第13話
午後12時40分過ぎ、僕たちがコンビニで買ったおにぎりを食べていると、鞘師警部が探偵事務所にやって来た。
「やあ。二人とも、食事中かい?」
「あっ、鞘師警部。すみません。もう食べ終わりますから、行きましょうか」
と、僕は、お茶を一口飲んで言った。
「明宏君。いいよいいよ、そんなに、あわてなくても大丈夫だよ。大谷さんとの待ち合わせまで、まだ少し時間があるから。ゆっくり食べてくれ」
なんだ。そんなに時間があるなら、こんなに急いでコンビニのおにぎりを食べなくても、もっとちゃんとした食事をすればよかったな(決して、コンビニのおにぎりが悪いという意味ではないけど)。
「鞘師警部は、お昼は食べられたんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「ああ。ここに来る前に、パンを一つ食べてきた」
あんパンと牛乳かな?(刑事ドラマの見すぎか)
「鞘師警部も、おにぎり、お一ついかがですか?」
と、明日香さんが、鞘師警部に残っていたおにぎりを差し出した。
えっ!? ちょっ、ちょっと、待ってくれ! そ、その、おにぎりは――
「そうだな。それじゃあ、遠慮なくいただこうか」
と、鞘師警部は、おにぎりを受けとると、躊躇なく食べ始めた。
「ちょっと、待っていてください。すぐに、お茶を入れますね」
と、明日香さんは、お茶を入れに席を立った。
「明宏君。最近のコンビニのおにぎりは、とても美味しいな」
と、鞘師警部は、おにぎりを食べながら言った。おにぎりを食べる姿も、イケメンだな(いや、そんなことは、どうでもいいのだけど)。
「そ、そうですね……。美味しいですね……」
と、僕は、少し引きつったような笑顔で言った。
「うん? どうかしたかい?」
「い、いえ……、別に……」
とてもではないけど、そのおにぎりは、僕が最後に食べようと思って残しておいた、最高級のたらこのおにぎりだとは言えなかった(そんなことを言ったら、明日香さんに、せこい男だと思われるかもしれない。そんなふうには、絶対に思われたくはないのだ)。
「鞘師警部。お茶をどうぞ」
と、明日香さんが、お茶を差し出した。
「ありがとう、明日香ちゃん」
と、鞘師警部は、お茶を一口飲んだ。お茶を飲む姿も、やっぱりイケメンだな。
「うん。お茶も、うまいな」
「そうですか? 普通のスーパーで買った、どこにでも売っているお茶ですよ」
と、明日香さんは笑った。
「いや。警察署で飲むお茶よりも、
と、鞘師警部も笑った。
ま、まさか、これは――鞘師警部は、もしかして明日香さんを口説いているのか? 大事な事件の調査中に、なんて不謹慎な!(※お前が言うな)
「鞘師警部。大谷さんという方は、どういう方なんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「ああ。佐藤の話では、大谷さんは35歳の独身で、今は別の金属加工の会社で働いているそうだ。内藤正志さんの事故のあと、しばらくして坂口さんの会社を辞めたそうだ」
35歳ということは――鞘師警部と同い年か。
「何故、坂口さんの会社を辞めたんでしょうか?」
と、僕は聞いた。
「いや、そこまでは聞いていないが――何か気になることがあるのなら、大谷さんに直接聞いてみればいいさ」
いや、特に気になるというわけでもないけれども、給料が安いとか、休みが少ないとか、大方そういうことだろう。
「明日香ちゃん、ごちそうさま。そろそろ、行こうか?」
おにぎりを食べ終えると、鞘師警部が言った。
「はい」
と、明日香さんは、うなずいた。
僕たちは、鞘師警部の赤い乗用車に乗ると、大谷さんとの待ち合わせの喫茶店に向かった。1時25分頃に喫茶店に到着すると、大谷さんは、まだ来ていないみたいだった。
「どうする? 先に、何か頼むかい?」
と、鞘師警部が聞いた。
「そうですねぇ」
と、僕はメニュー表を見ながら、これは鞘師警部のおごりかな? などと考えていると、
「大谷さんが、来てからにしましょう」
と、明日香さんが言った。
そして、約束の1時30分を3分ほど過ぎた頃、一人の男性がやって来た。
「あなた方が、警察の方ですか?」
と、その男性が、明日香さんに聞いた。
「いいえ。私は、警察官ではありません。こちらが、警視庁の鞘師警部です」
と、明日香さんが言った。
どう見ても、明日香さんは警察官には見えないと思うのだけど。
