第16話

「涼子さん、こんにちは。急に、すみません」

 と、明日香さんは言った。

「いえ。遠慮なさらずに、いつでもいらしてください。事件が解決するまで、何でも協力しますから」

 と、涼子さんは言った。

 僕たちは、涼子さんの部屋にいた。涼子さんのお母さんの体調が悪く、涼子さんのお父さんが付きっきりで看病していた。

「あの、桜井さん。先ほど、お隣の吉岡さんの家にいらっしゃいませんでしたか?」

 と、涼子さんが聞いた。

「はい、行っていました。ご存じでしたか」

「はい。桜井さんが、吉岡さんの家の台所の窓から外を覗いているのが、たまたま見えたもので」

「そうですか。見られていましたか」

「でも、どうして吉岡さんの家に? もしかして、吉岡さんが今度の事件に、何か関係があるんでしょうか?」

 関係があるもなにも、僕は吉岡さんが犯人だと思っているのだけど、明日香さんはなんと答えるのだろうか?

「うーん……、そういうわけではないです。あちらからだと、こちらがどういうふうに見えるのか、確認させてもらっただけです」

 と、明日香さんは澄ました顔で言った。

「そうですか」

 なんだかよく意味の分からない説明だけど、涼子さんは明日香さんの説明に、納得したみたいだった。

「それで、今日はどういったご用件でしょうか? 何か、分かったんでしょうか?」

 と、涼子さんが聞いた。

「はい。涼子さんに、事件の日のことを、改めてお聞きしたいんです」

「事件の日のこと――ですか? どういったことでしょうか?」

「あの日、涼子さんは、いつも通り午後7時頃に自宅を出発しようとしたんですよね?」

「はい、そうです。でも、出発しようとしたときに、吉岡さんから家に電話がありました。それで、少しだけ出発するのが遅れたんです」

 この話は、最初に涼子さんに会ったときに聞いたことだ。明日香さんは、改めてこの話を聞いて、どうするつもりなのだろうか?

「確か、吉岡さんからの電話の内容は、ゴミ袋の注文ということでしたよね?」

「はい、そうです。この地区では、班長が一括して注文を取ることになっているんです。今年は、私の家が班長の番なので」

「その電話を最初に取られたのは、涼子さんのお母さんなんですよね?」

「ええ。父は、めったに家の電話は取りませんし」

「お母さんは、ゴミ袋の注文のことは、分からないんでしょうか?」

「いいえ、そんなことはありません。私が子供の頃は、母も何度も班長をやっていましたから。もちろん、分かっています。それに、先月は、吉岡さんも母に注文を言っていたんですけど」

「そうですか。そして、坂口さんの家に行って、いつものように食事を作って帰ったんですね?」

「はい、そうです」

「そのときに、車の調子が悪いって言っていましたよね?」

 と、僕は聞いた。

「はい。いつもよりも、加速が悪いというか――何か後ろの方から音が聞こえたような気もして……。でも、父に見てもらったら、何も異常はなかったので、私の気のせいだったみたいですけど……」

「涼子さんが帰宅されたときに、何かおかしなところは、ありませんでしたか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「おかしなところですか? ――さあ? 特に、なかったと思いますけど」

「涼子さんが帰宅されたときに、吉岡さんが家にいたかなんていうのは、分からないですよね?」

 と、僕は聞いた。

「吉岡さんですか? 分からないですけど――」

「そうですよね」

 そんなこと、涼子さんに分かるわけがない。聞いた僕が、間違いだった。

「分からないですけど――台所の電気は、ついていましたよ」

 吉岡さんが、台所でテレビを見ていたと話していたから、その裏付けになるのか?

 しかし、実際に吉岡さんの姿を見たというわけではないからなぁ。

「でも、あの時間に台所の電気がついているのは、珍しいような気がします」

 と、涼子さんは、時計を見ながら言った。

「どうしてですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「私も、いつも見ているわけではないので、断言はできませんけど。私の部屋の窓から、吉岡さんの家の台所の窓が見えるんですけど。私が夜家にいるときは、8時くらいにカーテンを閉めるんですけど、その頃に台所の電気がついていた気温は、ないんですよね。普段は、7時くらいには、夕飯は終わらせているという話をされていたと思うんですけど」


「明日香さん、涼子さんの話、どう思いますか?」

 時刻は、午後9時。僕たちは、探偵事務所に戻ってきていた。鞘師警部も、すでに警視庁に戻っている。

 僕たちは、涼子さんの部屋で、吉岡さんの家の台所の電気が6時過ぎについて、7時頃に消えるのを確認して、念のため8時頃まで様子をうかがってから、探偵事務所に帰ってきた。

「あの日も、いつも通りに6時過ぎから台所にいたとなると、それから少なくとも三時間くらいは台所にいたということですよね? 実際、吉岡さん自身が、台所でテレビを見ていたと話しているんですから。どうして、あの日に限って、台所でテレビを見ていたんでしょうか?」

 と、僕は、明日香さんに聞いた。

「…………」

「明日香さん?」

「――そうね……。普段と違うことをするからには、何か理由があるはずよ。おそらく、涼子さんの家から見えるところの電気をつけておくことで、事件のときに、自宅にいたと思わせるため――っていう、ところかしら?」

