―5―
翌日の放課後、僕は屋上で野々宮さんと会っていた。正確には屋上は封鎖されているから、そこへと続く扉の前で、ということになる。
僕が彼女と会う理由は、請け負っていた仕事に関する報告をするためだ。僕は昨日、そして一昨日にあったことを、彼女に伝えた。
「そっか、そんなことがあったんだね」
「ええ」
「一つ、訊いて良いかな」
「何でしょう」
「楠木君はさ、今回の案件で姫川さん自身に選択肢を与えるっていう結論を出したんだよね?」
「ええ」
「その結論を、君は本当に正しいと思っているの?」
「……」
それは。
正直、正解だとは思ってはいない。しかし逆に、間違いでもなかったとも思っている。いや、他に何もアイディアを思いつかなかっただけか。とにかく、これ以上の答えを、僕は出すことができない。
「本当に、そう思っているの?」
「……ええ」
「そっか」
彼女はそう言って、窓の外に視線を向けた。どこか寂しげな、そんな表情だ。何か言いたげ、とも取ることができる。
僕は尋ねてみることにした。
「何か言いたいことがあるのなら、聞かせて下さい」
「……ううん、何でもないよ」
「僕に嘘をついても無駄ですよ」
「君は女の子の嘘を見逃すくらいの器量を持った方が良いよ」
「そうかもしれませんね……それで、何ですか?」
十二月ともなると日が沈むのも早い。彼女が見つめる窓の外は既に暗くなっており、雨が降り始めていた。もう少しだけ寒くなったら、きっとあれは雪に変わるのだろう。窓ガラスには、野々宮美里の悲し気な表情がはっきりと映し出されていた。
「私はさ、楠木君、世界中の人たちが漏れなく幸せになる方法が、どこかにあるんじゃないかって思ってるんだよ」
「何となく、分かります」
きっと彼女は本気で信じている。
世界が平和で夢と希望に溢れていて、救いに満ちていて。
人と人は愛し合うために生まれてきて、仲良くするべきで。
そんな夢みたいな物語を、本気で信じ、実現しようとしている。
そんなのは無理だ、不可能だ、と否定するのは簡単だが、野々宮美里の性質を語るにあたって、それが事実なのだ。
そして、僅かずつではあるが、それは実現されつつある。
少なくとも彼女の目が届く範囲、手で触れられる範囲では、彼女はその理想を実現させることができる。まるでテレビの中から出て来たスーパーヒーローだ。
「だから、もしかしたら今回の一件でもさ、もっと良い選択があったんじゃないかって。誰も傷つかない、みんなが幸せになる方法があるんじゃないかって……理想論かな?」
「そうかも、しれませんね」
しかし僕にはそれが分からなかった。姫川有栖に選択肢を与えるしか、僕にはできなかったのだ。
もし仮に、僕の頭脳が野々宮さんにあったら――いや、そんな仮定は無駄だろう。
僕の頭脳はきっと犠牲を最小限にすることを求めるだろうし、彼女の精神はおそらく全ての人間を幸せに導こうとするはずだ。両者が反発こそすれど、しかしその方法論が合致することはあるまい。
と、そこでパタパタとした足音が近づいてきたのに気づいて、僕は顔を上げた。
「先輩! 大変です!」
駆け寄ってきたのはクルミさんだった。
相当慌てている様子で、髪の毛を振り乱し、息を切らせている。
彼女は僕たちの前まで来ると立ち止まり、両手を膝に当てて、言葉を紡ぎ出そうと必死に呼吸を整える。
野々宮さんが聞き返す。
「どうしたの、クルミちゃん」
「姫川先輩の家が……」
瞬間、僕の背筋に悪寒が走った。
いや、嫌な予感というやつか。とにかく、ただならない感覚が、僕を襲った。
「姫川さんの家が、どうしたって?」
「火が……火事になってるって!」
そう言って、少女がスマートフォンを差し出す。
彼女の差し出した画面には、炎上している住居が写されていた。
炎に包まれてはいるものの、しかしなかなかに立派な造りの家だ。かなりの広さもありそうだ。猫屋敷もかなり立派な家に住んでいたけれど、あの洋館とは違ってクルミさんの見せた画像に写っていた住居は現代風の洋式住宅と言ったところか。
「野次馬が撮った写真を、SNSに上げたみたいです」
いや、しかし、
「これが姫川さんの自宅だっていう確証は?」
「分かりますよ! だって、私が調べたんですよ。彼女のことも、彼女のお父さんのことも」
いや、だとしても、どうして火事なんかに?
「まだ確定はしていないんですけど、誰かが火をつけたらしいです」
「それって放火ってこと!?」
ますますわけが分からないぞ。
確かに姫川さんの父親には敵もいただろう。だがしかし、それでも放火されるほどの相手はいなかったはずだ。
姫川さん本人にしても、彼女を虐げる人間は山ほどいたとしても、所詮相手は中学生だ。火を放つなんてマネができるわけがない。
――と、すると、一体誰が?
