第3話

 不夜城のこの街で、そこだけ切り取られたように、ぽつんと昏く存在する廃ビル。その裏口に設楽ヶ原燐は立っている。これから彼女のが始まるのだ。

 今回の獲物は「とある物品を闇取引する連中の下っ端達」である。その物品が何なのか、連中とはどういう団体なのか、燐には全く興味がない。ただ、設楽ヶ原の家業の一つの邪魔になっているから、見せしめが必要だ、と"お兄様"が言ったので、仕事をするだけだ。


 ヘッドギアに取り付けている暗視装置を下ろすと、燐の視界には緑の世界が広がった。


「さて、始めるとしようか」


 何の感慨もない、冷え切った声で言うと、ドアの脇から裏口のドアノブをそうっと回す。鍵がかかっているものと思っていたが、予想に反して、スッとドアノブが回り、そろそろとドアを開けることが出来た。


(これはまた随分と不用心だな。誰も来ないと高をくくっているのか?それとも罠か?)


 そう思った燐はドアの脇から中の様子を伺う。緑に染まった廊下だけが見えている。見る限りでは誰もいないし、常人よりもかなり鍛えられている聴覚が足音や話し声を捉えることもない。


 Bluetoothヘッドセットが繋がったスマートホンで通話アプリを起動すると、制音器サプレッサーを取り付けた1911カスタムを構えて、燐は水が入るかのようにするりと音もなくビルの中に侵入する。

 一歩一歩踏みしめるかのように、だが足音は一切立てずに歩いて行く。外側の廃ビルにしてはきれいな状態とは異なり、中はボロボロで部屋のドアも大半が外れている。燐としては助かるが、逆にかろうじて閉まっているドアが開けるといかにも音を立てそうである。下手に近寄ってその途端開くのが最悪のパターンであるが、それもなるべくなら避けたい。


 しかし、ここは近づいて様子を伺うことにした。ドアに銃口を向けてしばらく警戒する。動きがないと判断した燐は、サッとドアに近づいて聞き耳を立てる。中で何かが動いている様子はない。

 もし寝具などがあってそこで寝ていれば分からないが、逆にそうでない限りはここには誰もいないと言うことだ。燐はそっとドアを離れると、奥へと進んでいく。いくつか外れているドアの隙間から中をうかがうが、いずれにも相手の姿は捉えられなかった。


 やがて、明かりのついているドアが目に入る。目標はあそこにいるのだろうか。燐は暗視装置を跳ね上げるべきか一瞬迷い、そのままにしておいた。暗視装置は自動調光付きの第世代チューブだ。視野角の狭さはどうにもできないが、こんなところにたむろしている連中ごときに後れをとることもあるまい。


 足音を殺しつつ、ドアに近づく。そっと耳を寄せると、話し声が聞こえてきた。声から判断するに3名ほどであろうか。会話の内容に興味はない。燐が言われたのは「ここにいる人間は全て殺せ」であったし、お兄様に期待されているのはそれのみだ。もし情報収集が必要なら他の兄弟がとっくに済ませている。


(……2人足りんな)

 燐が事前に聞いていた人数は5人である。ここにいない2人はどこにいるのだろう、と訝しむ。ここまでで出くわさなかったことを考えると別の場所に歩哨にでも出ているのか、別の部屋にいるのか。


 ひとまずはその2人の所在の確認が先であろう、と部屋の前をやはり音もなく離れる。すると、そこに自分のものではない足音が聞こえてきた。

 足音は1つである。見当たらない2人のうちの1人だろう。燐は通路の隅に潜んだ。派手な格好をしていたのに、気配も姿も認識しにくくなっている。


 現れたのは1人の若い男である。不安そうにキョロキョロとしながら、部屋の方へとソロリソロリと向かってくる。手には銃が握られていて、普通の男でないことは一目瞭然だった。

 その背後に気配も音もなく、まるで突然幽霊が現れたかのように燐が銃を構えて立った。銃口から頭までは10センチもない。


 燐は構えていた1911のトリガーを引き絞り、1発を男の短く逆立てた頭に向けて放つ。銃口|(正確にはサプレッサーの先だが)から殆ど音もなく飛び出した弾丸は狙いから逸れず、相手の頭に吸い込まれるように着弾する。

 倒れ込む前に体を抱え込み、そっと通路に横たえる。これで気づかれずに1人仕留めたことになる。


「"爺"、1人排除した」


 燐はコミュニケーションツールのチャット|(音が出ないので好都合なのだ)でそう報告すると、次の獲物を求めて、通路を先に進んでいった。

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