第19話
「あっ、明日香さん。おはよう……ございます……」
あいさつをすると同時に、あくびが出た。結局あの後、二時間くらいしか眠れなかった。完全に、寝不足だ。出勤途中の電車の中でも、眠たくて眠たくて仕方がなかった。
「明宏君、おはよう。ずいぶん、眠そうだな」
と、言ったのは明日香さんではなく、鞘師警部だった。
「あっ、鞘師警部。おはようございます。もう、来られてたんですか? 早いですね」
と、僕は驚いた。
時刻は、午前7時58分だ。あまりの眠さに、いつも通り歩けず、ギリギリ遅刻しそうになった。
「ああ。朝一番で、明日香ちゃんから連絡をもらって、叩き起こされたんだ」
と、鞘師警部は笑った。
「明宏君、おはよう。鞘師警部の車が停まっていたのに、気づかなかったの?」
と、明日香さんは、呆れている。
「眠たくて、よく見えていなかったです」
「もうっ、しゃんとしなさいよ。うーんと苦い、コーヒーを入れてあげるから。鞘師警部も、いかがですか?」
「ありがとう。私は、普通のやつで頼むよ」
しかし、明日香さんは眠くないのだろうか? 明日香さんは、僕をアパートまで送ってから帰っているので、僕よりも睡眠時間は短いはずなのだが。
「明宏君。昨夜は、遅くまで大変だったようだな」
と、鞘師警部が言った。
「ええ、まあ……」
途中で眠ってしまった僕としては、素直に『はい』とは、言いにくい。
「しかし、お手柄だったな。これで、事件も解決できるだろう」
と、鞘師警部は微笑んだ。
午前9時――
僕たちは、鞘師警部の車で、吉岡さんの家にやって来た。
明日香さんがチャイムを押すと、意外にも、吉岡さんはすぐにドアを開けてくれた。どうやら、僕たちが訪ねてくることを、覚悟していたみたいに感じられた。
「吉岡さん、おはようございます」
と、明日香さんが、あいさつをした。
「その様子では、何かつかんだようですね」
と、吉岡さんは、落ち着いた口調で言った。
「はい。実は、吉岡さんがあの日見ていたという番組を、録画していた人が見つかりました。それを見て、すべてが分かりました。吉岡さんが、どうやって坂口さんの家にいったのかも、その人のおかげで分かりました――」
明日香さんはそこまで言うと、吉岡さんの瞳を見つめた。吉岡さんは、何を言うでもなく、ただ黙って明日香さんの話を聞いていた。
「坂口さんを殺害したのは――吉岡さん、あなたですね?」
その問いかけにも、吉岡さんは黙っていた。
「私が、吉岡さんが、どうやって坂口さんの家に行き、坂口さんを殺害したのか、今から解き明かします」
「吉岡さん。あなたは、ある方法を使って、坂口さんの家に行ったんです。行ったというよりも、連れて行ってもらったというほうが、正しいでしょうか?」
僕も、明日香さんに、この推理を聞かされたときには、とても驚いてしまった。まさか、こんな単純な方法でと――
「吉岡さん。あなたは、涼子さんが、あの日も坂口さんの家に行くことを知っていました。そして、涼子さんが車で出かけるタイミングを見計らって、涼子さんの家に電話をかけたんです。そして、涼子さんのお母さんが涼子さんを呼びに来て、二人が家の中に入った隙に、車の後ろの座席に乗り込んだんです」
そう――
こんな、単純な方法だったのだ。本当に、こんな単純な方法で、涼子さんに見つからないのかと思ったけれど、涼子さんの家の車は大きなワゴン車だ。一番後ろで小さくなっていれば、気づかないかもしれない。
僕だって、明日菜ちゃんが隠れたことに、気づかなかったのだから。
もしも、涼子さんの車が小さな車だったら、こんな方法は使えなかっただろう。
吉岡さんは、明日香さんの話を、ただ黙って聞いているだけだった。
「涼子さんが、車の調子が悪いと感じたのも当然です。加速が悪いような気がしたのは、いつもよりも一人多く乗車していたからです。そして、後ろの方から音が聞こえたような気がしたのも、走る車の中でまったく動かずにいるのは、さすがに難しいでしょうから、音を立ててしまったんでしょう。そして、帰りには何も感じなかったのは、そのときは吉岡さんは乗っていなかったからです。涼子さんのお父さんが車を調べても、何も異常がなかったのも当たり前です。どこも故障などしていないからです」
吉岡さんは、どういう思いで明日香さんの話を聞いているのだろうか? その表情は、まったく変わらなかった。
明日香さんは、吉岡さんが何も反論をしてこないので、さらに言葉を続けた。
「吉岡さん。あなたは、車が坂口さんの家に到着すると、涼子さんが帰るまで、どこかに隠れて待っていた。そして、涼子さんが帰ると、家の中に入った。おそらく、そのときに誤って花壇に足を踏み入れてしまった。花壇に残っていた足跡は、吉岡さんの足跡でしょう。そして、吉岡さんは、あらかじめ涼子さんの家の車庫にあった金づちを盗み出していた。その金づちで、坂口さんを叩きつけた――吉岡さんは、もしかしたら、殺すつもりまではなかったのかもしれませんが、坂口さんは倒れたときに頭をぶつけ、打ち所が悪く亡くなってしまった」
金づちで襲いかかっておきながら、殺意がなかったということは考えにくいとは思うけれど。
明日香さんは、そう言った。
「そして、坂口さんを殺害した後、吉岡さんは川に金づちを投げ捨て、タクシーか何かを使って、帰宅をした――というところでしょうか。吉岡さんが、台所のテレビで映画を見ていたことにした理由は、涼子さんの家の方から、台所の電気がついているのが見えるからでしょう。自分が、その時間に自宅にいたと思わせるために――」
と、明日香さんは、自分の推理を披露した。
「覚悟は、していました。昨日、あなた方が訪ねて来られた時点で。近いうちに、真相にたどり着くだろう――と」
と、吉岡さんは言った。
「それじゃあ、吉岡さん。認めるんですね? ご自分が、犯人だと」
と、僕は聞いた。
「――ずっと、自問自答していました。正志の仇を討ってやったつもりが、はたして正しかったのだろうかと。しかし、昨日のあなた方のお話で、やっぱり間違っていたようです。私が、坂口さんを殺害しました。すべて、探偵さんの、おっしゃった通りです」
「では、吉岡さん。行きましょうか」
と、鞘師警部が言った。
吉岡さんは、黙ってうなずいた。吉岡さんの目には、涙がにじんでいたようだった――
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