(3)不愉快な宣言
翌日早朝。
アルティナとユーリアは、王都のグリーバス公爵邸をごく少数の使用人に見送られて出発した。当然明け方に夜会から帰って来た公爵夫妻は寝室から出て来る気配もなく、ユーリアは(面倒事を押し付けておいて、見送りもなしとはね)と内心で呆れ果てた。対するアルティナは(朝から不愉快な顔を見なくて助かったわ)と寧ろ清々しながら馬車に乗り込み、一路グリーバス公爵領のラナトスへと向かう。
特に急がせず馬車で三日かけて移動し、大きなトラブルもなく二人を乗せた馬車はラナトスに入った。更にその中心部の公爵家の屋敷があるクレスタに差し掛かった時、窓から外の景色を眺めていたユーリアが少し安堵したように言い出す。
「そろそろクレスタの街に入りますね、アルティン様」
外に出る時は必然的に男装している主に合わせて『アルティン様』と呼び掛けたユーリアに、アルティナはアルティンの口調で笑いながら応じた。
「ああ、長かったな。今回は騎馬ではなく、馬車でタラタラ来たから余計に。しかし領地に出向くのは久しぶりだな。何年ぶり……、なんだ?」
何やら急に顔付きを険しくして窓の外を凝視したアルティナに、ユーリアは一気に緊張した面持ちで問い掛ける。
「アルティン様、どうかしましたか?」
「さっき目に入ったんだが、街と街道の境界付近にかなりの人数の兵士が野営していた」
「え? どうしてそんな所に? それにグリーバス家の私兵ですよね? 他家の兵が勝手に入り込んでいたら問題ですし」
「ああ。あの装備は我が家の私兵だ。しかしあの規模なら、訓練目的とは思えないし、そもそもあんな場所で訓練する筈もない。しかもこちらの馬車を確認していた。視線的には、おそらく馬車に付いている我が家の紋章をか……」
「アルティン様?」
徐々に独り言を呟くように語ってからは、黙って自問自答を始めたアルティナを見て、ユーリアはそれ以上余計な事は口にせずに主の様子を見守った。そのままアルティナは窓の外を見ながら黙考していたが、同様に外の景色を眺めていたユーリアが異常を感じ、思わずと言った感じで疑問を口にする。
「あの……、この付近で、何か物騒な事件でもあったのでしょうか? あちこちの曲がり角に、グリーバス家の私兵が立っているみたいですが……」
「そうらしいな」
「…………」
相変わらず窓の外を眺めながらアルティナが淡々と応じ、そんな主の思考えの邪魔はできないと、ユーリアは再度黙り込んだ。しかし滞在予定の屋敷が近付くにつれ、次第に顔が強張ってくる。
「アルティン様、何やら屋敷の周辺が、物々しくありませんか?」
その疑問に、アルティナは皮肉っぽく答えた。
「そうだな。王都の屋敷ならともかく、領地のど真ん中の館に、どうしてこれだけの人数を配置する必要があるのか。れっきとした理由があるのだろうが、どう考えてもろくでもない理由しか思い浮かばないな。わざわざこちらに私を呼びつけた事自体が怪し過ぎるが……。当たって欲しくない勘が当たったらしい」
「アルティン様……」
なんとも言い難い表情になって声をかけてきたユーリアを、アルティナは安心させるように笑って宥めた。
「心配するな、ユーリア。言ってはいなかったが、実はデニスにも休みを取って貰って、カダルで待機して貰っている」
「兄さんが!? 本当ですか?」
唐突に出された身内の名前と、領内の端に位置する街の名を聞いて、ユーリアは本気で驚いた声を上げた。それに詫びを入れながら、アルティナが話を続ける。
「悪い。領内で調査をする必要が出たら、手伝って貰うだけのつもりだったから、一々ユーリアには言っていなかった。ところでユーリア。《手土産》は、きちんと纏めてあるか?」
「勿論です」
唐突に変わった話題に、ユーリアの表情も即座に引き締まった。
「ユーリアにも薄々分かってきたと思うが、おそらくあの兵士達は、私達を守る為に配置されているのではない。もしもの時は……、ここで重ねて言わなくても、段取りは分かっているな?」
「はい」
冷静に念を押してきたアルティナに、ユーリアは無駄な事を言ったり聞き返したりせず、短く答えて頷く。その反応に満足しながら、アルティナは笑って言い聞かせた。
「そんなに怖い顔をしなくても大丈夫だ。いきなりバッサリという事はないだろうし、できる筈もないさ。それに少なくとも、ユーリアの身の安全だけは確保する。安心してくれ」
「……そういう事を心配しているわけではありませんが」
もうこの主には何を言っても無駄だと、ユーリアは諦めて溜め息を吐いた。その様子を眺めながら、アルティナが自嘲的に呟く。
「これまで連中の利益誘導の要請を、悉くはねつけて来たからな。これはいわば、自業自得だろう……」
