第1話

「どうぞ、お掛けください」

 明日香さんに促されて、男性と女性はソファーに腰を下ろした。

 僕は改めて、四人分のコーヒーを準備していた。

「どうも初めまして。私が、探偵の桜井明日香です」

 と、明日香さんは、名刺を差し出した。

「私は、北川精二きたがわせいじと申します。こっちは、妻の幸子さちこです」

 と、男性は自己紹介をした。

 明日香さんに向かって頭を下げる奥さんの方は、ずいぶん疲れているような印象だ。顔色も、悪く見える。

「北川さんですね。それで、ご用件は? 先ほど、娘を助けてほしいとおっしゃっていたようですが」

「はい……。お願いします――どうか、私たちの娘の涼子りょうこを、助けてください」

 と、北川さんは、強い口調で訴えた。

「北川さん。落ち着いて、一から話していただけますか? ――明宏君、コーヒーを」

「はい。今、お持ちします」

 僕は、温かいコーヒーの入ったカップを、北川夫妻の前に置いた。

 そして、明日香さんにもコーヒーを出すと、自分のカップを持ち、明日香さんの隣に腰を下ろした。

「北川さん。どうぞ、コーヒーでも飲んで、落ち着いてお話ください」

「すみません。いただきます」

 と、北川さんはコーヒーを一口飲むと、話し始めた。


「実は、先週の土曜日に、ある男性が殺されているのが見つかったんです。近所の方が見つけられたそうです。警察の話では、亡くなったのは、金曜日の夜8時から10時くらいだろうということでした」

「殺された?」

 と、明日香さんは聞き返した。

「はい。殺されたのは、坂口和夫さかぐちかずおさんという70歳の男性です」

 先週の金曜日、坂口和夫さんか――

 僕は、事務所のパソコンで、インターネットで検索をしてみた。

「その方は、どういう方なんでしょうか? 北川さんの娘さんと、何かご関係が?」

 と、明日香さんが聞いた。

「坂口さんは、涼子の義理の父親です。つまり、涼子の夫の父親ということです。ただ、涼子の夫の和彦かずひこ君は、一年前に病気で亡くなっているのですが……」

「そうですか……。それで、娘さんを助けてほしいというのは?」

「はい……、それは……。警察は、涼子が坂口さんを殺したと疑っているみたいなんです」

「娘さんが、義理の父親を? どうしてですか?」

「それは、警察の話では、坂口さんを最後に訪ねたのが、涼子である可能性が高いのと、遺体の見つかった現場から、涼子の指紋が見つかったということのようです」

「涼子が……、涼子が人殺しなんて、そんなことするはずがありません……」

 と、奥さんが泣き出してしまった。

「幸子、落ち着きなさい。涼子が、そんなことをするわけがないんだから。きっと、探偵さんが助けてくださるから」

 と、北川さんは、奥さんの肩を抱いた。

 僕は、インターネットでニュースをいくつか見てみたけど、坂口和夫さん(70歳)が殺害されているのが見つかったということだけで、どうやって殺害されたかなどは書いてなかった。

「指紋ですか――娘さんは、どうして亡くなった旦那さんの父親を訪ねたんですか?」

 と、明日香さんは聞いた。

「実は、坂口さんは、奥さんもかなり前に亡くされていて、一人暮らしなんです。息子の和彦君が亡くなってからは、経営していた会社もやめてしまって、ふさぎこむようになったんです。涼子は坂口さんを心配して、半年くらい前から毎週月水金の三日間、坂口さんの家に行って食事を作ったりするようになったんです」

「娘さんは、結婚されているときは、どちらにお住まいだったんでしょうか?」

「私の家の近くのアパートに、夫婦二人で暮らしていました。子供は、できなかったもので。でも、半年前から通っているんです。指紋が付いていたって、当然じゃないですか」

 確かにそうだ。半年の間、週に三日間も通っていれば、指紋が付いていない方が不自然だ。

「警察は、坂口さんが、どうやって殺されたと言っていましたか?」

「何か固いもので、頭を殴られたということでした。でも私たちに似て、華奢で非力な涼子が、70歳とはいえ男性を相手に、殴りかかって殺すなんて――そんなバカなことあり得ませんよ」

「それで、今、娘さんはどちらに?」

 まさか、逮捕されてしまったのだろうか?

「涼子は、和彦君が亡くなってからは、家に帰ってきていまして。今日も、家にいます。親戚の者が、一緒に付いていてくれています。ただ、今日は具合が悪いと言って。朝から休んでいます」

「逮捕されたというわけでは、ないんですね」

「はい。日曜日に話を聞きに来られて。警察署の方に行きまして、そのときに指紋も調べられたみたいです。そのときは、すぐに帰れたのですが、明らかに涼子を疑っている雰囲気でした」

「そもそも、娘さんに、義理の父親を殺害する動機があるんでしょうか?」

 と、明日香さんが、当然の疑問を口にした。

「動機ですか……。実は、坂口さんは、もともと二人の結婚には反対していたんです」

「どうしてでしょうか?」

「涼子は、中卒でして。そういうところが、気に入らなかったようです。和彦君には、もっと高学歴の人と結婚をして、会社を継いでほしかったみたいです」

「ちなみに、お二人がご結婚されたのは、いつ頃でしょうか?」

「五年前です。結局、坂口さんの反対を押し切る形で、二人は結婚しました。和彦君が亡くなったときも、坂口さんは、涼子のせいだと泣いていました。警察は、それで涼子が坂口さんを恨んでいたと考えているみたいです」

 と、北川さんは寂しそうに言った。

 しかし、五年も前のことで――旦那さんが亡くなったのだって、一年前のことだ。それを、今さら恨みに思って、殺すなんて……。

 そんなこと、あり得るんだろうか?

