1000PV突破記念短編(カクヨム限定公開)

※楠木真の中学二年生時代の夏にあった出来事です。



 自称・面倒見の良い委員長、野々宮美里が、例の如く放課後、僕の机の前まで来て言った。


「楠木君、今晩は何か予定ある?」

「いいえ、特にありませんけど」


 答えてから、僕はしまった、と思った。彼女が僕の予定を尋ねてくる時は、大抵何か面倒を持ち込む時なのだ。


「ああ、いえ、やっぱり用事が、」

「じゃあ夜に、北駅の改札前で待ち合わせね!」


 それだけ言うと、目にも止まらぬ速さで駆け出して行ってしまった。やはり取り繕おうとするのは無駄だったらしい。

 仕方ない。

 僕は、野々宮美里の言葉に従うことにした。別に断ることもできたのだが、まあ、気まぐれというやつだ。にしても、


「待ち合わせの時間が“夜”だけって……」


 何ともアバウトな……彼女らしいと言えば彼女らしいのであるが。

 まさか真っ直ぐに待ち合わせ場所に行くこともできないので、僕は一度帰宅するべく、立ち上がったのだった。




 午後六時。僕はポケットに財布と携帯電話だけ入れて家を出た。

 今日は七夕だ。この季節になると、午後六時でもまだ少し明るく、同時に蒸し暑い。

 僕は野々宮さんに言われた通り、北駅の方へと歩き出した。

 僕の自宅から北駅まではそう遠くはない。徒歩で十分ほどだろうか。何分僕が住んでいるところはそこそこの田舎町である、大型書店のある隣町まで行くのに僕はよく電車を利用する。そのため、自宅から駅への道のりは慣れたものだった。

 十分程歩いて駅が見えてきたあたりで、遠くで大勢の人間が騒いでいるのが聞こえてきた。僕はどうして野々宮美里に呼び出されたのか、何となく察することができた。――夏祭りだ。

 僕の住む町では毎年、七夕の時期になると神社の境内で夏祭りが開催される。と言っても、特に何をするわけでもなく、縁日が開かれるくらいか。それでもそれなりの数の屋台が出るので、一日楽しむのに困ることはないだろう。

 そしてその神社というが、丁度北駅のすぐそばなのだ。

 神社自体が祭りのせいでかなり混み合うだろうから、その近くの駅で待ち合わせするというのは妥当な判断だろう。

 僕はその祭りには昔、かなり幼かった頃に行ったきり、参加することはなかった。理由は特にない。単に人混みとか祭りの喧騒が苦手なだけだ。それに、縁日より家で読書している方が数段楽しい。

 しかしそれは僕の感性であり、野々宮美里の感性ではない。彼女はまさに祭り事を楽しむ性分だろう。そして野々宮美里という人間は、自らが楽しいと思ったことには全力で他人を巻き込んでいく性格なのである。面倒見が良いと言うか、面倒な人と言うか……。とにかくそんなわけで、夏祭りだなんて楽しいイベントがあれば、彼女は他人を巻き込まないわけがないのだ。

 駅に、そして神社に近づくにつれて、喧騒も大きくなっていく。

 そして僕は、その喧騒の中に。

 ――彼女を見つけた。

 その瞬間、僕の時間が停まる。

 紺を基調にし、白や紅で牡丹の華が描かれている浴衣を身に纏い、淡い桃色の帯を巻き、手には浴衣同様紺色をモチーフにした巾着袋を持っている。

 ショートカットの髪の毛に、黒猫をあしらった髪飾りを着けている彼女は、僕の存在に気付くと、不慣れな裾や草履を気にしながら駆け寄ってきた。


「やあ、楠木君。遅かったじゃないか」

「……」

「ん? どうしたんだい? 私の美麗な浴衣姿に見とれて声も出ないのかい?」

「その一言がなければ完璧だったんだけどね、猫屋敷」


 と、僕は肩を竦めてみせた。

 正直、彼女に見とれていたというのは事実だ。

 息を呑む美しさというのは、まさにこのことを言うのだろう。とてもではないが、中学生とは思えないほどである。もしかしたら僕を待つ間、既に何人もの男に声を掛けられているかもしれない。


