第9話
「明日香さんは、この一件が今回の事件に関係していると思っているんですか?」
僕は、佐藤さんの話を聞き終えると、明日香さんに聞いた。
「うーん……。そうね、今の時点ではなんとも言えないわね。もう、二年も前のことだし。もしもそうだとしたら、何故二年も経ってからなのか――」
と、明日香さんは疑問を口にした。
「明日香ちゃん。我々にとってはもう二年だとしても、当事者にとってはまだ二年――かもしれないぞ」
と、鞘師警部が言った。
「そうですね」
と、明日香さんは、うなずいた。
「まあ、まだ犯人だと決まったわけではないがな」
「佐藤さん、他に、この件について詳しく知っている人って、誰かいないんですか?」
と、明日香さんが、佐藤さんに聞いた。
「他にですか? そうですね――坂口さんは、だいぶん前に、奥さんは亡くなられているみたいですし。うーん……。タクシーの運転手も、誰だか分からないし」
佐藤さんは、考え込んでしまった。これは、あんまりあてにならないかもしれないな。
「鞘師警部。そろそろ、失礼しましょうか」
と、明日香さんが言った。
「そうか。参考になったかい?」
「ええ、それなりには」
「それじゃあ、佐藤。我々は、これで失礼するよ」
と、鞘師警部が言ったときだった。
「あっ、そういえば」
と、佐藤さんが、何かを思い出したように言った。
「なんだ? 何か、あるのか?」
「確か、内藤さんが亡くなった頃に、もう一人従業員がいたはずです」
「本当か?」
「はい。間違いありません。内藤さんの事故のときに、事故現場はこの近くなんですけど。そのときに、僕も会っていますから。確か30代くらいの、男性でした。坂口さんが、会社を辞める前には、すでにいなくなっていましたけど」
「その方の名前や、今どうされているかは分かりませんか?」
と、明日香さんが聞いた。
「名前は、確か――
「そうですか」
「よろしければ、僕のほうで近所の人に聞いてみましょうか? もしかしたら、誰か知っている人がいるかもしれません」
と、佐藤さんが言った。
「そんな、ご迷惑じゃありません? 私たちで、聞いてみますよ」
と、明日香さんが言った。
「そんなことないですよ。僕は、この近所の方たちを、そこそこ知っていますし、僕も鞘師先輩のお手伝いをさせてください」
「そうか、分かった。明日香ちゃん、ここは佐藤に任せよう」
と、鞘師警部が言った。
「そうですね。鞘師警部が、そうおっしゃるなら。それじゃあ、佐藤さん。よろしくお願いします」
「はい。鞘師先輩。この事件が解決したら、僕を捜査一課に推薦してくださいよ」
と、佐藤さんが、とんでもないことを言い出した。
「なんだって? 私に、そんな権限はないよ」
「またまたぁ。そんなことないでしょう? 鞘師先輩が、真田課長に言ってくれたら、きっと大丈夫ですよ」
と、佐藤さんは、自信満々だ。
「お前なぁ。そんなことを言われても、私も困るんだよ」
「『自分の後輩に、佐藤っていう有能な警察官がいる』って、ちょこっと言っていただければ。そうすれば真田課長も、『そうか。鞘師の後輩なら、ウェルカムだ』って、言いますよ」
「どうして、急にそこだけ英語になるんだよ。こんな後輩がいると知られたら、私もいい迷惑だよ」
佐藤さんの勢いに、さすがの鞘師警部もたじたじだ。
「またまたぁ。そんなこと言ってぇ。僕と先輩の、仲じゃないですか」
「どんな仲だよ」
明日香さんも僕も、そんな二人の様子を見て、緊張感がなさすぎるとため息をついた。
そんなときに、鞘師警部の携帯電話が鳴った。
「真田課長からだ」
と、鞘師警部が言った。
「えっ! 本当ですか?」
と、佐藤さんは、何故か嬉しそうだ。
「いいか佐藤、お前は黙っていろよ。横から、変なことを言うんじゃないぞ」
と、鞘師警部は、佐藤さんに釘をさすと、電話に出た。
「はい、鞘師です」
このタイミングで真田さんから電話とは、いったい何事だろう? 捜査に、何か進展があったのだろうか?