「なるほど、分かりました。警察は、娘さんが坂口さんを殺害するために、半年間も通い続けていたと考えているのかもしれませんね」

 と、明日香さんは言った。

「警察は、おかしいですよ。涼子だけが、坂口さんの家に入れたわけではあるまいし。きっと、涼子が帰ったあとに誰か別の人間が入って、坂口さんを殺したんですよ。そうに決まっています」

 と、北川さんは訴えるように言った。

「北川さん。娘さんに、直接お話をお聞きしたいのですが、可能でしょうか?」

「分かりました。ただ、先ほどもお話した通り、今日は具合が悪くて寝ているので、明日でも大丈夫でしょうか?」

「分かりました。それでは、明日の午前10時くらいでよろしいでしょうか?」

「はい。よろしく、お願いいたします」

 僕が、北川さんの住所と電話番号を聞くと、北川さんたちは何度も頭を下げて、帰っていった。


「明宏君。今日は、もう帰っていいわよ。私は、鞘師さやし警部に電話をして、もう少し事件の詳細を聞いてみるから」

「分かりました。お疲れ様でした」


 翌日――


 僕たちは、約束の時間の10時ちょうどに、北川さんの自宅を訪れていた。

 北川さんの自宅は、住宅街に建つ二階建ての家だった。庭の車庫には、大きな黒いワゴン車が一台停まっていた。

「大きな車ですね。この車で、坂口さんの家に行っていたんでしょうか?」

 と、僕は言った。

「鞘師警部に聞いた話では、そうみたいね」

 と、明日香さんは言った。

「それにしても、結構大きな家ですね」

 車も大きいし、意外と(なんて言ったら、失礼か)お金持ちなのかもしれない。

 僕は、そんなことを考えながらチャイムを鳴らした。

 しばらく待っていると、北川さんの奥さんが出てきた。

「おはようございます。お話をうかがいに来ました」

「おはようございます。わざわざ、ありがとうございます」

 と、奥さんは頭を下げた。昨日と比べると、奥さんの顔色もいいようだ。

「娘さんは、今日は体調の方はよろしいでしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ええ、おかげさまで。今日は、体調もいいようです」

「それは、よかったです」

「どうぞ、お上がりください」

 僕たちは、二階の娘さんの部屋に通された。

「涼子、入るわよ」

 と、奥さんがドアをノックした。

「…………」

 しかし、部屋の中からは、返事はかえってこなかった。

「涼子? どうしたの?」

 奥さんが、心配そうに、もう一度ドアをノックした。

「…………」

 やっぱり返事はなかった。

「開けてみましょう」

 と、明日香さんがドアのノブに手をかけた。

 そして、僕たちは、部屋へとなだれ込んだ――


「大変失礼しました」

 と、その女性は謝った。

「うとうとしていて、つい眠ってしまいました」

「涼子、びっくりさせないでよ。何か、あったのかと思ったじゃない」

「お母さん、ごめんなさい」

「せっかく、探偵さんが来てくださってるんだから、ちゃんとお話をしてね」

「うん。分かった」

「それじゃあ、私は、お茶を入れてきますね」

 と、奥さんは部屋を出ていった。

「初めまして。北川涼子です」

 涼子さんは、35歳ということだったけど、見た目は明日香さんと同じくらいに見える(とはいっても、明日香さんの年齢が分からないが)。

「初めまして。探偵の桜井明日香です」

 と、明日香さんは、名刺を渡した。

「初めまして。桜井の助手の坂井明宏です」

 ちなみに、僕は名刺を持っていない。

 明日香さん曰く、『明宏君には名刺なんて、100年早いわよ』ということらしい。

「体調を崩されたということでしたけど、思ったよりもお元気そうで安心しました」

「ええ、和彦さんのお父様が殺されたというショックと、私が疑われているというショックで、精神的に参ってしまって……」

 それは、当然だろう。夫の父親が殺害されて、その容疑が自分に向けられたとなれば、そのショックは半端なことではないだろう。

「涼子さん。私の知り合いの警察の人に聞いてみたのですが、警察も涼子さんが犯人だと決めつけているわけではないようですよ。涼子さんが帰られたあとに、誰かが訪ねてきた可能性も考えられますからね。もしも、涼子さんに不快な思いをさせたのであれば、申し訳ないと言っていました」

「そうですか……。そんな優しい刑事さんも、いらっしゃるんですね」

 その刑事さんとは、鞘師警部のことだ。

 しかし、他に坂口さんの家を訪ねた人物が見つからなければ、そのときは……。警察も、涼子さんを容疑者として逮捕するかもしれない。

「お待たせしました」

 と、奥さんが、お茶を入れて戻ってきた。

「涼子さん。先週の金曜日のことを、話していただけますか?」

「分かりました」

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