探偵と幽霊少女と名探偵の掟

プロローグ

 自称・変人の女の子が死んでから、もう半年が経過しようとしている。

 ――謎を解け。

 ――名探偵になれ。

 その遺言を果たすために、僕は謎解きを続けている。

 あれから様々な事件に巻き込まれてきたけれど、しかし僕に解けない謎はなかった。

 が、それと同時に僕は人望を失っていった。理由は簡単だ。


「田辺先生、恋愛は個人の自由ですが、不倫はいけませんよ。貴方の奥さんも、さぞ悲しむでしょう。家内には言わないでくれ? いえ、依頼ですから。全て報告させて頂きます」


「水戸さん、先週、学校近くのコンビニで万引きしていましたね。コンビニに謝罪するか警察に自首するかは勝手にしてください。依頼人のコンビニには、報告することになりますが」


「工藤さん、塾に行くふりをしてゲームセンターに行くのは感心できませんね。貴方のお母様に依頼されて、調べさせてもらいました。まあ、今なら謝れば許してもらえるんじゃないでしょうか。僕には関係ありませんけどね」


 と、頼まれたことを頼まれたままに調べ、ありのまま報告していたら、そうなっていった次第だ。

 だけど、まだまだ足りない。名探偵と呼ばれるには、まだ……。


「おい、楠木、お前は俺の話を聞いてるのか?」


 目の前の中年男性の声で、僕ははっと我に帰った。

 職員室内の空気は、暖房が効きすぎているせいか、やや暑い。教師陣の中では腕まくりをしている人間がいるくらいだ。

 昨年に引き続き担任になった男性教師――升田幸一もその一人だった。彼もその白衣を捲り上げている。彼は、眠たげな視線をこちらに向ける。


「ええと、何でしたっけ? 先生が昨晩の麻雀大会で負けた話でしたっけ?」

「違えよ……まあ、麻雀云々は当たってるけどな。なんで分かった?」

「簡単ですよ。先生が眠そうな顔をしていたからです」


 近い過去にテストか何かがあればそれの後始末に追われていた、ということが考えられるが、そんなものに僕は心当たりがない。それに、升田先生はギャンブル好きだ。そんな人間が夜中まで何をしていたのか、想像するのは容易い。


