―3―

 加賀美さんからの電話が切られてから、数秒、僕の頭の中は完全にフリーズ状態だった。

 落ち着け。考えろ。何かヒントはないだろうか。と、何とか意識をクリアに保ち、僕は、加賀美さんとの会話や、送られてきた監禁状態の渡嘉敷さんの画像を思い出す。

 必ず、どこかにヒントがあるはずだ。

 たとえ加賀美さんがどれだけ優秀な犯罪者でも、何のミスや痕跡も残さずに犯行に及ぶのは不可能なはずである。後はそれを探偵役が――つまりは僕がどれだけ見落とさずに拾えるのか、ということだけだ。

 僕はもう一度、渡嘉敷さんの画像を開いた。

 彼女が横たわっている床は、コンクリートでできていて所々ヒビが入っている。一人の人間を誰にもばれずに監禁できる、という条件も合わせて考えれば、おそらくどこかの廃工場や廃屋だろう。

 今度はある人物に電話をかけることにする。

 数回のコールで、その相手は電話に出た。


『楠木先輩ですか!? 今、大変なことになっていますよ!』


 電話の向こうで如何にも慌てた様子で応えた少女――最も頼れる情報屋に、僕は落ち着くように促す。


「突然連絡してごめん、クルミさん。実は君に調べて欲しいことがあるんだ」

『こんな時にですか!』

「こんな時、だからだよ。……姫川有栖のことはもう知っているね?」

『え……ええ、だから、それが今ニュースになっているんですって』

「うん、大体のことは知っている。姫川さん――今は加賀美さんか。彼女が人を殺した。そうだね?」


 クルミさんが驚きつつ、肯定する。彼女の見ているニュースによると、収監中の少女――つまりは加賀美さん――が病院に移送される途中、周りにいる刑務官や移送担当者を殺害し、逃亡したのだという。

 それは加賀美さんから連絡が来た時に既に予想していはいたが、しかしまさか本当に人を殺してしまうとは……。

 驚きつつも、しかし今の彼女ならば、僕がゲームに敗れた時、間違いなく人質を殺害するだろうという確信に至った。ならば僕はそれを阻止するだけだ。


『本当なんですね、あの人が脱走したって……でも、一体どうやって。手錠や腰縄があったって聞いてますよ』

「おそらく加賀美さんは全身の関節を自由に外せるんだよ」


 普通の人間ならば激しい痛みに襲われることになるが、しかし彼女は痛みを感じない。中学時代、全身に数多の傷を負いながらも笑いながら治療していたくらいだ。


『そして今、野々宮先輩と渡嘉敷先輩を殺そうとしている……』

「そう。だから君にも力を貸して欲しいんだ」

『で、でも、警察に連絡した方が』


 いいや、それは駄目だ。加賀美さんのことだからもし警察に連絡したということがバレたら、躊躇なく人質を殺害するだろう。


『そんな……』

「とにかく、これは僕たちだけの力で解決するしかないんだよ」


 加賀美さんは情報屋・枢木胡桃の存在を知っている。そのクルミさんではなく渡嘉敷さんや野々宮さんのことを拉致したということは、つまり情報屋の利用を認めているということだろう。


