(5)尊敬の対象

 若干到着予定には遅れたものの、一行は問題無く目的地の王立育児院に到着した。


「妃殿下、ようこそいらっしゃいました。大切な御身をこちらまでお運び頂き、誠に恐縮でございます」

 建物の前で上質では無いが清潔感溢れる身なりの、誠実そうな老年の男が一行を出迎え、それに馬車から降り立ったエルメリアが笑顔で応えた。


「気にしないで下さい。乳児院と育児院の運営と監査は、その時々に代理を立てるとは言え、代々の王太子妃の務めです。暫く体調不良で種々の申請内容が滞っていて、申し訳ないと思っていました。今日は色々と拝見させて下さい」

「はい、心得ております。それではまずこの間の運営状況と申請内容の説明を致しますので、応接室へお入り下さい」

「分かりました」

 既に互いの人となりを知っている間柄のエルメリアと院長は、談笑しながら玄関から廊下の奥へと足を進めた。

 その間にマルケスの指示で、警護の為に建物の内外に騎士が散って行き、アルティナはリディアと同様にエルメリアの側に控えながら、油断なく周囲に視線を走らせる。

 院長の話通り、最初は応接室で幾つかの説明がなされた後、育児院内の視察に移った。


(取り敢えず、問題は無さそうね。さすがに見慣れない人間がうろうろしていたら、子供達だって騒ぐだろうし)

 時折、興味津々の視線を向けてくる子供達の姿を見て、アルティナは小さく苦笑しながら、エルメリア達に付き添った。

 その後の視察も順調に進み、子供達の生活棟や学習棟を順調に見て回った一同であったが、院長が何やら申し出た内容に耳を傾けていたエルメリアが、軽く頷いて傍らのグレイシアに声をかけた。それを受けた彼女が、目線でリディアを呼び寄せる。


(え? 一瞬、リディアが凄く嫌そうな顔になったような……。何かしら?)

 小声で指示を受けているらしいリディアの様子を、アルティナは数歩離れた所から眺めていたが、すぐに話を終えた彼女がグレイシアから離れてまっすぐ自分の方に歩いて来た為、声をかけてみた。


「副隊長、どうかしましたか?」

 すると彼女は足を止めて、忌々しげに囁く。

「それが……、院長からお誘いを受けたから、当初の予定を変更して、こちらで昼食を食べて行かれる事になったわ。私達全員分、用意してくれているそうよ」

 それを聞いたアルティナは、これからの予定を頭の中に思い浮かべて口にしてみた。


「あの……、それって拙くありませんか?」

「拙いけど、院長からの申し出を妃殿下が快諾してしまったから、仕方が無いでしょう。次の予定の商工会会頭との会談と王宮への帰還が遅れる事を、各方面に連絡しないと。ちょっと離れるから、ここを頼むわよ」

「分かりました」

 そしてリディアは「全く……、周りの迷惑も考えてよね」とぶつぶつ呟きながら、表にいる警備責任者のマルケスに伝えるべく、足音荒くその場を離れた。


(エルメリア様らしくないわね。ひょっとして、帰路にも襲撃される事を警戒して、敢えて予定をずらしてみようとも考えたとか? 試してみる価値は、あると思うけど)

 リディアの背中を見送ったアルティナは、変わらず院長と話し込んでいるエルメリアを観察しながら、密かに考えを巡らせた。


 結局エルメリアの意向に添って予定を変更し、育児院で昼食をご馳走になる事になり、エルメリア達と同様に護衛の者達も交代で食べる事となった。移動した食堂で出された料理は、勿論王族が普段食べる物とは比べ物ににならない位質素な物ではあったが、エルメリアは特に気にした風情も見せず、給仕役の年かさの女児に礼を述べる。

 しかし彼女が気にしなくても、随行員であるグレイシアが自分の役割を果たそうと横から伸ばした手を、彼女が軽く掴んで制止した。


「あの、妃殿下」

「毒見は結構よ、グレイシア」

「ですが……」

 互いに笑顔を保ちながら小声で囁き、目線で訴え合った結果、グレイシアが折れて無言で手を引いた。その一部始終を見て、アルティナが密かに安堵する。


(うん、この前お会いした時より、図太く……。いえ、気丈におなりの様でなによりだわ)

 確かに何か不測の事態が生じたら、責任問題に発展するのは確実ではあったが、アルティナは無言で彼女の様子を見守った。しかし食事をしてもエルメリアの様子には全く異常は見られず、アルティナはグレイシアと共に、密かに胸を撫で下ろした。

 そしてエルメリアが院長や近くの席の子供達と歓談しながら食事を食べ終えた所で、数人の子供が立ち上がって部屋の隅に向かった。そしてそこのテーブルに置いてあった物を手にして、エルメリアに向かって歩み寄る。


「妃殿下、いつも食べ物や服をありがとうございます!」

「お礼に皆でこれを作りました」

「宜しかったらお持ち下さい」

 少し離れた所で、並んで頭を下げた三人の少女を見たエルメリアは、彼女達の一人が手にしている布製の花束を見て立ち上がり、笑顔で頷いた。


「ありがとう。素敵なお花ね。いただくわ」

「はい、それじゃあ、どうぞこちらを……、きゃっ!」

「え!?」

「妃殿下!!」

 笑顔で歩み寄った少女が何もない所でいきなり躓き、両手が塞がっていた彼女の身体を咄嗟に支えたものの、バランスを崩したエルメリアまで背後に倒れ込みそうになる。しかし背後に控えていたグレイシアが素早く踏み出し、エルメリアを抱え込む体勢になった事で、彼女はグレイシアの身体の上に、派手にしりもちをつく結果となった。


