(15)血塗れ姫の誕生

「え?」

「今度は何だ?」

「彼女、何もない所で、いきなり倒れたぞ」

「どうしたんですか!?」

 慌てて何人かが駆け寄ってきた為、ナスリーンは地面に片膝を付き、うつ伏せのままピクリともしないアルティナの様子を確認しつつ説明した。


「どうやら彼女は一気に疲れが出て、足がもつれてしまったみたいです。呼吸はしっかりしていますし、頭を打って意識を失っただけだと思いますから、心配は要らないでしょう」

 それを聞いた周囲の者達は、一様に安堵した表情になる。


「そうですか」

「いや、びっくりしましたよ」

「それじゃあ、私が医務室に運び」

「俺が運びます」

(げ!? ここででしゃばって来ないでよ!)

 周りの声を遮って、有無を言わさず断言してきたケインの声を聞いて、アルティナは地面に横たわったまま真っ青になった。しかしナスリーンが無情にも、あっさりと彼女をケインに引き渡す。


「ああ、シャトナー副隊長。彼女をお願いしても構いませんか?」

「勿論です。ロミュラー隊長は団長へ提出する報告書の作成もしなければいけない筈ですし、このまま隊長室にお戻りになって結構ですよ? アルティナの意識が戻って怪我の手当ても済んだら、私が責任を持って送って行きますから」

「そうですか。それでは宜しくお願いします」

(何であっさり引き渡してくれてるんですか、隊長! それにケイン! あんた仮にも副隊長でしょう!? 部下や任務ほっぽりだして、良いと思っているわけ!?)

 心の中で盛大に悪態を吐いたアルティナだったが、彼女の上半身を軽く持ち上げながら、その身体を反転させたケインは、楽々と彼女を両腕で抱え上げながら、付いて来た部下に断りを入れた。


「悪いな。暫く医務室に居る」

「分かりました」

「何かあれば連絡致します」

(こら! 規律が緩すぎでしょうが、黒騎士隊!)

 ケインの部下達にも八つ当たりしたアルティナだったが、彼らにしてみれば点々と血が付いた上に、所々土や血で擦った跡が付いている彼女の顔を見て、下手に他の人間に任せたら今度こそケインがぶち切れると判断した故の事だった。

 そして周りからの好奇心に満ちた視線を無視しながら歩き出したケインは、廊下に人気が無くなったところで、腕の中のアルティナに囁いてみる。


「……アルティン、お前だな? 当然意識はあるな?」

「話しかけるな」

「分かった。全く、お前って奴は……」

 即座に返ってきた同様の囁き声に、ケインは心底呆れた呟きを返してから、再び黙って廊下を進んだ。

 結局誰にも咎められる事無く、アルティナを抱きかかえたまま騎士団棟内の医務室に到達したケインだったが、室内が無人だった事で当てが外れた表情になった。


「何だ、医務官は留守か。都合は良かったが」

 それを聞いたアルティナが両目を開けながら、皮肉っぽくアルティンの口調で応じる。


「さすがにあの怪我だし、馬車の待機所に医務官が呼ばれたんじゃないのか? パーデリ公爵が『馬車の中が血で汚れるのは嫌だから、乗せる前にさっさと治療しろ』とかほざいて」

「もしくは『こんな血まみれの者を、私の馬車に乗せられるか』と放置して帰って、地面に転がされたままの傭兵を治療しているとか?」

「そっちの方があり得るか」

 そこでお互いにうんざりした表情で溜め息を吐いてから、ケインはアルティナを床に下ろし、目の前の椅子を指し示しながら促した。


「とにかくそこに座って、怪我の具合を見せろ」

「見せろと言われても……」

 ぶつぶつと文句を言ったアルティナだったが、ケインの剣幕に負けて大人しく椅子に腰を下ろした。そして腕や臑に装着しておいた防具の留め具を外しながら、弁解がましく怪我の程度について述べる。


「怪我と言っても身体に直撃は受けてないし、ちょっと何ヶ所かかすって、服が裂けたり痣になったりしている程度だ。後は地面に手を付いた時に、掌に擦り傷を作った位だな。近衛騎士団の訓練だったらこんなのはしょっちゅうだし、怪我なんて言えないだろう?」

「念の為、手の包帯も取って確認するからな」

「お前、人の話を全然聞いてないな」

 顔を引き攣らせたアルティナには構わず、ケインは彼女の右手に手を伸ばし、緩めに巻いてある包帯を解いた。その下から現れた、アルティナの人差し指から小指までそれぞれの太さに合わせた、打撃時の衝撃を大きくする為の微妙な突起付きの指輪を見て、心底呆れたような溜め息を吐く。


「全く、殴り合いを想定して、こんな物をアルティナに付けさせるなんて……。彼女が不審に思わなかったのか?」

「さすがに不審に思っていたが、取り敢えずカーネルからの指示通り、身に付けておこうと思ったらしいな。アルティナが素直な性格で助かった」

 そうすっとぼけたアルティナに、ケインが忽ち渋面になる。


「……やはり一度、きちんと言い聞かせないと駄目だな」

「何を言い聞かせる気だ?」

「五月蠅い。黙ってろ」

 如何にも不機嫌そうに四本の指から物騒な指輪を外し、指に大したダメージが無い事を確認したケインは、それから一言も発しないまま備蓄用の棚から薬品を取り出し、アルティナの服の袖を捲って軽く切れたり痣になっている箇所の手当てを始めた。


(気まずい……。黙々と手当てしないでよ)

 変に口答えすると、事態が余計に悪化するのは分かっていたアルティナは、我慢してされるがままになっていたが、手当てがほぼ終わったところで、ケインが怒りを内包した声で非難してきた。


