1 賢者召喚 編

03 幻想的現実

 落ちるような、それでいて浮かんでいるような。

 急に身体が重くなったり、軽くなったり。

 不思議な感覚の中で眠気に襲われた。

 うん。ここまでは大丈夫。

 で、だ。

 で……。


「ここ、どこだ?」


 身体が沈む柔らかなベッドとかけられたふとんは、ふわふわとした感触で、軽くて温かい。

 しかし、知らない材質とでも言うべきか。綿なのは間違い無いだろうけど、何の綿かまでは不明。

 絹綿とか麻綿とかあるらしいけど、そういう違いは調べた事が無いし。

 とりあえず、綿。それでいいか。

 その綿が、布に覆われているのではなく、綿が布のような形になるよう縫いとめられている。

 モコモコしたふとん。イメージ的にはこれがピッタリだ。


 少し脱線してしまったが、俺がいるのはそんなふとんの上。

 着ていたはずの制服は、ベッドの隣にある小さいテーブルに乗せられている。

 いかにも高級そうなベッドだ。ベッドそのものに天井が付いており、カーテンにも見える青い半透明のシーツでベッドとその外界が区切られている。

 勿論、先程述べたミニテーブルは巻き込まれているが。

 いつの間にか服が寝巻きに変えられており、嗅ぎ慣れない石鹸のような、それでいて香水のようなにおいがそこら中から漂ってきた。

 寝巻きは白地に薄い蒼の花柄。感触からして絹だろうか。上下共に長袖で、着心地は申し分ない。シャツは無く、上着は四角いボタンで前が留められるようにされている。

 そして、裸足。

 靴下や靴が無い。俺はおそるおそる、カーテンとなっているシーツの切れ目へ手を伸ばした。

 そして、静かにカーテンの外を見る。


 それは青で統一された部屋。

 時計、本棚、タンス、クロゼットやテーブルなど、淡い青から濃い青まで、そでなければ青緑、青紫で、それ以外では色の無い透明な家具だけの部屋。

 白や金で統一された部屋もそうだが、明らかな高貴さが滲み出ている。

 壁は淡い青地に白い線で描かれたバラの模様があしらわれ、天井には所々羽をモチーフにした模様があしらわれている。

 床には濃い青の絨毯がしかれ、裸足に柔らかい感触が伝わってきた。

 少しだけ歩いてみる。フワフワの感触に若干安心しつつ、目に入ったついたての後ろを覗き込んだ。

 寝る場所と区切っているのだろう。

 上にしか隙間の無いついたてから外には、ついたてが目に入るよりも前から、10人が思い思いに踊っても余裕があるほど広かった部屋が、狭く思えるような空間が広がっていた。

 見るからに広い部屋だ。中央の細長いテーブルには片側だけで一人用のイスが等間隔に5つ並べられており、それもイスとイスの感覚が1メートル以上もある。


「な、何だ、ここは」


 誰もいないことに安心しながら、同時に不安にもなった。

 最近流行の異世界モノで『元の世界で死んでしまったので異世界へ転生する』というものがある事を思い出す。

 まさか、な。

 いやいやいや、それはごめんこうむりたい。

 というか、死んだ覚えなど全く無い。

 ゲームがバッドエンドになって、その後変な現象が起こりはしたが。

 ……。


「か、鏡は……」


 言い知れぬ不安感。

 嫌な予感がする。

 俺は急いで部屋を見渡した。鏡くらいならどこかにあるだろう。もし、先程脳裏をよぎった異世界転生が今の自分に当てはまるとすれば、姿が変わっているはず。

 身体に違和感は無いが、最悪の場合、性別なんかが変わっている可能性がある!

