(3)デニスの憂さ晴らし
カーネルからの指示を受けたと言う名目で、アルティナの時間が空いている時に、デニスが訓練場の片隅で指導を始めて数日後。
訓練終了後にそのままの流れで一緒に食堂に出向き、昼食を取り始めた彼女達のテーブルに、寄ってきた人影があった。
「ここ、良いかしら?」
「はい副隊長、どうぞ!」
「ありがとう」
傍目には穏やかに同席を求めてきたリディアに、アルティナは愛想良く頷いて隣の席を勧め、向かい側に座っていたデニスは、食べる手を止めないまま冷静に彼女を観察した。
(へぇ? この女が、白騎士隊のリディア副隊長か。これまで探る機会も会う機会も無かったから、初めて見たな。アルティナ様の話だとちょっと気難しいって事だから、挨拶だけはしておくか)
そう判断した彼は、相手が椅子に座って落ち着いた所を見計らって、笑顔で声をかけた。
「初めまして、リディア副隊長。緑騎士隊所属のデニスです。以後、お見知り置き下さい」
「初めまして、リディアです。ところで今日の訓練は誰かさんの内容に限って、些か予定とは異なっていた上、個別指導になっていたと聞きましたが、どうやら本当だったみたいですね」
社交辞令に対して、早速真っ向から嫌みをぶつけてきた相手に、デニスは笑い出したいのを必死に堪えた。
(やっぱりわざわざ難癖を付けにきたか。予想は付いてたが、食べるのも早々にこちらに噛み付いてくるとはな)
思わず失笑しそうになりながらも、デニスは傍目には落ち着き払って答えた。
「リディア副隊長の仰る事にも、一理ありますね。アルティナ様の訓練に限って、俺が専属指導者として付きましたし。ですがこれに関してはうちのカーネル隊長直々の指示で、そちらのロミュラー隊長の許可も得ていますので、特に何も問題は無いでしょう」
「……問題が無いですって?」
忽ち目つきを険しくしたリディアを見て、なるべく心証を悪くしたくなかったアルティナは、かなり強引に話題を変えようとした。
「副隊長。実はデニスは私の乳兄弟で、兄の下でずっと働いてい」
「五月蠅いわよ! 黙ってなさい!」
「……はい」
しかしすかさず一喝されて、アルティナは神妙に口を閉ざした。
(あ~あ、もう知~らないっと。せめて食べ終わってから絡めば良かったのに。デニスったらやる気満々だし)
デニスではなくリディアを庇おうとして、会話に割り込もうとしたアルティナだったが、もう成り行きに任せるしかないと、黙々と食べ進めた。そんな彼女を放置して、険悪な表情と皮肉げな口調での会話が交わされる。
「最近、騎士団内の規律が乱れていると思っていたけど当然ね。隊長自ら特定の人物に肩入れして、便宜を図っている様では」
「確かに無理もありませんねぇ。世の中に常識と節度を弁えない人間が増えていますし」
「何を言っているの?」
「いえ、俺は直にその試合を見たわけではありませんが、後から話を聞いて驚愕したんですよ。まさかパーデリ公爵ともあろうお方が、大真面目に白騎士隊に女傭兵を推薦してくるとは。しかも男を女装させて試験を受けさせた方がまだ受かる可能性がある様な、下品で無礼で暴言吐きのメイス使いだったとか。副隊長ならご存じですよね?」
「それはっ……、私もその場にいなかったので……」
デニスがわざとらしく、パーデリ公爵の名前を出した辺りから微妙に声量を上げて、周囲の者達の注意を引いた。それに対してリディアが口ごもっていると、忽ち彼女達のテーブルの周囲で、囁き声が広がる。
「え!? 話に聞いた例のクマ女の推薦者って、パーデリ公爵だったのか?」
「そこまでは知らなかったな。どんな馬鹿だと思っていたが」
「あんなのが王妃陛下や王太子妃殿下の前に出たら、お二方とも倒れるぞ」
「お前ら、何の話をしてるんだ?」
「はぁ? 何でお前、あの騒ぎを知らないんだよ!? それに、パーデリ公爵自ら連れて来てただろ?」
「お偉い公爵様の顔なんか知るかよ」
そんな周囲のざわめきを綺麗に無視しながら、デニスはアルティナに話を振った。
「アルティナ様ならご存じですよね? なんと言ってもその試合の相手を務めて、その野獣と見紛うばかりの女を、素手で殴り倒して不合格にされた本人ですから」
「え、ええと……、確かにあの方は倒れられましたが、偶々剣を取り落とした手が、鼻に当たった程度で……。打ち所が悪かったと言うか、何と言うか……」
ギリギリわざとらしさを感じない程度に声を大きくしながら、デニスが口にした内容を聞いて、アルティナは微妙に顔を引き攣らせながら弁解したが、それで先程以上の驚愕の波が周囲に発生して、食堂中に広がっていく。
「おいっ! 彼女がその傭兵を倒したって言ってるぞ!?」
「俺はてっきり、ロミュラー隊長だと……」
「お前達、『血塗れ姫』の噂をまだ聞いてないのか?」
「何だ、その物騒な響きは」
「まだ何かあるのか?」
(あぁ、物騒な噂が騎士団内に一気に広がる気配が……。デニス! 本当に余計な事をしないで!)
