(2)密談

「失礼します」

「ようこそ、カーネル殿」

「やあ、元気そうだな、カーネル」

 カーネルが、予め打ち合わせていた時間に白騎士隊隊長室に出向くと、その部屋の主であるナスリーンが出迎えたのは当然だとしても、その傍らに立っているアルティナの口調が、聞き慣れたアルティンの物だった為、軽く眉根を寄せた。


「もうアルティン隊長になっていらっしゃるんですか……。ナスリーン殿、昼日中からどうやったんです?」

「これでです」

 ナスリーンが机の上から、例のガラス製の爪やすりを持ち上げ、例の耳障りな音を出してみせると、カーネルも無言のまま反射的に顔を顰めた。それを見たアルティナが、苦笑しながら説明を加える。


「アルティナはこの音が嫌い、と言うか、生理的に受け付けないらしい。これを耳にすると、すぐに気絶するんだ」

「既に何回か彼女の前でしているので、私の事をアルティナが相当無神経な女と思っていないか、最近心配で仕方がありません」

 ナスリーンがそんな愚痴めいた台詞を口にした為、カーネルはアルティナに対して、難しい顔になって訴えた。


「アルティン隊長。ほどほどになさって下さい。本当にアルティナ殿の中のロミュラー隊長の評価が、下がりきってしまいます」

「それは無いと思うんだがな」

 アルティナが苦笑いで肩を竦めたところで、ナスリーンが彼に椅子を勧めた。


「そうなると、この前の入団試験の騒ぎの時も、アルティン隊長に入れ替わっていたのですか?」

「ええ、そうです」

「あの時はケインに言付けて、色々手配してくれて助かった。あれで相手のダメージを大きくできたからな」

 未だに自分の事を「隊長」と呼ぶのを止めない元部下に、しつこく改める様に言うのを諦めながらアルティナが礼を口にすると、カーネルはがっくりと肩を落とした。


「正直に言うと……、かなり後悔していますよ。冷遇されていようが何だろうが、れっきとした公爵令嬢に、『血塗れ姫』などと物騒すぎる異名が付いてしまうなんて……」

 痛恨の表情でそんな事を告げられた為、下手に宥めたら逆効果だと瞬時に悟ったアルティナは、慌てて話題を変えた。


「ま、まあ、そこら辺は、取り敢えず置いておいて。この間の調査内容を、報告して貰いたいんだが」

「分かりました」

 促されて、すぐに意識を切り替えたカーネルは、緑騎士隊隊長の顔で話し始めた。


「司令官会議で随時報告はしていますが、現時点ではラグランジェ国との人や物資の移動は、目立って増えている様子はありません」

「そうそうあからさまには、動かないだろうしな」

「ただ、王都内では動きが見られています。流石にラグランジェ大使公邸に一堂に会する様な馬鹿な真似はしていませんが、各自茶会や夜会を開催していますし、詩の朗読会や室内劇の観劇会まで含めると、社交シーズンから外れている今の時期にしては、動きが活発です」

「類友を計画に引っ張り込もうと画策している可能性もあるな。以前名前の上がった家以外にも、怪しい所はマークしておけよ?」

「心得ております」

 難しい顔をしながらも、阿吽の呼吸でどんどん話を進めていく二人を観察していたナスリーンは、無言のまま小さな笑いを漏らした。


(アルティン殿は以前、『自分を隊長とは呼ぶな』と言ったけど、やはりお二人とも、まだ上下関係が抜け切っていないみたいね)

 そんな事を考えていると、カーネルが話を振ってくる。


「それから、ロミュラー隊長からご依頼があった件ですが」

「はい、リディアの家族の件ですね。どうなりましたか?」

 瞬時に真顔になって尋ね返したナスリーンに、カーネルは幾分表情を険しくしながら、詳細について告げた。


「パーデリ公爵領で、母子で暮らしている場所に部下を向かいましたが、留守になっていました。近所の者の話では、その部下が訪れる前日にパーデリ公爵の私兵がやってきて、馬車で二人を連れ去ったそうです」