 鏡があるとすれば、さっきまで寝ていた方のスペース。見るからに私室と言える場所。

 トイレを探してもいいが、パッと見えるのはベッドから最も遠い壁の、大きな扉くらい。

 まさかこんな豪華な部屋で、ベッドはともかくトイレまで同じ部屋の中にあるとは考えにくい。

 無いとは言い切れないが、さすがにかぐわしいにおいを寝所と同じ部屋に扉も無しで統合しているとは、あったとしても考えたくない。


 まあとにかく、鏡を探した。

 そしてそれは案外早く見つかった。ベッドの右横に、静かに置かれていた。三面鏡で、これもまた淡い青を基調としたカラーと、質素だが高貴さを醸し出すデザインをしている。

 女性が使いそうなかわいらしいデザインではないかな。ライオンっぽい彫り物や、ドラゴンを模した蓋の香水らしきガラスのボトルが置かれている。男性用という事か。

 もしくは、男性に近い趣味嗜好言動をする女性か。

 俺は置かれていた丸イスに目を瞑って座る。

 そして恐々とした面持ちで、重い瞼を挙げた。


「――……っ」


 そこには、慣れ親しんだ顔に黒い髪と黒い瞳を持った、俺の顔があった。

 見ようによっては睨んでいるような吊り眼。寝ぐせだらけのサイドショート。必死な形相で、手を伸ばしている俺その者の姿。

 ……ひどく緊張していた表情が、一気に緩んで笑みがこぼれる。

 大きな溜め息をひとつ漏らし、背もたれが無い事を忘れて全体重を後ろにかけた。

 心底、絨毯が柔らかくて助かったと思ったよ。


「はー……」


 転生の線が消えたわけではない。

 だが、自分が女性になる、などという展開ではなかった事に、これまで感じた事が無いくらいの安心感と倦怠感を生み出した。

 思えば、今来ている服の下を見れば、自分の性別くらいであれば調べる事もできたはずだよな。失念していたよ。

 この虚無感もあって、叶うなら、これ以上動きたくない。

 しかし、そんな願いがこのような非常事態に受け入れられるはずも無く、遠くの方から聞こえた音に俺は跳ね起きた。



  ―― コンコンコン



「―― お休み中のところ、申し訳ございません。お時間よろしいでしょうか」


 3回聞こえたノックの後、声が聞こえる。

 先程派手に転んでしまったのだ、その音に誰かが気付いたのだろうか。

 何にしろ、このまま「はい良いですよ」なんて言える状況ではなかった。


「す、少し待ってくれ」


 と、遠くから大きく言ってみる。


「はい」


 すると、扉の向こうから聞こえてきた声は、大して機嫌を悪くした様子も無く答えた。そういや、扉までかなり距離があるのに、よく声が聞こえたな、俺。

 そんな事より、ここがどこであろうと、寝巻き姿で誰か見知らぬ者と話すなどとんでもない! 何か着替えてから、堂々と話したい。

 シーツによって隠れていた制服を掴み、急いで着替える。寝巻きだった服はなるべく丁寧に畳み、制服の代わりにミニテーブルに置いておく。

 ……。

 制服から、石鹸の良い香りがする。誰かが洗ってくれたのだろうか?

 というか制服がここにある、というのは、元の世界で死んで転生したという仮説を真っ向から否定できる証拠では無いだろうか。

 だがまあ、それはそれ、これはこれだ。今は、来客に備えなければならないだろう。

 靴下は見つかったけど、靴は依然見つからない。

 探したいが、俺がはいていた靴は、この部屋では若干目立つと思う。白地に紅とオレンジのラインが入った学校指定の上履きなのだ。

 外で履く為に作られていないのだが、避難訓練の時には構わずそれで外へ行っていたな。

 と、それどころじゃなかったか。


「ど、どうぞ」

「失礼いたします」


 扉越しなのでハッキリとは言えないが、若い男性の声だ。老人のような重厚さは無く、それでいて落ち着いた声音。

 大きな扉が音を立てて開く。

 両開きの扉が右側だけ開いて、誰かが入ってきた。


「おはようございます。早速で申し訳ありませんが、お名前をお聞かせください」


 ……入ってきた少年の言葉で、俺が転生者ではないと確信する。

 少年と向かい合うように立つ俺は、少なくとも『俺』である。それが分かった。

 その少年は、俺よりも身長が低かった。俺が165センチだけど、こいつは高くて160センチくらいかな。見ようによっては白髪にも見える金髪で、吸いこまれそうな青い瞳が印象的である。

 ベルト付きの黒い革靴、黒いスレンダーなズボン、白い長袖のワイシャツの上に淡い青色のベストを着ていて、何やら白い、板前さんがかぶっていそうな帽子をかぶっている。

 胸元のリボンと、身長には合わない中性的な童顔が一瞬だけ女性に見えて、それでも声は男性だからと、目をこすってもう一度彼の容姿を眺め見た。

 召使、と言えば納得出来る風貌である。


「……そっちから名乗れ」

「あ、はい。私は―ルディウス=ラービリヴィエ―と申します。ここで召使をしている者です。そして貴方様の世話役を、我等が主より拝命いたしました。どうぞ、ルディとお呼びください」


 深々と頭を下げ、自己紹介をするルディ。

 敵意が全く感じられないな。ハキハキとした喋り方は聞きやすいし態度からして好感が持てる。

 それに、俺の世話係、だと?


