第5章 陰謀

(1)嵐の前の静けさ

 ユーリア達が出仕してからひと月以上経過しても、クリフの後宮詣では終わらなかった。


「やあ、ユーリア。最近、調子はどうかな? 何か困っている事は無い?」

「幸い疲れも出ていませんし、皆、優しい方ばかりで、色々助けて頂いています」

「それなら良かった。はい、いつもの差し入れ」

「どうもありがとうございます」

 後宮詣でと言っても、後宮の一番表側に設置されている取り次ぎ所で呼び出しをかけ、行き来する文官や侍女、警備の騎士の視線を集めながらのやり取りになるのだが、この間クリフは殊更目に付くようにして、わざと噂を煽り立てていた。


「これのおかげで、後宮内で色々炙り出す事ができたので、そろそろ連日の様に持って来なくても宜しいですよ?」

 結構大きな菓子箱を軽く持ち上げながら、ユーリアが声を潜めて申し出たが、クリフは笑って同様に小声で反論した。


「炙り出しが終わった途端に止めてしまったら、元からそれを目的にしていたと思われて、周囲に怪しまれるだろう? もう暫くは続けるよ。それに最近時間に余裕ができたから、日中ここを訪ねやすくなったから、気にしないで良いから」

 それを聞いたユーリアが、不思議そうに首を傾げる。


「どうしてこちらに、顔を出し易くなったんですか?」

「実は先月末、配置換えになってね。内務省勤務は変わらないが、大臣書記官室では無く、史料編纂室勤務になったんだ」

 事も無げに言われた内容に、ユーリアは一瞬怪訝な顔になってから、驚いて声を荒げた。


「史料編纂室…………、って! なんだか左遷された様な部署名に聞こえるんですが!?」

「客観的に見ればそうだろうね。それで勤務時間内に随分余裕ができたんだ」

「『できたんだ』って……、クリフ様……」

「対外的には婚約者なんだからね。『クリフ』だけで良いよ」

 額を押さえて深々と溜め息を吐いたユーリアに苦笑してから、クリフは先程彼女が叫んだ為に周囲の視線を集めてしまったのを確認しながら、注意深く低い声で尋ねた。


「それより、妃殿下の周囲に変わった事は?」

「嫌がらせとかは相変わらずですけど、一時期よりは酷くないと、前から配置されている方が言っていました」

「ふぅん? 落ち着いたのか、何か他の事に意識を向けているのか……」

 即座に真顔に戻ってユーリアが報告してきた内容を聞いて、クリフは僅かに考え込む表情になった。しかしすぐに話を進める。


「それで連絡鳥を使って、外部と必要な連絡は取ってるんだよね?」

「ええ。それは問題無く。予想外に多くの鳥が庭園の外縁の大木に巣を作ってくれて、連絡鳥の行き来が目立たなくなって助かっています」

 それを聞いたクリフは、そんな事態を引き起こした原因の代物の事を思い出して、笑いを堪えた。


「ああ、例の“あれ”で呼び寄せた鳥か」

「ええ。例の“あれ”です。あの類の嫌がらせは従来からあったみたいで、飽きもせず途切れずに贈られてくるので。有効活用の最たる物ですね」

 ユーリアも苦笑の表情になったが、ここでクリフが忌々しげな表情になる。


「一人や二人じゃ無いのだろうとは、想像が付くが……。そんな非生産的な事を延々と続ける人間の、精神構造が理解できない」

「クリフ様は頭が良いですから」

「どうもありがとう。ところでマリエルは元気にしているかな? 人に仕えるなんて事は、これまでした事が無いし、入ったばかりの頃はともかく、そろそろ飽きたり癇癪を起こしていないか心配なんだが」

 ついでのように話題を変えたクリフに向かって、ユーリアが少々呆れ気味の視線を向けた。


「クリフ様……。兄としては、真っ先に尋ねるべき事ではないんですか?」

「確かに、薄情と思われても仕方がないな。だが何となく、マリエルはどこでも上手くやっていける気がするから」

「確かにお元気ですし、上手く務めていらっしゃいますよ? 女官と言っても侍女の様な身の回りのお世話をする訳ではありませんし。王女殿下に好かれてしまって、最近は専ら遊び相手になってますね」

 苦笑いしながらユーリアが説明すると、急にクリフが不安そうに呟く。


「……マリエルの精神年齢が、四歳児と同レベルで無い事を祈るよ」

「それはありませんから」

 さすがに笑って否定してから、ユーリアはつい先程聞いた話を口にした。


「それから、今までは色々バタバタしていたり、覚える事が沢山有って無理でしたが、そろそろ交代で休暇を頂けそうです」

「へえ? そうなんだ」

「はい。そうしたら泊まりがけで帰れますし、その時にご本人から直接詳細を聞いてみて下さい」

「分かった。それじゃあ」

「はい。ありがとうございました」

 不必要に長居して油を売っていると周囲に思われない様に、クリフは頃合いを計って取り次ぎ所を後にした。そして「取り敢えず変な動きは無さそうだな」と呟きながら、執務室が連なっている内宮に戻って廊下を歩いていると、正面から旧知の人物が書類の束を抱えたまま、駆け寄ってくる。


「シャトナー次席書記官!」

 その声に、思考の中に意識を埋没させていたクリフは、軽く顔を上げて相手を認識し、かつての同僚に向かって明るく声をかけた。


「やあ、アズリング。頑張っている様だな。だが俺はもう次席書記官じゃないぞ? 今その地位に居るのはお前じゃないか」

 しかし傍目には出世頭と目される同年輩の男は、喜ぶどころか自分の不運を嘆き始めた。


「やってらんねぇぞ! 端から見ていても大変だなとは思っていたが、本当に何なんだあの連中!? お前、これまで良くあいつらの面倒を見てこられたな! 仕事を下に丸投げする癖に、上げた書類を平気で無くすわ締め切りはハナから無視するわ。挙げ句に総責任者なのに計画策定が穴だらけだし、フォローしきれねぇぞ! 徐々に他の部署からのクレームが増えてるんだ! 頼むから早くうちに戻ってきてくれ!!」