「はい。まだ、駐在所にいます。ええ、明日香ちゃんたちも一緒です」
「佐藤も、一緒ですよ」
と、佐藤さんがボソッと言った。そんな佐藤さんを無視して、鞘師警部は電話を続けた。
「そうですか、やっぱり――いえ、先ほど明日香ちゃんから、紛失の件は聞いていたので」
紛失の件? もしかして、北川さんの家の金づちの紛失の件か?
「そうですか――分かりました。二人を探偵事務所に送り届けてから、すぐに戻ります。はい。それでは、失礼します」
と、鞘師警部は電話を切った。
「鞘師警部。今の電話は、もしかして――」
「ああ、明日香ちゃん。その、もしかしてだ。凶器と思われる金づちは、北川さんの金づちだったようだ」
「やっぱり、そうですか」
「そして、これは当然と言えば当然なんだが。金づちから、涼子さんの父親の指紋が検出されたそうだ」
それは、涼子さんのお父さんのものだから、指紋が付いているのは当たり前だろう。
「鞘師警部。指紋は、一人分だけなんですか?」
と、僕は聞いた。
「ああ、そのようだ。それで、君たちには言いにくいが、涼子さんの父親が任意で警察署で聴取されているようだ」
「そうですか。まさか、警察の方では涼子さんのお父さんを疑っているんですか?」
「明宏君。凶器から指紋が出た以上は、調べないわけにはいかないんだ。分かってくれ。ここで、話していても仕方がない。私は、君たちを探偵事務所に送ってから、一度帰るよ」
「分かりました」
と、僕と明日香さんは、うなずいた。
「それじゃあ、佐藤。先ほどの件は、任せたぞ」
「はい、鞘師先輩。任せてください」
僕たちは、鞘師警部の車で、探偵事務所に戻ってきた。
「それじゃあ、私はこれで失礼する」
「鞘師警部!」
と、僕は、鞘師警部を呼び止めた。
「どうした、明宏君?」
「僕たちも、一緒に行ったらだめですか?」
「一緒に行ったところで、君たちは北川さんには会えないぞ」
「――それは、分かっていますけど。じっとしていられなくて……」
「明宏君。無理を、言うんじゃないわ。鞘師警部に、お任せしましょう。鞘師警部が、ちゃんと調べてくれるわ」
と、明日香さんが、僕を諭すように言った。
「――分かりました。鞘師警部、お願いします」
「ああ。何か分かったら、連絡するよ」
と、鞘師警部は言うと、車で走り去って行った。僕は、鞘師警部の車を、ずっと見つめていた。
「明日香さん。本当に、いいんですか?」
「明宏君。ちょっと、落ち着きなさいよ」
僕は、分かりましたとは言ったものの、落ち着いてはいられなかった。
「でも……。このまま黙って待っていることなんて、僕にはできません」
「誰も、黙って待っているなんて、一言も言っていないでしょう」
「えっ? それじゃあ――」
「私だって、ただ黙って待っているなんてできないわよ。これから、涼子さんの家に行ってみましょう」
「はい! すぐに、言ってみましょう」
「その前に、何か軽く食べてから行きましょう。腹が減っては戦はできぬよ」
「はい!」
僕たちは軽く昼食を済ませると、お昼過ぎに涼子さんの家にやってきた。
僕はチャイムを押してみたが、誰も出てくる気配がなかった。
「明日香さん。誰も、出てきませんね。留守でしょうか?」
こんなときに、出かけるとは思えないけど。
「車は、あるわね」
と、明日香さんが言った。確かに、車庫には黒いワゴン車が停まっていた。
僕は試しに、もう一度チャイムを押してみた。やっぱり、誰も出てこない。念のため、ドアを開けようとしたけど、カギがかかっていて開かなかった。
「明日香さん。どうしますか? 帰りますか?」
「…………」
「明日香さん?」
「吉岡さんが、こっちを見ていたわ」
「えっ? 吉岡さんですか?」
「あそこよ。家の中から窓を少し開けて、こっちを見ていたわ」
と、明日香さんは、一つの窓を指差してみせた。しかし、その窓はすでに閉まっていた。
「あそこは、涼子さんの話から考えると、台所かしら?」
「そうですね。ちょうど、お昼時ですし、昼食を食べようとしたときに、僕たちが見えたんじゃないですか?」
「――そうね」
まさか、僕たちを見張っているわけでもあるまいし。
