第14話

「明日香さん。今の、大谷さんの話って――あの吉岡さんと、同性同名じゃないですよね?」

 と、僕は、明日香さんに聞いた。

「そうね。吉岡さんだけならともかく、奥さんの名前も同じとなると、偶然の一致じゃなくて、間違いなく本人でしょう」

 と、明日香さんは言い切った。

「明日香ちゃん。さっそく、行ってみるかい?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「そうですね。吉岡さんが犯人だと考えると、いろいろと、しっくりくることが多いです。行ってみましょうか」

 と、明日香さんは、うなずいた。

「明日香さん。いよいよ、事件も解決ですね!」

 と、僕は、意気揚々と声を上げた。

「…………」

「明日香さん? どうかしましたか?」

 明日香さんは、急に黙り込んでしまった。

「明日香さん?」

「えっ? ああ、ごめんなさい。でもね――まだ一つ、分からないことがあるの」

「分からないこと?」

「吉岡さんが、どうやって坂口さんの家に行ったのか――だな」

 と、鞘師警部が言った。

「ええ、そうです」

 と、明日香さんは、うなずいた。

「車で、行ったんじゃないですか?」

 と、僕は言った。それが、普通だろう。

「明宏君――忘れたの?」

 と、明日香さんが、呆れている。

「えっ?」

「吉岡さんは、免許証を持っていないって言っていたじゃないの」

「あっ……、そうでした。でも、無免許でも、運転をしようと思えばできなくはないですよね?」

「それは、そうかもしれないけど。車は、どうするのよ? 吉岡さんの家には、車なんてなかったわよ」

「レンタカーとか?」

「明宏君。それは、無理だよ。無免許の人間が、レンタカーは借りられないだろう」

 と、鞘師警部が言った。

「そうですね」

 いや、僕も言っていて、そんなことは無理だということは、もちろん分かっているのだけれど……。

「それに、これから人を殺しに行くのに、無免許運転なんかで行かないでしょう。もしも事故でも起こしたら大変よ」

 と、明日香さんが言った。

 まあ、交通事故よりも、大変なことを起こしているのだけれども。

「それじゃあ、タクシーとかですかね?」

「そうねぇ……。やっぱり、それしかないかしら」

「明日香さん。とりあえず、吉岡さんの家に、行くだけ行ってみましょうよ?」

 僕たちが、喫茶店の入り口の脇で、人を殺しに行くだの交通事故だのという物騒な話をしているのを、通りがかった人たちが変な目で見ている。

 僕は、その視線が気になって、とりあえずこの場から離れたかった。

「そうね。それじゃあ、行ってみましょうか」

 と、明日香さんが言った。


 僕たちは再び鞘師警部の車に乗ると、吉岡さんの家へと向かった。


 僕たちは、午後3時過ぎに吉岡さんの家にやって来た。

「吉岡さん、いますかね?」

 と、僕は、つぶやいた。

「さあ。私に聞かれても、分からないわよ」

 と、明日香さんが言った。

 それはそうだけど、なんとなく黙っていられなかったのだ。

 僕は、玄関のチャイムを押してみた。しばらく待ってみたけれど、吉岡さんが出てくる気配はなかった。念のため、もう一度押してみたけれど、やっぱり出てこなかった。

「留守のようだな」

 と、鞘師警部が言った。

 僕は、念のため、ドアを開けようとしたが、ドアは開かなかった。

「仕方がないわね。出直しましょうか」

 と、明日香さんが言った。

「そうだな」

 と、鞘師警部が、うなずいた。

「明日香さん。まさか、逃げたなんてことは、ないですよね?」

 と、僕は聞いた。

「逃げた? どうして、吉岡さんが逃げるのよ?」

「僕たちが、吉岡さんが犯人だと気づいたことを知って、僕たちがやって来る前に逃げ出したなんていうことは――」

「どうやって、そんなことを知るのよ? だいたい、まだ吉岡さんが犯人だという証拠もないのに、逃げ出したりなんてしたら、余計に怪しいわよ」

「そうですよね」

 いや、もちろん、そんなことは分かっているのだけれど。

「明日香ちゃん、どうする? せっかくここまで来たんだ、北川さんの家に寄って行くかい?」

「そうですね」

 ここまでもなにも、隣だからな。当然、寄って行くだろう。

 しかし、涼子さんたちに吉岡さんのことを、どこまで話したらいいものなんだろうか? 明日香さんは、どう考えているのだろうか?

