第5話

 明日菜ちゃんが帰ってから、あっという間に時間が過ぎて、現在時刻は午後6時。もう、外は暗くなっている。

「やあ。明日香ちゃん、明宏君、待たせたね」

 と、黒いスーツに身を包んだ、一人の高身長のイケメン男性が探偵事務所にやって来た。

「こんばんは、鞘師警部。お待ちしていました」

 と、明日香さんが言った。

「そういえば、明日菜ちゃんが、ドッキリの仕掛人をやるそうだね」

 と、鞘師警部から、事件のことではなく、予想外の言葉が飛び出してきた。どうして、そんなことを知っているのだろうか?

「鞘師警部、どうしてそんなことを知っているんですか?」

 と、僕は聞いた。

「いや、今日の3時前だったかな? 明日菜ちゃんが、メールを送ってきたんだよ。ドッキリの仕掛人をやるから、絶対に見てくれってね。メールの文字だけでも、楽しさが伝わってくるようだったよ」

「明日菜ったら、鞘師警部にまでそんなことを? お仕事中に、ご迷惑おかけしてすみません。後で、ちゃんと叱っておきますから」

 と、明日香さんは、呆れ顔だ。

「いやいや、構わないよ。プライベートの携帯にメールを送ってくれるのなんて、明日菜ちゃんくらいだし。私も、明日菜ちゃんからのメールは楽しみにしているよ。同僚の刑事は、芸能人からのメールに驚いていたがな」

 そうなのか。鞘師警部も、意外と友達が少ないのかな? と、僕は、変な親近感を覚えた。

 明日菜ちゃんは、僕にもメールを送ってくることがあるけど、明日香さんの妹とはいえ、芸能人からメールが送られてくるのは、不思議な感覚になる。

 僕と、モデルのアスナの関係性を知らない人から見れば、あいつ、なりすましメールに引っかかっているぞ。残念なやつだ――と、思われることだろう。

「そうそう。それから、明日香ちゃんと明宏君がイチャイチャしているから邪魔をするなと書いてあったが、そういうわけにもいかないんでな」

「ちょっ――もう、明日菜ったら、鞘師警部にまで、そんなことを? そんなこと、してませんから――」

 と、明日香さんは再び頬を紅潮させている。きっと、怒りがぶり返してきたのだろう。

 明日菜ちゃんのせいで、僕がまた怒られてしまう。

「はい。そんなこと、ないです」

 と、僕は、うなずいた。

「ふっ、そうか。明日香ちゃん、もっと素直になってもいいんじゃないか?」

 と、鞘師警部は、僕たちに向かって微笑みかけた。

 素直? いったい、どういう意味だろう? ま、まさか? もっと素直に、僕を怒鳴りつけろということなのだろうか?

 僕は、最初から、そういうつもりはなかったんだけど。

「鞘師警部。そんな話は、どうでもいいので、さっそく現場に向かいましょう」

 と、明日香さんが言った。

 僕たちは探偵事務所を出ると、鞘師警部の車で事件現場へ向かった。


「鞘師警部。こんな時間に現場を見たいなんて、すみません」

 と、明日香さんは言った。

「まあ、いいさ。明日香ちゃんには、こちらもお世話になっているからな。真田さなだ課長も、明日香ちゃんによろしくと言っていた」

 警視庁捜査一課の課長が許可をしているのなら、何も問題はないか。

 しかし、探偵とはいえ、一般人である僕たちを事件現場に入れてもらえるのは、大変ありがたいことである。もし、これがなければ、明日香さんといえども、そう簡単には事件を解決できないかもしれない。

「まあ、中には、探偵を現場に入れることを嫌う警察官もいるが。もう、現場検証も終わっているしな」

「そういえば、凶器は見つかったんですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「凶器か――これはまだ、公表していないんだが。今日の昼過ぎに、現場の近くの川で、それらしいものが見つかったんだ」

「それで、凶器は何だったんですか? 確か、固いもので頭を殴られたんですよね?」

 と、僕は聞いた。

「ああ、そうだ。凶器は、金づちだった」

「金づち――ですか?」

 と、僕は聞き返した。

「ああ、金づちで正面から、頭を殴った――というか、叩きつけたと言った方が的確かな」

「明日香さん、金づちって――」

 まさか……。

「なんだ? 何か、心当たりでもあるのかい?」

「鞘師警部。その金づちについて、何か分かったことはあるんですか?」

 と、明日香さんが、話に割って入った。

「いや、まだだ。今、調べているところだ。血痕の他に、いくつか指紋も見つかっているようだが。それと、もう一つ言っていないことがあるんだが――直接的な死因は、金づちによって叩かれたことではないんだ」

「どういうことですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「直接的ではないというだけで、間接的には関係あるんだが。金づちで叩きつけられ、後ろに倒れたときに机の角に後頭部をぶつけたんだ。打ち所が悪かったんだろうな、それが直接的な死因だ」

「それでは、力の弱い女性でも可能ということですね」

「そうだな。まあ、だからといって、犯人が女性だと決まったわけではないがな。そして、北川涼子さんが犯人だと決まったわけでもない。しかし、凶器の調査結果しだいでは、どうなるか分からないがな」

