―2―

 須藤一馬から依頼のあった翌日、僕と枢木さんは学校近くの公園で待ち合わせをしていた。校門前で待ち合わせても良かったのだが、仮にその現場を犯人に見られては犯行を中止されるおそれがある、と判断しての待ち合わせ場所の決定だった。

 時刻は午前六時。もはや半分瞳が閉じているのではないかという僕に対して、枢木さんは実にやる気に満ち溢れた表情だった。彼女の性格を鑑みるに、やると決まったことに対しては真面目に取り組もうということなのだろう。

 早速僕たちは学校に向けて歩き出す。


「随分やる気みたいだね」

「そう言う先輩は眠そうですね」


 当然だ。起きたのは五時半だぞ。


「早起きは三文の得って言うじゃないですか」

「野々宮さんが言いそうだね」


 自分でもちょっとそう思いました、と少女がイタズラめかしたように笑ってみせた。

 そんな風に素直な笑みを見せられると、その幼い見た目通り、何だか本当に子供みたいだ。……そんなことを口に出したらまず間違いなく怒られるのだろうけれど。


「そういえば、君はどうして情報屋なんてやっているの?」

「友達がいないからです」

「……」


 何だろう、さらっととんでもないことを言われてしまった気がする。


「まあ、楠木先輩ほどじゃないですけどね」

「確かに僕は友達が少ないけど」


 というか、二人しかいないけれど。


「私もあまり友達の多いタイプじゃないんですよ」

「ちょっと意外だな。どちらかと言えば多そうなイメージだったよ」

「知り合いなら、そりゃあ多いですよ」


 知り合いと友人は、違う。

 僕だって友達だけではなく知り合いも数えるのなら、そこそこにいる。


「私が情報屋を始めたのは、最初は友達を作るためでしたね。ほら、相手の趣味を知っておくのって大切じゃないですか」

「まあ、そうだね」

「それで情報を集めようとしたのがきっかけです。まあ、気が付いたら詳しくなりすぎて、逆に引かれてしまったんですけどね……」


 そして少女は、何とも複雑そうな笑みを浮かべた。

 あるいは彼女はそうやって自虐することで、自己防衛しているのかもしれないと、僕は思った。


「でも、今は今で結構幸せなんで、満足してます。仲の良い友達もできましたし」

「へえ。良い友達みたいだね」

「はい、親友です!」


 そう言う楠木先輩は、と彼女が続ける。


「どうして友達を作らないんですか?」

「僕は……面倒だから、かな」

「友達がいた方が楽しくないですか?」

「どうかな。僕には友達がいた経験がないからよく分からないよ」


 一人でも楽しめることはたくさんあるし。読書とか映画鑑賞とか。

 ……いや、それは言い訳だな。僕にだって友達がいた時期はあったのだから。


「ちょっと意外ですね」

「そうかな」

「はい。何て言うか、先輩は周りの人間を馬鹿にしていると思っていました」

「君は時々すごく失礼だね」


 と言うより、会って二日目でそんなイメージを抱かれたことが驚きだ。これからはもう少し愛想良くした方が良いのだろうか。


「先輩はそのままで良いですよ? 突然変わったら、そっちの方が気持ち悪いです」

「だから君は時々すごく失礼だよね……」


 もはや時々ではないかもしれなかった。


「でも、先輩。――かつては友達のいた先輩」

「何だい、失礼な後輩」

「それなら先輩はどうして友達を失くしちゃったんですか?」

「それは……」


 幼い頃の話だからはっきりとは覚えていない。けど、断片的な記憶だけをまとめると、要は僕が他人のことをあまりに言い当てすぎるからだそうだ。気持ち悪いと、初めて言われた時はかなりショックだったな……。


