25 小さな黒きモノ

 今の状況を簡単に言っておく。

 まず、練習場のモンスター出現領域の中である。

 俺達に襲い掛かってくるモンスターは、悉くルディが排除しているので俺達自身は安全である。


 で、だ。


 ルディの、例の魔力操作(仮)を受けつつ、俺達召喚者6人はとにかく魔力を動かす特訓をし始めた。

 どうやら俺達全員に魔法の素質はあるようなので、早めに教えたいという事らしい。

 というわけで、弱いモンスターしか出ない練習場の中で、すぐ扱えるようになる基本魔法をやってみる事になった。


「良いですか? 詠唱はあくまで、空気中に漂う精霊に呼びかける行為です。つまり、精霊に『今からこんな魔法を使いたいのでお願いします』と言っているようなもの。言葉を選ぶ必要はありませんが、イメージや感覚を掴むまでは詠唱をしておきましょう」

「えーと、さっきのみたいな奴だよね。精霊が何とかっていう」

「はい。そうですね、教科書にも載っている、初心者用の呪文を使いましょうか」


 ルディは地面に文字を書き込んでいく。


【 精霊よ 我が呼びかけに応え 我が力と引き換えに ――の力を今此処に 】


 ルディが使っていたのが、基本形の呪文だったらしい。

 ハルカさんがそれっぽく、手を前に出して言葉を紡ぎ始めた。


「えと。精霊よ、我が呼びかけに、応え、我が力と引き換えに、水の力を今此処に? 『アクア』!」


 ……。

 …………。

 ………………。


 何も起こらないな。


「ドンマイ」

「うぅー」

「えーと。呪文もそうですが、ある程度イメージが固まっていないと発動しません。万物を形作る精霊には感情が無く、魔法を使う者の心が反映されるのです。邪悪であれば攻撃的に。神聖であればより美しいものとなって。ですので、まずはお手本を見てからで……」

「先に言ってよぅ……」


 真っ赤な顔を両手で隠しながら落ち込むハルカさんを宥めながらも、魔法講習は続く。

 イメージ、か。

 あ、俺は昨日見たし、出来るかも?


「俺がやってみるよ。

【 精霊よ 我が呼びかけに応え 我が力と引き換えに 水の力を今此処に 】 『アクア』!」


 イメージするのはルディの魔法。

 水晶球のような、透き通った水の珠。

 あるいは、周囲の水蒸気を一点に集中するような。

 上に向けた手の平、その少し上に浮かんでいるようなイメージを心に浮かべる。

 イメージ。

 イメージ……。


 ……。


 手の平が、少しだけ温かい。温度的な問題じゃなく、魔力が通った時特有の感覚。


「……おっ」


 水晶球ではなく、さっきから現れ続けているスライムみたいな形になってしまっているが、そこにはしっかりと水の塊があった。

 うん、これはあれだ。水の固定化に失敗したとか、そういう感じだ。

 けど、魔法は発動したらしい。身体から温かい何かが少しだけ抜けたような感覚が、手の平から上に向かっている。

 成功、だよな?


「一発で成功ですか。凄いですね……」


 ウサミミを両方ピンと立てて、水球をジロジロと舐めるように睨むルディ。


「合格です! 初めてでこれだけ出来るなら、文句無しです! 普通なら水が固定されずに、下へぼたぼた落ちますから!」

「わ、私だって負けないもん」


 謎の対抗意識が芽生えてしまったようで、ハルカさんもルディの横で俺の魔法を睨み始める。俺のを参考にするつもりか?

 やめておけ。ルディのを見せてもらえ。


「僕のはある意味特殊ですから……。状況が近い方が、何かと便利かもしれませんよ」

「じゃ、やってみる!

【 精霊よ 我が呼びかけに応え 我が力と引き換えに 水の力を今此処に 】 『アクア』!」


 タプン。

 ポタポタ。


 魔法は発動したらしい。ハルカさんが差し出した手の先に水の塊が出てきて、溶けかけのアイスのように固定できなかった水がしたたり落ちて行った。

 でもまあ、魔法は発動したらしいし。発動するだけでも凄いだろうな。

 その証拠に、ルディのウサミミがピコピコ揺れているし。


「うん、成功だな」

「何か違うよー」


 うんうん唸っているが、これは成功例ではあるだろう? と、俺はルディに目配せした。すると、ルディはすぐに気付いて、小さく頷く。

 すぐに発動できるとは言え、1回や2回でちゃんと発動出来る事は稀なのだろう。後からルディに見本を見せてもらったマキナ達は、5回ほどは空振り。中途半端でも魔法が発動したのは5回とか6回目だった。しかも先輩にいたっては10回目でようやく発動したのである。

