第12話
今日も、いい天気だ。僕は、今日もいつものように、午前8時前に探偵事務所に出勤してきた。
今日は日曜日だけど、僕たち探偵(助手)には土曜日も日曜日もないのだ(事件が何もなければ、明日香さんの探偵事務所は、基本的には土日と祝日は休みだ。あとは、お盆とか年末年始とか、事件で呼び出されなければ――まあ、そんなことは今はどうでもいいのだが)。
そう。犯罪は、四六時中いつだって起こるのだ。
今日は、明日香さんは、まだ来ていなかったので(とはいっても、上の階の自分の部屋にいるはずだ。僕は一度も入ったことがない、明日香さんの部屋に)、僕が探偵事務所のカギを開けた。僕も、探偵事務所のカギは持っている。あとは、明日香さんの部屋のカギも欲しいものだ。
そんなことを、いろいろと考えていると、
「明宏君、おはよう」
と、明日香さんがやって来た。
「あ、明日香さん。お、おはようございます。カギが欲しいなんて、そんなこと思っていませんよ」
「カギ? 何の話?」
しまった! また、思っていることを、無意識に口に出してしまった。
「い、いえ――何でもないです。こっちの話です。それよりも、今日はこれから、どうしますか? どこかに、行ってみますか?」
「こっちって――どっちの話よ? ――まあ、いいわ。そうね。鞘師警部か、佐藤さんか、どちらかが連絡してくればいいんだけど」
「連絡待ちですか」
四時間後――
今は、お昼の12時だ(四時間後だから、当たり前だけど)。
「鞘師警部も佐藤さんも、連絡ないですね……」
僕は時折、事務所の中を歩きまわったり(なんて言うと、どれだけ広い事務所だよ――と、思われるかもしれないけれど、そんなに広い事務所ではない。むしろ狭いけど。明日香さんにそんなことを言ったら、怒られるかもしれない)、本を読んだり(全然、内容が頭に入ってこないけど)、時計を何度も見ながら、ちょっとイライラしていた。
「明宏君。ちょっとは、落ち着きなさいよ。気が散るでしょう」
と、明日香さんが、何かノートをめくりながら言った。
「すみません。でも、落ち着いていられなくて」
連絡を、今か今かと待っているときほど、なかなか来ないものである。特に待っていないときは、すぐに来るのだけど。
「明宏君。探偵たるもの、どんなときでも冷静沈着にね」
「はい。すみません」
僕も、まがりなりにも探偵助手として、そんなことは分かっているのだけれども、どうしても落ち着かずにはいられないのである。
「っていうか、明日香さん。さっきから、いったい何を読んでいるんですか?」
見たところ、ごく普通の表紙がピンクのノートみたいだけど。まさか、こんなときに家計簿をつけているわけでもあるまいし(だいたい、明日香さんが家計簿をつけているところなんて、まったく想像できない)。
それとも、探偵事務所の経営状態だろうか?
ま、まさか――探偵事務所の経営状態が悪くて、僕の給料を減らしてやろうとか?
「ああ、これ? 知りたいの? ――私の、秘密の日記帳よ」
と、明日香さんは、ノートから目を離すことなく言った。
「へっ?」
僕は、明日香さんの予想外のこたえに、思わず声が裏返ってしまった。
「このノートに名前を書かれると、どうにかなっちゃうのよ」
なんか、どこかで聞いたことがあるような話だな――っていうか、『どうにかなっちゃう』って、なんだ? 明日香さんに、どうにかされるのか?(い、いや。そ、そんな変な意味ではなく――って、いったい僕は誰に弁解をしているんだろうか?)
「明宏君。何を、動揺しているのよ?」
「い、いえ、別に、動揺なんて――」
「探偵たるもの、いつでも冷静沈着にね――って、さっきも言ったでしょう?」
そ、そうは言っても……。
「冗談よ」
「冗談? 冷静沈着が?」
「何を、言っているのよ。そこじゃないわよ。事件について、今、分かっていることを、ノートにまとめてみただけよ」
な、なるほど。そういうことか。
「それで、何か分かりましたか?」
「うーん……、そうねぇ……。何かが、引っかかっているような気もするんだけど、それが何か分からないのよねぇ……」
そうか……。明日香さんに分からないんじゃあ、僕にはもっと分からないだろうな(それも、情けない話だけど)。
「明宏君も、読んでみる?」
と、明日香さんは、僕にノートを差し出した。
明日香さんに分からないものを、僕が読んでも意味はなさそうだけど、そんなことを言ったら、明日香さんに怒られるだろう。
僕はノートを手に取ると、ページをめくってみた。確かに、この事件のことだけで、秘密の日記など何も書かれていない(当たり前だけど)。
ノートに書かれていたのは、事件が時系列に並べられ、そして、関係者の名前が『涼子』、『坂口』、『北川(父)』、『内藤正志』などと、簡単に書き込まれている。そして、関係者の証言なども書かれている。
うん? この『吉岡』というのは、涼子さんの家の隣の、吉岡さんのことか? 吉岡さんは、事件にはまったく関係なさそうな気もするけど。
駐在所の、佐藤さんの名前もあるな。とりあえず、関係なさそうな人の名前も書いているのか。
それにしても、綺麗な文字だ。やっぱり美しい人は、文字も綺麗だな。僕だったら、こんなに綺麗には書けないな。
「明宏君。どう?」
「はい。綺麗ですね」
「――何が?」
明日香さんは、きょとんとしている。
しまった! また思っていることを、口に出してしまった。
「いや。綺麗なノートですね」
「そう? 普通のノートだけど。そんなことよりも、事件のことを聞いているのよ」
いや、それは分かっているのだけれども……。
「そうですねぇ……」
正直、僕には分からない。やっぱり、麻雀仲間だった内藤さんが怪しいとしか思えないけれど……。
僕がノートを読みながら、ああでもないこうでもないと悩んでいると、明日香さんの携帯電話が鳴った。
鞘師警部だろうか?
