第1章 グリーバス公爵家の秘密

(1)稀代の名軍師 アルティン・グリーバス

 直近の隣国との紛争終了から早くも二年が経過し、内政外交共に安定しているハイスレイン王国王宮の一隅で、王都リオネルと王家直轄領の守備を受け持つ、近衛騎士団の定例会議が開催された。しかし目新しい議題も危急の懸念事項もなく、紅一点の白騎士隊隊長であるナスリーンの司会で、会議は滞りなく進められていく。


「それでは、これで近衛騎士団司令官会議を閉会致します」

「皆、ご苦労だった」

 彼女の宣言に続いて近衛騎士団最高責任者であるバイゼルが厳めしい表情を緩めて、この日の招集に応じた面々を労う。任務の関係上、五人の騎士隊隊長は全員揃っていなかったが、代理として出席した各隊副隊長も含めた五人は椅子から立ち上がり、団長に敬礼した。それから各々退出しようとしたところで、バイゼルが末席の部下に向かって、思い出したように声をかける。


「そういえば、アルティンは明日から、一ヶ月の休暇だったな」

 その声に、アルティナは足を止めて振り返った。


「はい。その間の会議には副隊長のカーネルを出席させますので、宜しくお願いします」

「ああ。久々の纏まった休みだ。英気を養ってこい」

 豪快に笑った上司を見て、アルティナは思わず愚痴めいた呟きを漏らした。


「本音を言えば私もそうしたいのですが、生憎そうも言っていられないようで……」

「うん? どうした」

 男性にしては線の細い、繊細な顔立ちの緑騎士隊隊長“アルティン・グリーバス”は、隊長の中では最年少の二十四歳であることも相まって、“彼”を良く知らない人間からは他の隊長達と比較して軽んじられることが多かった。

 しかし諜報・索敵任務を主とする緑騎士隊の長として、その能力を遺憾なく発揮しているアルティナを騎士団内部では認めており、その“アルティン”が本気で嫌そうに顔を歪めたのを意外に思ったその場全員が、怪訝な表情になる。自らの失言で視線を集めてしまったのに気付いたアルティナは、小さく肩を竦めてから先程の発言について説明を加えた。


「実は今回の休暇申請は、父から領地の方に出向くように指示された上でなので。詳細は聞かされておりませんが、おそらく向こうで何か揉め事が生じたのでしょう。早速明日、王都を発つ予定です」

 それを聞いたバイゼルが、心底同情した声を出す。


「せっかくの休みを取ったというのに、難儀だな」

「ですが公爵家の領地に出向くとなると、久しぶりに妹君の顔が見れますね。近頃、妹君のお身体の調子は宜しいのですか?」

 ここで唐突にナスリーンが振ってきた話題に、アルティナは内心で若干慌てた。


「あ、は、はい! 最近では寝込むことも少なくなり、館内や敷地内なら自由に散策するようになりましたから。お気遣いなく」

 慌てて取り繕ったアルティナだったが、それを聞いたナスリーンは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「それは宜しかったですね。偶には妹君も王都にお呼びになって、賑やかな空気に触れていただければ宜しいのではないでしょうか?」

 彼女が穏やかにそう勧めてきたが、それを聞いたアルティナが(さすがに同時に一人二役はできないものね)と内心で苦笑しながら、傍目には悔しそうに応じる。


「本音を言えば、私もそうしたいのは山々なのですが……。なにぶん両親が……」

「そうでしたね。詮無いことを申しました。許して下さい」

「そんな! ナスリーン殿に謝っていただく必要などありませんから!」

 そんな二人のやり取りを聞いて、俄然興味をそそられた他の隊長、副隊長達が口々に尋ねてきた。


「え? そんな話、初耳なんだが……。お前に妹なんていたのか?」

「お前、グリーバス公爵家唯一の男子で、末子だろう?」

「だから十四で騎士団入りなんて、公爵がごり押ししたんだろうし」

 どうやら更に余計な興味を引いてしまったらしいと後悔したアルティナは、小さな溜め息を吐いてからその疑問に答えた。


「我が家が公にしていないのですが、実は私には双子の妹が存在しています」

「ちょっと待て。どうして仮にも公爵令嬢の存在が、公にされていないんだ?」

 ナスリーンを除く他の者達が益々怪訝な顔をする中、アルティナはわざと重々しい口調で続ける。


「それが……、母の実家のタキオン公爵家では、双子は不吉だと代々言い伝えられているらしく、生後すぐに片方を他家に養子に出す慣習があるのです。それで私達が生まれた時も、そうするべきだと母が主張したそうです」