「なるほど。そんなことがあったんですね」

「情報屋としてデータベースに保存、かい?」

「そうですね。でもそれ以上に」

「それ以上に?」


 隣を歩く枢木さんが立ち止まり、僕は振り返った。


「私たちって、何だか似ていますね!」


 言われてみれば確かにそうだ。

 情報を集めすぎて孤立した枢木さん。

 情報を言い当てすぎて孤立した僕。

 何となくその境遇は似ているように感じる。


「案外私たちって、上手くやっていけるかもですよ?」

「そうだね。何なら友達になってみる?」

「先輩は時々面白い冗談を言いますね」


 時々は余計だ。

 再び歩き出しながら、でも、まあ、と彼女が繋ぐ。


「私のこと、特別に下の名前で呼んでも良いですよ!」


 その代わり私も先輩のことをって呼びますから。

 一方的に、そう通達された。冗談か本気かは分からなかったけれど、しかし僕としては後輩を下の名前で呼ぶことにそんなに抵抗はない。


「それじゃあ、改めてよろしくね、さん」

「あ、やっぱりなしで。何かこれ、すっごく恥ずかしいです」


 顔を耳まで赤く染めて、彼女が言った。自分で言い出したくせにまったく変な後輩だ。


「そんなこと言わずに、僕の事も下の名前で呼んでみてよ、クルミさん」

「もー! 止めてくださいってば!」

「いやいや、君が言い出したことじゃないか、クルミさん」

「だから止めてくださいって……というか先輩、絶対楽しんでますよね!」

「いやあ、そんなことないよ。僕は単純に後輩との親睦を深めたいだけさ」


 まったくの嘘だった。嘘八百だった。

 この小さな後輩をからかうことが、とても楽しい。


「真先輩のバカ! 野々宮先輩に言い付けちゃいますよ!」

「ごめん。それだけは止めて」


 即刻謝罪した。結構本気の謝罪だった。

 野々宮さんが怒ったところを、僕は見たことがない。だけどもし仮に彼女の逆鱗に触れることがあれば、それはもしかしたら命の危機に関わるかもしれない。それは推理なんかじゃなくて僕の、あくまで動物的な直観だけれど、しかしどうしてか確信することができた。

 彼女を怒らせたらヤバイ。

 命を取られるというのは言い過ぎかもしれないけれど、僕の今の人格が微塵も残らないほどに更正させられるということは、大いにありそうだ。清く正しく美しくがモットーの、超絶模範的な中学生ができあがるのかもしれない。

 ……何だそれ。洗脳か何かだろうか。

 爽やかな笑みを浮かべながら花壇に水をやる自分の姿を想像するだけで、身震いが止まらなかった。




 後輩との楽しくも下らない会話を繰り広げていると、やがて校門が見えてきた。

 時刻は午前六時二十分。

 狙い通り、辺りに人の気配はない。朝練がある生徒にしても、まだ誰も登校してきてはいないようだった。

 玄関まで行き、扉に手を掛ける。……やはり、開いていない。

 僕はクルミさんに視線で合図して、玄関から少し離れた木の陰に隠れた。

 数分もしない内に、教師らしき男性が一人やって来た。


「三年数学担当の棚橋先生ですね」


 と、クルミさんが呟いた。

 どうやらその棚橋先生とやらが、今日学校の鍵を開ける当番らしかった。

 開いた玄関からその先生が入っていくのを確認して、僕たちも追いかけた。

 校舎内に入り、僕たちは隠れる場所を探す。


「あれなんか良いんじゃないですか?」


 クルミさんが指さしたのは、掃除用具を入れるロッカーだった。

 なるほど。良いアイディアだけれど。


「止めておこう。二人で入るには狭すぎるし、何より埃の臭いが辛そうだ」


 だけどそのロッカーの陰なら、丁度下駄箱からは死角になるし、都合が良さそうだ。

 僕たちはロッカーの陰に隠れることにした。

 クルミさんが小さな声で尋ねてくる。


「犯人、来ますかね……?」

「さあ、どうだろうね」

「どうだろうって、そんな無責任な……」


 来るかどうかは、正直分からない。

 犯人の動機すら分からないのだから当然だろう。もしかしたら月曜と火曜の犯行で犯人の目的は達成されたのかもしれない。だとしたら犯人は現れず、僕たちの早起きは無駄に終わるというものだ。