 魔法を使える才能はあっても、それを使いこなす才能はそれぞれであるという事だ。

 そして――



【 経験値が一定に達しました レベルが10になります

  レベル上昇により 魔法:初級魔法詠唱破棄 を習得しました 】



 練習場に来てから2時間後の、天の声。ルディによると世界の声というそうだが、それが響く。

 ちなみに、レベルアップで手に入れたものはこちら。



 全基本魔法 基本魔法詠唱破棄 MP上昇Ⅰ

 魔耐上昇Ⅰ MP回復量上昇Ⅰ MP回復速度上昇Ⅰ

 全属性耐性 全初級魔法 初級魔法詠唱破棄



 レベルアップに伴って習得した順に並べるとこうだ。

 ルディによると、賢者はレベル10までは全員同じように習得するらしい。聞けばハルカさんも同じ技能を修得したようなので、本当の事のようだ。

 ただ、これ以降は賢者自身の資質に左右され始めるとのことで、レベル11の時には別の技能を修得するだろうと言っていた。


 それにしても凄かったな。

 レベル10になる時に出て来たスライムは、ちょっと特殊だったのだ。

 レベル7の時点で、スライムが弱すぎて効率が悪くなっていたため、ルディが若干強硬手段に出たのである。

 無属性魔法:収束 という魔法を使って、複数のスライムを一まとめにしてから倒し始めたのだ。どうやらスライムもレベルがあるらしいのだが、スライムは核以外が水分であるため、複数体をまとめると強力な個体として進化するらしい。

 スライムからビッグスライムへの進化。進化はモンスターや魔物といった、人間とは違う、魔力で出来た核を持つ生物ならではの現象らしい。

 スライムはそれを意図的に起こせるようで、ルディはビッグスライムを5体ほど作って一気に倒したのである。おかげであっという間にレベル10だ。

 そういえば、スライムが厄介な件についてだが。

 ビッグスライムは僅かに知能があるようで、1メートル近くもある身体をぽよぽよと弾ませながら、その形を変えて行った。


 ……。


 それは、人型のなりそこないとでも言うかのような、プルプルした人っぽい形のスライムだった。

 目は点だし、髪は見るからにプニプニしていそうだし、何より色がスライムそのままで分かりやすい。

 何がやりづらいって。ある意味人間に似ていたからだ。

 姿が人に似ているとかの話ではなく、仮にも二足歩行なので、スライム独特のぽよぽよ動きをしなくなったのだ。妙に早くなって、妙に攻撃を避け始めるのである。

 もっとも、ルディの魔法が広範囲に炸裂して全滅してしまったが。

 それはもうアッサリと消えて行った。ちょっとした罪悪感が芽生えてしまう点もまた、厄介であると言われる所以だろうな。

 とはいえルディによって一瞬で倒されてしまったので、あまり厄介だったとは思えない。ハルカさん辺りは「優しいから倒せない!」とか言いそうだけどな。


 さてと。一応ノルマはクリアしたし、お腹は空いたし。

 お弁当を食べよう。という事になった。


「どうせなら、外で食べますか?」

「けど、外はスライム以外も出る可能性があるだろ」

「よほど強力じゃない限りは倒せますよ。僕、レベル25なので」


 ルディはほとんど経験値が入っていないようで、1レベルたりとも上がっていないらしい。強者の余裕である。特に焦った様子も無く、淡々と述べたのだから。


 というわけで、外に出てみる。

 何と無くだが、風の質が練習場とは異なっていた。

 【空間拡張】が使われていたらしいが、あくまで閉鎖空間を広げただけの場所。人工的に風を吹かせていたようだが、本物の風とはまた別物だったという事だ。

 それに、モンスターは出るらしいが、所詮は緑の森のモンスター。強いモンスターは出ないだろうから、安心して食べる事にした。


「美味しい! おにぎりとか、あるんだね」

「梅干と鮭か。無難な具選びだが、良いな」


 お弁当はおにぎりだった。ただ、俺の知っている白い米ではなく、元から薄茶色だという米のため、最初は炊き込みご飯的な、ご飯自体に味があると思っていたのだが。込めは白米と同じ味で、仄かな甘みと粘り気がちょっと懐かしい。