『分かりました。それで、何を調べれば良いんですか?』

「まず加賀美さんが脱走した時間。それからその周辺で何か事件が起こっていないか」

『事件、ですか?』

「そう。窃盗でも強盗でも、何でも良いから、何か事件が起きていないか調べてください」


 もし誰かが加賀美さんに金銭を奪われたとしたら、タクシーやバスを使える。彼女が行ける範囲は格段に広がるし、新たな凶器の入手も可能になるはずだ。


「それと、野々宮さんと渡嘉敷さんの足取りを調べて欲しい」

『連れ去られた場所が分かれば大きな手掛かりになりますからね……しかし、これだけの作業量、一人だと大変ですよ』

「制限時間は二時間」

『二時間!?』


 それが加賀美さんが提示した条件だ。もしその時間を一分一秒でも過ぎてしまえばゲームオーバー。人質の二人は殺されてしまう。


『無理ですよ! 私一人でそれだけの情報を、それも二時間で集めるだなんて!』


 やはりそうか……。


「分かりました。ではクルミさんは加賀美さんが脱走した時間と現場周辺で何か事件が起こっていないか、その調査をお願いします」

『分かりました……でも、それじゃあ残りの情報は?』

「僕の友人は、何も君だけじゃあないんだよ。とにかく、今言った情報を、お願いします」

『え、ちょ、』


 クルミさんはまだ何か言いたげであったが、しかし彼女にばかり構ってもいられない。僕は電話を一度切り、次の相手に連絡することにする。こうしている内にも制限時間は刻一行と迫っているのだ。

 次の電話の相手も数コールで出た。


『……もしもし、炎氷姉妹リバース・シスターズ参謀担当です』


 炎氷姉妹リバース・シスターズ。解決屋として町の至る問題に首を突っ込み、解決させてしまう自称・天才姉妹。

 その頭脳労働担当であるところの葉住氷乃。それが僕のコールに応えた少女であった。基本的に彼女たち姉妹に仕事を頼む時は、妹の氷乃さんを通して依頼することになっている。


「氷乃さん、貴女たち姉妹に折り入って頼みたいことがあります」

『……はあ。しかし楠木さん、私たちは貴方が嫌いです』

「知っています」

『……では、答えはもう分かっているのではありませんか?』

「それでも、お願いします。人の命が掛かっているんです」


 電話の向こうが一度静かになる。おそらく協力するのかしないのか考えているのだろう。あるいは相棒である葉住花火に相談しているのかもしれない。

 一分程で、答えは出た。


『……分かりました。人の命に代えられるものはありませんからね。協力しますよ』


 僕はほっと胸を撫で下ろす。

 彼女たちに断られたら、他に協力を頼る当てはない。まったく、こんなことならもっと人付き合いを大切にしておけば良かった。しかし後悔先に立たずというものだろう。こうなってしまった以上、今の僕にできることを全力でやるしかない。


『……それで、我々は何をすれば良いのでしょう?』

「野々宮さんと渡嘉敷さんの今日の足取りを追って欲しいんです」


 それから僕は今日の途中まで渡嘉敷さんと行動を共にしていたことを伝える。


『……分かりました。渡嘉敷さんについては今日の午後三時頃までの足取りは判明している、と。ではそれ以降、彼女がどうしたのかを探ってみましょう……しかし楠木さん、どうしてそんなことを? 先程、人の命が掛かっていると仰っていましたが』


 僕は加賀美さんとの関係や過去、それから彼女がこれから何をしようとしているのかを、あくまで簡潔に説明した。すると氷乃さんも納得してくれたようで、すぐに行動に移ると言ってくれた。何とも、頼もしい限りだ。

 確かに炎氷姉妹リバース。シスターズの二人は、僕から見てもまだまだ未熟と言わざるを得ない。けれどそれはあくまで彼女たちの精神面での話で(それでもかなり成長の兆しはみられるが)、誰かの指示に従って行動するという範囲において、彼女たちほど頼れる人間はそうそういやしない。

 僕はよろしくお願いします、と再度言って電話を切った。

 ここまでで既に三十分も使ってしまった。これで残りの時間は一時間半……まったく、加賀美さんも無茶な設定をしてくれたものだ。


「随分慌てているようだね、楠木君。まったく君らしくない」


 背後から、そう声がした。

 振り返るまでもない。僕はその声の主を、未だかつて忘れたことがないのだから。


「そう思うのなら君も何か手伝ってくれないかな、猫屋敷」

「ふふ……猫の手も借りたい、とはまさにこのことだね」


 正確には幽霊の手も借りたいといったところだが、今の僕にはそんなことに一々ツッコんでいられるほどの余裕はない。僕は思考をさらに巡らせる。

 野々宮美里と渡嘉敷雅の監禁場所――人気がなく、道路や川からも遠い、コンクリート製の建造物。それも、それなりに古い建物のはずだ。


「しかしだね、楠木君、私にはまったく愉快でならないんだよ。君の困っている顔は確かに大好物だが、それを差し引いても、ね」


 どういうことか、と聞き返そうとしたが、やめた。今はそんなことよりも人質の救出を優先すべきだ。猫屋敷とはいつでも話すことができる。


「だがね、私は君が変化したのが嬉しいんだ」

「……」


 変わった?