「ああ、三人だね、私に声を掛けてきた男性は。もっとも、誰も相手にすることはなかったが」

「それはそれは、大変だったね」

「まあね。ま、これも私が美少女故のことだね。いわゆる美人税というやつだ」


 僕は思わずがっくりと肩を落とす。

 本当に、この口さえなければ完璧なのに……。


「まあ、細かいことは良いじゃないか、楠木君。むしろ君はこんな美少女と共に歩けることに感謝した方が良い」

「そうですねー、僕はなんて幸せ者なんだー」

「君は相変わらず失礼な奴だな」


 そう言って、猫屋敷綾はくすりと笑ってみせた。かく言う僕もこんな無駄とも思えるやり取りが嫌いなわけではない。それはそうと。


「君も野々宮さんに呼び出されたのかい?」

「まあ、そんなところだ」

「それで、その野々宮さんは?」

「さあ……何でも屋台の方を手伝っているそうだが」


 なるほど。となると、夏祭りの会場であるところの神社の方に行けば会えるかな。彼女の用件が重要なものにせよ下らないものにせよ、実際に会って話を聞かなければどうにもならないだろう。そしてそれは、猫屋敷だって承知しているはずだ。


「それじゃあ、神社の方に行こうか、猫屋敷」

「そうだね。綿菓子も食べたいことだし」


 どうやら、彼女にとっては花より団子ということらしかった。

 僕たちは並んで歩き出す。

 駅から神社までは一キロもない。しかし、祭囃子は耳に届くし、何より普段より多い通行人(それも浴衣をきている人が多い)のおかげで、嫌でも祭りというのを意識し、鼓動を早くせざるを得なかった。

 いや、この胸の高鳴りは、祭りのせいだけではないのかもしれない。

 隣にいる一人の女の子のせいかもしれないと、柄にもなくそんなことを考えてしまった。


「そう言えば、楠木君」

 前を見据えたまま、猫屋敷が口を開く。


「まだ君の口から聞いていない言葉があったね」

「聞いていない言葉?」


 何だろう。


「まったく君はなっていないなあ。祭りに女の子が浴衣を着てきたんだ。何か言うべきことがあるだろう」

「ああ」


 何だ、そういうことか。

 僕は足を止めて、猫屋敷に視線を向ける。


「その浴衣、とても似合っていますね」

「どうして敬語なんだよ」


 と、彼女が笑う。

 悪かったな。慣れていないんだ、女の子を褒めるというのは。


「まあ、今日はこれで許してあげるとしようか。ただし、綿菓子を奢ってくれたらね」

「それくらいお安い御用だよ」


 正直、彼女の浴衣姿ならば綿菓子くらいでは釣り合わない。綿菓子に焼きそばとたこ焼きと射的を合わせても、まだ足りないだろう。


「ふふっ……野々宮さんには感謝しなくてはいけないね」

「野々宮さんに?」


 ああ、と猫屋敷が頷いてみせる。


「この浴衣の着付けをしてくれたのは彼女なんだよ。彼女のやること成すことは理解に苦しむことが多いが、その御節介もたまには役に立つものだ」

「まったくですね」


 猫屋敷の言うことが本当なら、野々宮さんはわざわざ猫屋敷の家に寄ってから自分の家に帰ったことになる。野々宮さんの家の場所は知らないけれど、おそらく遠回りになったことだろう。

 本当に、彼女には感謝してもしきれないな。

 僕たちは再び歩き出す。

 数分程歩くと、さらに人が多くなってきた。移動もままならないほどというわけではないけれど、しかし二人の人間が並んで歩くには少々窮屈だ。自然、僕と猫屋敷は縦一列になって進むことになる。