 鮭、というか身がオレンジ色の塩焼きの魚と、ほんのり甘くて酸味が抑えられている梅干風の具。とりあえずそう言っておいただけだが、ルディが黙々と食べているのでその通りの名称なのかもしれない。

 笹舟を模した髪の器には、おにぎりが2個と、から揚げ二つ。爪楊枝が付いているのできれいに食べられる。ルディが温めてくれたのでホカホカだ。


「食べ終わって休憩したら、帰りましょうか」


 とりあえず俺達の5倍の量を渡されたイユが若干遅めに食べ終わったのだが、食事も含めた1時間の休憩を挟む。

 ビードも食べられる草を食み、ゆったりと過ごしていた。

 の、だが。



 それは、唐突に訪れた。



「 ギャアアァア―――――ッッッ!!! 」



 人の、叫び声。


 視界いっぱいの森から、それは聞こえてきた。

 声からして―― 女性だったと思う。

 それは腹の底から出された、女性とは思えないような声。

 かろうじて、そんな感じの声を出す奴を知っていた俺だから気付けた。


「い、今の、何?」

「悲鳴、だぞー……?」

「……ぅ」


 森から大量の鳥が飛び立ち、森の奥から不穏な音が響いてくる。

 これは、そう。

 樹木が折れて、倒れるような。

 それも切って倒すのではなく、ムリヤリへし折るような、不吉な音。

 ミシッ、メキメキ、そんな軋みと、樹木の倒れる音。

 それが、勢い良くこちらへ向かっていた。

 そして――



 ―― 姿を現したのは、真っ黒なイノシシだった。



 真っ黒な毛と、紅く光る不気味な目。鋭利な、それでいて不自然に赤黒く変色した牙。身体からどす黒い煙が立ち上る、およそ2メートルはあろうイノシシである。

 素人目にも分かった。

 あれは、危険だと。


「ブラックバイソン……の、子供ですね。身体も牙も小さいですから」


 あれでまだ子供なのか?!

 2メートルのイノシシなんて、脅威でしか無い。

 まして……その口元からは、真っ赤な液体が滴り落ちていた。


「皆さん、合図したら、ビードに乗って一目散に逃げますよ」


 倒せないのか、とは聞かない。

 ルディの瞳には、恐怖が滲んでいた。

 言われなくても、理解してしまう。

 あれこそが、黒の森に棲むというモンスター、その一匹であると。

 近づく事もできないほどの圧力がかかり、足がすくむ。

 少しでも気を緩ませれば、腰が抜けて立てなくなる。

 そうすれば……何が起こるのか、嫌でも想像してしまう。



 ―― すなわち、死だ。



 あれで子供なのだ。黒いイノシシの後ろにはムリヤリなぎ倒された樹木が、不自然な獣道を作っている。その上、イノシシの身体が当たったであろう部分に紅いそれがこびりついているのだ。

 子供でも、恐怖の対象足りえる存在感であった。

 ルディはバッグの中から余っていたのだろうから揚げを取り出す。

 ……それを囮にするのか?

 だが、イノシシは血のにおいで興奮しているようだし、から揚げ程度で釣られるだろうか?


「『グッドスメル』『パルファムオーラ』『パレットノート』」


 ルディは続けて3つの魔法を唱え、その瞬間にからあげをイノシシの側へと投げつけた。

 イノシシ本体には当てずに、誰もいない方向へ。

 イノシシは興奮していたが、程なくしてから揚げに気付いた。

 荒い鼻息が段々と静まり、から揚げに鼻をピクつかせる。おいおい、本当に釣れたぞ?!