頭を抱えたくなったアルティナは、非難を込めた視線をデニスに向けたが、彼は素知らぬ顔で話を続けた。
「その試合の内容を聞いて、前任者のアルティン隊長に忠誠を誓っていたカーネル隊長が頭を抱えましてね。隊長は前隊長の妹君に、騎士団内で『血塗れ姫』などと言う不名誉な二つ名を付けさせてしまったと、真面目に悔やんでしまったのです」
「…………」
そしてわざとらしくデニスが溜め息を吐いても、リディアは唇を引き結んで彼を睨み付けるだけだった。そこでアルティナが、控え目に口を挟んでみる。
「あ、あの……、デニス? 私は全然気にしていな」
「それもこれも非常識な武具を振り回す女を、非常識にも推薦してきたパーデリ公爵のせいですが、今後もそんな非常識な人間が現れないとも限りませんから。それでカーネル隊長が『れっきとした公爵令嬢で、伯爵令息夫人のアルティナ殿に、これ以上不名誉な噂を立てさせる訳にはいかない。女性でも扱いやすい、色々な武器を使える様に指導してこい』と厳命されまして。普通の訓練以上に、面倒くさいハードな事をさせてしまって恐縮です」
「い、いえ。私の為を思って指導して頂いているのですもの。却って申し訳無く思っ」
「全くパーデリ公爵の考えなしで非常識な行為のおかげで、お互い苦労させられますね」
アルティナの台詞を微妙に遮りながら、デニスは殊更『非常識』という言葉を繰り返した。それを聞いて黙り込んでいるリディアに向かって、デニスがわざとらしい笑みを振り撒く。
「勿論、依怙贔屓などと思われない様に、ご希望とあらば白騎士隊のどなたでも、同様の事を手取り足取りみっちり指導して差し上げますよ? リディア副隊長も如何ですか?」
「……結構です」
「そうですか。それは残念です」
しかしここであっさり引くようなデニスではなく、売られた喧嘩は倍返しとばかりに、些か馬鹿にした口調で話を続けた。
「しかし、自分よりも遥かに体格的にも経験的にも劣る、試合の冒頭から小娘呼ばわりしたらしいアルティナ様に、多少殴られた位で倒れる傭兵とは驚きましたよ。そんな三流傭兵を大真面目に推薦してくるなんて、よほどパーデリ公爵には人を見る目が無いらしい。しかしそうなると……、公爵がこれまで騎士団に推薦してきた人材も、資質的にどうなのかと疑われても仕方がありませんよね? リディア副隊長、そこら辺をどう思われますか?」
「あなた……!」
デニスに含み笑いでそう言われたリディアは、当て擦られているのが分かり、怒りと羞恥で顔を赤くした。それを見たアルティナは(わざわざそこまで言わないでよ)と思ったものの、一応事態の収拾を試みた。
「デニス。副隊長はパーデリ公爵からの推薦の筈よ。失礼でしょう。謝罪しなさい」
一応主筋らしく言い聞かせると、デニスはわざとらしく驚いてみせてから、リディアに向かって神妙に頭を下げる。
「リディア副隊長はパーデリ公爵領のご出身で、ご領主の公爵が推薦者でしたか。これは大変失礼しました。仮にも副隊長に就任されている方が、木偶の坊な訳ありませんね。誠に失礼致しました」
言っている内容は殊勝なものだが、一言余計なデニスの台詞にアルティナは無言で額を押さえ、リディアは低い声で呻く。
「……わざとね?」
「最初に絡んできたのはそっちだ。身の程を弁えろ」
それに対し、デニスが押し殺した声で恫喝してから、一転して突然明るい声を張り上げた。
「それでは先程話題に出た傭兵の例もありますし、パーデリ公爵領では女性がメイスを振り回すのが流行っているのかどうか教えて貰えませんか? 何だったら、実際に見せて頂きたいのですが」
「ちょっとデニス! 何を言い出すの!」
どう考えても面白がっているしか思えないデニスの口調に、さすがに傍観できなくなったアルティナは慌てて窘めようとしたが、それより早く、興味津々の視線がリディアに集まり始めた。
「はぁ?」
「おいおい」
「え? やるのか?」
「それは俺達も見たいな」
「……っ!」
「え? あの、副隊長!?」
そんな囁き声を耳にしたリディアが、ギリッと歯軋りしたと思ったら、殆ど手付かずの料理を乗せたトレーを持ちながら立ち上がり、無言のまま返却台に向かった。その背中を見ながら、デニスが皮肉っぽく呟く。
「もったいない。食べてから出れば良いのに、馬鹿丸出しだな。そもそも、食べ終えてから絡めば良いものを」
「デニス。幾ら何でも言い過ぎよ?」
アルティナが軽く睨み付けながら注意したが、デニスはどこ吹く風で素っ気なく言い返した。
「さっきも言いましたが、先に絡んできたのは向こうですから。それに、結構怪我をしたじゃありませんか。俺もそれなりにパーデリ公爵に、腹を立てていましてね」
「だからって……。彼女は無関係でしょうが」
「俺は聖人君子じゃないので、目の前に居る者に平気で八つ当たりするんですよ」
「だけど、せっかくリディアとの距離を詰めようって頑張ってる時に」
「だからですよ。せいぜい苦労すると良いんです。二人同時に嫌がらせできるなんて、最高ですね」
デニスがそう言いながら鼻で笑った為、ある事に思い至ったアルティナは、思わず顔を引き攣らせた。
「デニス……。あんたまさか、まだグレイシアさんを上級女官にした事、根に持ってるわけ!?」
「驚きですね。どうして俺が、もう水に流したとか思ってるんですか」
淡々と言い返して食べ続けるデニスを見て、アルティナが思わず呻く。
「器が小さい……」
「何とでも。これで益々騎士団内で『血塗れ姫』の異名が広がりますし、リディア副隊長の立場が微妙になりそうですね」
「……陰険」
「誰のせいだと思ってるんですか」
恨みがましく口にしたアルティナを切って捨てたデニスは、そのまま料理を食べ終えてさっさと食堂を後にした。
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