「納得できません! アルティン様に非はないのですから。恥知らずな利権漁りをしようとした、向こうが悪いに決まっています!」
「まあまあ、そう興奮しないで。ほら、着いたから喚かない」
「……分かりました」
途端に非難の声を上げたユーリアを、馬車が静かに停車した事でアルティナは注意を促しながら宥めた。そしてドアを開けて恭しく到着した旨を告げてきた御者に、アルティナは何事もなかった顔で礼を述べる。
不満げなユーリアに先立ってアルティナが地面に降り立つと、正面にクレスタのグリーバス邸を取り仕切っているラウールが佇んでいた。その彼に、アルティナは気安く声をかける。
「やあ、ラウール。久しぶりだね。暫く世話になるよ」
「お待ちしておりました、アルティン様。まずは応接室でおくつろぎ下さい。早速で申し訳ありませんが、お話もございますので」
「分かった」
恭しく頭を下げた鋭い目つきの男からアルティナは視線を外して振り返り、背後のユーリアに指示を出した。
「それではユーリア、荷物を頼む」
「はい。お部屋で整理を済ませておきます」
いつも通りの態度で頭を下げた彼女と、馬車の荷台からかさばった荷物を屋敷の使用人達が下ろすのを見てから、アルティナはラウールに付いて屋敷の中に向かって歩き出した。
暫くぶりの邸内を物珍しそうに観察しながらアルティナは進み、すぐに庭に面した応接室へと到着する。促されるまま重厚なソファーに座ると、ラウールが壁際に控えている侍女に目配せした。彼女が小さく頷いて傍らのワゴンを押してソファーの側までやって来てお茶を淹れ始めると、アルティナの正面に座ったラウールが、神妙な表情で口を開く。
「アルティン様。わざわざ休暇を取ってこちらに出向いて頂いて、誠にありがとうございます」
口調だけは謙虚に聞こえるその台詞に、アルティナは笑い出しそうになりながらも何とか堪え、若干の皮肉を込めて問い返した。
「父上からの要請とあらば致し方ない。因みに父上と母上も、後からこちらにいらっしゃるのか? お二人とも色々とお忙しそうだが」
「いえ、こちらにいらっしゃるのは、アルティン様のみと伺っております」
「へぇ? そうなると父上が仰っていた『重大な用件』とやらは、ラウールが説明してくれるのかな?」
「はい。ご領主様の指示を受けております」
「それは良かった。待ちぼうけを食わされる心配だけはなさそうだ」
淡々とアルティナの問いに答えるラウールに、(皮肉は通じる相手に言わないと無駄だわね)と一人苦笑いしていたアルティナの前に、先程の侍女が淹れ終わったお茶を出した。それに短く礼を述べて、恐れ気もなくカップに手を伸ばしたアルティナは、一口中身を口に含んで確認しながら考えを巡らせる。
(取り敢えず、まともなお茶みたいね。さすがにいきなり毒殺するつもりではないみたいだわ)
騎士団入隊後、家族にも内緒で密かに入手が可能な毒の数種については身体を慣らし、ごく少量でも判別できるように訓練していたアルティナは、余裕でお茶を飲み始めた。その様子を黙って観察していたラウールが、アルティナがカップをソーサーに戻したところで、さり気なく問いを発する。
「ところでアルティン様。近衛騎士団緑騎士隊隊長の証である記章と、隊長就任の際に国王陛下から下賜された短剣は、今手元にお持ちですか?」
それは充分予想できた質問であり、アルティナは些か拍子抜けした。
(やはりそうきたわね。大体の筋書きは読めたわ。予想通りで、ある意味興醒めだけど。でも……、私の後釜になりそうな人材が、近親者に存在していたかしら?)
これからの話の流れを完全に予想できたアルティナは、落ち着き払って答える。
「いや? 勝手知ったる自家の領地に滞在する予定でも、行き帰りに暴漢に襲われないとも限らない。近衛騎士団を預かる司令官の一人として、その証を奪われたりしたら末代までの恥辱だ。万が一にもそんな不測の事態が起きないように、王都の屋敷の自室の金庫に保管してきたが。それが何か?」
「いえ、それなら結構です。さすがは建国以来、最高の軍師と謳われるお方かと」
「それは偶々、複数の幸運が積み重なった結果だ。しかしラウール。無駄話はそろそろ終わりにして、本題に入って貰いたいのだが」
「それは失礼致しました」
やんわりと促したアルティナに、ラウールは慇懃無礼と思えるほど恭しい口調と態度で応じてから、鋭い視線を向けて言い放った。
「それでは、公爵様のご意向をお伝えします。アルティン様、こちらで死んで下さい」
(これはまた、直接的だわね。こいつが私を本気で殺す気なの?)
単刀直入なその言葉にアルティナは思わず失笑し、その顔に余裕の笑みすら浮かべながら問い返した。
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