 その時、僕の右手を何か柔らかい感触が捕まえた。

 見ると前を歩く猫屋敷が、僕の手を取っていたのだった。


「ええと、猫屋敷?」

「はぐれるといけないからな……こうして手を繋いでいれば、迷子にならずに済むだろう?」

「まあ、そうだけど」

「不満かい?」


 そういうわけではないが、しかし女子と手を繋ぐなんてことは初めてだから、どうにも照れくさいというか、反応に困ってしまう。


「まったく。こんな美少女が手を取ってやっているんだから、もう少し感謝してくれても良いと思うんだがね」

「君の自意識過剰は筋金入りだね……」


 本当に、この悪癖さえなければ完璧なのだけれど。

 しかし。

 僕はもう一度、引かれる自分の右手に視線を落とす。

 僕の手を握っている猫屋敷の左手は、思っていたより小さなものだった。彼女の――というより女の子の手の小ささを、改めて実感する。

そこから上に辿っていくと、白く細い腕に達する。浴衣の袖から出るその左腕は、今にも壊れてしまいそうな、それでいて美しい芸術作品のようだった。ちょうどガラス細工だとか細やかな作りの洋人形のそれのようだ。

 さらに上に視線を移動させる。

 猫屋敷は僕より少しばかり身長が低い。だから今、僕の目の前には彼女の後頭部がある。普段は気にもしないようなことなのだが、彼女の頭からは甘々しい花の香りがしていた。

さらに浴衣姿ということもあって、彼女の艶めかしい白いうなじも露わになっている。何だか見てはいけないものを見ているような気がして、僕は思わず目を逸らす。

そうこうしている内に、僕たちは神社に到着していた。

と言っても、神社に続く階段の下に、であるが。

ここから三十段ほどの階段を上れば、そこは神社の境内であり、おそらく野々宮さんが手伝っているという屋台もそこにあるだろう。

階段の下のもいくらか屋台は出ていた。射的、くじ引き、焼きそば、たこ焼き、金魚すくい……メジャーどころは一通り揃っている。ここにない屋台でも境内まで行けば補完できるだろう。


「楠木君、私はあれがやりたい」


 と、猫屋敷が射的の屋台を指さす。


「野々宮さんに会うんじゃないのかい?」

「まあまあ、細かいことは良いじゃないか」


 そう言って、彼女は僕の手を引いたまま、ずんずんと射的の方へと歩いていく。手を繋いだままだから、必然的に僕もそれに続く形となる。


「すみません。射的、一回お願いします」


 店主のおじさんが「あいよ!」と元気よく答え、猫屋敷が彼に料金を手渡す。それと引き換えに、彼女は差し出された射的用のライフル銃を受け取る。

 猫屋敷は受け取ったライフル銃を、景品が並んでいる台に向かって構える。その姿はなかなかに様になっていた。もしかしたら本か何かであらかじめ知識を得ていたのかもしれない。

 彼女の狙いの先にあるのはお菓子の詰め合わせだった。甘いもの好きな彼女らしい狙いと言えるかもしれない。

 照準を合わせながら、彼女が口を開く。


「楠木君、今君が考えていることを当ててみせよう」

「へえ……何だい?」

「こんなお菓子、買った方が安い」

「……まあ、概ね正解ですね」


 と、言うことにしておく。彼女の後姿に見惚れていただとか、そんなことは口が裂けても言えない。


「分かってないなぁ……こういうのは雰囲気が大切なんだよ。祭りで取るからこそ意味がある」


 そう言って、彼女は静かに引き金を絞った。コルクの弾が高速で、標的であるところのお菓子の詰め合わせに向かって飛んで行った。弾は詰め合わせの上部に命中し、景品がぐらりと揺れる。そしてその勢いのまま、後ろに倒れ、台の下に落ちた。

 店主のおじさんが落ちた詰め合わせを拾い上げ、猫屋敷に渡す。代わりに彼女はライフルをおじさんに返却した。

 受け取った景品を、彼女は自慢げに僕の眼前に突き出す。


「ふふ、どうだ」

「お見事だね」


 と、一応褒めておくことにした。それでも彼女は自慢気な顔を浮かべていた。まあ、楽しんでくれているのなら、それで良いか。


「ところで楠木君、あれを見たまえ」


 そう言われて、僕は彼女が顎で指した方を見る。

 彼女が示したのは、射撃の景品台の方向だった。そのさらに、隅に所在なさげに置かれている、くまのぬいぐるみを、猫屋敷が指していた。

 くまのぬいぐるみと言ってもごく普通の、というわけでもなく、景品とはとても思えないほどボロボロのものだった。遠目からではあるが、所々綿がはみ出し、さらに片方の目が今にも取れそうだ。