「鞘師警部からだわ」
やっぱり。
「もしもし、桜井です。鞘師警部、おはようございます」
僕は、明日香さんの隣に立ち、電話に聞き耳を立てた。
「明日香ちゃん、おはよう。待たせたね」
「いえ。私よりも、明宏君の方が待ちわびていましたよ。それにしても、意外と早かったですね」
確かに、僕は待ちきれなくてイライラしていたけれど、一日で調べてしまう鞘師警部は、さすがだ。
「ああ。どうせ、明宏君も横で聞いているだろう? あれから、すぐに調べさせてもらったよ」
「それで、結果はどうでしたか?」
そうだ。一番の問題は、そこだ。
「ああ。結論から先に言うと、内藤さんは無関係だ」
と、鞘師警部は、きっぱりと言った。
「そうですか」
「ああ。その内藤さん、
「明日香さん。ちょっと、いいですか?」
僕は、明日香さんと電話を代わった。
「鞘師警部。坂井ですけど――」
「明宏君か、どうした?」
「あの――今の話は、本当でしょうか?」
「ああ、間違いなく本当だ。昨日、君たちと別れてから、南田さんの家に行って、内藤さんと出会った雀荘の場所を聞いて行ってみたんだ。そこで偶然、内藤さんのことを知っている人に出会って、いろいろと話を聞いてきたんだ。息子さんが健在なのも間違いないし、内藤さんが栃木県に行っていたのも間違いない」
「そうですか……。これで調査は、振り出しですね……」
僕は、ちょっとがっかりしてしまった。
「明宏君。そんなに、落ち込むなよ。こんなことは、よくあることだって、君たちもよく分かっていることだろう?」
「はい。そうですね」
まあ、確かに鞘師警部の言う通りだ。こうやって一つ一つ可能性を消していき、最後に残ったものが真実であるのだ。
「まあ、そういうわけだ。もしも他に何か分かったら、またすぐに連絡をするよ」
「分かりました。お願いします」
僕は、電話を切ると、明日香さんに携帯電話を返した。
「明宏君。そんな顔をしていないで、お昼にしましょう」
正直、そんな気分ではなかったけど、腹がへっては戦ができぬだ。
僕たちが食事に出ようとしたとき、再び明日香さんの携帯電話が鳴った。
「あら? また、鞘師警部からだわ」
また、鞘師警部から? 何か、言い忘れていたのだろうか? それとも、この短時間の間に、何か分かったのだろうか? まさか、昼食の誘いっていうわけでもあるまいし(いや、誘われたら、もちろん行くけれど)。
「もしもし? 桜井です。鞘師警部、どうしました?」
「明日香ちゃん、たびたび悪いね」
僕は再び、聞き耳を立てた。
「いえ。何か、分かったんでしょうか?」
「ああ。さっき電話を切ったあとすぐに、佐藤から連絡があってね」
「佐藤さんからですか? 何か、分かったんですね?」
「ああ。内藤正志さんが亡くなった頃に、坂口さんの会社に勤めていた、大谷さんの居場所が分かったんだ」
「それで、その大谷さんには、会ったんでしょうか?」
「いや。まだ、会っていない。これから、私が会いに行くことになったんだが、よかったら君たちも一緒に行かないかと思って、電話をしたんだ」
「私たちも、一緒に行っていいんですか?」
「ああ、もちろんだ。真田課長には、私の方から伝えておく。それとも、行かないのかい?」
僕は、明日香さんの手から携帯電話を奪い取ると、
「鞘師警部! 行きます! 絶対に行きます!」
と、叫んだ。
「明宏君。気合いが、入っているな。これから探偵事務所に向かうから、待っていてくれ」
「はい、分かりました。お待ちしています」
僕は電話を切って、明日香さんに返した。
「食事に行く時間が、なくなったわね。コンビニで、おにぎりでも買って食べちゃいましょう」
と、明日香さんが言った。
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