 ――十分経過。犯人は未だに現れない。


「そういえば」


 と、クルミさんが口を開く。


「真先輩と猫屋敷先輩って、仲が良いんですか?」

「どうかな。よく分からない」

「でも野々宮先輩が言っていましたよ。真先輩は毎日猫屋敷先輩にお弁当を作ってもらっているって。しかも手作り」


 野々宮さんめ、余計なことを……。


「それとこの前、猫屋敷先輩の家に行ったんですよね?」

「そんなことまで話していたんですか」

「話していました。と言うより、野々宮先輩は真先輩と猫屋敷先輩が仲良くなるのが、すごく楽しいようですよ」


 おかげで情報収集が楽でした、と付け加えられる。

 まったく、あの人はどこまでお節介なんだ。

 どうせ友達は多い方が良い。人と人とは仲良くした方が良い。そんな理想を、本気で信じているのだろう。

 ……何と言うか、羨ましい限りだな。


「それで、どうなんですか? 行ったんですか?」

「うん、まあね。先生に頼まれて」

「先生と言うと、河内先生ですか?」

「そうだけど……よく分かったね」

「簡単ですよ」


 と、どこかで聞いたことのある口調で続ける。


「先輩のクラスの副担任は現在産休中ですからね、消去法ですよ」

「升田先生が頼んだっていう可能性は?」

「ないですね。あの人はそんな風に甲斐甲斐しく世話をする人じゃないでしょう?」

「……一応訊くけど、クルミさんは升田先生の授業を受けたことは?」

「ないですよ」


 はっきりと言った。

 というより、授業を受けたことすらない生徒にさえそんな評価をされている升田先生って……。

 何とも不憫な話だった。

 いや、自業自得かもしれないけれど。


「それで、どうなんですか?」

「どうも何も……」


 猫屋敷との関係は、正直なところ僕にも分からない。

 いや、猫屋敷綾という人間そのものが分からないのだから、仕方がないじゃないか。


「そうなんですか? 野々宮先輩から聞いた限りじゃ、とても仲が良さそうですけど……じゃあ、二人きりの時はどんな話を?」

「うーん……大抵は最近読んだ本の話かな。後は映画の話とか演劇の話。僕はあまり詳しくはないけど、音楽の話も少しはするかな」


 要するにそのほとんどが趣味の話だということだ。分野は違えど、そこらの学生の友人同士がしている会話とそう大差ないだろう。


「じゃあ、質問を変えます……猫屋敷先輩ってどんな人なんですか?」

「それも情報屋の仕事の一環?」

「そう思ってもらっても構いません」

「そうだね……」


 猫屋敷がどんな人なのか。

 まずは。


「変人」

「変人、ですか」

「そう。変人」

「真先輩がそう言うのなら、相当なんでしょうね……」


 苦笑いを浮かべる彼女。

 しかし、事実なのだから仕方がない。

 いやいや、ちょっと待て。その前に彼女の弁によれば、僕も変人ということにならないか?


「言葉の綾ですよ。猫屋敷綾だけに」

「全然上手くない……」


 まあまあ、となだめられ、僕は猫屋敷についての回想を続ける。


「好きな作家はシェイクスピアと坂口安吾。後はコナン・ドイルもか。映画はあまり観ないらしいけど、最近は僕の影響で観始めたらしい。好きな音楽は、僕はよく分からないけど、クラシック全般らしいよ」

「なるほどなるほど」


 本当に聞いているのかは分からないけれど、クルミさんは一々頷いてみせていた。


「ぶっちゃけ、どうなんですか?」

「どうというと?」

「好きなんですか?」

「好きって、誰をだい?」

「猫屋敷先輩のことに決まってるじゃないですか!」


 やはりそうか。


「あまり何でも恋愛と結びつけるのは良くないですよ」

「知っています。私はそこまでスイーツな頭じゃないですよ」


 それもそうかもしれない。


「でも、男子と女子が二人きりで一緒にお弁当を食べて、しかも手作りで、仲良くお喋りしていれば、私じゃなくてもそう思いますよ」


 そうだろうか。僕には友達がいないからそういうことはよく分からない。分からないが、まあ、彼女がそう言うのならそうなのだろう。

 しかし、それは事実と異なることである。間違っていることである。

 僕から猫屋敷への好意もないし、向こうも僕のことなんて何とも思っていないはずだ。


「そういうものですかねえ……」

「そういうものだよ」


 何せ相手は「変人」なのだから。

 ――さらに二十分経過。未だに犯人は現れない。

 そろそろ朝練をしに来る生徒が現れるはずだ。


「今日は来ないんでしょうか?」

「かもしれないね」


 いや、かもしれないなんて言ったけれど、まず間違いなく現れないだろう。むしろここから先に現れるくらいなら、僕たちが苦労して犯人探しなんてする必要はないはずだ。そこまで間抜けな犯人だとも思えないけれど。

 が、そこで僕がこれまでに積み重ねて来た前提条件が一気に覆されることになった。

 視界の中には一人の男子生徒。おそらく野球部だろう。

 彼が下駄箱を開けた瞬間、一つの小さな物体が落下した。

 それは、クッキーの入った小袋だった。

 遠目に見た限りだが間違いない。昨日クルミさんに見せてもらった画像とまったく同じものだ。見間違いようがない。

 ――いつだ?


「せ、先輩、どういうことですか!」


 ――僕たちの張り込みに死角はなかったはずだ。


「ずっと見張ってたのに、どうして……!」


 ――目を離したなんてこともなかった。


「どうして……!?」


 思わず、僕の口からそんな言葉が零れていた。

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