 そのとき、

「おや、どうかされましたか? こんなに、大勢で」

 と、声が聞こえてきた。

 僕たちが振り返ると、当の吉岡さんが買い物袋を持って立っていた。

「吉岡さん、こんにちは。お買い物ですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ええ。近くの、スーパーまで。歩ける距離にスーパーがあって、本当に助かりますよ。私は、免許証を持っていないですからね」

 と、吉岡さんは笑った。

 こちらが何も話していないのに、自分から免許証の話をしてくるなんて。まさか本当に、僕たちが来ることを知っていたんじゃないだろうか? と、疑いたくなる。しかし、ニコニコと微笑む吉岡さんを見ていると、そんなことはないだろうなと思える。

「吉岡さん。突然、すみません。こちらは、警視庁の鞘師警部です」

 と、明日香さんは、吉岡さんに鞘師警部を紹介した。

「これはこれは。警察の方同伴で、いったいどういったご用でしょうか?」

「はい。実は、事件のことで、吉岡さんにどうしてもお聞きしたいことが、出てきたんです」

「事件――と、言いますと?」

「坂口さんの、事件ですよ」

「それは、話を聞く相手を間違っていませんか? 私よりも、北川さんに聞いた方がいいんじゃないですか? 私は、何も関係がないですよ」

 と、吉岡さんは言った。

「坂口さんの事件と聞いて、北川さんが疑われている事件だと、分かるんですね?」

 と、僕は聞いた。

「それは、分かりますよ。新聞で、読みましたから。北川さんの娘さんに聞いていた、旦那さんのお父さんの名前だって。」

「あっ、そうか……」

 そういえば、坂口さんの名前は、報道されていたっけ。

「ちょっと、明宏君は黙っていて。余計なことは、言わなくてもいいから」

 と、明日香さんに怒られた。

「それで、その事件が、私とどういう関係があるんでしょうか?」

「それはですね――穴が」

 と、明日香さんが、突然意味が分からないことを言い出した。

「穴? 明日香さん、なんですか急に?」

 と、僕は、明日香さんに聞いた。

「吉岡さん。靴に、穴があいていますよ」

 と、明日香さんが言った。

 そう言われて吉岡さんの足元を見ると、かなり古い靴なのだろう、確かに穴があいていた。

「あれ? 本当ですね。一週間くらい前に洗ったときは、あいていなかったと思うんですけどね。そろそろ、新しい靴を買わないといけませんね」

 と、吉岡さんは笑った。

「まあ、ここじゃあなんですから、中へどうぞ」

 と、吉岡さんは、僕たちを、家の中に招き入れた。


「吉岡さん。単刀直入に、おうかがいします。内藤正志さんという方を、ご存じですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「内藤――正志ですか?」

「はい、そうです。二年前に、交通事故で亡くなられた」

「…………」

 吉岡さんは、明日香さんの問いかけに、しばらく黙ったままだった。

「吉岡さん。あなたの、息子さんですね?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「正志さんの『正』は、母親から。そして『志』は、吉岡さんの名前の高志から、取られたんですよね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「――さすが、探偵さんですね。その通りですよ。確かに、私の息子は、内藤正志ですよ」

 と、吉岡さんは、正志さんが自分の息子であることを認めた。

「初めてお会いしたときに、息子さんは遠くにいるとおっしゃられていたのは、すでに亡くなられているという意味だったんですね」

「ええ、そうですよ。しかし、それが何か関係があるんでしょうか?」

「吉岡さん。正志さんが亡くなられたあと、坂口さんの家に行っていますよね?」

「私が、坂口さんの家にですか?」

「はい。あなたを乗せたというタクシーの運転手さんに、話を聞いています」

 と、明日香さんは言ったのだが――

 いったい、いつそんな話を聞いたんだろう? 僕が知らないうちに、明日香さんが一人で見つけたのだろうか?

