第11話

 僕たちは、涼子さんの家に戻ってきた。

 僕たちは、涼子さんの部屋で温かいコーヒーを飲みながら話していた。涼子さんは、両親の寝室に、お母さんの様子を見に行っている。

「明日香さん。やっぱり、内藤さんが犯人なんじゃないでしょうか?」

 と、僕はコーヒーを一口飲みながら聞いた。

「そうねぇ……。明宏君は、どうしてそう思うの?」

「やっぱり、息子の敵討ちでしょうかね? 息子さんが事故死をしたのは、坂口さんのせいだと逆恨みをしたんじゃないでしょうか? 栃木県の弟さんのことも、嘘なんじゃないでしょうか? 南田さんたちに嘘をついて、本当は坂口さんを殺害しに行っていたんじゃないでしょうか?」

「それじゃあ、一度帰ってきて、今日また栃木県に向かったっていうのも嘘っていうこと?」

「はい。こういうのは、どうでしょうか? 南田さんが、僕たちが内藤さんの家に向かったということを教えて、僕たちが来る前に逃げ出した――とか」

 もちろん、南田さんは、内藤さんを逃げさせるために連絡をしたわけでは、ないだろうけど。

「でもねぇ、明宏君。まだ、内藤さんの息子さんが、内藤正志さんだと決まったわけではないのよ。偶然、同じ名字だったっていうだけかもしれないわ。年齢だって、たまたま同じくらいの年齢なだけかもしれないしね。もしも同一人物だとしたら、引っ越して来られてから亡くなっているわけだから。お隣さんくらいは、亡くなったことを知っていそうなものだけど」

 確かに、そうかもしれない。でも、もしも内藤さんが黙っていたら、誰も分からないんじゃないだろうか。「でも――現状それくらいしか考え付かないのも、事実よね」

 と、明日香さんは、ため息をついた。

 そのとき、

「すみません、お待たせして」

 と、涼子さんが部屋に戻ってきた。

「涼子さん。お母さんの具合は、いかがですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ええ。だいぶん、気分も落ち着いたみたいです。ご心配をおかけして、すみません」

「それは、よかったですね」

「それよりも桜井さん。南田さんのところで、何か分かりましたか?」

「そうだ! 涼子さん。涼子さんは、坂口さんの会社に勤めていて、交通事故で亡くなった内藤正志さんのことについて、何かしりませんか?」

 と、僕は涼子さんに聞いた。最初から、涼子さんに聞けばよかったのに、僕も明日香さんもうっかりしていた(いや、明日香さんがうっかりしていたかどうかは分からないけど)。

「お義父さんの、会社のですか?」

「そうです。二年くらい前のことです」

 涼子さんは、少し考え込んでいたが、

「すみません。私、お義父さんの会社のことは、よく分からないんです。もちろん、社員の方が交通事故で亡くなったということは聞いていましたけど。私の主人も、そういうことは、私にはあんまり詳しくは話してくれなかったので……。お義父さんの家に通うようになってからも、そういう話はしなかったですね。私自身、そんなことは忘れていましたし、例え覚えていても、そんなこと聞けませんよ」