「そうですか。僕が、大谷です。正志のことで、聞きたいことがあるとか?」
「初めまして、警視庁の鞘師です。実は、坂口さんが殺害された事件を調べていまして――坂口さんが殺害されたのは、大谷さんはご存じですよね?」
「ええ。テレビのニュースで見ました。まさか、坂口社長が殺されるなんて……。信じられません」
「ええ。そうでしょうね。知り合いが殺害されることなんて、そうそうあることでは、ないですからね。それで、この坂口さんの事件の捜査の一環として、内藤正志さんのことについて、お聞かせ願えないでしょうか?」
と、鞘師警部は、頭を下げた。
「どうして、正志のことを? 正志は、もう死んでいますよ。警察の方なら、当然ご存じでしょう?」
「ええ。もちろん、それは分かっています」
「別に、お話するのは構いませんけど――その前に、そちらの二人は、どなたでしょうか? 警察の方では、ないようですけど」
「こちらの二人は、探偵です」
「探偵? どうして、探偵なんかが警察と一緒に?」
と、大谷さんは不思議そうだ。まあ、それが普通の反応だろう。普通に暮らしていて、警察や探偵どちらか一方だけでも、こうやって話を聞かれることなんて、おそらくほとんどの人がないだろう。それが、こうやってまとめて来られたら、驚くのも無理はないだろう。
「ええ。ちょっと、いろいろありまして。一緒に捜査というか、調査をしていましてね。気になるようでしたら、二人には席を外してもらいますが――」
と、鞘師警部は、僕たちの方を見ながら言った。
えっ!? そ、そんなぁ……。
ここで帰らされたら、何のためにここまで来たのか分からない。僕は、大谷さんに向かって、必死に目でうったえた。
『どうか、一緒に話を聞かせてください』と――
「明宏君。具合でも、悪いの? 目付きが、おかしいわよ」
と、明日香さんが、僕の耳元で小声で聞いた。
「なんか、ミステリーマンガみたいで、面白いですね。いいですよ、分かりました」
と、僕の必死のうったえが無事に伝わり、大谷さんは、僕たちの同席を許可してくれた。
やっぱり、人間、心からうったえれば、何とかなるものだ。明日香さんも、きっと僕に感謝していることだろう。僕は、チラッと明日香さんの方を見てみた。
明日香さんは、僕に感謝の表情を――まったく見せていなかった。い、いや、表情に出していないだけで、心の奥底では、きっと感謝されているはずだ――と思いたい。
「それで、正志の何が聞きたいんですか?」
「その前に、コーヒーでも頼みませんか?」
と、明日香さんが言った。
「そうだな。喫茶店で何も頼まないのは、お店の人に失礼だな」
と、鞘師警部が言った。
確かに、何も頼まないで話だけしていたら、営業妨害と受け取られかねないだろう。僕が店主だったら、すぐに追い出すだろう(明日香さん以外)。
そういうわけで、僕たちはコーヒーを四人分頼んだ。
「それじゃあ改めて、正志の何が聞きたいんですか?」
と、大谷さんは、コーヒーを一口飲んで聞いた。
「内藤正志さんの父親について、お聞きしたいんですが。大谷さんは、何かご存じありませんでしょうか?」
と、鞘師警部が聞いた。
「正志の、親父ですか?」
「麻雀好きだったりしませんか?」
と、僕は聞いた。
鞘師警部によって否定された件ではあるけれど、もしかしたらという可能性もある(と、僕は淡い期待を持っている)。
「麻雀? どうして麻雀?」
「そこは、ちょっと言えないんですけど」
「ふーん――麻雀ねぇ……。そんなこと、知りませんよ」
「そうですか……」
まあ、会社の同僚と、父親の趣味の話なんて、普通しないか。僕だって、明日香さんのお父さんの趣味なんて知らないし、明日香さんだって、僕のお父さんの趣味の話なんて興味がないだろう。
「内藤さんのお父さんが、今どうされているのか、ご存じありませんでしょうか?」
と、鞘師警部が改めて聞いた。
「知りませんよ。だいたい、正志自身も知らないみたいでしたし」
「正志さん自身も知らないというのは、どういうことでしょうか?」
と、明日香さんが聞いた。
「正志の両親は、正志が小さい頃に離婚をしているんですよ。正志は母親に引き取られて、最後に父親に会ったのは、小学校低学年の頃だって言っていましたから」
「それじゃあ内藤というのは、母親の名字ということでしょうか?」
と、鞘師警部が聞いた。
「さあ、そこまでは聞いていませんけど、そうなんじゃないですか?」
それだけ聞いたのなら、そこまで聞くのが普通じゃないのか?