「鞘師警部、実は――」

 と、明日香さんは、涼子さんのお父さんの工具がなくなっていたことを話した。

「そうか、分かった。事件と関係があるかは分からないが、話してくれてありがとう」

 と、鞘師警部は言った。


「もうすぐ、坂口さんの家だ。正面からでも入れるんだが、その日、実際に涼子さんが入った、裏の方に回った方がいいだろう?」

 と、鞘師警部が言った。

「お願いします」

 と、明日香さんが、うなずいた。


「あれが、坂口さんの家だ」

 鞘師警部が指差す方向には、二階建ての立派な家が建っていた。

 鞘師警部は車を裏へ回らせると、作業場の前で車を停めた。

「鞘師警部、この作業場は?」

 と、僕は聞いた。

「ああ、そこは坂口さんが、一年前まで金属加工の作業をしていた作業場だ」

「この中も、調べたんですよね?」

「もちろん、調べたさ。だが、ここ最近、誰かが入ったような形跡は見つからなかった。中には、うっすらとホコリがたまっていたが、誰かがその上を歩いたような形跡はなかった。カギもちゃんとかかっていたし、カギは家の中の書斎の机の引き出しに入っていた。つまり、誰かが作業場に入って、ここから凶器を持ち出したとは考えられない――というわけだ」

 そうか……。

「作業場の入り口は、ここだけですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ああ、そうだ。そもそも、そんなに広い作業場ではないからな。もちろん、窓から入ろうと思えば入れるんだろうが、窓にもすべてカギがかかっていた」

 ということは、この作業場は事件には関係がないだろう。

「鞘師警部。それでは、家の中を見せていただけますか?」

「こっちだ」

 僕たちは、鞘師警部のあとを付いて、家の方に向かった。

「暗いから、気をつけてくれ」

 と、鞘師警部が言いながら、角を曲がった。続いて、明日香さんも角を曲がった。そして、僕も角を曲がった――

「うわっ!」

 角を曲がったところで、僕は片足を花壇に突っ込んでしまった。

 あぁ……。靴が、汚れてしまった。

「明宏君。何を、やっているのよ。注意力散漫よ」

 と、明日香さんに、いつものフレーズで怒られた。

「暗いから、気をつけろって言っただろう」

 と、鞘師警部には、呆れられた。

「花壇があるならあるって、言ってくださいよ」

 と、僕は反論した。

「私は、気づいたわよ」

 と、明日香さんは言った。

 それを言われると、返す言葉がない。

「実は、現場検証のときに、この花壇から足跡が見つかっているんだ」

 と、鞘師警部が言った。

「足跡ですか?」

「ああ、誰の足跡かは分かっていないんだが、涼子さんの足跡ではないようだ」

「それじゃあ、犯人の?」

 と、僕は聞いた。

「その可能性は、考えられる」

「鞘師警部。事件のあった日にも、ここは暗かったんですよね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ああ、涼子さんの話からも、そのようだ。当時は、雨も降っていたから、さらに暗かっただろう」

「もしも――もしも犯人が、明宏君と同じように花壇に足を踏み入れたんだとしたら。ここに、花壇があることを知らなかった人物――という可能性が、高いでしょうか?」

 と、明日香さんが言った。

「そうですよ、明日香さん!」

 と、僕は思わず叫んでいた。

「明宏君、うるさい。近所迷惑よ」

「す、すみません」

 明日香さんに、また怒られてしまった。

「やっぱり、犯人は涼子さんじゃないですよ」

 と、僕は小声で言った。

「えっ? 何? 聞こえないわよ。はっきり、言いなさいよ」

「…………」

 何か理不尽なものを感じつつ、僕は明日香さんたちと、家の中に向かった。


 鞘師警部が玄関のカギを開けると、僕たちは家の中に入った。

 当然、家の中は真っ暗なので、鞘師警部が電気のスイッチを入れた。

「こっちが、坂口和夫さんの遺体が見つかった書斎だ」

 と、鞘師警部が指差したのは、玄関を上がってすぐ左側の部屋だった。

「鞘師警部。中に入っても、よろしいでしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ああ。一応、現場検証は終わっているが、あんまり派手に引っ掻きまわさないでくれよ」

「ええ、分かっています」

 と、明日香さんは、うなずいた。とは言うものの、明日香さんが何も触らずに、ただ見るだけで終わるとは思えないけど。

 まあ、それは鞘師警部も、当然、分かっているだろうけど。

 まずは、鞘師警部が書斎のドアを開けて中に入り、電気のスイッチを入れた。

 そして、明日香さんが書斎に入り、続いて僕が入ろうとしたそのときだった――

 ガラッと、玄関の扉が音を立てて勢いよく開いたと思うと、

「あんた、誰よ!!」

 と、叫びながら、50代くらいのとても体格のいい女性が入ってきた。

「えっ? ぼ、僕ですか?」

 その女性からは僕しか見えていないはずなので、当然、僕のことだろう。

『僕は、探偵助手です』と、名乗る間もなく、気づいたら僕は、後ろから羽交い締めにされていた。

「ちょっ、ちょっと……。助けて!」

「ここは、坂口さんの家よ! もしかして、あんたが坂口さんを殺した犯人ね? 犯人は、犯行現場に戻ってくるって、昨日の刑事ドラマで言っていたわ。観念しなさい!」

 その女性は、そう叫ぶと、そのまま前に倒れこみ、僕を上から押さえつけた。

「痛い! 痛い! 助けて! 明日香さーん!!!!」

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