「確認しておくけど、姫川さん一家で他に放火される理由のある人は?」
「いない、と思いますけど……あの、楠木先輩」
「何だい?」
「実は、その……犯人は、もう目星が付いているみたいなんです」
「どういうこと?」
と、野々宮さんが聞き返した。
クルミさんは野々宮さんにも視線を向けつつ、説明を続ける。
「火の出どころは、どうにも家の敷地内みたいです。これはお手伝いさんの証言で、裏は取れています」
と言うことは、犯人は内部にいた?
クルミさんが頷き、続ける。
「そしてこれは目撃者の証言なんですが、その……」
少女が言いにくそうに視線を泳がせる。
「目撃者の証言が何だって?」
視線を逸らしたまま、クルミさんが答えた。
「現場から、逃げていく中学生くらいの女の子を見たって」
「それって――」
野々宮さんの視線がこちらに向けられる。
いや、しかし、そんな。
僕の脳裏に一人の女の子の顔が浮かぶ。きっとそれは、野々宮さんやクルミさんが思い描いている人物と一致しているだろう。
だが――
「バカな。だって、彼女には理由が、」
「ツインテールの女の子です」
理由がないじゃないか、と言い切る前に、クルミさんが補足する。
「髪形だけで、」
「習志野中学の制服を着ていたそうです」
「誰かの変装ってことも――」
「先輩!」
クルミさんの強い口調に、僕は我に帰る。
「本気で、あの人がやっていないんだと思っているんですか!」
あの人。
女の子。
習志野中学の制服を着ていて、髪形をツインテールにしている。
そして、姫川邸の敷地内に入り、まだ住人も寝静まっていないであろう時間に火を放つことができる人物。
――答えは、必然だった。
だが、しかし、
「それでも、彼女には理由がないじゃないか」
学校ではいじめられ、家でも暴力を受けていた少女。そんな中でも、彼女は幸せだと言った。ならば、そんな、放火なんてマネをする理由は――
「ありそうでないものを除外していって、最後に残ったものが、たとえどんなにありそうでなくとも、それが真実だ」
「え――」
一瞬、その声は猫屋敷のものに聞こえた。
死んでしまった、もうこの世界にはいない女の子の声に――
しかし、声のした方を見ると、それは猫屋敷ではなかった。代わりに、野々宮美里が、太陽のような笑顔をこちらに向けていた。
「猫屋敷さんが言いそうじゃない?」
「そう、ですけど……」
しかし、どうして野々宮さんがそんなことを?
確か、その台詞はホームズが言ったものだったと思う。
「『ブルースパーティスントン設計図』だね……私がホームズを知っていたら意外かな?」
「そうですね。正直、少しだけ」
考えてみれば多趣味な彼女のことだから、ホームズを知っていても不思議ではないかもしれないが、しかし野々宮美里という人間のキャラクターを考えた時、やはり意外ではあった。
「猫屋敷さんほどじゃないけどね。ホームズの言葉に則るのならさ、楠木君、今君が目を逸らそうとしているものは、ないものを消していった結果なんじゃないかな」
「しかし――」
「楠木君」
彼女の口調が強くなる。
「猫屋敷さんとの約束を忘れちゃったの?」
「猫屋敷との約束……」
――謎を解け。
――名探偵になれ。
一時だって忘れたことはない。彼女の、猫屋敷綾の最後の言葉だ。
「謎は全て解けています。だけど」
それでは、何も解決しない。
答えは出したけれど、しかしそれでは何も事態は好転してはいない。
ううん、と野々宮さんが首を振る。
「君は答えを出すことばかり気にしすぎなんだよ」
「……」
「名探偵は、謎を解くだけじゃないでしょう?」
「じゃあ、野々宮さんが思う名探偵って……」
「決まってるじゃない!」
そう言って、彼女は両手を広げてみせた。
そして、
「人を助けることだよ」
と、言った。
人を助けること。
それが、名探偵の条件?
「そうだよ。楠木君は謎を解いた――だったら、後は、目の前の困っている女の子を助けなくちゃ」
野々宮美里は笑顔をみせる。
何一つ取り繕っていない、そんな無垢な笑顔だった。
思えば、彼女は初めからそうしようとしていたし、僕にもそうさせようとしていた。
最初に出会った時、あの時はきっと孤立しがちな猫屋敷を、そして一人きりに慣れ切っていた僕を救おうとしていたのだ。他者との繋がりを持たない人間同士を結び合わせることで。
そして野々宮さんが依頼を持ち込む時は、いつだって、誰かを助けようとしていた。
彼女にとって僕は他者を助けるだけの道具でしかなく、そして僕のその立場に誇りを持っていた。
それも無意識の内に、である。
まったく、油断も隙もあったものじゃない。
が、そういうことならば、僕は考えよう。
謎を解き、人を救うのが名探偵の使命。
なるほど、納得だ。
――猫屋敷。
彼女の言葉の意味するところが、本当はどうなのかは分からないけれど、僕にできることは考えることだけなのだから。
そして僕は、結論を出した。
「姫川邸への放火の真犯人……それは、姫川有栖さんです」
そして僕は、姫川有栖を――
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