「これまでの――例えば中学時代の君なら、こんな時でも誰かに頼ろうとはしなかっただろう。利用するというのはあり得たかもしれないが、しかしそれでもできるだけ一人で解決しようとしたはずだ」


……。

 確かに、そうかもしれない。かつての僕の世界には、僕しか存在していなかった。


「けれどどうだい、この状況は。君は今まさに、友人たちに協力を要請している。人としての成長じゃないか……ただね、楠木君、私から言わせてもらえば、そんなものは甘えだ」


 そして猫屋敷は、これまで以上にはっきりした口調で言った。


「君は――弱くなったんだよ」

「弱いことは悪いことでもないはずです。そうでしょう?」

「ああ。だから私は嬉しいんだよ。君は少し弱っているくらいで丁度良い。誰かに頼ることで、見えてくるものだってあるだろう」


 猫屋敷はそう言って、僅かに口角を上げていた。

 彼女の、子供に言い聞かせるような優しい話し方は初めて目にした。しかしこれでは、まるでこれが一生の別れ――遺言のようではないか。


「死んだ後に残す遺言か……まあ、悪くはないね」

「こんな時につまらない冗談は止めて欲しいな」


 時間がない。正直、今の彼女に構っていられるほど、余裕はないのだ。


「悪いけど猫屋敷、今は急いでいるんだ。その話はまた今度に、」

「それが私の死と関係していたとしても?」


 一瞬だけ、僕の時間が停まる。

 何だって?

 今、彼女は自分の死と関係していると言ったのか?

 一体どういうことだろう。僕が弱くなったことと、猫屋敷の死が関係している?


「猫屋敷、それはどういう、」


 と、言いかけたところで、僕の携帯電話が鳴った。

 見るとクルミさんからの着信だった。流石は凄腕の情報屋だ。まさかこれほど早く要求した情報を集めてくれるとは。

猫屋敷の言うことも確かに気にはなるけれど、やはり人の――今生きている人の命には代えられない。僕は電話に出ることにする。


「クルミさん、何か分かりました?」

『一応、頼まれたことは一通り分かりましたよ』


 彼女の話しをまとめるとこうだ。

 加賀美有栖が脱走したのは今日の昼頃――つまり、僕が彼女と話した直後ということになる。病院に移送される途中で自身の身体の関節を外して手錠と腰縄から抜け出し、二人の係員の不意をついて殺害。そして逃亡した。

 係員はまず目と喉を潰されたようで、助けや応援も呼ぶことができなかったそうだ。それ故に事態の発覚が遅れた。

 そして事件現場周辺で他に事件が起きていないかという疑問だが、こちらに関しても僕の勘が的中した。若い女性が一人襲われ、こちらは命に別状はないようだが財布を奪われてしまったということだった。つまり、加賀美さんは逃走、あるいは闘争のための資金を調達したことになる。

 僕は話を聞きながら、背中を冷たい汗が伝わるのを感じた。

 相手が資金を入手したということは、その移動範囲も多岐に渡るということだ。ここから絞りこむのはたとえ野々宮さんや渡嘉敷さんの拉致直前の足取りが掴めたとしても、難しいかもしれない。


