(16)裏の繋がり
ケインから解放された後、アルティナは通常の勤務に入り、何事も無く日勤を終わらせた。それから食堂で夕食を受け取って一人で食べ始めたが、その直後にバタバタと駆け寄る複数の足音が聞こえて、軽く眉根を寄せる。するとその騒々しい集団は、まっすぐ彼女の所にやってきた。
「アルティナさん、大丈夫だったの!?」
「え? 『大丈夫』って、何が?」
顔を上げて走り寄って来た同僚達に尋ね返すと、彼女達は安堵した様にアルティナの周りの席に腰を下ろしながら、口々に言い出した。
「『何が』って……、聞きたいのはこっちの方なんだけど?」
「今日の日中、他の隊の人とすれ違うたびに、あなたが血塗れになりながら女傭兵を殴り殺したって言われたのよ?」
「私はあなたが、相手のメイスで体中殴打されて切り裂かれて、それはそれは凄惨な現場になってたって聞いたんだけど」
全員、真剣そのものの顔付きで物騒すぎる内容を訴えてきた為、アルティナは心の中でデニスを罵倒した。
(デニス……。あんた一体、騎士団内でどんな噂を流してるのよ!? しかも王宮内でこれなら、王宮の外ではどんな噂になってるか、怖くて想像できないわ)
アルティナは心底うんざりしながら、しかし何とか笑顔を作って、同僚達に説明した。
「落ち着いて、良く見て頂戴。そんな大怪我なんてしてないって、一目で分かるでしょう? 今日同じ所で勤務していた人達は、怪我の具合は分かっていたけど、他の所では大袈裟な話が広まってしまったみたいね」
そう苦笑しながら怪我の具合を確認して貰うと、さすがに彼女達も頭が冷えたのか、少々ばつが悪そうに謝ってくる。
「そ、そうよね。ごめんなさい、取り乱して」
「でも、流血沙汰になったのは確かなのよね? 本当に大丈夫だったの?」
「流血沙汰と言っても、メイスに弾かれて剣を落とした私が、恐怖のあまり無意識に拳で相手の顔を殴ってしまったら、偶々それが鼻に激突して鼻血が出たというだけの話なの」
「あ、そうだったの。凄い偶然ね」
「ええ。その時、右手に血が付いてしまったのは勿論、至近距離にいたから少々鼻血が飛んで、顔にはねてしまって。それに鼻血が付いた右手で無意識に顔をこすってしまったから、顔に血が付いてしまって。落とす前にそれを見ていた方には、相当驚かれてしまったの」
口調や表情から、本当に自分の事を心配してくれたと分かったアルティナは、彼女達に感謝しながら笑顔で宥めた。それで漸く、周囲に安堵した空気が漂う。
「確かにそんな顔を見たら、驚かれてしまうわね」
「まさかアルティナさんみたいな人が、無傷で傭兵を殴り倒すなんて思わないもの」
「それで話に変な尾鰭が付いて、伝わっちゃったのね」
周囲はアルティナの話に驚きながらも、特に疑う事無く、その話を受け入れた。
「でも相手は殴られただけで、簡単に倒れたの?」
「ええ。偶々バランスを崩していたのと、倒れた時に頭の打ちどころが悪くて気絶したらしくて。試合続行不可能と隊長が判断して、お引き取り願う事になったわけ」
「なるほどね。ほら、言ったじゃない。アルティナさんがそんな怖い事をする筈が無いって」
「ちょっと! あなただって、本気で驚いていたじゃないの!」
そこで揉め始めた彼女達を苦笑しながら宥めたアルティナは、そのまま彼女達と一緒に楽しく夕食を食べ終え、断りを入れて一足先に寮の自室へと向かった。
「しかし今日は、本当に危なかったわね。変な噂まで流れる羽目になったんだから、これ以降は迂闊に推薦したり、話に乗る様な人間が出て来なければ良いんだけど……」
食堂から白騎士隊の寮に向かって歩きながら、アルティナが独り言を呟いていると、建物に囲まれた中庭の方から、男女の話し声が聞こえてきた。
「リディア?」
通常であれば気にも留めずに通り過ぎた程度の囁き声だったが、一方の声が聞き覚えのある人物の声であった為、アルティナは周囲に気を配りながら、声のする方に足を向けた。そして回廊から中庭へと下り、注意深く木々の陰になるように進んでいき、先程の者達の会話がしっかり聞き取れる所に身を潜める。
「大体、お前が試験官になって、あっさり負けておけば良かっただろうが」
「そもそも私は、今日は王妃陛下の護衛で王宮外に出てたのよ。そんな事、無理に決まってるじゃない」
「仮にも副隊長だろ。勤務シフト位、変えられないのか?」
「そんな事をする必要性は無いわね」
男の方は不満タラタラの口調だったが、背を向けているリディアの反応は素っ気なく、明らかに迷惑がっているのが、その口調で分かった。
(あらあら……。そんな他人に聞かれたら拙い話を、人が通りかかる可能性のある所でやったら駄目じゃない。それだけで質の悪さが分かるわ。こんな駒しかいない、パーデリ公爵にちょっとだけ同情するわね)
半ば呆れたアルティナだったが、黒騎士隊の制服を身に着けている同年代の男の顔を観察しながら、真面目に考え込んだ。
(あれは誰かしら。付けているあれは、黒騎士隊の小隊長の記章よね? さすがに余所の隊の小隊長までは覚えて無いわ。リディアが名前を呼んでくれないかしら?)