「あれが何か?」

「妙だと思わないか。あんなものが景品台にあるのは」

「まあ、妙と言えば妙ですね」

「どうだろう、あれがどうしてあそこに置かれているのか推理してみようじゃないか」


 なるほど。思考ゲームが好きな彼女らしい提案だ。まあ、僕も何かを考えるのは嫌いではないし、断る理由も特にはない。

 僕は、彼女の提案を受け入れることにした。


「じゃあ、猫屋敷から考えをどうぞ」

「そうだな……」


 猫屋敷は腕を組み、少し考えた後、口を開く。


「あれはきっと店主が、彼の恋人に贈るためのものだ」

「そのこころは?」

「あのぬいぐるみは景品にしては明らかに状態が悪い。とすると誰かの持ち物だと考えるのが普通だ。それも、その持ち主は相当長い間、あれを大切にしていたように思える。が、その持ち主はあの店主の男ではない」

「どうしてそう思うんだい?」

「もしあの男のものなら、相当大切にしていたであろうぬいぐるみをあんな所に無造作に置くのは変だからだよ」

「と、言うことは、彼があのぬいぐるみをあそこに置いているのには何か理由があるということかな」

「そうなるね」


 と、彼女が頷いてみせた。そしてそのまま続ける。


「では、その理由とは何か」

「何だと言うんだい?」

「簡単だよ、楠木君。彼はぬいぐるみをあそこに置くことで、乾燥させているんだ」

「乾燥、ですか」

「そうだ。祭りの屋台というのは沢山の照明や人間のお陰で、温度が高くなっているからね。何かを乾燥させるにはうってつけだ」


 そして猫屋敷は、自らの考えをまとめるように静かに瞳を閉じる。


「おそらく彼はその恋人と喧嘩してしまったんだ。喧嘩の原因は、おそらく彼にあるのだろうね」

「どうしてそう言い切れるんだい?」

「女性が本気で怒った時、まずどうするか分かるかい?」

「口論する、かな」

「まあ、そうだね。じゃあ、それでもまとまらなかったら?」

「まとまらなかったら……」


 どうすると言うのだろう?


「女性の場合、感情的になると近くの物を投げることが多いんだ……つまり、ことのあらましはこうだよ」


 事件があったのは昨日。射的屋の店主とその彼女は喧嘩をしてしまった。理由は定かではないが、男の方に非のある諍いだ。

そしてその喧嘩の最中、女の方は近くにあったお気に入りのぬいぐるみを、男に投げつけた。男はそれをかわす。そしてぬいぐるみは、男の後ろ――開いていた窓から、地面に落下した。昨日は生憎の雨だ。ぬいぐるみはびしょ濡れになってしまっただろう。

女はそのぬいぐるみの有様を見てさらに憤慨した。

男は女と仲直りしようとする。できるだけ早く、だ。しかしそのためにはぬいぐるみの復元が必要不可欠だった。男はぬいぐるみを洗濯した。しかし当然ながら、それを乾かしているだけの時間はなかった。そこで男は思い付いた。


