フランツとヴィルヘルム-7
うるさいと、他人事のように思った。
自分を取り巻く悲鳴が耳の奥で木霊して、殊更うるさい。
ああ、ヴィルヘルムはいつもこんな風に苦しんでいたのか。確かに単純に、耳障りだ。彼の場合は怨嗟が酷いからだろうが、うるさいだけでも十分精神を削られる。
やっとヴィルヘルムが味わっていたものの片鱗に触れられた気がして、少し嬉しくなる。
今にも雨が降り出しそうな空の下、雨の予感に急く人の波を掻き分けながら、フランツは外灯が灯り始めた通りを歩いていた。
ぽた、とまるで雨が降り始めたような音が足下から聞こえるのは、自分が抱えたものの所為だ。
数歩歩く度に音がする。雨音ほど連続してはいないが、その不規則さに何となく楽しくなる。……訂正、そうでもない。というか、音自体そこまでしない。音の発生源は、もう凝固しつつある。
ちら、とフランツが反対側の歩道に眼を向けると、恐怖で足を竦ませた女性が短く悲鳴を上げて腰を抜かしていた。
それがおかしくて、ふっと笑いかけると更にガタガタと震え出す。
そんな顔をしなくてもいいのに。とは言わないし言えない事くらい、フランツ自身解っていた。
今の自分の姿を見れば、誰だってああいう反応をして当然だ。客観的に考えてそれくらいは分かる。悲鳴や怒号だって、まあ、仕方がない。
寧ろ求めていたのだ、鼓膜を劈くくらいの絶叫を。
誰か警察を呼べだの、早く逃げろだの、そういう見ず知らずの他人の声に囲まれてフランツは街中を堂々と闊歩する。
歩道を行き交う人々からすれば、今の自分の姿は、雨にやられた末期患者か何かか。
片手には安全装置を外した旧式の拳銃を持ち、片腕にはくすんだ金髪の男の生首を大事そうに抱き抱え、連続殺人事件の真犯人は笑っていた。
「雨が降りそうだね、ヴィル」
周囲の喧噪に掻き消される程度の声で呟く。
空を仰ぐと、すっかり暗くなった空にまだ重たい雲が立ちこめていた。ああ、今夜は雨かと、ぼんやりと思う。
「あの天気予報また当たりそうじゃん。肝心なときには当たらないのにさぁ」
フランツはぼやきながらも歩みを進めるが、誰も捕らえようとはしない。
怖いのか、我が身可愛さか、ただ遠巻きにこちらを眺めているだけだ。
自分に危害が及ばない限り、人は何に対しても他人事だ。例えばここで自分が誰かを撃ち殺したとして、その“誰か”以外の人間にとっては他人事だ。ああ、自分でなくてよかったと安堵する材料にしかならない。
だから、ここで逃げるだけでなく誰かに早く逃げろと声を上げ、そして警官や軍人を呼ぶ人間はある程度は思慮深く、また“いいひと”なのだろう。
しかし、端末で必死に通報する街の住人を横目で見遣ると、それが合図となったかのように逃げ出した。
「お前等蜘蛛の子かよ」
正に“蜘蛛の子を散らす”ように逃げていく彼等に吐き捨てると、丁度良くサイレンの音が聞こえてきた。
ようやくきたかと欠伸をして、足を早める。
この先にあるのは通りにある広場だ。流石に町の中心部ほど広くはないが、ベンチや噴水などが置かれ人々の憩いの場となっている。
そこに行けば全て、それこそ先程自分が描き上げた絵も完成するだろう。そう思うとぞく、と寒気がして、フランツはぎゅ、とヴィルヘルムを抱え直した。
夕飯前という時刻もあって人影の多い通りを歩き切り、広場の入口に差し掛かったところでフランツは足を止めた。
眼前、噴水の前。噴き出す水を背景に、こちらを向く警官達を睥睨する。
通報を受けて駆けつけた癖に、有無を言わさず自分を捕らえるような真似はしない。それが何となく、癇に障った。
何かを大声で怒鳴っているのが聞こえたが、恐らく『武器を捨てて止まれ』とでも言っているのだろう。
「いや、俺今止まってるんだけど」
「――繰り返す! 武器を捨てて両手を上げろ!」
「だから止まってるだろ、強盗かお前等?」
それは警官の言う台詞じゃなくて、主に強盗が言う台詞だろ。こんな状況にもかかわらず――或いは、こんな状況だからこそフランツは思わず噴き出してしまう。
当然フランツがその言葉を聞き入れる事もなく、彼は一度は止めた足を再び踏み出した。
ざり、ざり、と、ゆっくりと確かめるようにアスファルトを踏み締める。
それに合わせて、軍の刻印が削り取られた拳銃を持ち上げる。銃口を向けられた警官達の表情が、目に見えて険しくなった。
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