『先輩? 聞いてますか?』

「……え、ああ、うん、聞いてるよ。調べてくれてありがとう」

『いえ……でも、ここからどうしますか? 渡嘉敷先輩や野々宮先輩の足取りは……』

「そっちは別の人間に任せているよ。それよりクルミさん、君にもう一つ頼みたいことがあるんだけど」


 そして僕は、この短い時間で何とか考え出した作戦を伝えた。


『そんなこと……楠木先輩は、本当にそれで良いんですか?』

「僕は、これしかないと思っている」

『でも……!』

「僕はねクルミさん、全員が幸せになれば良いと思っているんだ。野々宮さんほどうまくはやれないかもしれないけど、その為にできることはやっておきたいんだ。そしてそれには、クルミさん、君の協力が必要だ。だから、頼むから、力を貸して下さい」


 僕の言葉を聞いたクルミさんは、数秒の間、言葉を発しなかった。彼女には本当に迷惑をかけるけれど、しかし彼女の協力なしでは僕の作戦は成立しない。


『……ああ、もう! 分かりましたよ! 先輩を信じます。中学時代の先輩じゃなく、今の先輩を。上手くいったら、美味しいパフェを奢ってくださいね!』

「ありがとう。約束するよ」

『私だけじゃなく、野々宮先輩や渡嘉敷先輩にもですよ!』

「それは困ったね……でも、約束する。全部終わったら、皆で何か甘いものを食べにいこう」


 僕がそう言うと。満足したのか、あるいは僕からの最後の指令を果たそうとしているのか、クルミさんは電話を切った。

 携帯電話を見るともう一件、着信があった。おそらくクルミさんとの会話の最中に掛かってきたのだろう。相手は氷乃さんである。僕はすぐに掛け直す。


「氷乃さん、どうしました?」

『……ご注文の情報が手に入りましたよ。まず渡嘉敷さんの足取りについてですが――』


 氷乃さんの話によると、渡嘉敷さんは僕と別れた後、書店に立ち寄り、それから洋服やら何やらを見ながら街をぶらついていたのだとか。


『……どうやら彼女の両親と会食の予定があったそうです。それまでの時間潰しと言ったところでしょうか』


 監視カメラに記録が残っていたり店員さんが覚えていたりと、そこまでの足取りは確かなものらしい。しかし店を出た後の足取りに関しては大部分が不明であり、今でも引き続き葉住花火さんが情報集めに奔走しているそうだ。

 そして野々宮さんの足取りであるが、彼女は今日は趣味のボランティア活動で昼頃まで老人ホームを訪れていたのだとか。午後になってその施設を後にした彼女の足取りは詳しくは分かっていないが、花咲交差点に面している商店街で迷子になっている子供を助けた女子高生がいたらしく、おそらくこれが野々宮さんであると思われる。その時刻は午後三時半頃ということで、彼女はこの直後に加賀美さんによって拉致されたようだった。


「分かりました。では氷乃さんと花火さんは渡嘉敷さんの行方が分からなくなった地点を中心に、古くて人気のない建造物を探して下さい。コンクリート製でセキュリティが甘いところのはずです」

『……分かりました』

「相手は動きが全く予想できない殺人鬼です。十分に気を付けて下さい」

『……はい。ですが、野々宮さんの方は?』


 大丈夫。そちらにはまた別の人間を派遣した。彼女が監禁されている場所は大体見当がついている。

 氷乃さんは分かりました、とだけ答えて電話を切った。細かく質問するのは時間の無駄だと判断したのだろう。合理主義な彼女らしい対応だが、こういう一分一秒を争う場面では本当に助かる。


「さっきの口ぶりだと、野々宮さんの居場所は分かっているようだね」


 と、猫屋敷。僕は頷いてみせる。

 初めに野々宮さんから電話が着た時点で、僕には彼女の居場所におおよその見当がついていた。それでもクルミさんや炎氷姉妹リバース・シスターズに色々と調べてもらったのは、僕の推理の裏付けの為であるし、そして何より人質を救うためだった。

 準備は整った。僕は独りでに呟く。そして、歩き出す。僕が行かなくてはならい場所へと。


 ――制限時間まで、あと三十分。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る