「――そうだ、仕事中に乾かしてしまえ、とね」


 だからあのボロボロのくまのぬいぐるみは、屋台の景品台の上なんて場所にある。

 それが、猫屋敷綾による推測であった。

 彼女が閉じていた眼をぱちりと開く。


「どうだったかな、楠木君。できれば君の意見を聞いてみたいんだが」

「そうだな……なかなか面白い推理だったと思うよ」

「ふふん。そうだろう。これでも私は、日夜推理小説を研究し、自身の観察眼に磨きをかけているからな」

「ただ……」

「ただ、何だい?」

「少し考えすぎかなって、思ったんだよ」

「考えすぎ? ……ならば、君の推理を聞かせてみたまえよ」


 間違いなく本人が不機嫌になるだろうから言いたくはないけれど、猫屋敷の推理は外れているだろう。まあ、それも仕方がないような気もするけれど。

 僕は、改めて屋台の方へと視線を向けた。

 要は知っているかどうかの問題なのだが……。


「あれは“ボロクマ”と言って、最近人気が出始めたぬいぐるみなんです。あの店主のおじさんはそれを知っていた。だから景品として、あれをあそこに置いているんです」


 普通に考えれば、景品台の上の物は、景品で間違いないだろう。

 それにぬいぐるみを乾燥させたいだけならば、わざわざ景品台の上なんていう紛らわしい場所に置く必要はない。他にも置ける場所はいくらでも考えられたはずだ。


「まあ、あのぬいぐるみを景品に選んだのは、あの店主の彼女……かもしれませんけどね」


 如何にも流行には疎そうな男であるから、彼が選んだとするのはやや不自然かもしれない。


「……一つ、訊いても良いかな」


 と、猫屋敷。僕はどうぞと右手を広げてみせる。


「どうして君が“ボロクマ”なんて物の存在を知っているんだい?」

「以前、野々宮さんに聞いたからですよ。彼女の携帯電話のストラップも同じキャラクターのものなんです」


 だから、まあ、猫屋敷にもヒントはあったはずなんだ。彼女だって、野々宮さんの携帯電話を見たことがないというけでもないだろう。


「ここまでが僕の推論ですが」

「……」


 ああ、明らかに猫屋敷が不機嫌になっている。俯きつつ、頬を僅かに膨らませている。


「あのぬいぐるみのこと、知っていたのか」

「ああ、うん、まあ」

「だったら、どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ!」


 私一人でペラペラと喋って馬鹿みたいじゃないか、と猫屋敷は怒りの感情を露わにした。

 そのことには悪いとは思っているけれど、しかし自信満々に語る彼女の姿はなかなか美しいもので、つい止め損なったのだ。

 そしてその後の、自分の推理が間違いだったと気づいた彼女の表情も、普段の凛々しい態度とは打って変わって実に可愛らしいものであった。猫屋敷綾という人間の魅力を、思う存分体感しているような気分だ。祭りに来て良かったと、僕は心から思った。




 それから僕たちは幾つかの屋台を回った後(もちろん綿菓子も奢らされた)、野々宮さんと合流すべく境内の方へと向かった。

 階段を上り切るとそこにも幾つか屋台が並んでいたのであるが、しかし野々宮さんの姿を見つけるのは容易いことだった。

 野々宮美里は、屋台の、それも型抜きの店の手伝いをしていた。僕たちの存在に気付いた彼女は、こちらに駆け寄ってくる。


「やあやあお二人さん! お祭りは楽しんでいるかな?」


 そう言う彼女の服装は、わざわざ着付けをした猫屋敷とは違って、半そでにショートパンツという実にラフなものだった。屋台を手伝うに当たって動きやすさを重視した結果なのかもしれない。


「お陰様で。野々宮さんはどうですか?」

「超楽しんでるよー! まあ、結構忙しくはあるんだけどね」

「大変ですね」

「そうでもないよ。お客さんとの交流も楽しいし」


 実に彼女らしい解答だ。

 そんなことを考えていると、猫屋敷を含めた周囲の人間が、一斉に空を見上げた。

 閃光が走って、ドンという音が鳴る。そして、夜空に一輪の、大きな華が咲いた。


「花火だね。そう言えば、この時間から上がるんだったっけ」


 何て言う野々宮さんの言葉を聞き流し、僕も夜空を見上げる。

 また一輪、華が咲いた。

 綺麗だ……。

 思わず、そう呟いていた。

 ふと、僕の右腕の袖が引かれる。

 猫屋敷だった。

 彼女は優し気な笑みを浮かべ、口を開く。


「楠木君!」

「何だい!」


 花火に負けないように、僕たちは互いに声を張り上げた。

 しかし、


「私は、君のことが――……だ!」


 彼女の言葉が花火と重なり、掻き消された。


「何だって?」


 花火と花火の間隙を縫って、僕は聞き返す。

 猫屋敷は、ふいと視線を逸らした。


「いや、何でもないよ。また来年の来たいものだね」


 まったくもって同感である。

 しかし――

 彼女が言いかけた言葉が何だったのか、僕には推理することが――できなかった。

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