「なんだそりゃ?」

「無茶苦茶な話だな」

 周囲の男達は揃って呆れた顔になったが、アルティナは淡々と話を続けた。


「私は男子ですから排除するなら妹とすぐに決まったのですが、後々縁戚を増やす手駒にできるからと、父が他家に養子に出さず領地で育てる決定を下しました」

「なるほどな~。あのこすっからい親父のやりそうなこった。利用できるものは、とことん利用しようってか?」

「ガウェイン殿! 言葉が過ぎますよ?」

 かつてアルティナの父、ローバンが近衛騎士団に在籍していた時に散々とばっちりを喰らい、尻拭いをさせられたガウェインが忌々しげに感想を口にした。それをナスリーンが慌てて注意したが、実の父親のろくでもなさを一番熟知していたアルティナは、笑って彼女を宥める。


「ナスリーン殿、構いません。我が父ながら、あの人がずる賢くて傍迷惑な人物なのは事実ですから。お気遣いなく」

「はぁ、そうですか……」

 ナスリーンを含めた全員が(実の息子にここまで酷評されるって……)と呆れたが、アルティナはそんな空気には構わずに説明を続けた。


「話を戻しますが、私が健康そのものなのとは裏腹に、妹は幼い頃病弱だったのです。それで『あの子が居たらアルティンに病気や不幸が伝染する』と母が毛嫌いして、幼少の頃に王都から遠く離れた自家の領地の屋敷に送られてしまいました。それ以来妹は、王都に一歩も足を踏み入れていないのです。勿論、社交界デビューも済ませてはおりません」

 それを聞いた周囲は、揃って微妙な顔つきになった。


「それはまた……」

「ちょっと待て。お前と双子なら年も同じだよな? お前は今、二十三だったか?」

 ふと気が付いたように尋ねてきた悪友兼飲み友達でもあるケインに、アルティナは硬い表情で答える。


「いや、二十四になった。勿論妹は未婚で、貴族の娘としては立派な行き遅れだ。それもこれも、両親が妹に持たせる持参金なんかないとほざいたせいで……」

 わざと無念そうに述べた同輩を見て、ケインを初めとして他の者達も、なんとも言えない顔付きになる。


「それは勿体ないよなぁ……」

「全くだ。アルティンの妹なら、半分引いても十分美人の部類に入るだろうに」

 しみじみと男達が感想を述べ合っていると、そんな彼らに向かっていきなりアルティナが険しい表情になって宣言した。


「一応、お断りしておきますが、妹にちょっかいは出させませんよ!? 妹には肩身の狭い思いなどさせず、心安らかに過ごして貰うつもりでいますから! 両親は当てになりませんが、そのうち私が行き遅れでも財産がなくても良いという男を見つけて、幸せな結婚をさせてやりますので!」

 そう力強く宣言した彼を見て周囲の者は最初呆気に取られ、次に揃ってアルティナに胡乱気な視線を向けた。


「妹さんが結婚できないのって……」

「半分はお前のせいなんじゃないか?」

「シスコン臭がプンプンするな~」

「皆さん、何気に失礼ですね!?」

 アルティナがわざと腹を立てて言い返すと、笑いを堪える口調でバイゼルが言い聞かせてくる。


「アルティン。妹の将来を心配をする前に、自分の結婚の心配をした方が良いな。あちこちから縁談が持ち込まれているんだろう? これまで悉く断っているらしいが」

「案外領地の館に、花嫁候補のお嬢さん達が何十人と集められていて、あなたの到着を今か今かと待ち構えているかもしれませんよ? 心して帰郷された方が宜しいかと」

「ナスリーン殿まで……、本当に勘弁してください」

 軽く脅されてしまったアルティナは、心底情けない様子で呻いた。その姿に稀代の天才軍師の面影は欠片もなく、常には見られないその光景に、周りの者達は揃って楽しげな笑い声を上げる。


(ふぅ……、なんとか誤魔化すのには成功したし、ああ言っておけば親切心からアルティナへの縁談を取り持とうとか、余計な事を考えたりしないわよね。シスコン疑惑くらい、なんでもないし。……だけどあの親父、まさか本当に領地にアルティンの花嫁候補とか揃えていないわよね? 女同士で、どうやって結婚しろって言うのよ?)

 冷やかされながら会議室を出て与えられている隊長室に向かって歩き出したアルティナは、取り留めのない内容を考えながら歩いていたことで、傍目には百面相をしているようにしか見えなかった。


 それが緑騎士隊隊長“アルティン・グリーバス”の姿を最後に目にする機会になるなどとは、近衛騎士団の誰もが夢にも思っていなかった。

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