第7話

「新田さん。どうも、ありがとうございました」

 と、明日香さんは、頭を下げた。

「それでは、これで失礼します。絶対に、犯人を見つけてください。坂口さんの息子さんの奥さんが犯人だなんて、近所で噂をしている人もいますけど、あんなに優しい人が犯人なわけは絶対にないと思います」

 と、新田さんは言った。

「涼子さんのことは、よくご存じなんですか?」

 と、明日香さんは聞いた。

「そんなに、よく知っているわけではないですけど。旦那さんと、ご結婚されてからも、ここに住んではいませんでしたし。でも、旦那さんが亡くなって、正直ここまでやる必要はないと思うんです。それなのに、週に三回もやって来て、食事を作ったり掃除をしたり。坂口さんも、本当に感謝されていたみたいですよ。私の義母が、聞いたそうです。先月は、ちょっと早めに来て、花壇を作って種をまいたりされていましたし。本当に、いい人ですよ」

「あの花壇は、涼子さんが作られたんですか?」

「ええ、そうです。ご自分でいろいろと、ホームセンターで買ってこられたようですよ」

 せっかく、涼子さんが作った花壇に、僕は足を突っ込んでしまった。今度、涼子さんに謝っておこう。

「それにしても、こんなに続けて亡くなられるなんて、本当にお気の毒ですね」

 と、新田さんは、ため息をついた。

「続けてとは、坂口さんの息子さんのことですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「息子さんもですけど。二年くらい前だったと思うんですけど、坂口さんのところの従業員の若い男の子が、残業帰りに交通事故で亡くなっているんですよ。まだ、25歳くらいだったかしら? 坂口さんも、そうとうショックを受けていたみたいですよ。そういえば事故から二週間後くらいに、その男の子のお父さんが、坂口さんの家に怒鳴り込んで来たことがありますよ」

「怒鳴り込んで? それは、穏やかじゃありませんね。いったい、何があったんですか?」

「ええ。偶然、義母が見ていたそうなんですけど。家の前にタクシーが停まったと思ったら、60代くらいの人かな? 男性が降りてきて、すごい勢いで怒鳴り込んで行ったらしいです。『息子を殺したのは、お前か!』って。本当に、坂口さんに殴りかかるんじゃないかって思ったそうです」

「息子を殺したというのは、どういう意味ですか? 交通事故で、亡くなられたんですよね?」

 と、僕は聞いた。

 まさか、交通事故じゃなかったのか?

「それは、分からないですけど。たぶん、坂口さんが毎日のように残業をさせていたからだと思います。それで、過労で交通事故を起こしたんじゃないかって、いうことだと思います」

「そんなに、毎日、忙しかったんですか?」

「そうみたいですね。当時は夜遅くまで、作業場の電気がついているのを見ましたから」

「その、怒鳴り込んでこられた父親は、その後どうされたんでしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「そのときは、私の義母が駐在所に電話をして、すぐにお巡りさんが来てくれて、説得されてそのまま帰ったみたいですけど」

「その後、その父親が訪ねて来られたことは?」

「その後ですか? 私が知る限りでは、一度もないと思いますけど……。でも、私も、坂口さんの家を毎日見張っているわけではないので」

「ちなみに、その亡くなられた従業員の方のお名前って、分かりますか?」

 何故か明日香さんは、このことがとても気になっているみたいだ。

「確か――内藤正志ないとうまさしっていう名前だったと、思いますけど」

「そうですか、ありがとうございました」

「それでは、家族が心配するといけないので、本当に失礼します」

 新田さんは、鞘師警部にそう言うと、帰っていった。

「明日香さん、今の話がずいぶん気になっているみたいですけど。もしかして、その父親が犯人だと思っているんですか?」

 と、僕は聞いた。

「そんなに気になるなら、明日にでも調べてみようか?」

 と、鞘師警部が言った。

「お願いします」


 僕たちは、犯行現場の書斎へ戻ってきた(僕は、初めて入るけど)。

 結構、広い書斎だな。まあ、僕も、そんなにいろいろな書斎を見てきたわけではないけど、とても立派な書斎だ。

 壁際に並んだたくさんの本棚には、いろいろなジャンルの本が綺麗に並べられている。

 部屋の真ん中にはテーブルがあり、三人掛けのソファーが向かい合わせに、二つ置かれている。

 おそらく、来客も、この部屋に通していたのだろうか?

 部屋の隅には、机とイスが置いてあった。普段、読書などをするときは、こちらの机を使っていたのだろうか?