「あれほど傷は付けるなと言っただろうが。アルティナの身体なんだぞ?」

「分かってる。だから間違っても、跡が残る様な怪我はしてないが?」

「まさか、俺に『褒めろ』と言ってるわけじゃないだろうな?」

 うっかり本音を口にしたアルティナを、ケインが殺気の籠もった目で睨む。それに彼女は、若干たじろぎながら応じた。


「機嫌が悪いな」

「当たり前だ。お前とアルティナは違うんだぞ。生きてる時のお前が怪我しても、別に心配なんかしなかったからな。あの馬鹿、ヘマしやがってと思う位だ」

「……それはどうも」

(確かに、そうなんだけどね)

 相手の言っている事は正論だと分かっていたものの、何故か無性にイラッとしたアルティナは、つい仏頂面になって言い返した。それを見たケインが、訝しげな顔になる。


「何だ。どうしてお前まで、不機嫌になっているんだ?」

「さあな。自分を全然信用して無い上に、無神経な誰かさんのせいじゃないのか?」

 その皮肉まじりの台詞に、ケインは無意識に眉根を寄せた。


「……どうして俺が無神経なんだ?」

「分からないなら、わざわざ説明するつもりは無いな。余計に不愉快にさせるのも悪いし」

 アルティナが素っ気なく言ったところで、ケインは険しい表情で彼女の肩を掴みながら、語気強く宣言した。


「とにかく! アルティナが試験官を務めるのは、今回だけだ! ロミュラー隊長には、後で厳重に抗議しておく。今後は絶対に許さんからな!!」

「なんだそれは! 横暴にも程があるぞ!」

 その一方的な物言いに、流石にアルティナは腹を立て、肩を掴んでいるケインの手を乱暴に引き剥がしながら、盛大に言い返した。


「第一、白騎士隊内部の事は白騎士隊隊長に一任されているだろうが! 他の隊の副隊長風情が、余計な口を挟むな!!」

「ふざけるな! アルティナは俺の妻だぞ!! こんな心臓に悪い事を、繰り返されてたまるか!」

「はっ!! 他人の五割増し強い心臓を持ってるくせに、何をほざく」

「何だと!?」

「第一、誰が貴様の様な頭でっかちの横暴な奴を、アルティナの夫として認めるか!」

「貴様に認めて貰う必要は無い!!」

「ふざけるな、もう一度言ってみろ!?」

 そこで二人とも椅子から立ち上がり、端から見ると取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな雰囲気を醸し出したところで、パンパンという軽い拍手の音と共に、聞き慣れた声が耳に届いた。


「はいはいはい、お二人とも大変仲がよろしいのは結構ですが、いつ誰が通りかかるか分からない場所なんですから、話の内容には注意しましょうか」

「……デニス」

「邪魔をするな」

 出入り口に近い所に、いつの間にか佇んでいたデニスに、二人は冷え切った目を向けたが、付き合いの長い彼は、当然びくともしなかった。


「取り敢えず、今後女傭兵が推薦状を持って王宮に押しかけて来ない様に、確実な手を打ちますから。また物騒な試験官を務める事は、無いと思いますよ?」

 そんな事を飄々と告げてきたデニスに、アルティナが不思議そうに尋ねる。


「手を打つって、何をする気だ?」

「傭兵の斡旋紹介を生業としている周辺に、ちょっとした噂を流すだけですよ。『馬鹿な公爵の口車に乗って、近衛騎士団白騎士隊の入隊試験を受けたメイス使いのディルが、血塗れ姫によって返り討ちにされて再起不能になった』って」

「ちょっと待て、デニス。『血塗れ姫』って何の事だ?」

 確かに相手を派手に撃退すれば、今後パーデリ公爵から同様な誘いを受けた者は躊躇するだろうと思ってはいたものの、変な名称が入っていた為アルティナが問い質した。するとデニスが、驚いた様に説明を加える。


「何って、アルティナ様の事に決まっているじゃありませんか。ちょっと待ってて下さい…………、さあ、どうぞ」

「…………は?」

 周囲を見回したデニスは、すぐに目的の物を発見して壁際のテーブルに足を進めた。その上から手鏡を持ち上げ、それを持ってアルティナの前に行き、彼女の前にかざす。

 必然的にその鏡にアルティナの顔が映ったが、そこに現れた己の顔の現状を確認した彼女は、顔を強張らせて絶句した。


「いやぁ、さっきの試合の最後。実に良い笑顔で、あの女を見下ろしてましたよね。直に見てた連中、『さすが、あのアルティン隊長の妹だ』って、全員戦慄してましたよ」

「…………っ!」

「ああ、顔の血を拭くのを忘れていたな」

 自分の頬に個数は少ないながらも、明らかに返り血と分かる物が付いており、更に鼻血で汚れた手で無意識に汗を拭ったせいで、額や顎の辺りに血を擦り付けた状態になっているのを認めたアルティナは、この顔を晒したまま競技場からここまで移動してきた事に愕然とした。しかし自分の横でケインが大した事でも無いように言ってのけた為、本気で叱りつける。


「『そう言えば、忘れていたな』とかサラッと言うな、サラッと! 怪我の手当ての前に、いや競技場で、まず最初に顔を拭くべきだろうが!」

「何を馬鹿な事を言っている。怪我の手当てが第一だろうが。それに血塗れだろうが何だろうが、アルティナの魅力が損なわれる事は微塵も無い」

「やっぱりお前、馬鹿だろう!?」

「……本当に、仲が良いですね」

 真顔で言い返したケインに対するアルティナの怒りは益々ヒートアップし、デニスはそんな二人を宥める事を諦めて、完全に傍観者となっていた。

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