戯画絵師と元軍人-2
結局、二人が自分達の家へと帰る事が出来たのは、庇の下での雨宿りを始めてから数時間経った後だった。
もう夕飯を食す時間も過ぎ、夜中に差し掛かる時刻だ。分厚い雲が申し訳程度に寄越す僅かな光も消え、切れかけた外灯の不気味な光を水溜まりが反射する中、長躯の男がこのまま日が変わるまでいるつもりかと必死に説得して帰ってきたわけだ。
全く勢いの衰えぬ雨と冷えた空気を掻い潜り、何とか辿り着くことが出来た自宅の前で長躯の男は身を縮こまらせる。
「寒い……」
「寒いねえ、雨より寒さで狂いそうだ」
白髪の男が笑いながら、あの通りのように薄汚れた二階建ての家屋の扉を開けた。完全に開くが早いか、長躯の男がびしょ濡れの体を滑り込ませる。
屋内の空気も冷えてはいたが、外よりは幾分もましだ。歯の根の合わぬ口で息を吐く。
「くそ、ふざけやがって。だから数時間はやまないって言ったんだ」
「天気予報が珍しく当たったね。当たるに越したことはないけど」
きい、と蝶番が軋む音を立てながら、白髪の男が扉を閉める。
「外れる方に賭けて数時間もあのクソ寒い中立ってた馬鹿はどこの誰だ?」
嫌味ったらしく言ってやるが、返事はない。ただ背後から笑い声が聞こえただけだった。
自覚しているのかしていないのか。きっと馬鹿だという自覚はあるのだろう。そして分かった上で笑っているのだろう、この馬鹿は。
本日何度目になるかも分からぬ舌打ちをして、リビングへと足を踏み入れる。
壁にある電気のスイッチを押すと数度明滅してから蛍光灯が灯り、広くも狭くもない室内が照らされた。
テーブルがあって、幾つか椅子があって、ソファがあって、テレビがあって、薄汚れた絨毯が敷かれていて。どこにでもあるような部屋だ。壁には極彩色の奇妙な絵がかけられているが、それを除けば普通だろう。
「……はぁ」
濡れた外套もそのままに、長躯の男はソファへと深く腰掛けた。
体が冷え切っている。体温を奪われたことによる疲労は深く、しかし自らの体に回した腕から力が抜けない。
本来なら濡れた衣服は脱ぐべきなのだろうが、流石にこの室温の中で上着を脱ぐ勇気はなかった。
「ソファが濡れるよ」
「うるせえ、いいから暖房点けろ」
廊下と部屋を繋ぐ扉から顔を覗かせた男の抗議を一蹴し、目を閉じる。
数時間ずっと立っていた所為で足が痛い。今すぐベッドに潜って惰眠を貪りたい所だが、生憎馬鹿に付き合った所為で夕飯を食べ損ねていた。このまま寝ても深夜に空腹で目が覚めると思うと寝る気が失せる。
パチッ、という軽い音を聞いて、暖房器具が点けられた事を悟る。
「ヴィル、メシは?」
「食って寝る」
「食うの食わないの?」
「食うっつってんだよ」
相も変わらず、この男は自分を苛立たせるのが上手い。更に今は疲労も溜まっているし、普段より更に苛立ちが増していく。感情に任せて言い返そうかとも思ったが、ぐっと堪えた。
仕方がない。同居しているというよりは居候に等しい身だ。言い返し口論になったところで、結局ここを出ていくことなど出来ないのだから。
出て行った先にあるのは、飢え死にか犯罪者となって捕まる末路の二つだけだ。
難儀だな、とヴィルと呼ばれた男は薄く目を開いて天井を見上げた。
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