 何でも、存在感を引き上げる魔法を3重に重ねてから掛けたのだとか。匂いに関する魔法名が2つ以上あったのだが、なるほど、そういう事だったのか。

 という感じで理解したのは、逃げてからである。幸いにもビード達は闘争本能より、そもそも逃走する事に特化した魔物なのだとか。

 とにかく一心不乱に走りまくった。俺は走っていないけど。

 気が付くと、あの地下鉄周辺の町まで戻ってきていたのだ。



 その日の夜。


 何故か、ハルカさんが俺の隣でくつろいでいた。

 いや、部屋に来て数分間は緊張していたのだが、彼女は中々タフな性格のようで、ルディが差し入れてくれたクッキーを2、3枚食べ終わる頃には笑顔で紅茶を飲んでいた。

 足をプラプラ揺らしながら、満月を眺める。

 そういえば、夜空をじっくり眺めるのは初めてだな。

 知っている星座は無いし、月が2つもある。


「やっぱり、異世界だね」

「ああ、うん」

「? どうかしたの?」

「や、何でこんな時間にここへ?」


 現在午後10時である。それなりに眠くなる時間のはずだが。

 まあ、何と無く分かるがな。ハルカさんは見た目からして優しいのだ。ブラックバイソン、だったか。あいつの口から滴り落ちていた物が何を指すのか。あの時どれだけ混乱していようが、時間が経って思い返してしまうだろうし、気付くだろう。


 あれは、血。

 それも十中八九、人間の。

 怖いに決まっているのだ。俺もそうなのだが、彼女はまだ16歳なのだから。

 俺は見慣れているからな。紛争地帯とか、スラムとか。

 とはいえ、何で女性であるハルカさんが俺の部屋に来るのだか。

 バルコニー。そこにはイスが用意されていて、俺はそこにクッキーと紅茶を用意した。紅茶は自前で用意したのだが、気に入ったらしくおかわりを何度か要求された。

 コーヒーよりも紅茶の方がカフェインは多いのだが、大丈夫だろうか?


「スイト君」

「ん?」

「あの、さ。その……」


 彼女がここに来てから、30分は経過していた。そこでハルカさんは、ようやく重い口を開く。


 内容は思っていた通りだった。イノシシと、そのイノシシが殺したであろう女性についてであった。

 イノシシが現れた時。僅かにその口は動いていた。

 おそらく、口の中にまだ残っていたのだろう。口が動く度に、ボタボタと血が落ちていたのだから間違い無い。あの光景は網膜に焼きついてしまうだろう。特に、初めてであれば。

 そして、あの断末魔。

 ホラー映画を見て慣れている者でも、あれは耳にこびりつくと思う。ホラー映画とは、要するにホラー仕立ての演技で構成された、あくまで人を楽しませる目的の物だから。

 リアルを追求しすぎてトラウマを植えつけるだけのものは少ないだろう。

 というか、あっても日本ではあまり店頭に置かないと思う。一部のマニアに人気です、的なコーナーにならかろうじてあるかもしれないが。

 50年以上も戦争から離れている日本で育っているからこそ、殺人事件にでも遭遇しない限りはああいうのに耐性など無いだろう。それに耐性というのは何度も見て獲得する物で、よほど運が悪い人でもなければそういう事態に巻き込まれるなんてそうそう無い。


 ハルカさんは、命の危険にさらされた事の無い、極々普通の一般市民である。

 俺のように、どんな所でも親が連れて行くような環境にいたわけじゃない。

 俺のように、ああいう光景や行為に対する耐性を持っている人は少ないだろう。

 だから、共感はしないけど、同情はする。


「戦わないと、いけないのかな」


 ここに来た理由が何と無く分かった。

 要するに、俺が一番こういう事に耐性を持っている同郷者だからだ。

 求めているのは同情か、共感か。いや、彼女が今抱えている複雑な心境に対するアドバイス、か?

 恐怖。そして、妙に存在する責任感。彼女も俺と同じく賢者であり、今は強制されていないが、この世界を救って欲しいと暗に言われているのだろう。

 というか、ハルカさんの事だから勝手にそう思い込んでいるかもしれない。

 賢者と一緒に召喚される従者的な立ち場の人間。

 その人数によって、世界に訪れようとしている〝危機〟の度合いが変動する。今回はかなり多いのだからもしかすると、世界の崩壊とかも視野に入れなければならないのかもしれない。