「……」


 ルディは頭を下げたまま静止していた。

 これは、俺の自己紹介を待っている、という事で良いのか?


「あー、俺、は。スイトだ。―風羽 翠兎【カワネ スイト】―。スイトで良いよ」

「はい。承知いたしました、スイト様」


 ようやく頭を上げたルディの顔に、僅かに笑みが浮かんでいた。どうやらあちらも緊張していたようで、名前が聞けただけでも大きな進展だと感じているらしい。

 よく見るとルディの肌は白くて、痩せている。病気なのでは、と疑うギリギリ圏外という所か。


「スイト様。食堂にて朝食の用意をしてございますが、いかがされますか?」


 朝食を食べるか否か、という事か。

 正直言うと、食べたい。朝食という言葉に反応してか、お腹が大きく鳴ってしまった。


「……では、ご案内いたします」


 顔が未だかつて無いほどに熱くなっているのを余所に、ルディは開けていなかった方の扉を開く。


「そ、その前に、いくつか質問しても良いだろうか」

「……申し訳ありませんが、質問は朝食の後でよろしいでしょうか」


 非情に申し訳無さそうに、ルディは問い返す。


「我等が主より、朝食の後に説明させていただく事になっております」


 ……。

 その言葉だけで、更に確信へと近付く。

 これは異世界転生などという現象ではなく、俺達がいた世界から何らかの理由で召喚、もしくは転送してしまったパターンである、と。

 そして召喚の線が濃い。

 ルディの主とやらが俺達を何らかの理由で召喚した。その仮説で行けば、ルディの主がするという説明が何の説明であるかも察しがつく。

 俺達が何故、この世界に召喚されたのか。その理由と、何をすれば良いのかという説明。

 そうでなくとも、ここがどこで、今がいつなのかとか、そういった事が分かるはず。もしかしたら異世界じゃない可能性だってあるわけだし。

 これもまた仮説だが、何かの事件によって俺は眠ってしまって、外国の病院でしか治療できなかったとかそういう理由で外国に運ばれてきたとか。俺を安心させる為に日本語が流暢に話せる人を雇ったとか。それであれば全く何も問題が無い。


 という考えは、即座に頓挫する。

 真っ白な壁に赤いカーペットが敷かれている廊下だ。部屋を出てすぐ、扉の横に靴をしまう専用の棚が壁に埋め込まれており、そこから見慣れた上履きをルディがいそいそと取り出した。まるで従者……あ、そもそも世話役だったか。動きがスムーズである。

 学校の制服姿が少し場違いな気がして、居心地の悪さを覚えながらも靴を履く。すると、近くに妙な光が浮かんでいる事に気が付いた。

 長い廊下の壁に等間隔で配置された、ランタンのような形の照明。漏れる光が、蛍のように規則性の無い動きで飛んでいる。

 しかも1つだけでなく、幾つもの光がランタンから20センチ以内の範囲を飛び回り、やがて水に浮かぶ氷が溶けるように、空気に溶けて消えて行く。

 幻想的な光景だ。漫画やアニメでは見た事があるが、三次元、つまり現実で見た事は無い。現実で作ろうと思っても真似出来ないようなランプがあった。

 確信はあった。

 しかし、未だ淡い期待があった。

 だからこそ、何でも無い普通の明かりとして、このような幻想的なランプが使われている事にショックを受けているのだろう。

 言い知れぬ不安感がハッキリと感じ取れる。


「こちらです」


 短い言葉に、心臓が跳ねた。

 ルディが軽くお辞儀をしつつあけた扉は、先程まで俺がいた扉よりも小さいものだ。装飾はそこそこに、焦げ茶色の扉は部屋の内側へ開いた。

 ランプがあっても、長い廊下には窓が無かった。しかし案内された部屋は窓があるのか、眩しさに思わず目を瞑る。

 そして――



「―― スイト君?」

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