 いや、さすがにそれはないだろう。

 つまり――明日香さんは、嘘をついているのだ。まあ、よくあることだ。

 鞘師警部も、それは分かっているのだろう。特に、話に割って入ることもなかった。

「そうですか……。確かに、行きましたよ」

 どうやら吉岡さんは、明日香さんの嘘を信じたみたいだ。

「何をしに、行かれたんでしょうか?」

「何をしに? そんなこと、言わなくてもお分かりでしょう? あの男が、正志を殺したからですよ」

 と、吉岡さんは、怒りに声をふるわせる――ということもなく、落ち着いて淡々と語った。

「殺した? 正志さんは、交通事故で亡くなられたんですよね?」

 まさか、本当は坂口さんが殺したとでも言うんだろうか?

「確かに、直接の原因は交通事故かもしれませんが、その原因を作ったのは、あの男だからですよ」

「どういう、意味でしょうか?」

「あの男が、正志に、毎日遅くまで無理やり残業をさせたからですよ。そのせいで、正志は過労で交通事故を起こしてしまったんです」

 と、吉岡さんは言った。

 確かに、吉岡さんの言いたいことは分からないでもないけれど……。

「吉岡さん。正志さんが残業をしていた理由は、無理やりやらされていたからじゃないですよ!」

 と、僕は思わず叫んでいた。

「どうして、そんなことが分かるんですか?」

「ここに来る前に、正志さんの同僚だった人に会って、話を聞いてきたんです」

「正志の――同僚?」

「はい。その方は、こう言っていました。正志さんが、毎日残業をしていた理由は――お父さんの為だって」

「私の為? それは、いったい……」

 初めて、吉岡さんの顔に動揺が見えたような気がした。

「いつか、お父さんに会って、プレゼントがしたいって――その為の、お金を貯めているんだって」

「――ふん。そんなこと、信じられない。あんたたちが、嘘をついているんだろう」

「嘘じゃないですよ! 僕たち、直接聞いてきたんですから」

 と、僕は必死にうったえた。

「それじゃあ、その同僚が、嘘をついているんだろう」

「そんなことないですよ」

「それじゃあ、正志が、その同僚に嘘をついていたんだろう。正志と、その母親を捨てた私に、プレゼントだなんてあり得ない」

「そんな……」

 頑なに否定する吉岡さんに、僕はこれ以上何を言えばいいのか分からなかった。

「吉岡さん。その話は、一度置いておきましょう。あなたは、坂口さんが殺害された日に、坂口さんの家に行ったんじゃないですか? 坂口さんを、殺すために」

 と、明日香さんが聞いた。

「行っていません。だいたい、私がどうやって坂口さんの家まで行ったというんですか? 私は、車の免許も持っていないんですよ?」

「それは――タクシーとかを、使ったんじゃないですか?」

 と、僕は聞いた。

「そんなに言うなら、私を坂口さんの家まで乗せたというタクシーを、見つけてください。無駄だと思いますけど。私はあの日の夜は、自宅でテレビを見ていましたから」

「テレビですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ええ、そうです。7時から映画をやっていたので、台所で夕食を食べながら見ていました」

「ちなみに、なんという映画ですか?」

「確か、『探偵、梅井今日子うめいきょうこの事件簿』という、ミステリーです」

「あっ、僕も見ていました」

 と、僕は言った。

 なんか、明日香さんの名前に、微妙に似ているなぁと思いながら見ていた。

 二年くらい前に、そこそこヒットしたミステリー映画らしい。女性探偵が、ちょっと頼りない男性助手とともに、難事件を解決していくという話だ(どこかで、聞いたような話だけど)。

 僕が言うのもなんだけど、事件のトリックはそこそこだったけれど、女性探偵と男性助手の恋愛のような部分もあって、そこが面白かった。僕も、明日香さんと、そういう関係になりたいものだ。

「それを見たあと、続けてサッカーを見ていました。サッカーの結果を、言いましょうか?」

「いいえ。結構です」

 と、明日香さんは断った。まあ、サッカーの結果なんて、ニュースでも新聞でも報道されているのだから、一週間以上も経って結果を知っているからといって、サッカー中継を見ていたという証拠には当然ならない。

 今の時代、インターネットで試合の内容だって詳しく分かる(まあ、吉岡さんの年代では、インターネットなんて使わないかもしれないけれど)。

「それよりも、その映画の内容について、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 と、明日香さんは言った。

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