「鞘師警部、坂口さんが倒れていたのは、この辺りでしょうか?」

 と、明日香さんが、机の辺りを指差しながら聞いた。

「ああ、そうだ。この机の角に、後頭部をぶつけたようだな」

 と、鞘師警部は、机の方を指差した。

「ということは、坂口さんは机の方に背を向けていて、正面から殴られた――ということですか?」

 と、僕は、殴るような振りをしながら、鞘師警部に聞いた。

「ああ、おそらく、その可能性が高いと思われる」

 と、鞘師警部は、うなずいた。

「後ろからいきなりじゃあ、ないんですね。犯人は、坂口さんの顔見知りでしょうか?」

 もしも、明日香さんが気にしている、例の内藤さんの父親なら、顔見知りということになるのか。

「そこは、まだなんとも言えないがな」

「鞘師警部、坂口さんが発見されたときは、どんな服装だったんでしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「普段着のままだったようだ。涼子さんに確認したところ、涼子さんが訪ねたときの服装のままだった」

「なるほど――そうですか」

「明日香さん、部屋を荒らした様子もないですし、物取りとかではないですよね?」

 と、僕は聞いた。

「そうね。泥棒に入るのに、金づちを持参というのは、あまり聞かないわね。それとも、私が知らないだけで、流行っているのかしら?」

 まさか。

「鞘師警部。一応、台所も見させてもらえますか?」

 と、明日香さんは、鞘師警部に聞いた。

「ああ、もちろん。こっちだ」

 僕たちは、書斎を出ると、家の奥の台所に向かった。

 台所も、それなりに立派な台所だ。広くて、使いやすそうだ(まあ、料理をしない僕には、実際のところは分からないけれど)。

「坂口さんは、夕食は食べていなかったんですよね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「そのようだな。残されていた料理を写真に撮って、涼子さんに確認したところ。間違いなく、あの夜、自分が作った料理だということだ。遺体の解剖結果からも、その夜、坂口さんは食事を取っていないそうだ」

「ということは、涼子さんが帰ったすぐあとに、殺害されたんでしょうか?」

 と、僕は聞いた。

「そうだな。もしくは――涼子さんが殺害したかだが」

 と、鞘師警部は言った。

「鞘師警部! 鞘師警部は、涼子さんが犯人だと思っているんですか?」

 鞘師警部は、涼子さんや僕たちを信じてくれていると思っていたのだけど。

「いや――私の個人的な印象では、涼子さんが犯人だとは思わないが、私の個人的な印象だけで、涼子さんを容疑者から外すことはできないんだ。そこは、分かってくれ」

 と、鞘師警部は言った。

 確かに、鞘師警部の言う通りだろう。鞘師警部の印象だけで、捜査方針は変えられないだろう。

「明日香さん。何か、分かりましたか?」

 と、僕は、明日香さんに聞いた。

「そうね……。ちょっと、考えさせて」


「鞘師警部、今日はありがとうございました」

 と、明日香さんが言った。

 僕たちは、探偵事務所に帰ってきた。

「ああ、そんなに気にしないでくれ。いつものことだからな」

 と、鞘師警部は笑った。

「それじゃあ、私はこれで失礼するよ。例の内藤さんという人の件は、明日にでも駐在所に行って聞いてみるよ」

「鞘師警部。そのことでお願いが」

 と、明日香さんが言った。

「なんだい?」

 おそらく、明日香さんのお願いというのは、自分も連れて行ってほしいということだろう。

「私も、一緒に行ってもよろしいでしょうか?」

 やっぱり。

「そうか、分かった。真田課長に、話しておこう。課長も、だめとは言わないだろう」

「ありがとうございます」

 と、明日香さんは頭を下げた。

 しかし、探偵に頼りすぎの捜査一課長も、珍しいだろう。

「それじゃあ、明日の9時頃に、また来るよ。お疲れ様」

 と、鞘師警部は言うと、帰っていった。

「明宏君も、今日はもう帰ってもいいわよ。明日は9時出発だから、それまでに来てくれたらいいわよ」

 と、明日香さんが言った。

「分かりました」

 と、僕は、うなずいた。

 しかし、これを真に受けて9時に行くと、きっと明日香さんは怒るだろう。

『重役出勤とは、いいご身分ね――』と。

 僕は、まだまだ探偵の身分だ。いつものように8時までには出勤をして、本でも読んでいよう。

「明日香さん。涼子さんは、犯人ではないですよね?」

「そう願いたいわね。依頼人が犯人っていうのは、気持ちのいいものではないから……」

 と、明日香さんはつぶやいた。

 実は、過去に、そういう事件もあったのだけど――まあ、それはそれとして、今回の事件は、そんなことはないだろう。

「それじゃあ、明日香さん。これで、失礼します。お疲れ様でした」

 と、僕は、探偵事務所を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る