「母親が、再婚した可能性もあるわよ」
と、明日香さんが言った。
「それじゃあ、父親の名字は?」
と、僕は聞いた。
「父親の名字ですか? 確か、それは聞いたな」
と、大谷さんが言った。
「本当ですか!?」
と、僕は思わず叫んでしまった。他のお客さんたちが、何事かと僕たちの方を見ている。
「明宏君。うるさいわよ」
と、明日香さんに怒られてしまった。
「すみません。ちょっと、興奮してしまって」
「それで、父親の名字は?」
と、鞘師警部が聞いた。
「えーっと……。何だったかな?」
まさか、忘れてしまったのだろうか?
「確か――吉田だったかな?」
「吉田ですか? 間違いないですか?」
と、僕は聞いた。
「いや――吉川だったかも?」
どっちだよ! だけど、吉がつくのは間違いないのか。
――あれ? 僕たちが知っている人の中にも、吉っていう字がつく名字の人がいたような……。
「うーん……。名前が、高志だったのは、覚えているんだけどなぁ」
と、大谷さんは、つぶやいた。
「――高志?」
と、明日香さんが、つぶやいた。
「ええ、そうです。正志が、自分の名前は、母親の正子の『正』と、父親の高志の『志』を合わせた名前だって、言っていましたから」
高志に正子か……。
――あれ? どこかで、聞いたことがあるような気がするけど……。珍しい名前じゃないし、気のせいかな?
「大谷さん。もしかして、父親の名字って――『吉岡』では、ありませんか?」
と、明日香さんが聞いた。
「吉岡? ――ああ、そういえば、そうだったかもしれませんね。普通の名字だったんで、逆に忘れていましたよ」
と、大谷さんは笑った。
確かに、もっと珍しい特徴的な名字の方が、忘れないのかもしれない。
「明日香さん。吉岡って、涼子さんのお隣さんと、同じ名字ですね。偶然でしょうかね?」
内藤に続いて、吉岡も二人登場か。いやぁ、偶然って恐ろしい。
「明宏君。何を、言っているのよ。吉岡さんの名前を忘れたの? 表札に、書いてあったじゃないの。それに、奥さんの名前も、正子って言っていたじゃない」
「――あっ!」
そうだ! 確かに、表札に書いてあったし、正子とも言っていた。
うん? ということは――どういうことだ?
あの吉岡さんが、内藤正志さんのお父さん!?
つまり、事故死した正志さんのお父さんが、偶然に息子の勤め先の社長の息子の奥さん(なんか、ややこしい)の実家の隣に引っ越してきたということなのか?
これこそ、偶然なんだろうか?
「大谷さん。他に、何か聞いていませんか?」
と、鞘師警部が聞いた。
「他にですか? ――そうですねぇ……」
「正志さんは、毎日遅くまで残業をしていたそうなんですけど、そんなにお忙しかったんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「ああ、それは――」
「大谷さん。今日は、どうもありがとうございました」
と、鞘師警部は頭を下げた。
「いえ。それでは、失礼いたします」
と、大谷さんは帰っていった。
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