。
「はぁ……。ですが両親は、一応世間体を考えたのでは無いでしょうか? 結婚後に全く実家に顔を見せないのは、叩き出した様で体裁が悪いとか」
「実際に叩き出したのに、今更何を気にすると?」
「確かにそうですが。後から色々難癖を付けられるのも嫌ですし、ここは一度きちんと出向いて、相手の反応を見てこようと思います。勿論、王太子殿下や近衛騎士団が、父達が国と繋がっているのを察している事を漏らすつもりはありませんので、ご安心下さい」
アルティナが落ち着き払ってそう告げた事で、ナスリーンは自分が口を差し挟む事でもないと思い返し、気を取り直して頷いた。
「それは分かっています。それでは伯爵家からの申請を正式に受理して、早速手続きを済ませましょう」
「宜しくお願いします」
そしてアルティナが頭を下げた隙に、ナスリーンは素早く手を伸ばし、愛用の爪やすりを手に取った。そしてし慣れた動作で、耳障りな音を立てる。
「……っ! ひゃあっ!」
途端に悲鳴を上げてみせたアルティナが、そのまま俯いて気を失ったふりをすると、ナスリーンが慎重に声をかけてきた。
「アルティナ?」
「代わりました、ロミュラー隊長」
素早くそれに応じて顔を上げたアルティナに、ナスリーンが時間を無駄にせず意見を求める。
「それではアルティン。先程の話をどう考えますか?」
「さあ……。邪魔者を手っ取り早く消したいのか、単に釘を刺せれば良いと思っているのか……」
「アルティン殿?」
「失礼しました。ふざけるつもりは無かったのですが」
他人事の様に述べた途端、僅かに鋭い視線が向けられた為、アルティナは謝罪した上で保証した。
「安心して下さい。今現在アルティナを消しても、父達には何の益もありません。屋敷内で不審死をしたり行方不明になったりすれば、さすがに周囲から不審な目で見られる事は確実ですし、最悪の事態にはならないでしょう。いざという時は私が表に出ますし、心配要りません」
「私はアルティナの身体的な面での心配はしておりません。精神的な面で負担を強いられないかを、懸念しているのですが?」
それでも懸念が払拭できないナスリーンに対して、そこまで親身になって自分の身を案じてくれる事に感謝しながら、アルティナは微笑んだ。
「ご心配頂き、ありがとうございます。ですがアルティナが世慣れない娘であっても、この私の妹です。見た目や印象はそうでは無いでしょうが、結構精神は頑強ですよ? 私が保証します」
「分かりました。ですがくれぐれも油断しないように」
「心得ました。それでは引っ込みますので、いつもの様にフォローをお願いします」
「分かりました」
最後は穏やかに会話を終えて、アルティナは再び俯いて目を閉じた。そして少ししてから席を立ったナスリーンが、椅子の前に立って軽く彼女の肩を揺すりながら、声をかける。
「アルティナ……、大丈夫ですか?」
「……え? ええと、私は……」
すぐに目を開けて周囲を困惑気味に見渡したアルティナに、ナスリーンは申し訳なさそうに申し出た。
「すみません、つい癖でヤスリを手にしてしまいました。その上手が滑って、またあなたが嫌いな音をいきなり出してしまって。具合は悪くありませんか?」
「いえ、お気遣いなく、大丈夫です。そもそも、その程度で気を失うなんて、精神的に未熟な証拠です。兄でしたらそんな事がある筈無いのに、お恥ずかしいです」
そして互いに頭を下げ合うという茶番を済ませたアルティナは、隊長室から廊下に出るなり、真顔で考えを巡らせた。
(さて、シャトナー伯爵家からの申請って事は、大まかな段取りについては、既にケインかクリフ殿が整えてくれていると思うけど。何があっても良い様に、準備だけはしておかないとね。ただ顔を見せておしまいって事には、どう考えてもならない筈だし)
面倒事が増えたとは思ったものの、特に脅威などは感じないまま、彼女は廊下を歩いて行った。
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