(4)疑惑の襲撃

 公務に復帰したエルメリアの護衛をする為、後宮から付き添って内宮まで移動したアルティナ達は、そこの王族専用の馬車寄せで、その日護衛の任に就いている黒騎士隊の騎士達と合流した。


「それでは妃殿下。本日の視察には、この者達が同行致します」

「宜しくお願いします」

 随行者のグレイシアを従えて、優雅に微笑んだエルメリアから、騎士達の代表として頭を下げた男に視線を移したアルティナは、無表情で先程の自己紹介の内容を頭の中で反芻した。


(黒騎士隊ジョスター分隊長配下のマルケス小隊長か。リディアと揉めたのを目撃した時、特徴を書いた紙を渡しておいたのに、事もあろうに妃殿下の視察の護衛にその小隊を丸ごと突っ込んでくるって、ケインは一体何を考えてるのよ!?)

 しかも白騎士隊から付き従うのが、自分とリディアという状況に、うんざりしたアルティナは、思わず天を仰いだ。そんな彼女の耳元で、ここまで付き従ってきたナスリーンが囁く。


「……アルティナ」

「分かっています。ご心配なく」

 改めて注意を促してきたナスリーンに、アルティナは小さく頷き、改めて護衛の面々を注意深く観察した。


(リディア副隊長だけじゃなくて、あの男も同行……。慰問と視察を何事も無く終わらせる様に、いつも以上に注意しないといけないわね)

 さり気なく周囲に気を配りながらアルティナが騎乗し、更にエルメリアとグレイシアが王家の紋章付きの馬車に乗り込んだのを確認してから、その日の護衛責任者となっているマルケスが、片手を上げながら大声で号令をかけた。


「出発!」

 そして四騎が先行して警戒し、ゆっくり走り出した二頭立ての馬車のすぐ後ろに、リディアとアルティナの馬が続く。更にその後ろに残りの六騎が二列で付き従った形で、一行は王宮の正門を抜けて、街へと進んで行った。


(今日はなんだか、無事に終わる気がしないわ。でも、あまり派手な騒ぎにならなければ良いんだけど)

 アルティナがさり気なく周囲を警戒しているうちに、王宮の周囲にある貴族の邸宅街を抜け、商業地と住宅地が微妙に混在するエリアまで到達したところで、いきなり事件が起こった。


(さて、ここまで来れば最初の目的地の育児院はもうすぐだし、無事に到着できそう……、あれは!?)

「止まれっ!」

「え?」

「何?」

 勘が働いたのか、その時何気なく軽く上半身を捻って、斜め後方に視線を向けたアルティナの視界の端に何かが飛来した瞬間、頭で考える前に彼女の身体が条件反射で動いた。


「ちぃっ!」

 制服の袖の中に、絡まない様に収納しておいた細い鎖のホルダーを即座に外すと、瞬時に地面に向かって一直線に滑り落ちた糸状の鎖を右手で掴んだアルティナは、短く叫びながら鎖の先端に付いている錘と腕の力を利用して、空中に鎖全体を跳ね上げた。


「よし! 次!」

 まず飛来した一本目の矢に、その鎖を絡み付かせたアルティナは、そのまま落下しかけた鎖を腕で鞭の様にしならせ、それを利用して直後に飛来した二本目、三本目を叩き落とした。

 あっと言う間のその出来事に、周りが固まって唖然としていると、それを見たアルティナから、鋭い叱責の声が飛ぶ。


「何をしてる! 襲撃だ! 次の攻撃に備えろ!!」

「はぁ!?」

「ちょっと待て、今のは?」

 周囲に注意を促しながら、矢が絡み付いた鎖を引き寄せて手の中に回収したアルティナが、微塵も油断せずにそれが飛来した方向に馬首を向けた。しかしここで、漸く我に返ったらしいマルケスが、慌てて馬を寄せて食ってかかってくる。


「お前、何を勝手な事をしている!?」

「お前こそ、どこに目を付けている! 馬車が射掛けられたのが分からないのか? 私に文句を言う前に、さっさと迎撃の指揮を取れ!」

「なっ、何だと!?」

 ついアルティンの口調で怒鳴り返したアルティナに気迫負けしたマルケスは、怒りの形相のまま口を何回か開閉させたが、アルティナはそれには構わず、険しい表情で襲撃地点と思われる場所に目を向けたまま警戒を怠らなかった。


(王都の端の方とは言え、こんな所で射掛けてくるなんて、一般人に流れ矢が当たっても、一向に構わないらしいわね! 外道どもがっ!!)