 これまでに無いほどの危機。

 それに対する、自ら課した期待と重圧。

 共感でも同情でもなく、求めているのは後押し、って所か。


「戦わないと死ぬなら、俺は戦うよ。元の世界に帰りたい、というか、タツキやツルに会いたいし」

「ツル……あ、そっか。妹さんがいたよね」

「ハルカさんも、だろ。弟が2人いるって言っていたのを俺は覚えている」

「ふふ。つい昨日の事だしね」


 少しだけ微笑むも、ハルカさんは俯く。

 そういや、タツキはこっちにいる可能性があるはずだ。あいつの事だから、少なくともこっちにコンタクトを取ってもおかしくない。

 もしも勇者側にいるのなら、そろそろこっちに何かしらの手段でもって、連絡してきそうな気がするのだが……まあ、焦っても仕方ないか。

 それに、こっちにいると思っていなければコンタクトなど取りようも無い。人族側では賢者の伝承が伝わっていないっぽいし。

 というわけで、我慢である。


「とりあえず、ゆっくりでも良いからレベルを上げようぜ。上げておけば、不意打ちで無い限りは死ぬ確立が減るようだし」

「う、ん。そう、だね。そうだよね」

「それと、だ。言ってどうなるわけじゃないが、本能のままに動くだけの動物相手ならまだしも、理性のある人間同士の醜い争いの方が何倍もえぐいぞ」

「うわぁ。見たくない……」

「だろ? さっきのあれはたしかにヤバイと思う。けど、知能の高い人間相手よりはマシだと思って、さ」

「……うん。分かった」


 未だに影が差しているが、どうやら納得してくれたらしい。ハルカさんは強がるように笑みを零した。

 これでひとまず大丈夫だと思いたい。


「一応最低限のレベルは確保できた。後は情報収集だな。俺達が何をすれば元の世界に戻れるのか、ちゃんと調査をしなくちゃ」

「うん。でも、今日はもう遅いし、明日にでも話そっか」

「おう。じゃ、ここで1つアドバイスだ」

「うん?」


 俺はハルカさんの後ろを睨みつつ、ちょっと大きめの声で言い放つ。



「そこにいるどこぞの女王と同じように、夜に異性の部屋へ来るのはやめた方が良いと思う」



「「―― ッ?!」」


 またもや女王が、俺が使う部屋を通るルートで降りてきていた。まあ風が無かったのでこちらへは来なかったのだが。

 それにしても、やけに女性の来客が多い。同い年の男性がいないからとも言えるのだが、それだけではどうにも説明がつかない気がする。

 律儀にもこちらへやって来たフィオルを一瞥するが、それでは解決しないだろう。


「うぅ、こ、この事はどうぞ、内密に。内密に……」

「大丈夫! 絶対に秘密だよ、フィオルちゃん!」

「借りているとはいえ、俺の部屋だぞ、ここは」


 ハルカさんがフィオルの手を覆うような形で、妙な絆が女子2人に生まれそうだったので、一言注意しておく。すると、2人揃って顔を真っ赤にして慌てていた。

 まったく。ハルカさんもそうだが、フィオルはとりあえず300歳を越えているのだろう? なら、軽々しく異性の部屋には行かない方が良いと思うぞ。

 ま、俺は特に興味ないわけだが。

 ハルカさんは泉校の女神だし。フィオルは魔族の女王様だし。

 ちゃんとした方が……。

 もっとも、ハルカさんにしろフィオルにしろ、手を出そうものならどこからナイフや魔法が流れてくるか分からないぞ。

 ハルカさんにはファンクラブや親衛隊が(勿論本人は知らないけどな)いるのだが、もしかすると次元を超えて嫉妬が形になる恐れがある。

 それにフィオルは現時点で既に女王。手の出しようも無い。

 まあ、俺にはその気がゼロなわけだが、そういう見方も出来るな。

 とはいえ、叱る時には叱らなければなるまい。

 色眼鏡で見てはならないのだ。

 まあ、俺にはその色眼鏡が無いわけだが。


「あ、あのね、スイト君」

「?」

「話、聞いてくれてありがとう。その。また明日ね!」


 満面の笑み。


「うぅ、秘密ですよ。絶対に秘密にしてくださいよ?」


 下から目線。

 うーん。

 些か反省していないように思うのだが、何か許してしまいそうになるな。

 何故だ。

 ……。


 とりあえず帰ってくれたからそれで良いか。

 それにしても、きれいな月だ。

 大小2つあるのだが、どちらとも満月である。


「良い事、ありそうな感じだな」


 俺は心が温かくなった気がした。

 満月って、見ていると落ち着くじゃないか。

 明日は良い事がありますように。

 今日みたいに、逃げる事しか出来なかったような惨めな感じじゃなくて。

 何か、些細でもいい。良い事をお願いします。

 そう、いるかどうか分からない神様に祈ったのだった。



 しかし神とは残酷で、人一人の願いなどすっぱり跳ね除けてしまうものである。

 この世界に訪れようとしている危機……。

 俺達は図らずも、意外とすぐにそれが何であるかを理解させられる事となる。

 もう一度言おう。




 神とは、残酷なのだ。

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