「それよりも明日香さん、どうしますか?」
涼子さんがいないのなら、ここにいても意味がない。
「みんなで、警察に行ったんですかね?」
そのとき、ガチャッと音がして、ゆっくりとドアが開いた。
「涼子さん! いらっしゃったんですね」
ドアから顔を覗かせたのは、まぎれもなく涼子さんだった。
「大きな声を、出さないでください!」
と、何故か、涼子さんに大きな声で怒られてしまった。
「す、すみません」
「お二人とも、早く入ってください」
「はい」
僕は、『どうしたんだろう?』と、明日香さんと顔を見合わせながら、とにかく急いで玄関に入ったのだった。
「すみません、桜井さん。すぐに出なくて。てっきり、新聞社の記者でも来たのかと思って……」
と、涼子さんが言った。
「記者ですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「はい。ご存じだと思いますけど、父が警察に連れて行かれて。そのときに、近所の人たちが、『新聞社が、取材に来るんじゃない?』なんて、言っていたので」
「そうだったんですね。それで、お父さんは――」
「はい。突然、警察の人が来て、凶器が家の金づちだったって。それで、父を連れて行ったんです。警察は、酷いです。私だけではなくて、父まで疑うなんて……」
涼子さんの声は、震えていた。きっと、悔しくてたまらないのだろう。義理の父親が殺されて、自分だけではなく、実の父親まで疑われるのが……。
「涼子さん、きっと大丈夫ですよ。お父さんには、アリバイがあるんですから。確か、麻雀をやっていたんですよね?」
と、僕は聞いた。
「はい。そう、言っていました」
「それじゃあ、一緒に麻雀をやっていた人たちが、証言をしてくれますよ」
「そう――ですね」
「涼子さん。お母さんは、どうされたんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「それが、父が警察に連れていかれたショックで、倒れてしまったんです」
「病院とか行かなくても、大丈夫ですか?」
と、僕は聞いた。
「はい。父が帰ってくるまでは待っていたいと言って、布団で休んでいます」
「涼子さん。事件の日、お父さんは何時頃にお帰りになられたんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「確か、私が帰ってから、30分くらいだったと思います。テレビで、サッカーの試合が始まった頃でした」
確か、テレビ中継は午後9時からで、試合が始まったのは9時30分頃だった。僕も、あの日は、7時からテレビでやっていた映画を見て、そのままサッカーを見ていたから間違いない。
「意外に、早いんですね。私は、麻雀のこととか、あんまり分からないんですけど、もっと夜遅くまでやっているものかと思っていました」
と、明日香さんが言った。
なるほど、僕も詳しくは分からないけど、徹マンとかいうやつか。
「そうですね。父も、もっと若い頃は、そういうこともあって母を怒らせたりしていましたけど、最近は徹夜でいうことはありませんでした。それでも、あの日は早かったですけど」
「どうして早かったのか、お父さんは何かおっしゃっていましたか?」
「さあ――私も、特に聞かなかったので」
「そうですか。ちなみに、麻雀をやりに行かれたお宅は、ご近所ですか?」
「はい。自転車で、たぶん5、6分くらいだと思いますけど。父の小学生の頃からの友人の、
「明日香さん。南田さんの家に、行ってみるんですか?」
と、僕は聞いた。
「そうね……。警察の方で、アリバイを確認に行っていると思うけど。行ってみましょうか」
「私も、一緒に行きましょうか?」
と、涼子さんが言った。
「いえ、涼子さんは家にいてください。お父さんが、いつ帰ってくるか分かりませんから。場所だけ、教えてください」
僕は涼子さんに南田さんの家の場所を聞くと、さっそく向かうことにした。
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