戯画絵師と元軍人-3

 “戯画を描く画家”を自称する白髪の男と、元軍人であるヴィルヘルム・アレントは、一応生活を共にしている。


 所謂同居人、居候、そういう関係だ。逆に言えばそういう関係でしかない。

 お互い、相手のことは殆ど知らない。一応聞いたことはあるがその程度で、詳しい事情にまで踏み込んではいない。知ろうとも思わない。ただ利害の一致のみで構築された関係だ。

 それまでの職も何もかも、全てを失って路頭に迷っていた自分を拾ったのが白い髪を持つ痩身の画家だった。ヴィルヘルムにとってはそれだけに過ぎない。

 でなければ、こんな気も合わない性格も合わない、唯一合うのは“雨”に対する考え方だけの嫌いな人間とここまで付き合えるものか。


「――ヴィルは本当に良い」

「あ?」


 ぼそ、と呟かれた言葉に、ヴィルヘルムはパンを千切る手を止めた。

 十分に温まった部屋で遅い夕食を胃に収める中、唐突に振られた会話に虚を突かれる。


「何気色悪いこと言ってんだ」

「ん? いや、絵の題材としてはもってこいだと思って」


 主食や主菜を食べず、ただスープを啜る男がにやりと口許を歪める。血色の悪い唇を吊り上げたその様はどうにも不気味だった。


「ほら、外見もいいし? その薄汚い金髪綺麗だし? やっぱりあの時拾ってよかった」

「……確かにそうなるわけだが、俺は物か何かか?」


 千切ったパンを口に放り込み、訊いてみる。

 拾い物扱いされるのは流石に不快だ。それを言えば髪を薄汚いと称されたことも不快だが、いつものことだから放っておく。


「俺にとってはね、物だよ」


 スプーンでニンジンの欠片を掬い、口に流し込む男にヴィルヘルムは顔を顰める。

 他者への尊重の念など微塵も感じぬ言い分に、自身を馬鹿にされた時とはまた違う不快感が湧き上がる。それを抑えるように、グラスに注がれた水を嚥下した。よく冷えた水が舌を転がり喉を通り、腹に落ちていく。


「俺にとっては全部“モノ”だ。当然、俺自身も例外じゃない。

 今度絵の題材に迷ったら、そうだな、自分の手足は使うから駄目だけど、アレを切り落とすのも良いかもしれないね。どうせ使わないし」


 そう、“画家”にとって、この世の万物は自分の創作に取り入れるべき“モノ”でしかなかった。

 小説家になったならばアイディアとしてしか世界を見られなかっただろう、音楽家になったならば音でしか世界を見られなかっただろう。

 体の中で熱い心臓が脈打っていても、生きているから何とやら――なんて倫理と気遣いは存在しない。

 画家である故に、男の濁った双眸には生物は静物とイコールに映る。

 或いは、生物と静物の、生き物と背景の区別がつかないが故に、男は画家であった。

 そう、今眼前で、自分の作った料理を食べてくれるヴィルヘルムも、男にとっては背景と同等だった。

 そして、ただスープを啜るだけの自分自身も。


「……そういう話はやめろ、縮む。あと食事中だ」


 食事中にそんな話は聞きたくない。ヴィルヘルムは良い具合に焼き上がった鶏肉をナイフで切り分けながら苦言を呈し、フォークを刺した肉を口に運ぶ。

 それを飲み込んだ辺りで、男が「失礼」と肩を竦めた。


「美味しいかい」


 べったり、まとわりついてくるような言い方で問われたがヴィルヘルムは答えない。ただ、皿に載せられた肉を調子よく食べ進める事で答えを示す。

 この男の料理は不味くない。味も丁度いいし、調理が上手いのだろう、食材の個性も死んでいない。一口口に含めば続けて食べたくなるような魅力がある。まあ、要するに美味しい。

 美味い飯で腹が膨れる事は幸せだし、それで体が保つのはいいことなのだろう。しかしそれは、彼の料理で今の自分が成り立っていると認めてしまうことになる。

 それはどうにも、面白くない。


「……クソ、」


 最後の肉片を咀嚼しながら、ヴィルヘルムは無意識の内に毒づいていた。


「え、何。美味しくない?」

「美味いから余計にムカつくんだよ」


 言い終わると同時に飲み込んで、舌打ちする。

 そっか、と軽い相槌を打った男がスープの器に口を付ける。一息に飲み干して、濡れた唇を嘗めてから彼は自分が使った食器を手に立ち上がった。


「それじゃあ、俺はご馳走様。取り敢えず部屋に戻るね」

「そうか。できればもう二度と出てくるなよ」

「善処する。あ、おかわりならまだあるから、自由に温めて食べて。……ヴィル、コンロの使い方分かるよね?」

「馬鹿にしてんのか? あ?」


 キッチンの方向を指差して小首を傾げる男の問いに、ヴィルヘルムは額に青筋を浮かべる。

 こいつは自分を何だと思っているのだろう、本当に。家電製品の使い方も分からない真性の馬鹿だとでも思っているのか? だとすれば早急にそのねじ曲がった認識を矯正しなければ。一発殴ってでも。

 今この場で殴るか、と男がフォークを置いて手を握り込んだ辺りで、男が小さく笑った。


「冗談。それじゃ」


 軽く手を振った男が扉の向こうに消えて、扉越しのくぐもった声が聞こえた。


「長く良い夜を、ヴィル」

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