「なるほどな……それで、俺が負けたっていうのは?」

「勝っていたらもっと機嫌が良いでしょう?」


 たとええ寝不足でもね、と付け加えておく。


「けっ。相変わらず目ざとい野郎だ」

「どうも」

「別に褒めてねえよ……それで、本題に戻すがな、またお前に苦情が来ている」

「はあ、苦情ですか」


 悪いことをした覚えはない。人が悪いことをした記憶は……数え切れないほどあるけれど。


「まあ、お前は入試も推薦組じゃねえし、困ることはねえとは思うけどよ、もう少し穏やかに済ませられねえのか?」

「穏やかと言われましても……僕は頼まれたことをしているだけです。文句があるなら依頼人の方へお願いします」

「その依頼人からも苦情が来てんだよ」

「それは……」

「お前は物事の本質を見抜きすぎてる。別にそれは悪いことじゃねえ。ただな、それを人に伝えるのは、必ずしも正しいこととは言えねえんだよ」

「では、先生の仰る正しいことというのは何ですか?」

「んなもん俺が知るかよ。俺は頭が悪いんだ」

「そうやって、先生はいつも逃げますよね」

「逃げることは悪いことじゃあない」


 そう言って、彼は小さく溜め息をついた。


「お前は、もっと人の弱い部分を肯定できるやつだと思っていたがな」

「期待はずれ、ですか」

「俺はどちらかというとマイナス側の人間だからな。他人に期待なんてしねえんだ」


 ただな、と彼が付け足す。


「お前は、もう少しだけ自分に自信を持っても良いと思うぜ」

「自信ね……」


 そんなもの、僕には必要ない。

 今の僕に最も必要なものは、真実を見抜く目だ。

 もっと深いところまで入り、その本質を見抜かなくては。


「猫屋敷のことを、まだ気にしてんのか?」

「気にしますよ、そりゃあ」

「無駄なことは止めろ。合理的じゃねえ。お前の行動原理に反するだろ」

「……」

「ありゃあ、事故ってことで片が付いたんだ。それに、もし仮に誰かがその責任を背負わなくちゃならねえってんなら、それはお前じゃねえ……俺だ」


 僕は小さく笑う。


「先生のそういうところ、僕は嫌いじゃないですよ」


 失礼します、と言い残して、僕は職員室を後にした。




 職員室を後にして廊下に出る。冷たい空気が心地良い。その空気を取り込むべく、僕は大きく息を吸った。


「真先輩」


 名前を呼ばれて、僕は振り返る。

 クルクルとした茶髪がかった天然パーマと、およそ中学生に見えない小さな体つきが特徴の少女――枢木くるるぎ胡桃くるみが、そこにいた。


「ありがとう。それで、どうだった?」


 僕は情報屋としての彼女を見込んで、色々と仕事を頼んでいたのだ。まったく彼女の情報収集能力には脱帽してばかりだ。僕の推理を最も助けているのは、きっと彼女のもたらしてくれる情報だろう。

 彼女ほど良い協力者は他にいない。

 というのも、理由がある。

 十カ月ほど前――僕と彼女が出会ってから八カ月ほど経過した、バレンタインのことだった。

 僕は、彼女に告白された。好きだ、と。付き合って欲しい、と告げられたのだ。

 無論、その時はまだ猫屋敷が生きていて、僕と彼女は付き合っていたのだから、クルミさんの申し出は断る他なかった。クルミさんも僕と猫屋敷の関係は知ってからダメ元だったのだろう。思っていたよりもあっさりと、身を引いてくれた。

 身を引いてくれた、と言っても、人間の感情はそこまで簡単に割り切れるものじゃない。彼女の好意は、僕が彼女をフッてからも感じ取ることができた。

 そして、僕はそこに付け込んだ。

 好意を盾にして、彼女に仕事を頼み続けたのだった。

 市議会議員の公費横領についての調査も、その一つだった。

 彼女はその首に巻かれた赤いマフラーを、口元からずらしながら続けた。


「やはり真先輩の言った通り、黒でした」

「そう。やっぱりね」


 金の流れを少し妙に感じたんだ。


「あの、でも」

「どうしたんだい?」

「こんなこと調べて、大丈夫なんでしょうか……」


 大丈夫、というと?


「何か、とんでもなく大きなことを調べているような気がするんですけど」

「怖いのかい?」

「いえ、そんなこと、ありませんけど……」


 彼女の表情は、明らかに怯えているものだった。無理もない。一中学生でしかない僕たちが、権力者を相手取ろうっていうのだから。


「先輩は、怖くないんですか?」

「怖いよ」

「じゃあ、」

「そこに見えている真実を、見て見ぬ振りをするのが、怖い」


 そのせいで僕は、一人の女の子を死に追いやってしまったのかもしれないのだから。


「真実を明らかにできるのなら、僕の命くらい安いものだよ」

「真先輩!」


 目の前の少女が俯く。唇を噛みしめているようだ。そして彼女は、正面からそっと僕の右手の袖を引いた。


「お願いですから、命が軽いなんて言わないで下さい」

「ごめん」

「先輩までいなくなっちゃたら、私、どうしたら良いんですか……?」

「……ごめん」


 僕はそっと、クルミさんの頭に手を伸ばす。そして子供をあやすかのように、優しく撫でながら言った。


「心配しなくても大丈夫だよ。無茶なことはしない。横領のことはしかるべき機関に、しかるべき方法で伝えるつもりだよ」


 僕だってそんなところで無駄にリスクを背負いたくはない。それに、他にも抱えている事件だってあるのだ。速やかに次の案件に移るべきだろう。


「おっと、もうこんな時間か」

「何か予定でも?」

「これから図書当番の仕事があるんだよ」


 こればかりは、短縮しようがない。

 まあ、ほぼ座っているだけの仕事だし、その間は本を読んだり抱えている案件についての考えをまとめたりできるのだから、そう悪い時間とも言えまい。

 僕はクルミさんと別れて、図書室へと向かった。


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