 しかしすぐに馬で押し寄せて接近戦に持ち込んでくるかと思いきや、何の変化も無い事に、アルティナは拍子抜けする。

 加えて時折行き交う通行人にも、不審なところは見られず、道のど真ん中で停まっている馬車を不思議そうに眺めていくに至って、アルティナは当惑した。


(え? もう来ない? 普通は射掛けて負傷させたり動揺を煽ってから、一気に距離を詰めて斬り掛かるのが常道なのに。それに他の護衛も、反応が鈍すぎるわ)

 襲撃者が続けて攻めて来ないのは勿論、同行している騎士達も、マルケスからの指示が無い為、微妙に狼狽えている中途半端な様子を見て、アルティナは無言で顔を顰めた。


「どうしました? この騒ぎは何事ですか」

 すると、いつの間にか馬車の乗降用のステップを前方に居た騎士に引き出して貰い、地面に降り立ったグレイシアが声をかけてきた。その為、責任者のマルケスが慌てて馬から下りて、その場を取り繕おうとする。


「女官殿、誠に申し訳ありません。女性騎士が大声を上げてお騒がせしてしまいましたが、大した事ではございませんので」

 チラッと自分の方を見ながら、如何にも「困ったものです」と言わんばかりの態度に、アルティナは内心でムカついたが、無言を保った。しかしグレイシアが素早く周囲に視線を向け、アルティナの足元や地面に放置されている矢に加え、護衛の人数を確認し終えてから淡々と指摘してくる。


「襲撃が大した事では無いと仰る? 馬車の中でも、はっきりとそう聞こえましたが」

「いえ、矢を射掛けられたのは確かですが、襲撃と言っても本当にそれだけですので、心配はございません」

 事態を矮小化させるつもりか、愛想笑いを浮かべながらマルケスが説明した内容に、アルティナは軽く眉根を寄せたが、それでも抗議はしなかった。しかし代わりにグレイシアが、にこりともせずに冷え切った声で応じる。


「それはそれは……。黒騎士隊には、随分豪胆な方が揃っておられる様ですね。後部からでもはっきりと王家の紋章付きの馬車と分かるこちらに、平気で矢を射掛ける行為を襲撃と言わずして、どの様な行為を襲撃と称するのか、時間があれば是非ともご教授願いたいですわ」

「いえ、それは」

「それで賊はどうなさいました? 見たところ矢を払い落としただけで、護衛の人数が全く減っていない様ですが。不埒な行為をした者を、捕縛もされないと仰る? それともその能力が無い為、捕縛を最初から諦めていらっしゃるのでしょうか?」

「それは、その……」

 彼女の的確な指摘と痛烈な皮肉に、マルケスはなんとか弁解しようとしたが、グレイシアは反論を許さず、あっさりと結論付けた。


「結果としてはおめおめと、賊を取り逃がしたという事ですね。分かりました。もう説明は結構です。この事は、帰還後に騎士団長に報告致します。危険性は皆無と皆様が判断されている様ですので、すぐに出発して下さい。予定時刻よりも遅れております」

 そう言って踵を返したグレイシアは、何事も無かったかの様に再び馬車に乗り込み、前方を警戒していた騎士が、馬車のステップを元通り収納した。

 その一連の様子を忌々しげに眺めていたマルケスは、耳障りな歯軋りの音を立ててから再び馬に乗り、周囲に号令をかける。


「……出発!」

 そして微妙に気まずい空気のまま、一行は再び目的地へと向かった。


(揃いも揃って、人が矢を叩き落とした位で、茫然としてるんじゃないわよ。全く使えない。と言うかこいつらひょっとして、全員襲撃犯とグルとかじゃ無いでしょうね?)

 密かに心中で悪態を吐きながら、最悪の可能性を考え始めたアルティナだったが、ふと前方上方に円を描きながら飛んでいる鳥を見て、軽く目を見張った。


(あれは……、もしかしたらカッシア? そうなるとどこかでデニスが見ている筈だし、もしかしたら黒騎士隊か緑騎士隊で、秘密裏に動かしている別働隊がいる?)

 その可能性に思い至ったアルティナは、それだけでかなり気が楽になった。


(それなら多分、襲撃犯はそいつらが確保しているだろうし、上手くすれば情報が引き出せるわね。それに仮に、この護衛全員に囲まれても、時間稼ぎだけすれば何とかなる保証ができたわ)

 そう開き直ったアルティナは、油断しないまま先程までよりは機嫌良く、馬を進めて行った。

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