 それを聞いたナスリーンとアルティナは、揃って顔色を変えた。


「その二人は、今現在どこにいるのか判明していますか?」

 そのナスリーンの問いに、カーネルが即座に答える。

「走り去った方角から推定すると、公爵領の公爵家の屋敷らしいので、そのまま探らせています。それでロミュラー隊長のご指示を、再度確認しようかと思いまして」

 そこでナスリーンは、迷わず即答した。


「緑騎士隊にご面倒をおかけしますが、二人の所在が確認され次第身柄を確保して、速やかに安全な場所に移送して下さい」

「分かりました。二人を匿う場所については、既にシャトナー副隊長と話を詰めていますので」

「宜しくお願いします」

 そうすんなり話が纏まったのを見て取ったアルティナが、カーネルに声をかけた。


「カーネル。一応念の為に、私に横流しして欲しい備品があるんだが」

 その要請に、カーネルは疑念に満ちた視線を返した。


「一体何を、欲しいと仰るんです……。言っておきますがあなたはともかく、変な物をアルティナ殿に渡しても、使いこなせるとは思えませんが?」

「それに関しては、大丈夫じゃないかな? アルティナは運動神経は悪くないし、戦闘センスも良い」

「ヤスリの音で気絶する位、繊細な神経の持ち主でもいらっしゃいますが?」

「…………」

 白々しく述べたアルティナに、カーネルが皮肉げに言い返す。それを聞いた彼女が微妙に視線を逸らしたのを見て、カーネルは溜め息を吐いてから、色々諦めた様に口を開いた。


「……分かりました。それで取り敢えず、何が欲しいんですか?」

「これだ」

 予め用意しておいた折り畳まれた用紙を、アルティナが端的に告げながら差し出すと、それを受け取って内容を確認したカーネルが呆れ果てた顔つきになりながらも、了承の返事をした。


「早速、準備します。ですがアルティナ殿にお渡ししても、戸惑われるだけでしょう。これは私が早世したアルティン隊長に瓜二つのアルティナ殿を心配して、公私混同で指導役込みで彼女に押し付けた、と言う事で周囲には説明して下さい」

「何が書かれているかは知りませんが、カーネル殿がそこまで仰るなら、確かにそうしないと、どうして正規の武器で無い物を持たされたり、使い方を練習しなければいけないのか、“彼女”には到底理解できない代物なのでしょうね」

 渋い顔でカーネルが主張した内容に、ナスリーンが尤もだと重々しい頷く。それを見たアルティナは、盛大に溜め息を吐いた。


(うぅ、結構面倒くさいし、そうなると公私混同の上に依怙贔屓したと、カーネルの評判が悪くなりかねないんだけど……。この場合、仕方がないわね)

 すっかり手に馴染んでいる品々である為、本当なら指導など必要無いものの、アルティナはこの場は仕方がないと素直に礼を述べた。


「すまない。カーネル、宜しく頼む」

「構いません。指導役はアルティナ殿と面識がある方が良いでしょうから、デニスを差し向けます。その方が連絡も取り易いですし」

「相変わらず、抜け目がないな」

「恐れ入ります」

 そこでアルティナと苦笑し合ってからカーネルは部屋を出て行き、再び二人きりになった部屋で、アルティナがナスリーンに声をかけた。


「残念ながら、一足遅かった様ですね」

「ええ。ですが緑騎士隊の方が引き続き探ってくれていますし、二人に関しては、当面はカーネル殿にお任せしましょう」

「そうですね。それに……、これでパーデリ公爵が、今後も何やら動くのは確実らしいと分かりましたし。それで、この事は副隊長には?」

 表情を引き締めてアルティナがお伺いを立てると、ナスリーンも硬い表情で応じる。


「状況が明確になるまで、口にするつもりはありません」

「そうですね。ナスリーン殿からアルティナに、リディアの様子をさり気なく観察する様に言っておいて下さい」

「分かりました。人質云々は言わないでおきますが、注意する様に伝えておきます」

(本当にここまでやるとはね。どこまで根性が腐ってるんだか)

 そんな風に冷静にナスリーンと会話を交わしながら、アルティナは心の中で静かに怒りをたぎらせていた。

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