フランツとヴィルヘルム-8
「止まれ!」
「ねえヴィル、言ったよね? 俺にとっては俺も描くものでしかないって」
あの廃墟の部屋で言った言葉をもう一度、ヴィルヘルムの頭部に言い聞かせる。
腕の中の彼は、穏やかな表情で瞑目していた。事切れて大分経った頭部は、勿論眉一つ動かさない。
そう、フランツからすれば自分自身さえも題材でしかない。自分の過去も、自分の今も、そしてこれからの未来も。人生自体が描くべきテーマでしかなかった。
「だからさあ、あの絵を完成させる為にはこれしかないって感じたんだよ。……怒らないでいてくれるよね?」
「止まれ、止まらなければ撃つぞ!」
「……うるさいな、撃てよ勝手に」
っていうか撃てよ。撃ってくれよ。撃って殺せよ。うざったそうに言ったフランツが顔を顰める。
ヴィルヘルムの絵画を完成させるに当たって、フランツが行き着いた答えは単純明快なものだった。
即ち、自分が死ぬこと。自殺ではなく、他殺で死ぬこと。
そうして“ヴィルヘルム・アレント”を、“フランツ・ミュラー=ヴィーラント”という猟奇的連続殺人犯の、画家としては無名の戯画絵師の最期の作品とすること。
その為には、こうして公衆の面前に姿を現すのが一番早かった。この街は、狂人ぶっていればすぐに殺してくれる。警察との面倒臭い面倒臭いやり取りも、退屈な裁判も、いつ執行されるかも定かではない死刑も待たずに済む。
歩きながら、引き金に指をかける。少しだけ力を込めると、微かな軋みはあったものの案外すんなりと引き金が動いた。
その動きが決定打となったか、警官達も同じように引き金に指をかけた。
「俺は息を吸うように殺し、息を吐くように殺す連続殺人鬼(シリアルキラー)だ。
――そして物を創るように殺し、殺すように物を作る戯画絵師だ」
自分でも驚くほどに低く、俗に言う“真面目”な声が漏れる。
少しばかり笑って、フランツは躊躇することなく引き金を引いた。
「…………あ、?」
――かちん、と拍子抜けするような軽い音が、した。
思ったような反動もなく、フランツがぽかんと間の抜けた顔になる。
今自分は確かに引き金を引いた。安全装置はとっくに外れているし、第一それなら引き金自体動かない筈。なのに――そこまで考えて、フランツは悟る。
思わず、狼狽した顔のまま、ヴィルヘルムの頭部へと視線を落とした。
「ヴィルお前、」
最後の最後で嘘つきやがった。これ弾一発も入ってねえじゃん。
そう死者に怒鳴ろうとした声は、今度こそ本物の銃声に掻き消された。
まず、左肩に激痛。思わずふらついた所で、左の脇腹で痛みが爆ぜた。
次に右太腿、左腕、右胸、右手、腹部。立て続けに襲ってくる銃弾に、フランツの喉が呻き声にも似た吐息を漏らす。
自らの身体を襲う鉄の雨に、撃たれた足ががくりと折れる。立っていることも出来ずに倒れ込んで、その衝撃で口の端から血が垂れた。
手放しそうになったヴィルヘルムの頭部を抱き込んで、フランツは目だけを動かして空を見た。
灰色の塊は夜空を隙間なく埋め尽くしていた。おかげで、星の一欠片も見られない。
不意に、ぽつり、冷たい雫が頬を打った。数秒ほどしてから、それが雨粒なのだと理解した。
家を出る間際、ヴィルヘルムと共に『今日は夕方から夜にかけて雨が降り出すでしょう。必要以上に雨に当たらないよう注意してください』という天気予報を聞いたことを、何故だか思い出した。
「――有り難う、ヴィル」
血の味がする喉で、呟く。
「俺は一番いい作品を描けたよ」
ありがとうね、と。最後に続ける筈だった言葉は、迫り上がってきた血に阻まれた。
戯画絵師の咳き込む音が、雨音に掻き消されていく。
複数人の足音が、重なり合って近づいてくる。
死の足音か、正義の行進か。どちらでもさして男には変わりなかった。
だから、フランツは血で濡れた唇を動かした。
「――雨音が、僕等を、」
雨音のようにうるさい銃声が聞こえた気がした。
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