 まあ、確かにそうだろうな。坂口さんだって、そんなこと聞かれたくはないだろうし、僕が涼子さんの立場だったとしても、聞く勇気がないだろう。

「桜井さん。そのことが、事件と何か関係があるんでしょうか?」

「それは、まだ分からないです。でも、なんとなくなんですけど、そこから今回の事件が始まっているんじゃないかって――私たちは、思っています」

 と、明日香さんは言った。

「そうですか……。それじゃあ、私がもっとそのことについて、お義父さんや主人に聞いていればよかったですね……」

 と、涼子さんは落ち込んでしまった。

「涼子さん。そんなの涼子さんのせいじゃ、ありませんよ。その頃に、将来こんな事件が起きるなんて、誰にも分からないんですから」

 と、僕は言った。

「涼子さん。このことは、お父さんには、まだ黙っておいてくれませんか?」

 と、明日香さんが言った。

「どうしてですか?」

「もしも、お父さんが直接、内藤さんに接触しようとしたら、危険があるかもしれないからです」

「そうですか……、分かりました」

 と、涼子さんは、うなずいた。

 そしてそのまま、みんな黙り込んでしまった。そんな重苦しい沈黙の雰囲気を打ち破ったのは、意外にも一台の車の音だった。庭に、車が入ってくる音が聞こえた。

「こんなときに、いったい誰かしら? まさか、本当にマスコミが?」

 と、涼子さんが立ち上がって、窓からそっと庭を見下ろした。

「赤い、乗用車ですね」

「赤い、乗用車?」

「はい。真っ赤な、乗用車です」

 まあ、赤い乗用車なんて珍しくはないけれど。僕は、明日香さんと顔を見合わせた。

「もしかして」

 と、僕も立ち上がって、窓から庭を見下ろした。

 やっぱり。

「涼子さん、大丈夫ですよ。マスコミではありません」

 と、僕は言った。

「明日香さん。鞘師警部ですよ」

 見覚えのある赤い乗用車から降りてきたのは、間違いなく鞘師警部だった。

「鞘師警部が? どうかしたのかしら?」

 と、明日香さんが言った。

 そして、後部座席から、もう一人誰か男の人が降りてきた。

「あっ、お父さん」

 と、涼子さんが言った。

 後部座席から降りてきたのは、涼子さんのお父さんだった。

 僕が、鞘師警部の方を見ていると、それに気づいた鞘師警部が右手を上げた(そんな仕草も素敵な、鞘師警部である)。

「あっ、カギをかけているんだった」

 と、涼子さんは言うと、あわてて階段を駆け下りていった。僕と明日香さんさんも、(僕たちは、ゆっくりと)階段を下りた。

「お父さん!」

 と、涼子さんは、ドアを開けるなり、お父さんに抱きついた。

「涼子、ただいま」

「ただいまじゃ、ないわよ。心配したんだから」

「すまん、すまん。心配をかけたな。もう、大丈夫だ。それよりも、ちょっと離してくれないか。恥ずかしいじゃないか」

「あっ、ごめんなさい」

 と、涼子さんは、あわててお父さんから離れた。まあ、そんなことを言いつつも、涼子さんのお父さんは嬉しそうだった。

 僕も、あんなふうに、明日香さんに抱きつかれたいものだ(いやいや。こんなときに、そんなことを考えている場合ではない)。

「鞘師警部。涼子さんのお父さんの疑いは、晴れたんでしょうか?」

 と、僕は聞いた。

「ああ。北川さんが麻雀をやっていたという家や、その近所の人の話などから考えても、北川さんに犯行は無理だろう。だいたい、北川さんに、坂口さんを殺害する動機があるとは思えないしな」

「南田さんのところですね」

「なんだ、知っていたのか?」

「はい。さっきまで、明日香さんと行っていたんです」

「さすがだな」

「でも、どうして鞘師警部が、お父さんを送って来られたんですか?」

「うん。ここに、君たちもいるんじゃないかと思ってな。君たちが、探偵事務所で何もしないで、おとなしく待っているはずがないからな」

 なるほど。僕たちの行動など、お見通しっていうわけか。

「鞘師警部。ちょっと、よろしいでしょうか?」

 と、明日香さんは、鞘師警部を家の外に連れ出した。

「涼子さん。ちょっと、待っていてください」

 と、僕も明日香さんのあとに続いて、家の外に出た。

「鞘師警部。実は、私たちも南田さんの家に行って、お話を聞いてきたんです。そこで、南田さんが警察には言わなかったことを聞いてきたんです」

「警察には、言わなかったこと? なんだい?」

「はい。実は――」

 明日香さんは、内藤さんのことを、鞘師警部に話した。

「なるほど。その内藤さんの息子が、例の交通事故死した内藤正志という青年と、同一人物かもしれないというわけか。そして、父親が息子の復讐を――ということか」

「はい。偶然、同じ名字というだけかもしれませんけど」

「内藤か――確かに、珍しい名字ではないが。そうか、分かった。こちらで、内藤さんのことを調べてみよう」

 鞘師警部は、手帳に内藤さんの住所を書き込んだ。

「よろしくお願いします」

「明日香ちゃん。君たちは、これからどうするんだ? 私は、さっそく帰って、その件を調べてみるが」

「そうですね――鞘師警部。あれから佐藤さんから、何か連絡は?」

「佐藤か。いや、まだ何もない。まあ、あいつのことは、あんまり期待をしないで待っていてくれ」

 佐藤さんは、鞘師警部からあんまり期待されていないみたいだ。でも、まだ数時間しか経っていないけど。

「そうですか、分かりました。今日のところは、私たちも事務所に帰ることにします」

「そうか、分かった。何か分かったら、すぐに明日香ちゃんに連絡をするよ」

「はい。深夜でも、いつでも、お待ちしています」

「熱心だな。だけど、深夜くらい私にも眠らせてくれよ。それじゃあ、これで失礼するよ」

 と、鞘師警部は言うと、車に乗って帰っていった。僕たちは、鞘師警部を見送ると、一度家の中に戻った。

「涼子さん。お父さんは?」

 と、僕は聞いた。

 そこで待っていたのは、涼子さん一人だけだった。

「母の様子を、見に行っています」

「私たちは、今日はこれで失礼します。お母さんに、お大事にとお伝えください」

 と、明日香さんが言った。

「ありがとうございます」

「何か分かったら、連絡しますので」

 僕たちは、涼子さんに見送られながら、北川家をあとにした。

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