 と、明日香さんは言った。

「あとは、その証拠と、どうやって坂口さんの家に行ったのかですね」

 それさえ分かれば、事件を解決させることができる。

「明宏君。今日は、もう帰っていいわよ。あとは、また明日考えましょう」

「はい、分かりました」

 今日は、僕も疲れた。ゆっくり眠って、頭をリフレッシュさせてから考えよう。

 まあ、僕の頭では、リフレッシュさせたところで、あんまり意味はないかもしれないけれど。

 僕が帰ろうとしたとき、突然、探偵事務所のドアが開いた。

「あっ、明宏さん。まだ、いたんだ」

「明日菜ちゃん。仕事の帰り?」

「うん。さっき、ロケから帰ってきたところ」

 探偵事務所にやって来たのは、明日菜ちゃんだった。

「明日菜。そういえば、ドッキリの撮影とか言っていたわね。仕掛人は、うまくいったの?」

 と、明日香さんが聞いた。

「えっ? 仕掛人――そ、そうね……。うまくいったといえば、いったわよ……」

 と、明日菜ちゃんは笑顔で言った。しかし、その笑顔は、どことなく引きつっていた。声にも、元気がないみたいだ。

「何よ。はっきりしないわね」

「ま、まあ、そんなこと、どうでもいいじゃない」

「明日菜ちゃん。放送は、来月だったよね? 必ず、見るからね」

 と、僕は言った。

「――そうだったかしら? 明宏さん。無理に、見なくてもいいよ」

「えっ? どうして?」

 あれほど、見てくれって言っていたのに。

「明日菜。あなたが、見てくれって言ったんじゃない」

 と、明日香さんが言った。

「そ、そんなこと言ったかしら? お姉ちゃんも、別に、見なくてもいいから……」

 いったい、この変わりようはどうしたんだろう? あれほど、楽しそうにしていたのに。

 もしかして、あれは別人だったのだろうか? そんな気さえ、してくるのだった。

 僕は、明日香さんと目が合った。きっと、何か大失敗したんだろう――明日香さんは、そう言っているようだった。

「それじゃあ、僕は帰りますね」

 このままここにいても、しょうがない。

「それじゃあ、私も帰るね」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「明日菜。あなた、何をしに来たのよ?」

 と、明日香さんが聞いた。

「べ、別に、いいでしょ。ちょっと、寄っただけよ。早く帰って、録画をしてある映画を見なきゃ。仕事が忙しくて、まだ見れていないのよ」

「明日菜ちゃん。何の映画を見るの?」

 と、僕は聞いた。

「ミステリーの映画なんだけど、私の好きな俳優さんが、刑事役で出てるの」

「ふーん、そうなんだ」

「鞘師さんみたいな、優秀な刑事さんの役でね。とっても、演技も上手なの」

「どんな、内容なの?」

「えっとね――お姉ちゃんみたいな女性探偵が、明宏さんみたいな探偵助手と一緒に、事件を解決していくの。私の好きな俳優さんは、その探偵のライバル的な役なの」

 まあ、よくありそうな話かな。最近、そんな内容の映画を見たような気もするけど。

「ちょっと、明日菜! 今、なんて言った?」

 と、明日香さんが、急に叫び声を上げた。

「えっ? 私の好きな俳優さんは、探偵のライバル的な役って――」

「違うわよっ! その前よ! 映画の内容よ!」

「映画の内容? お姉ちゃんみたいな探偵が、明宏さんみたいな助手と事件を解決するって――それが、どうかしたの?」

「その映画の、タイトルって――」

「映画のタイトル? 『探偵、梅井今日子の事件簿』っていう、ミステリーの映画だけど。ちょっと、お姉ちゃんの名前に似ているよね。もしかして、お姉ちゃんがモデルだったりして」

 と、明日菜ちゃんは笑った。

 なんだって!? 例の、あの映画じゃないか!

「その映画を、録画してあるのね?」

「うん。何? お姉ちゃんも、見たいの? こういう映画、好きだったっけ?」

「見るわ! 私も一緒に、明日菜の部屋に行くわ。明宏君、あなたもよ」

「えっ? 僕もですか? 今から?」

「当然でしょ。何か、分かることがあるかもしれないわ」

「分かりました」

 今から明日菜ちゃんの家に行って映画を見たら、いったい僕は何時に自宅に帰れるのだろうか?

 しかし、事件を少しでも早く解決するためだ。そうと決まったら、さっそく行こう。

「明日菜ちゃん、ここまでは歩き?」

「うん。だから、乗せて行ってね」


 僕たちは探偵事務所のカギをかけると、駐車場に下りた。

 僕が運転席に乗り、明日香さんが後ろに乗ろうとすると、

「お姉ちゃん、前に乗ってよ」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「えっ? どうしてよ?」

「いいから。私は、一人でゆっくりしたいの。お姉ちゃんは、明宏さんの隣に座らせてあげるから。その方が、嬉しいでしょう?」

「な、何を、言ってるのよ。べ、別に、嬉しくなんかないわよ」

「素直じゃ、ないんだから」

「私は、いつだって素直よ。素直の塊よ」

「何よ、それ」

 二人が、なにやら車の外で揉めているようだが、いったい何をしているのだろうか? 二人の話し声は、よく聞こえないけど、早く乗ってほしいものだ。

「分かったわよ」

 結局、明日香さんが前に乗って、明日菜ちゃんが後ろに乗った。

「それじゃあ、明宏さん。行きましょう」

 僕は、明日菜ちゃんの家に向かって、車を走らせた。

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