しかしそう上手くはいかず、リディアが相手の名前を口にする事は無かった。
「まだ分からないのか? どこまで馬鹿だお前は。お世話になった公爵様の為だろうが」
「馬鹿なのはあんたの方でしょう? あのゲス野郎が、私達にどんな世話をしてくれたって言うのよ」
「お前が近衛騎士団で勤務できているのは、公爵様が推薦状を書いてくれたからだろうが」
「はっ、冗談じゃないわよ。気まぐれで手を出した母さんを放り出してから、全然顧みなかったあのろくでなしには、それ位して貰って当然よね」
リディアの侮蔑的な口調に相手の男は苛立たしげな声を出していたが、ここでとうとう声を荒げた。
「何だと? この恩知らずが!」
「あんたの場合、勿論それだけじゃないわよね? あの男の話に乗ったら、息子として認めてやるとでも言われた?」
「…………」
皮肉っぽくリディアが尋ねた途端、彼は表情を消して黙り込んだ。それを見てリディアも一瞬無言になってから、笑いを堪える口調で言い出す。
「まさか図星とか? しかもそれを信じてるの? あんた、どこまで底無しの馬鹿なのよ」
そう言って堪え切れずに「あはははっ!」とお腹を抱えて笑い出したリディアを見て、アルティナは(だから大声を出したら人目に付くって)と呆れ、相手の男は怒気を露わにして叱りつけた。
「笑うな! 公爵様は俺の目の前で、俺をちゃんと息子だと認める書類を書いてくれたんだぞ!」
そう主張した目の前の男に、リディアが皮肉っぽく尋ねる。
「へえ? それはそれは。じゃあ、あんたはそれをその場で貰って、ちゃんと持ってるわけ?」
すると彼は途端に言葉に勢いを無くしながら、弁解するように言い返す。
「いや……。それは事が成功したら、改めて俺に渡すと公爵様が……」
「そんなの、事が済んでも渡すわけが無いじゃない。と言うか、あんたが目の前から居なくなった直後に、破り捨ててるに決まってるわよ。どうせ良くても捨て駒なんだろうし」
「何だと!?」
「そんな救いようのない馬鹿と同類と思われるのは嫌だから、今後は近づかないでくれる? はっきり言って、同郷出身と思われるのも迷惑よ」
「何だと!? 女だと思って優しくしてれば、つけあがりやがって!」
「どこが優しくよ! 頭ごなしに命令してきただけじゃない! そんな力量も権限も無いくせに!」
「ふざけるな!」
明らかに嘲笑してみせたリディアに、激高した男が恫喝しながら掴みかかる。
(うわ、これはちょっと拙いわね。副隊長の言い分は尤もだと思うけど!)
かなり緊迫した状況になった事を確認したアルティナは、素早く考えを巡らせながら、木立の陰から抜け出て二人に駆け寄った。
「二人とも、喧嘩は止めて下さい!!」
「……え!?」
「アルティナ?」
大声で叫びながらやって来た彼女を、リディア達はギョッとした顔で見やったが、アルティナは軽く息を整えてから真顔で二人に向かって訴えた。
「少し、冷静になって下さい。お付き合いをしていれば、色々と意見の相違や習慣の違いとかで衝突する事もあるでしょう。ですがそれを一つ一つ乗り越えて、確固たる関係を築き上げていく事が、何より重要だと思います!」
「はぁ?」
「……何を言っているの?」
いきなり突拍子も無い事を言われ、リディア達が怪訝な顔をすると、その反応にアルティナも戸惑った顔を装った。
「え? だってお二人は恋人同士で、いわゆる痴話喧嘩と言うものをされていたのでは?」
首を捻ったアルティナを見て、リディアはチラッと相手の男に視線を向けてから、慎重にアルティナに問いかけた。
「どこから話を聞いてたの?」
「ええと……、確か『救いようのない馬鹿と同類と思われるのは嫌だから』辺りからでしょうか? そちらの男の方がお買い物をした時に、計算を間違えて店員にお釣りを誤魔化されたのを知って、リディア副隊長が怒ったとかですか? でも暴力はいけないと思います。貶された事で腹を立てたのは分かりますが、今度からお釣りを誤魔化されない様に、副隊長に計算を教えて頂いたらどうですか? それが建設的な解決法だと思います」
真面目くさってアルティナが主張した内容を聞いて、男が不愉快そうに顔を歪めながら悪態を吐く。
「お前の目は、相当な節穴だな。俺が釣りを誤魔化される様な、間抜けだと思うのか?」
「違うんですか?」
嫌みを真っ向から跳ね返し、不思議そうに尋ね返した制服姿のアルティナを見て、男は小さく舌打ちしてからリディアに向き直った。
「何だ? このいかれた女は。白騎士隊だよな?」
「アルティナ・シャトナーよ」
リディアが端的に告げると、男は驚いた様に目を見張り、アルティナに向き直った。
「これが? あの女傭兵を叩きのめしただと?」
「さっきも言ったけど、私は見ていないから詳しい所は分からないわ」
「あの……、お二人は喧嘩をされていたのではないんですか? 何か、別のお話だったのでしょうか?」
尚も不思議そうにアルティナが尋ねてみると、拙い事は聞かれてはいないらしいと判断した二人は、素っ気なく言い放った。
「何でもない」
「あなたには関係無いわ」
「はぁ……」
そして目の前で左右に別れて立ち去った二人を見送ってから、アルティナも元の回廊に戻って寮に向かって歩き出した。
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