「……っ」

「ごめんなさい、グレイシア。大丈夫?」

 太腿の上に座り込む体勢のまま、エルメリアが声をかけると、小さく呻いたグレイシアは真顔で返した。


「いえ、何ともありません。妃殿下の方は、お変わりありませんか?」

「ええ。あなたがクッションになってくれたから平気よ? 少々座り心地は悪いけど」

「それは失礼致しました。これからは体型を、少しふくよかにする様に留意します」

「あら駄目よ、そんな事をしたら勿体ないじゃない」

「妃殿下!」

「お二人とも、お怪我はありませんか!?」

 くすくすと笑い合っている二人の所に、出遅れたリディアとアルティナが顔色を変えて駆け寄り、手を引いて二人が立ち上がるのを手伝ったが、二人に怪我が無いのを確認して安堵したのも束の間、すぐ側で怒声が沸き起こった。


「このガキ! 身重の妃殿下を突き飛ばすとは何事だ!」

 アルティナが驚いて視線を向けると、エルメリアに倒れかかった少女の手を、マルケスが怒りの形相で乱暴に掴み上げているところだった。


「っう、うわぁぁーん!!」

「誠に申し訳ありません! この子には後でこちらで、厳しく言って聞かせますので!」

 少女が恐怖のあまり泣き叫び、院長は狼狽しながらもマルケスに向かって謝罪したが、彼は聞く耳持たなかった。


「謝って済む事か!! このガキは不敬罪で、牢に放り込んでやる。こっちに来い!」

「そんな!? おやめ下さい!」

「うるさい! 抵抗するなら貴様も」

「ちょっと」

「お止めなさい、騒々しい」

 そのまま少女を引きずって行こうとするマルケスに、院長が取り縋り、さすがにアルティナが割って入ろうとしたところで、凛としたエルメリアの声が響いた。


「妃殿下、ですが!」

「五月蠅いと言っているのです。私の言葉が聞こえないと言うつもりですか? それは立派な不敬罪に当たると思うのですが。早くその子の手を離しなさい」

「…………」

 命令されたマルケスは、面白くなさそうな顔になりながらも、少女の手を離した。するとエルメリアが彼女を見下ろしながら、優しく声をかける。


「こちらの騎士が大声を出して、怖がらせてしまったわね。私は大丈夫だから、泣くのはお止めなさい」

「ひ、ひでんかぁっ……」

 安堵して余計に涙腺が緩んだのか、ボロボロと泣き出した彼女を見て、エルメリアは苦笑しながら話を続けた。


「確かに妊婦に近付くのに、足下への注意が疎かになっていたのは、あなたの落ち度ね」

「は、はい……。ごめんなさい……」

「自分の非が分かっていれば良いわ。これから同じ間違いを犯さない様に、注意するのよ? 身重の女性に限らず、小さな子供を抱えたり背負ったりしている女性や、足腰の悪い老人にぶつかって転んでも、大怪我をさせる可能性はあるのだから」

 そう言い諭されて、その子は涙を両手で拭いてから、真剣な表情で頷く。


「気をつけます。二度としません」

「それで良いわ」

 そうして微笑んで頷いたエルメリアは、この間真っ青な顔で事態の推移を見守っていた院長に向き直った。


「ところで院長。思いがけなく昼食をご馳走になって、こちらの問題点を更に見つける事ができました」

「……何でございましょうか?」

 更に強張った顔になりながらも院長が応じると、エルメリアは笑いを堪える表情で告げる。


「食堂の床板が傷んだり、歪んでめくれあがっている箇所が何ヶ所か見受けられます。即刻、予算に修繕費用を上乗せしましょう。直ちに職人を手配して下さい」

 それを聞いた院長は意外そうに瞬きし、次いで先程少女が躓いた辺りの床に目を向け、それから満面の笑みになって頷いた。


「はい! ありがとうございます! 妃殿下の仰せの通りに致します!」

 何度も頭を下げてから院長は出てきた少女達を自分の席に下がらせ、それから全ての予定を済ませたエルメリア達を見送る為、玄関に向かって移動を始めた。

 同様にエルメリアに付いて玄関へと移動しながら、アルティナが考えを巡らせる。


(一瞬ヒヤッとしたけど、何とか穏便に済んで良かった。やっぱり我が国の王太子妃は、エルメリア様しか有り得ないわ。欲の皮の突っ張った連中の、思い通りになんかさせるものですか!)

 そんな決意も新たにアルティナは警護を続け、育児院の次に商工会会頭との懇談終えて、まだ明るいうちに無事に王宮へ帰還した。


「お疲れ様でした。それでは副隊長。隊長に無事帰還の報告をしに行きましょう」

「そうね」

 他の白騎士隊員にエルメリアの護衛を引き継ぎ、アルティナはリディアを伴って隊長室に報告に出向こうとしたが、背後から声をかけられた。


「……おい、リディア」

 振り返ると剣呑な表情でマルケスが佇んでおり、それを見たリディアが舌打ちしそうな顔になりながら、アルティナに告げる。


「アルティナ、悪いけど、先に行って報告をすませておいてくれるかしら? 休憩が済んだら、私は直接次の持ち場に向かうから」

「はい、分かりました。隊長にはそうお伝えします。失礼します」

「お願いね」

 素直に頷いて二人に背を向けて歩き出したアルティナだったが、内心では困った事にならないかと懸念していた。


(かなり空気が悪いけど、二人だけで放置して大丈夫かしら? まあ、場所が場所だし、滅多な事にはならないと思うけど)

 しかしこの前と違い気付かれる可能性が大の為、尾行する事もできずに、そのままその場を立ち去る事にした。

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