 自分が更迭まがいの人事を受けて、その後任に命じられた時はほくそ笑んでいた男が、これまでの取り澄ました口調をかなぐり捨てて迫ってきた為、クリフは爆笑したいのを必死に堪えた。そして傍目には神妙な顔付きで応じる。


「愚痴位なら幾らでも聞くが……。恐れ多くも俺は内務大臣から、勤務態度が悪いと指摘されて配置換えになったわけだし。今更、復帰の目など無いだろう」

「それに関しては、主席秘書官殿も『シャトナーが非を詫びて頭を下げるなら、取りなしてやる』と言ってるから!」

「だがな、アズリング。俺は自分の行動や勤務態度の、どこがどう悪かったのか、考えてみても未だに分からないんだ」

「それは……、確かに俺達にも分からんが……」

 相手が口ごもった隙を逃さず、クリフは冷静にたたみかけた。


「異動の辞令が出た時、それを直に大臣から告げられたが、ご本人からどこがどう悪かったのか、具体的な説明が一切されなかったものだから、そこを反省して改善したり態度を改める事などできない。そんな状態で謝罪しても、所詮上辺だけのものだ。秘書官室に戻っても、再度大臣を不快にさせるだけだろう? だから主席秘書官殿に無駄に頭を下げさせるのは申し訳ないから、この機会にじっくり建国からの史料に触れる事にするよ。過去を知る者は未来に通ずってね。それじゃあ、健闘を祈る」

「おい、シャトナー!」

 言いたいだけ言って笑顔で別れを告げたクリフに、相手は一瞬追いすがろうとしたが、仕事中である事もあって再び書類を抱えてどこかへ走り去って行った。背後のその足音を耳で確認しながら、クリフは密かにほくそ笑む。


「もう仕事が滞っているとみえる。使い勝手の良かった、優秀な部下のありがたみを実感しやがれ、無能どもが」

 そんな事を呟きながら、クリフは今現在の自分の職場に戻った。


「戻りました」

「ああ。シャトナー、今、史料保管室に王太子殿下がいらしているので、お邪魔しない様にな」

「了解しました。それでは修復した国史史料だけ、所定の位置に収納して来ます。儀典室から申請のあった史料は、殿下がお帰りになってから選定する事にしますので」

「そうしてくれ」

 能力はあるが、善良過ぎて出世街道から外れた上司に会釈し、クリフは机に積み重なっていた書籍を抱えて隣室へと入った。そして書架が並ぶ間を抜けていくと、目的の場所に到達する前に声をかけられる。


「やあ、シャトナー次席書記官」

 楽しげにそう呼びかけてきた王太子に向かって、クリフは苦笑で返した。

「お目にかかれて光栄です、殿下。ですが私は、今現在その肩書きは保持しておりませんが」

「うっかりしていた。その事で出向いて来たのにな」

「お気遣いなく。元々無能な上司に仕える事程、人生を浪費する事は無いと思っておりましたので」

 そこで互いに苦笑いしてから、クリフは時間が勿体ないとばかりに、書籍を抱えたまま話を切り出した。


「それよりも、後宮内は取り敢えず落ち着いた様ですね」

「ああ。本当に助かっている」

「ですが、あまり気を抜けないかと。それなりに使えると分かっている私を放り出して、仕事を滞らせるのを覚悟で、自分達の手の内を探られるのを嫌がった結果だと思われますから。単なる腹いせに過ぎない、考え無しな行為の可能性もありますが」

 クリフが真顔で推論を述べると、ジェラルドも重々しく頷く。


「確かに、簡単に諦める者達では無いだろうな。引き続き、別な方向から攻めるつもりだと思う」

「ですから、妃殿下は勿論ですが、殿下ご自身も十分お気をつけ下さい」

「王太子の首をすげ替える、か。ランディスにも注意する様に言われた」

「差し出がましい事を申しました」

 小さく笑いながらジェラルドが口にした内容を聞いて、クリフは即座に謝罪しつつ、(公になっている以上に、殿下達の仲は良好らしい)との情報を頭にインプットした。そんな彼を様子を眺めながら、ジェラルドが悪戯っぽく笑いながら告げる。


「別に構わない。私が排除されたら、君の復帰の目も微妙になるからな。君が返り咲く為にも、存分に働いてくれ」

「勿論、そのつもりでおります」

「その代わり無事に事が片付いたら、君の処遇に付いては最大限に考慮しよう。なんなら今、一筆書いておくか?」

「ありがとうございます。殿下にお約束頂けるなら、口頭で結構です」

「そうか」

 そこで満足そうに頷いたジェラルドは、顔付きを改めてクリフに命じた。


「引き続き気になった事があれば、騎士団長か私に報告を。外から見た方が、却って見える物もあるだろうからな」

「畏まりました」

 クリフも恭しく頭を下げ、それからジェラルドは何事も無かったかのように、史料保管室を出て行った。

 そしてクリフは目的の書架に到達してから、運んできた書籍を該当する場所に収納し始める。


「取り敢えず王太子殿下に顔と名前を売れたし、さっさと騒ぎを起こしてまとめて失脚して欲しいものだな。あの馬鹿どもには」

 そんな本音だだ漏れ、かつ不穏極まりないクリフの発言を耳にした者は、本人以外は皆無だった。

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