(2)悲運(?)の公爵令嬢 アルティナ・グリーバス

 その日、早めに職務を終わらせて王宮から公爵邸に戻ったアルティナは、自室でいつも通りユーリアに迎えられた。


「お帰りなさいませ、アルティン様」

「ああ、戻ったよ、ユーリア」

「着替えたら、お食事をお持ちします」

 肩から外したマントと剣を受け取ったユーリアが告げた内容を聞いて、アルティナは小さく首を傾げた。


「この部屋にか? 父上と母上は? まだ時間が早いから、てっきり食堂で揃って食べる羽目になるかと思っていたが」

「今夜はお二人揃って、夜会にお出かけになっておられます」

 着替えを台の上に出しながら、ユーリアが淡々と説明した。それにアルティナが心底嬉しそうに応じる。


「それは助かった。あの豪奢なくせに趣味が悪くて辛気臭い食堂で、あんなウザくて口うるさい連中と向かい合わせで食べる度にどんな美味い料理でも不味くなるし、食べた気がしなくなるからな」

「お気持ちは分かりますが、アルティン様……。もう少し言葉を選んでいただけませんか?」

「無理だな」

「……そうですね」

 ユーリアは一応苦言を呈してみたが、それ以上余計な事は言わなかった。アルティナは騎士団の制服を勢い良く脱ぎ捨てつつ、遠慮なく悪態を吐く。


「しかしあの連中、夜会に出るのは今週に入って二度目じゃないのか? 一昨日にもどこぞの夜会に出たばかりだろうに……。人には面倒事を押し付けておいて、いい気なものだ」

 それを聞いたユーリアが、脱ぎ捨てられた制服を拾い上げながら冷静に確認を入れてきた。


「それではやはり、明朝すぐに、ここをお発ちになるんですね?」

「ああ。面倒な事は、早めに済ませるに限る。準備は?」

「滞りなく済ませてありますので、ご心配なく」

「ありがとう。ユーリアはやっぱり頼りになるわ」

 打てば響くように答えたユーリアに、着替えを済ませて“アルティン”から本来のアルティナに戻った彼女は、嬉しそうに微笑んだ。

 体型を誤魔化す特注の補正具を全て外し、簡素でゆったりしたドレスを身に着け、気怠げにソファーに腰を下ろした人物は、先程までの青年姿とは打って変わって体つきや言葉遣いが紛れもなく女性のそれであった。その豹変ぶりを誰よりも身近で見ているユーリアは(毎回思うけど、殆ど詐欺だわ)と密かに思いながら、主に対する呼称を切り替えながら気になった事を尋ねてみる。


「アルティナ様? 今日は王宮で、何か不愉快な事でもありましたか?」

 先程から主の台詞がいつもより辛辣だったのを不審に思ったユーリアが問いかけると、アルティナは苦笑いで答える。


「不愉快とかではないんだけど……、他の隊長達に休暇について突っ込まれてね。ナスリーン殿には時折“アルティナ”の話をしていたから、『久々に妹君に会えますね』という話を振られてから、色々話題が広がって冷や汗をかいたのよ。なんとか誤魔化したけど、終いには『領地の館には花嫁候補の集団が待ち構えているんじゃないか?』と冷やかされちゃって。精神的にどっと疲れたわ」

 最後はうんざりとした表情になったアルティナを見て、ユーリアはついつい笑ってしまった。


「それはお疲れ様でした。アルティナ様のお顔でしたら、“アルティン”様は毎日鏡で見ていらっしゃいますから、寂しくもなんともありませんのに」

「それに部屋に戻れば、いつだってアルティナに戻っているしね」

「騎士団の皆さんは、きっとこれを見たら仰天されますよ」

 おかしそうに二人でひとしきり笑い合ってから、アルティナはソファーから立ち上がって丸テーブル備え付けの椅子に腰を下ろした。彼女が立ち上がると同時に心得たユーリアが一度部屋から出て行き、ワゴンを押してすぐに戻って来る。そして主の前に食事を並べ始めたが、何を思ったか再びアルティナが悪態を吐いた。


「はぁ……、だけどムカつくったら……」

「アルティナ様。凄いしかめっ面ですけど、今度は何ですか?」

 セッティングをしていたユーリアが、少し驚きながら尋ねた。するとアルティナはカトラリーを取り上げながら、心底面白くなさそうに言い出す。


「だって出向かなきゃいけない理由すら知らされないまま、わざわざ長期休暇を申請して、国境付近まで出向かないといけないのよ? 理由を尋ねても『向こうに着けば分かる』だけで。人を馬鹿にするのも、いい加減にしろってのよ」

 文句を言いながら食べ始めたアルティナを見て、ユーリアもしみじみと呟く。


「確かに……。普段から公爵様と奥様のなさりようには、理解不能な事が多々ありますね。その最たるものが、アルティナ様に双子の兄が存在していることにして、その名前で仕官させている事ですが」

「それは別に構わないけど? 寧ろ性に合っていて楽しいし。少なくとも姉さん達みたいに宝石だ化粧だダンスだと、くだらない事に時間を浪費するよりはるかにマシだわ」

 食べる合間に平然とそんな事を言ってきた主に、ユーリアは僅かに険しい視線を向けながら、慎重に口を開いた。


「あの……、アルティナ様」

「何? ユーリア。急に怖い顔をして」

「使用人ごときが口を出す問題ではないと思いますし、英明なアルティナ様ですから、既に密かに考えていらっしゃるのかもしれませんが、ご自分の将来をどう考えていらっしゃるのでしょうか? これまで延ばし延ばしにして触れずにきましたが、この際はっきりと聞かせていただきたいのですが」

 その問いに、アルティナは少し不思議そうに小首を傾げた。


「私の将来?」

「はい」

「それは勿論、このまま近衛騎士団を勤め上げて、団長を目指すかな? ありがたくもなんともないけど、ご先祖様のお陰で副隊長待遇で入団して、もう緑騎士隊隊長になってしまったし」

 そんな事をすこぶる真面目に言われてしまったユーリアは、自分の主を盛大に叱りつけた。


「『なってしまったし』ではありません! なんですか、その能天気極まりない発言は!? アルティナ様はれっきとした女性なんですよ、じょ・せ・い!! 男性だと偽って仕官しているのは、本来なら異常で違法なんですから!」

「そうなのよねー。『グリーバス家の男子』という事で入団試験免除で、いきなり副隊長に就任して部下を持たされたし。あれで入団直後は周囲からは妬まれるわ足を引っ張られるわで、信頼を勝ち取るまで大変だったんだから。だけど他人から見たら、明らかに詐欺よね。陛下まで騙しているし、露見したら本当に大変。それ以外にも拙い事が色々あるけど」

「アルティナ様! 真面目に答えてください!」

 徐々に怒りを増してきた侍女に向かって、アルティナは真顔で肩を竦めてみせた。


「いや、もう本当に大変なんだから。特に生理中の勤務はキツいし、色々ごまかすのに苦労してるもの。その時期は頻繁に処理しなきゃいけないから、そのせいでお腹を下しやすいと誤解されて『近衛騎士団一腹が緩い軍師』なんて、恥ずかしくてありがたくない二つ名まで貰ってしまっているのよ? ……思い出したら、なんかムカついてきたわ。本当にどうしてくれようかしら、あの馬鹿。……あれ? ユーリア、どうかしたの?」

 横に控えている彼女が、がっくりと肩を落としている事に気づいたアルティナは、不思議そうに声をかけた。するとのろのろと顔を上げたユーリアが、主から視線を逸らしたままボソリと呟く。


「なんか……、真剣に悩むのが、もの凄く馬鹿らしく思えてきました……」

 それを聞いたアルティナが、明るく笑い飛ばす。


「私の事で、そんなに悩んだりしなくても良いわよ? 別に結婚する気はないし。外面を取り繕って窮屈な生活をする気なんか、さらさらないもの。そもそも女性と結婚なんかできないから、両親も私の縁談はシャットアウトしているしね。そろそろ騎士団内部で、私の男色疑惑が発生してもおかしくないわ」

 その発言で益々頭痛を覚えたユーリアが、恐る恐る問いを重ねる。


「そうすると、アルティナ様のこれからの人生設計とかは……」

「さっきもチラッと言ったけど、理想としては、白騎士隊隊長のナスリーン殿のように、凛とした孤高の風格を保ちつつそれなりに勤め上げて、足腰が動かなくなる前にすっぱり引退して、ちょっとさびれた場所で農園でもできれば最高よね」

 それを聞いたユーリアは深々と溜め息を吐いてから、しみじみと述べた。


「アルティナ様って……」

「うん? 何?」

「一般の貴族のご令嬢とは違う方向で、結構夢想家ですね」

「何気なく、酷い事を言われた気がするわ……」

 そこで会話を切り上げて食べる事に専念し始めた主を、ユーリアはかなり複雑な心境で見守った。


(本当に、アルティナ様の将来ってどうなるのかしら? アルティン様が実はアルティナ様だと、屋敷内でも知っている人間を最小人数にする為に、私が唯一の専属侍女になってお世話を始めて、もう六年以上……)

 そこでユーリアは、小さく溜め息を吐いた。


(アルティナ様が心配でお側を離れるのを躊躇われて、なんとなく縁談を断っているうちに、私もそろそろ行き遅れの範疇に入りそうだわ)

 それに不安を覚えたり不満があると言うわけではないのだが、ユーリアとしてはアルティナ程は楽観的に、自分と主の将来について考えることができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る